情報弱者

今時、スマホもケータイも持たない人が、自分よりも若い世代に存在しています。
これは凄いと思っています。嫌味で言っているワケでは無く「偉い!」くらいに思っています。

自分の学生時代は携帯出来る電話なんて誰も持っていませんでしたし、相手と会えずにリアルタイムで連絡取るには自宅の黒電話しかありませんでした。仲良しの電話番号は覚えていて当然で。
物心ついた頃には、気になる女性への電話がハラハラドキドキ。だって、ご家族の誰が受話器を取るのか分からずで。(本人だと思って話し始めたら、お姉さんだったとか)
結果的にこれは礼儀作法を学ばせてくれた機会にもなりました。

その学生時代、好奇心旺盛だった自分は学校や地域の図書館に入り浸りでしたし、最新の情報は街の本屋さんで仕入れたり。
あまりにも立ち読みが過ぎたのか、その本屋さんの棚卸でアルバイトに誘ってもらえたり。

パソコンを初めて入手したのは社会人になってからです。当時はインターネットの存在など知られてもおらず、パソコン通信がネット接続の基本でした。
従量制の課金はとても高額で、接続時間を如何に短くするかが重要でした。しかし、自宅に居ながらにして必要な情報を得られるのは画期的でした。

そして、インターネットの普及とか課金が固定になり、大助かり。我が家は図書館感覚。
同じ時期に自分も携帯電話を所有するようになりました。PHSという安い通信手段が登場したもので。
ただ、当初のPHSは通話とショートメッセージの機能くらいしか備えておらず。それでも便利になったもんだなぁと。
何よりも、最初から直接本人と通話が出来るって、これが初めてで。

スマホの普及で、更に状況は進みました。
出先でも何処でも、知りたいことを何時でも調べられる。まぁ、現在では当たり前のことですけれど、これで自宅にPCを置く必要が無くなった人も多いそうで。
なのに、今時スマホもケータイも持たない人とは何ぞや?

そういったガジェット類やコンピューター関連の扱いが苦手とか、何か余程の拘りがあるとか、余程の倹約家(ケチとは別)とか、家訓だとか(これは無いと思いますが)。
昨年、某所で知り合った女性は履歴書の携帯番号欄が空白だったそうです。実際にそういった類を所有しておらず、面接等の連絡は公衆電話からだったりで。
その後、その女性と幾度かお話する機会があり、失礼ながら聞いてみたんです。

「何故、スマホを持たないのですか?」
「実際に会った方が楽しいじゃないですか」

その通りだと思います。
つまらない言い訳にも思えず、どうやって悟ってしまったんだろうと。

自分は情報に囚われている面がありますし、これこそ情報弱者なのかもと。
後から考えたらスマホを握っていた時間の多くは大したこともしていなく、そこで何をしていたのかも覚えておらず。
何らかの調べ事で発見はありましたが、感動など滅多に無く。無駄な時間を過ごしていただけとも思えます。
自分は、テレビゲームの類も結果的に無駄な時間ばかりと思っているので、中学生の途中からほとんど手に触れておらず。
時間の無駄な点では、スマホもゲームも似たようなものなのかなぁと。

最近は買い物の場面でもスマホが便利になってきています。ただ、マストアイテムでもなく。
スマホのメリットとしては、通話とWeb閲覧とカメラとメッセージのやり取りと、お財布替わりくらいでしょうか。
って、これが一つに集約されて月額二千円以内って、やっぱり凄いんですよネ。
しかし、それに頼らない生き方の方が味わい深いだろうなぁとも。

村上春樹さんの初期の短編集「中国行きのスロウボート」は実に昭和チックで時々読み返しています。(以下はうろ覚えのあらすじ)
主人公の学生が短期のアルバイト先で知り合った中国人の女性、アルバイト上で助け合ったりで、最後はお茶を共にしたり。
帰りの山手線で主人公は大きな失敗を。見送った山手線を逆方向に案内してしまい。遠回りのルートに気付いた主人公は自己嫌悪。意地悪のつもりは全く無かったのに。
停車駅に先回りした主人公は何とか再会できた女性にお詫びし、また会おうと女性の電話番号をメモし。
メモを残したマッチ箱の中身は空っぽ。いつものように何処かのゴミ箱へポイ。
更に大きな失敗に気付いても手遅れ。

酷い結末なのですが、スマホが普及していたら成立しないストーリー。
あの頃の方が、約束に重みがあったよなぁと。
リカバリーが難しかったし、色々と大切にしていたのかもなぁと。

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