Webでお金儲けの話

かなり胡散臭いタイトルです。敢えてこのタイトルにしました。
自分、利己的な輩が昔から苦手で。これを綴ると非常に長くなるので、以下に上手く手短にまとめられるか自信無いのですが。

例えば、大手企業の本社に勤務していた頃、会社のヨットチームからお誘いがあり、幾度か乗船しています。
しかし、チームの一部は「マルチまがい商法」にハマっていて、そんな人達は見せ掛けのゴージャスな生活を好むようでヨットをそのアジトのように利用していて。
マルチまがいにハマる人達は利己的な輩ばかりの認識でした。大切な人の繋がりをお金に換えてしまう愚かな輩くらい酷い認識です。
多くの人は失うものの大きさや多さに気付かれているのかなぁ。信用とか。
一緒に扱われてしまうのは避けたく、ヨットを離れた理由の一つになりました。

マルチまがい商法に限らずそんな利己的な輩ほど、近寄ってこようとして。
避けているのも気付かないのか不思議なくらいです。狙われる獲物な心境です。
どうゆう精神構造をしているのだか。

前回の投稿に続くのですが、盗用された写真の件で色々と数日間考えさせられました。
やられてしまった方によっては請求されるパターンもあるようですし、埒が明かなければ裁判にも持ち込むそうで。
これまでの自分は、なるべく利他的でありたいし、誤解は避けたいしと思っていて、寛容な姿勢でいました。
しかし、無償での作品提供が増えてしまうと本業の人達(プロ)の仕事が奪われてしまう危険がありまして。
だとすると、自分のやっていることは利他的であっても必ずしも「善い行い」とはならず。

だいたい、プロとアマチュアの違いというのも線引きが難しく、自分は一言で説明が出来ません。
特に写真でも文章でも音楽でも、コンスタントに良作を生める人は本当に凄いと思っています。
自分にはその才能がないのが分かっていて。それを本業にしたとき、スランプに陥った場面など想像するだけで恐ろしく。
プロの方はどんな場面でも一定以上のクオリティを保たれている印象です。

世の中、副業が容認されたり認められたりする時代になってきたそうです。
正当な方法であれば問題ないのかな?と思っていたりです。
しかし、「SUKIYAKIが金儲けに走った」と誤解を招くのも何だか怖く。悪いイメージは避けたく。

過去に自分が撮ってきた写真の多くは、地域のボランティア的な立場での撮影でした。地元の交流サイトで利用する目的でした。
必ずしも納得の出来ない作品も実際多かったです。それでも公開しなくちゃならない産みの苦しみもありました。
また、集合写真の中には偶然妙な表情に撮れてしまう方も多かったりで。こんなの載せたら本人は嫌だろうなぁと思われるのはなるべく省いたり。
公開前提の撮影許可は頂いておりましたが、肖像権で訴えられたらどうしよう?とか。実際にその点で第三者から警告を受けたことはありましたが、意外にもそれでトラブることは無かったです。
撮影当時は小さな子供だったのが、都心地域だったからかその後に立派な芸能人になられたり、オリンピックの柔道で金メダルを獲得されたり。
例えば、自分が自慢げに「こんな写真持ってまっせ!」と著名人になる前の姿を勝手に公開したら、それまで大切にしていた何かを失うと思います。
そんなこんなで場数踏むまでは、判断に迷う場面は多くて。
判断の基準が「利他的」であったから、悪い方向に転がらなかったとしか思えず。

ちと話が逸れてしまいましたが、ボランティア色が濃い中での撮影でしたので、係員の腕章を特別に借りられた場面も多かったです。
周りは報道系のプロカメラマンで、ロープの張られたパイロンの後ろには多数のアマチュアカメラマン。肩越しの僅かなスペースから撮影という煩わしさから解放される立場がありました。
写真のコンテストのお誘いを幾度も受けてはいたのですが、上記のような土俵の違う立場での参加では申し訳なかったですし、全て丁寧にお断りしていました。
(ランク付けされてしまう怖さも勿論ありました)

あと、機材についてです。
最初はコンデジでした。お金も無く結果もまだ何も残していなかったので。
しかし、引き伸ばしに耐えられる高画素なカメラの必要性を感じて、途中からNIKONのD50という当時一番安かったデジタル一眼を購入しています。
FM2という古いアナログな一眼レフは既に持っていましたが、現像代等が馬鹿にならない枚数の撮影のため、数本のレンズだけ再利用していました。
D50は普及機ながら、写りの色具合はかなり良かった印象です。また、ズームではない単焦点レンズを使用した際の表現力は自分でも驚くものがありました。

経験を積んでいるうちに、地元の町歩きの撮影係も依頼されるようになりました。
これは出版目的のお手伝いで、更に解像度が要求される撮影でしたので、D70という中級機種も新たに入手。
解像度はこれで更に上がりましたし、カメラの頭脳部分も進化していて操作レスポンスも格段に良くなっていました。急に撮影したくなった場面ほどタイミングを逃さず。

最終的にD800という機種で落ち着いています。
フルサイズのデジタル一眼で、安くはない買い物でした。レンズを含めるとボーナスの半分は吹き飛びました。
ロンドンオリンピックのプロカメラマン向けの需要で製品は入手難な頃でもありました。物はたまに出回っても値引きはほとんど無く。
やっと手に入れたフルサイズでしたが、皮肉なことにこの頃の自分は本業の仕事が忙しく、町の行事に参加できる機会も減り、撮影の機会を失うばかり。
地元ではちょっとしたゴタゴタも続き、参加し難い状況でもありました。
その後自分は引っ越しをし、シャッターを切る機会はほとんどなくなりまして。
そんなワケで、最期のD800はほとんど無駄な投資となりました。

振り返ると、けっこうなお金を自腹ではたいてしまったのですけれど、沢山の人と知り合えましたし、貴重な経験も多くて。
それでヨシとしています。

過去の撮影分の何割かは、当時管理していた3つのサイトで公開していました。
自分が活動を離れる際は引継ぎもしっかりやったつもりでしたが、一番多くの写真を載せたサイトが数年後に閉じてしまい。
皆さんボランティアな立場なので、強要は出来ませんし、2つ残っただけでも幸せだと思っています。
ただ、公開の機会を失ったのは勿体ないとも思っています。サイトを引き継いで下さった方も同じ理由で引き継がれていました。

撮影中に「アルバムの公開今回も楽しみにしてます」との一声がとても嬉しくて。ほとんどの撮影分は当日の晩に載せていて、対応のスピードだけはプロの報道に負けない速さでした。
「うちの娘の写真、もっと大きな画像で貰えないか?」とか、喜んで尻尾振っての対応でした。
「次の本祭りの町会ポスターで使えそうな写真、全部ちょーだい」とか。

またしても本題から逸れました。そして既に十分に長文。
そんなこんなで、今後は商用利用のサイトで自分の撮った写真を使われる方には徴収させて頂こうかと思っています。本業の方への配慮が濃いです。
過去に管理していた地域サイトでは関係者や被写体になった方による写真の再利用は無許可の方針でした。今後もそのつもりです。
明確なルールはしばらく考えてみてからにしてみます。

しかし、最近は一眼のシャッターを切る機会がほとんど無く。
結果的にこのサイトも文章だらけ。
写真があった方がイメージ掴みやすく、やはりあった方が良いかもなぁと。
一枚で状況の説明がつく写真、今後も目指さねば。

追記:2018/04/12
上記を綴った後、ラーメン二郎を頂きつつ気付いた部分が。
個人的に好きだった古い建物を写真に残すのが好きです。十分に歴史のある特徴ある建物ばかりです。その時代の象徴な。
しかし、文化財未満ですと老朽化であっさりと解体されがちで。そんな建物ほど撮影で残すようにしています。最近ですと九段下ビルや、同潤会の上野下アパートでした。
ただ、自分が写真を置くのは有料のレンタルサーバーに独自ドメインの組み合わせ。
自分が亡くなれば料金未払いで一年以内に全て消えてしまいます。健康に幾ら気を配っても誰でもいつかは寿命が訪れます。

お墓なんて無理に残しても僅か数年で忘れられるモノでメンテも面倒で。
それよりも、自分が嘗て存在していた証が自分の撮った写真というカタチで残っているのは悪くないなぁと思います。
引用というカタチで何処かのサーバーや出版物に残っていれば、写真の寿命は伸びそうで。
名声を得るとかではなく、そんな人が昔居たんだなで。

引用元

柴又へ引越しするまでの自分は下町で十年ほど撮影係を担当していました。
地域のサイトを三つほど立ち上げた中で、サイト内で使用する画像が必要だった流れでした。
サイトのコンテンツは当然ゼロからのスタートでした。画像も文章も。
コツコツ続けていれば、そのうちそれらしくなるだろうというスタンスでした。
1996年頃から細々と個人のHomepageを続けてはいたので、何とかなりそうな2006年頃の出発でした。
3つのサイトを立ち上げたキッカケは地元の町を盛り上げようと町会内で上がった案からでした。何かのお酒の席の勢いだったと思います。
ともかく1年は続けなければと。10年続けば大したモノになるかも知れず。

当初は自宅に玄箱という簡易サーバーを立ち上げての運用でした。
途中はMac miniをサーバーにしたりで。しかし、自宅は真夏になると40℃を超える暑さで、サーバーは幾度も倒れ。
サーバーの復旧に一晩掛かったり、翌日の仕事(本業)がなかなかキツかったり。結果的にレンタルサーバーに鞍替えしたり。

1年目を過ぎた頃にはだいぶそれらしくなってきました。自分も地元のお祭りや行事に頻繁に駆り出されていて。
準備や片付けを含めると、朝から晩までの活動も多かったです。自分はお酒が強くないので途中で抜けるのも度々でしたが。
せっかくの週末、早朝からの参加は正直「めんどくせーなー」な場面もありました。しかし、終わった時の充実感が全てを帳消しにしてくれて。

そんな流れで相当な枚数の写真が数年の間で溜まってしまいまして。
色々とあってスタートから7年目辺りで自分の役割は終わったのですが、その後も2つのサイトはまだ続いています。

柴又に引越した現在も当時の町のことを時々思い出し、検索する機会があります。
だいたいは、そろそろあの行事の季節だよなぁで。
昨夜は御茶ノ水のニコライ堂で復活祭が開催されたようです。
深夜に教会の鐘が一斉に鳴り響き、これがけっこうな音量で。まぁ、一年に一度のイベントですし大昔から続いているのでそれが問題だとは個人的に思っていません。
それでも不満に思う方はいらっしゃるようで、毎年その晩のTwitterを確認すると苦情系も目に留まります。
大学や病院、予備校が多いエリア、近くにはその宿泊施設等もあったりで地方から上京されてくる方は当初驚くのかな。

検索した中に時々発見があります。
自分が過去に撮影した写真が、何の引用も承諾も無しで使われているパターンです。
それで儲けようとは思っていませんが、一声かけてくれるだけで気持ちは全然変わるのに。
中には承諾希望のメールが届くこともありましたが、こんなのはかなり稀でした。


例えば上の写真です。中にはオフィシャル系で勝手に使われているのもありました。
歴史書の出版物で採用された写真でもありまして、その際は出版社側から事前に連絡がありました。

ニコライ堂の復活祭

昨夜知ったのは、この写真。
ちとお酒が入っていたのも手伝い、苦言を残してしまいました。

上のどちらの写真も、広角を利用した撮影です。
神田祭の方はアマチュアカメラマンがひしめく中、どのポジションでどうやって撮れば雰囲気が伝わるかなぁと自分なりにその瞬間を狙っていました。
一番人気のあるポジションが必ずしもベストとは限らず、自分のように撮影場所を移動しがちなカメラマンは残った空いてるスペースに入り込むしか無く。
結果は偶然性も伴い、ともかく撮り直しの効かない一瞬です。
ニコライ堂の復活祭も、大きな背景に信者の方々をどうやって収めるか、深夜に考えつつの撮影でした。
実際、自分の所有する広角寄りのズームレンズを目一杯広角にしても収まり切らず、道路の一番隅に三脚を何とか立てて撮影した場面でした。シャッタースピードの遅さは人の動きによるブレと静止した背景に活かされたり。(フラッシュの不自然な光が苦手で、仕方なく三脚を使用でした)
参列者の多さを伝えるには、町を巡り終えた先頭の司教が教会に戻るタイミングだろうなぁと考えたり。このタイミングでも参列者の最後尾はまだ教会の中で。
このタイミングは事前に知っていないと狙えませんし、実際何年か通ったから撮れました。

頑張ったからとて必ずしも納得の撮影とはなりませんが、引用する人はその辺の苦労も少し考えてほしく。
簡単に撮れた場面では無いのですから。

庭の木の対策

一昨年入手した桃の苗木は残念なことに枝の上の方が枯れてしまい、かろうじて下の方だけ花を咲かせたこの春でした。
その花の周りには歯も生えてきたのですが、これがまた縮れていまして。
調べたところ、縮葉病のようでした。

そういえば、裏庭に元々あった梅の木も歯が縮んでいななぁと。
その梅の木は夏になるとアブラムシだらけ。
何とも残念な園芸状況です。
これでは枯らし名人で。

対策方法を調べると、石灰硫黄合剤というのが万能で効くそうです。
しかし、これが一般人には入手難。
以前は五百ミリリットルとかでも入手できたそうですが、現在は十リットルとかの大容量では入手可能なのですが、そんなに大量には要らなく、余ってしまったモノの処分も楽ではない性質かと思われて。

どうして入手困難になってしまったかというと、十年ほど前からしばらくの間に自害目的で入手された方が多かったそうで、販売の自主規制みたいな状況になったそうで。
硫化水素を発生させるのに利用されたそうでした。元々はムトウハップという入浴剤が利用されていたそうですが、上記の事件が増えて販売停止となり、ほとんど同じ成分の石灰硫黄合剤が利用されるようになったそうで。

農薬とか除草剤とかは成分によって危険なモノも多いようです。
短期間の利用で大きな効果があったりですが、その後も自然界では分解されない成分が含まれていたりだそうで。
ベトナム戦争の枯葉剤とかが分かり易い例です。食物連鎖で体内に吸収されて、本人には大きな影響が無くても生まれてきた子供に影響があったり。
化学的に分解されるというのはとても重要で、石灰硫黄合剤はちゃんと分解される部類らしく。
実際、梅も桃も育てたのを自分で美味しく頂きたいですし。

石灰硫黄合剤は七倍の希釈で使われる場面が多いそうです。(あまりちゃんと調べてはいませんが)
自宅の環境ですと、年に三百ミリリットルでも十分そうです。そんなのを十リットルも入手したら三十年でも使い切らないのでしょうし。
使い切る前に沈殿してしまったり組成も変わってしまいそうでもあり。

だいたい、そんな中途半端な規制をしたところで、焼け石に水かと思うのですが。
分解されるのか分かり難い農薬に頼るのは避けたく。

方向感覚

慣れない土地でもスマホの地図アプリで目的地へ到着しやすくなった感です。
スマホを持つ前までは方向感覚を頼っていました。何となくこっちの方向かな?みたいな。
ただ、初めて訪れる分かり難い場所ですと目的地に到着出来たものの帰りのルートがまた分からなくなることも多く、往路で「ここを曲がった」的なランドマークを意識しがちでした。

昨夜、ちと気になるニュース記事を読みました。
渡り鳥をナビゲートする「体内コンパス」の正体が明らかに“という記事でした。
某所でこの記事へのコメントを確認したところ、(程度の差はあっても)人にもその能力があるとのことでした。
渡り鳥に限らずレース鳩の帰巣本能や、生まれた川に海から遡上する鮭も不思議な能力だよなぁと思っています。
人に比べるて桁違いに小さな脳ミソの動物が謎の凄い能力を持っていたりですが、その辺の原理が分かってくるのはナカナカ興味深いです。
生まれたばかりの人の赤ん坊が大人になってから何のツールも持たずに生まれた場所に向かうとか、普通は無理だと思います。

そんな自分でも時々不思議な感覚があります。
電車に乗っている際、いつもと違う方向に進んでいると錯覚する感覚です。
逆方向の電車に乗ってしまったのかな?と一瞬自分を疑うのですが、確認すると目的の方向にちゃんと向かっていて。
「逆方向」と感じる根拠が何も無いのに、これはどうゆうことなのかずっと謎です。
他の人はどうなんでしょうか。似たような経験や感覚は誰しもあるのかな?

去年辺りだったか「千葉時代」というキーワードをニュースでよく見掛けました。
地球の磁場極性は過去に反転したことがあったそうで、その証拠の地層が千葉に残っていたとか。
その前後では、渡り鳥も困ったりしたのかな。

追記:2018/04/07
昨夜、職場の元同僚と夕食を共にした際、この話題になりました。
電車に乗って逆方向に進んでいる錯覚についてです。その同僚も同じ経験を子供の頃にしていたそうです。
興味深かったのは、始発の駅から乗っていて間違いようが無いのに慌てて次の駅で下車しそうになったそうで。
これ、自分も全く同じ経験があって。

ホームコントローラーとか

自分の学生時代から時々話題になっていた家電類の一つがホームコントローラー。
ホームコントローラーは自宅の家電類を集中制御したり、遠隔地から操作したり出来る便利らしいものです。
近未来のSFとかでは登場しがちなシロモノですが、色々と問題もあるようで普及には至らなかったようです。

自分の学生時代というと、インターネットがまだ一般的ではなく、通信の共通規格的な面も乏しかったと思います。
社会人になってしばらく、自分はセキュリティに関わる技術系の仕事に就いていて、ホームコントローラーの現実面にも少し触れています。
インテリジェントビルのセキュリティシステムの場合、空調や照明のスケジュール制御(平日の朝にONで夜にはOFF等)というのは既に一般的でしたが、基本的には遠隔制御は行わないルールでした(会社によって運用は異なるようです)。
技術的には可能だったものの、遠隔制御では稀に大きなトラブルが発生したそうです。
ホームコントローラーの初期の頃も同様なトラブルがあり、例えば「帰宅前に遠隔操作して、帰宅した頃にはバスタブにお湯がはられている」というような場面で家中が水浸しになっていたような事例です。
水位を見張るセンサーの故障と、排水溝の詰まりが同時に起こるとあり得ない話では無く。
要は、現場で何が起こっているのか分からない状況で無暗に操作すると事故に繋がる流れです。
大地震で停電になり数時間後に復電した際、倒れていた電気ストーブが元で火災が発生したというような事故も近い状況かも知れません。阪神淡路大震災で実際に複数件あったらしく。

スマートスピーカーが昨年末辺りから日本でも一般的になり、音声の指示だけで色々出来る時代になってきました。
ただ、家電を制御するためのインターフェースはまだ普及に至っていない状況です。標準で搭載している機種があっても、せいぜい電球のON/OFF程度で。
また、ビデオの録画予約も音声指示で可能な製品が登場しています。しかし、既に所有しているビデオ装置にはその機能が無いので買い替えが必要そうです。
リモコン機能を乗っ取るような制御方法も既にあるようですが、例えばエアコンの温度設定といった細かい指示は基本的に出来ないようで、せいぜいON/OFF程度の様子です。

その辺の事情が現在どうなっているのか検索したところ、ちと妙な記事を見つけてしまいました。
タブーな話題なので、直リンクは出来ないのですが。
世の中には電波か何かを受信して本人の行動を遠隔操作されてしまうと本気で信じている人がそれなりにいらっしゃる様子です。
Webで検索すると幾らでも出てきましたし、その症状も似ています。集団的なストーカー行為を受けているとか、電磁波で制御されているとか、監視されているとか。
身体の遠隔制御みたいなのは技術的に一部可能な時代かも知れませんが、身体に色々と埋め込まないとそのような制御は難しいと思います。
以前の仕事で少し関わったのですが、聴力の弱い方向けに身体に補聴器の機能の一部を埋め込むという技術は十年以上前からありましたし。しかし、これとて大掛かりな手順を踏んでからの手術だった記憶です。
昔はテレビ番組でUFO特集みたいなのがそれなりにあり「UFOにさらわれて宇宙人に謎のチップを埋め込まれた」と訴える人が居ました。それに近いレベルなのかな。

Twitterでも検索したところ、上記のような症状を訴える方がけっこう居まして、一日のTweet数も人によっては半端なく。
そのTweetを読んでみると、ある程度理論だった話もあるのですが、そのほとんどは根拠に乏しく。
どんな人がフォローしているのか確認したところ、同様の症状を持つ方ばかりでした。
同様の症状の方々で一種のコミューンが出来ているようにも観えました。
昔からそういった方をたまに見掛けましたが、そういった方々もネット経由で繋がる時代なんだなぁと。一般人には理解できない部分で共感出来てしまう何かがあるのかな。

客観的に考えて妙な話だと普通の人なら思うハズですけれど、ご本人達は苦しんでいる様子で。
中には消防や警察へ頻繁に連絡する方もいらっしゃり、だいたいはその対応に不満を漏らしている様子でした。
一般人相手の公共的な仕事に就く方は、やはり色々と苦労がありそうです。

タブーな話題で言葉を選んだつもりでしたが、そのうち社会問題になるのかなぁと思っています。
実際、個人名まで持ち出して非難しているTweetも観掛けましたし、理屈はどうやら通じないようで。

周恩来さん

近くて遠い国に中国やロシアや朝鮮半島があったりです。
報道の偏向があるのかも分かりませんが、あまり良い噂が実際届いていない感で謎多く。
どの国も日本との領有権を現在進行形で争っているので、仕方ないのかもしれません。
ただ、近代史を紐解くと、ちと怖いなぁと思える場面も多いです。都合が悪いと消されてしまうとか。

表題の周恩来さんを知ったのは、ラーメン二郎の神田神保町店さんで満腹になった後でした。
ここのラーメンは小でもとんでもない量で、大食いな自分でも食後はキツく。大抵は食後に近くの公園でイップクしていました。
その公園に謎の石碑がありました。「周恩来ここに学ぶ」と(幾度か自分も写真に残しているのですが、発掘が難しくGoogleのストリートビューから拝借です)。

周恩来さんは何処かで聴いた名前ですが、ラーメン屋の後では何者か存ぜず、検索してみると凄い人生を歩んでいて。
要約すると、
・太平洋戦争前に中国から日本に留学するも成績が足りず色々と苦労。その後にヨーロッパで立派な大学の学習の機会を得られたものの、学費が足りず断念。
・中国に帰国してから共産党に入党するも、人道的な立場が故に難しい調整役に駆り出されてばかり。
・その後の共産党の躍進で、文化大革命中(文革)も失脚しなかった首相。
・特に文革中は大切に育てていた養女(孫維世)も酷い仕打ちで消されていて。孫維世さんはいまでも十分通用しそうな美女で女優さんでした。
・その文革中は多くの庶民の命を救った。
・党内に敵が多い中で病に倒れ、墓を荒らされるのを避けたく、遺骨は中国の空から散布された。
・ずっと板挟みな人生であった。

また話が飛びますが、自分の小学生時代はまだ文革のさ中でした。AMラジオからは北京放送の民族音楽とか、同様に大出力のピョンヤン放送やモスクワ放送もプロパガンダ的な番組を日本語で流していたりでした。
良いのか悪いのか別として、夜のラジオから届く異国の曲はかなりエキゾチックでした。

周恩来さんについては、検索すると色々と情報が残っています。これも何処までが真実だか分かりませんが、一番酷い史実としては養女の気の毒過ぎる死に方です。
先ず文革についてまともに説明すると非常に長くなるので要約すると「庶民の家畜化」とでも申しますか。教師や医者といった教養のある人は否定され、尽く抹殺されていたようです。当時の同様な流れは他国になりますが映画「キリングフィールド」がそのままです。ビールやキリンさんの映画ではありませんが、色々と考えさせられます。
東西の壁が崩れた時代のゴタゴタも無かったことにされている歴史上、文革は失策だったと認められているようですので、余程なことかと思います。
更に脱線してしもうた。

養女孫維世さんの人生について。
古今東西、美女の基準は色々あるようですけれど、孫維世さんは今でも通用する目鼻立ちの整った美人です。人柄の良さまで伝わってくるような。
何故に周恩来さんの養女となったのかは知りませんが、文革の張本人である毛沢東におかされ、それを知った毛沢東の奥さんの嫉妬で酷い終わり方をしています。その辺はここの文章に遺し難く、Wikipediaのこちらのページで(掲載されている周恩来夫妻と娘さんの幸せそうな写真も演技ではなく一緒に居れる幸せが何だか身に沁みます)。Webで検索すればもっとリアルな酷い有様が伺えます。また、毛沢東さんの奥さんは元役者だったらしく、当時から孫維世さんをライバル視していたそうで。
普通の親なら、大切な娘にこんな酷い仕打ちをされて黙っていられないと思います。しかし、立場上はそれを訴えることも出来ない状況だったそうで。文革時に少しでも庶民を救いたかったのは庶民にも伝わっていたようで、酷い親とは責められなかった様です。

Wikiのこの部分に要約されているかと思います。
引用:彼(周恩来)は同志と人民から尊敬された人物である。文化大革命の時、我々は下放(地方、農村での思想矯正)したが、幸いにも彼は地位を保った。文化大革命のなかで彼のいた立場は非常に困難なものであり、心に違うことをいくつも語り、心に違うことをいくつもやった。しかし人民は彼を許している。彼はそうしなければ、そう言わなければ、彼自身地位を保てず、中和作用をはたし、損失を減らすことが出来なかったからだ。
庶民からだけ認められていたワケではなく、このような状況の国での外交でも国外から認められる立場だった様です。

ラーメン二郎の神保町店さんは昨年末に移転してしまい、その後はまだ訪問出来ておらず。
近いうちに美味しいの頂かねばのぅと思っています。
ティーンの内に上京してから、神保町界隈は発見が未だ多いです。
この石碑は何ぞや?って、面白いと思うんです。またしても春なので、自分もまた神保町に出没せねば。勿論食後に。

歴史書とか

以前の仕事で自分は分析装置の修理や点検をする技術屋さんでした。
お客さんの何割かは研究畑の方で、色々と面白い話を聴けたりで。
STAP細胞の悪い噂が世に流れていた時は、研究職の方に仕事中意見を聞いてみたり。何が問題だったのかとか、存在の可能性とか。
自分の扱っていた分析装置はSTAPといった生化学ではなく、無機化学用途でしたが、研究者の方としては「有無以前に記録をちゃんと残していない時点で説得力に欠ける」との意見が多かったです。
いまでも存在を信じている一般人の方はそれなりに居る様子ですが、自分は何とも判断付かず。(後々見つかったりしたら恥ずかしいので否定しないだけですが)

そんな分析装置を扱うお客さんの中には、かなり個性的な方も居ました。
歴史小説を何冊も発行した作者さんというのが居まして。
現役の作者さんで執筆だけでは生計が立たないらしく、表向きは分析屋さんだそうです。

その表向きの仕事が一般人相手で、苦労も多いとのこと。
例えば「水に毒を入れられている」という苦情の処理とかも受け持つそうで。そういった苦情の多くは高齢者の方だそうですが、電話対応では埒が明かず実際に伺ってみると話が大抵違っていたそうでした。
自分は幸か不幸か一般人相手の仕事の経験が少なく、何処かの会社や組織に属するお客さん相手なので、あまりにもぶっ飛んだ対応は少ない方かも知れません。

その作者さんは日本の歴史ものを扱ってきたそうで、中には個人的に全く興味ない人物も出版社からの要請で扱わなくてはいけない場面があるそうです。
で、執筆前には参考になりそうな資料を先ずは集めるそうですが、古い書物の僅か一行だけ登場という人物もあるそうです。
かなり無理のある作業かと思います。骨に肉付けする作業といっても、その骨がヒトカケラしか無い中での肉付けなんて、相当な想像力を要求されそうです。
他の作家が有名にした歴史上の偉人の中には、その作者さん曰く「あんなのは空想のタワモノで、本当はつまんねー奴だったんだよ」とか。
具体的に面白かった話がもっと色々あったのですが、まだ現役で表の仕事をされている方なので、あまり詳しく綴れないのが残念です。

自分も歴史書にちと興味があります。戦国時代とかは全く疎く、幕末が対象です。
司馬遼太郎さんの「竜馬がゆく」の影響が強かったと思います。
司馬さんがこの作品を執筆する前には、神保町の古本屋街から幕末の書籍が消えたと言われるほど資料を集めたそうです。
前途の作者さん曰く「竜馬がゆく」も間違いが多いとの指摘でしたが、自分はフィクションな部分も含めてあの作品が好きです。

竜馬の後に、何か読みやすそうな作品が無いかなぁと一番薄そうな本を選んだことがありました。
最後の将軍である「徳川慶喜」でした。これがかなり「つまらない」作品でした。何処にも見所無し。
「竜馬がゆく」の中でも少し登場した慶喜さん、その中でもあまり良い印象には綴られていなかった記憶です。
何でこんな駄作を執筆したのか未だ不思議ですし、大河ドラマの主役になったのも不思議です。
司馬さんも出版社からの要請でしぶしぶ綴ったのかなぁ。

近代に近い幕末の歴史でも謎は多いらしく、江戸時代より前なんてロクな資料が残っていなそうな気がします。
実際、振袖家事の後も東京は関東大震災や空襲で貴重な資料が尽く焼けてしまっているそうですし。
アジアの隣国では、国のトップが入れ替わる度に過去の歴史が都合の良いように書き換えられたり文化が破壊されたりもあったそうで。
まぁ、日本でも多かれ少なかれそんな場面はありそうですけれど。

前回の記事で百年後の歴史書は更に事象が増えてしまいそうだから、間引きされてしまう人物も増えるんだろうなぁと綴りました。
実際、最近もそんなニュース記事を読んでいます。巷では人気の竜馬さんも間引き対象だとか。
明治維新の立役者として個人的には歴史に残すべき偉人だと思っているのですけれど、自分が読んだ本も何処までが史実なのか分かりません。
ただ、歴史に興味持つキッカケとしては面白い人物ですし、数行だけでも教科書に残してあげて良いと思うんです。