難民とか

以前の仕事で小さな商社で勤めていたことがありました。
特殊な分析装置を輸出入する会社で技術を自分は担当していました。それなりの実績を残せて、立場も築けていたのですが、会社の経営が傾いてしまい社内で一番若かった自分が早期退職を選ぶことに。

その会社でベトナム出身の少し年上の社員Tさんが居ました。日本語はだいたい通じたものの、時々通じていないことがあったり発音に癖があって別の意味で伝わってしまう事もあったりでした。(ネイティブの発音に近かったのかも知れませんが、キャンペーンという単語がケンベンに聴こえてしまった時は、自分も失笑してしまい)
しかし、Tさんは人柄がとても良く、特に自分が仕事に慣れていなかった入社時は色々と助けて頂けて。

会社の平均年齢は高めでした。大手の商社やメーカーを定年退職された方が輸出入の英文担当だったり、技術士だったりで。この高齢者の方々が一癖あったりでした。
元々は悪い人では無かったのでしょうけれど、思ったことを直ぐに口にしてしまい。元々それなりの立場だったのもあったようで、遠慮やブレーキが効かない傾向で。
特に、上記のTさんに対して意地悪ともとれる場面が時々あり。これがネチネチしつこくて。

自分はこういった行為が大嫌いで、あまりにもしつこいと「もうそろそろ」と止めに入ることがしばしばありました。
しかし、あまりにも度を越えた際にTさんも怒ってしまいまして、大声で反撃に。自分はTさんを宥める羽目に。
その場はどうにか収まりましたが、何というか日本人として情けなく。
オヤジギャグというのも加齢によりブレーキが効かなくなったオッサンの脳が、思ったことをそのまま口にしてしまう傾向があるとその後知りましたが、こういった意地悪も似たようなものなのかなぁと。

ベトナム出身のTさんが何故日本に居たのかというと、七十年代のベトナム戦争で難民として日本に渡って来たそうです。所謂難民船でやってきたそうで。
Tさんのお父さんはベトナム政府で教育に関わる重職だったそうで、そのまま国に残れば皆殺しの対象だったらしく。実際にご家族の何人かはそれで他界しています。
何とか乗れた難民船も酷い状況だったそうです。かなり運良く日本に保護されたらしく。
その後、夜間大学を卒業し、何かの機会でこの会社に入社出来たそうです。会社の会長は第二次世界大戦を経験していた堅物で、人としてTさんを惚れ込んだとも聴いています。

何かのお酒の席で、いつも温和なTさんに「怒ったことはあるのですか?」と聴いたことがありました。もちろん有るとの答えでした。
学生時代に難民仲間とドライブに出かけた際、何処かの不良どもに絡まれたことがあったそうです。仲間がボコボコにされそうになり、Tさんは車から大きな工具を取り出して反撃したと。
ちょっと信じられない話にも思えましたが、十分にあり得る場面、生きるか死ぬかの場数が普通の日本人とは違うんだなぁと。
数々の意地悪を日本で経験してきたと思われますが、基本的に人として扱ってくれた日本に感謝の念は忘れていないTさんでした。

自分の送別会の際、Tさんは非常に残念がっていました。最後は握手の手をなかなか放してくれず。そのTさんも数年後に退職されたそうです。

ベトナムで反日教育みたいなのは無かったそうです。また国民性は基本的に穏やかだったそうですし、Tさんのような前向きな方が基本だったんだろうなぁと。
話が飛ぶのですが、昨今の日韓関係を観ていると、結果的に大量の難民が押し寄せる可能性が否定できない状況にも思えてしまい。
もしそうなったとしたら、ベトナムやカンボジアから当時やってきた難民の数とは比較にならないかと。
飛行機やまともな船での移動なら防ぎようもありますが、小さな船で大量に押し寄せたらどうにもならないかと。
Tさんのときでも受け入れ施設がパンクしていたそうですし。
何より、日本の道徳観とかに慣れて頂けるのか謎です。

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