山での遭難

一週間ほど前から新潟の山で行方不明になっている親子の消息が不明なままで、ずっと気になっています。
それ程高い山では無かった様なのですが、低山でも危険だとのニュース記事もあり。
軽装で中途半端な時刻から登山を開始したのが問題だとかWeb上では批判も多い事故なのですが、これは自分も思い当たる節があって、決して非難出来ず。

二十年ほど前の自分はオフロードの単車で週末の野山を走るのが楽しみでした。特に奥多摩方面は単車で往復する一日ルートに丁度良く。
職場の開発チームと道志村へキャンプに伺った際は皆四輪で現地に向かったものの大渋滞。単車で登場した自分は渋滞の中でもすり抜け出来て、さっさと現地入りしたり渋滞にハマる皆の様子を観に戻ってみたりの往復。
同行した何人かはオフロードの単車に興味を抱いたようでした。終わりの見えない渋滞で空を飛べる自動車を見たようなものか。
それから数ヶ月後、単車仲間が二人増えました。

写真は日原街道経由で崖崩れの終点手前です。自分の好きなルートでした。ここが東京都だとは思えぬ風景で。
この仲間とは色々な場所へツーリングに出掛けたり、近場の多摩川でオフロード走行の練習をしたり、楽しい思い出が多いです。
一時期の自分は忙しかったからか、ツーリングに登山まで含まれているお誘いは断っていました。
しかし、ある日のツーリングでは天候も時間も現地で余裕があり、上記の崖崩れ現場から雲取山に登ろうということになりました。

装備はほとんど何も無し。皮のブーツとおにぎり二個くらいでした。
登山の最初は自分でもスイスイと歩けたものの、残り半分というところで自分は既にヘトヘトでした。脚はガクガク。
他の二人は最近既に幾つかの山に登っているからかペースが落ちず、自分は着いていくだけで必死。
そして、そのコースは思ったよりも危険で。途中は山肌のロープをしっかり掴まないと危険な崖であったり。その直下は百メートルはありそうな谷底で。
途中で昼食休憩を取って、登りを再開したものの、自分は文字通り足手まとい状況が続き。

心配になりました。
山頂まで伺う予定、無理して山頂まで行けたとしても帰りのルートを歩き切れるか自信が失せる一方で。
もう一つの心配が、まともな地図を持っていなかったことです(ツーリング用の縮尺率の高い地図は持参していましたが)。他の二人は自分じゃ気付かない標識のようなモノが目に入っているらしく、それを頼り進んでいるのですけれど、自分はほとんど気付かず。
頭の中を過っていたのは「自分を置いて二人で山頂まで往復して。自分はここで待ってるから」でした。
こんなワケの分からない場所で待っていたとして、戻ってくる二人が同じ場所を通過できるのかも不安でした。
バックパックの中にはカメラと三脚も含まれていて、途中で幾度も捨てたくなりました。少しでも身軽になりたく。

ただ、二人にあと少しだからと励まされて、何とか尾根までは同行出来て。オオダワという大きな看板の立った場所で自分は留守番することに。
さっきまで汗だくだったのが十分ほどで周りの寒さに気付ける状況になりました。
一時間を過ぎた頃に二人は戻ってきました。オオダワから山頂まではかなりユルいコースだったそうです。ただ、自分は安全を取りました。
心配していた帰りのルートは重力に逆らわない下山になるからか思ったより楽でした。人によっては下山の方が危ないと言いますが、自分はもう重力に逆らう体力が残っていなく。
エンジンの壊れた車でも坂道を降りるだけなら走れるワケで。ブレーキさえ壊れていなければ。

帰路の途中では数時間前に追い抜いた登山集団とすれ違いました。平均年齢六十以上の十人程の集団は重装備で、時間的にも山で泊まる様子でした。
「やっぱり若い人達は早いねぇ」と声を掛けられて。そんなこと無いです。自分がこの集団のような重装備だったら、ここまで辿り着けれるとは到底思えません。
二人に連れられた下山、やはり二人には自分に見えない標識か何かにちゃんと気付いている様子でした。
凄いなぁ。これ、自分がはぐれたら冗談抜きに遭難してしまうよ。

単車を置いた場所に戻ると、少し気持ちに余裕が出来たのか記念撮影を。それが上記の写真だったと思います。
山登りにしても、やはり練習とか経験とか続けないと危ないんだなぁと痛感しました。特に遅れを取る自分を見捨てなかった二人に感謝したり。赤の他人だったら置いて行かれたかと。
埼玉と山梨と東京の県境にある雲取山は標高二千メートル。雲取山という名前が素敵ではないですか。いかにも高い山なんだぞと。
難易度が高い山では無いそうですが、初めての自分には何かと無理がありました。

その数年後に愛知へ引越した自分は猿投の見晴らし台まで時々登り、体力作りに励んだものの、これは続かず。結局あの雲取山が登山の最後の経験になってしまいました。
では最初の登山は何だったか?と思い出してみました。小学校の遠足で登った高尾山か林間学校で登った「子の権現」辺りかと。
大晦日の夜にお世話になったおじちゃんと神奈川の大山に登ったこともあったなぁ。あの時は連れて行ってくれたおじちゃんが途中からバテちゃって辛そうだったなぁとか。

たまに山登りしてみたいなぁと思う時はあります。出来れば頂上の見晴らしが面白くて、途中のルートは自然が残っていて、人は多くも少なくも無く。
高尾山では観光地化し過ぎているなぁとか、富士山は日本一の高さだから、さぞや辛いだろうなぁとか。全く勝手な妄想です。
そして、以前の職場に登山を趣味にしている同僚が居て、幾度か誘われた機会がありました。この同僚は仕事上でも意地悪な部分があったので、毎度断っていました。
実際、別の同僚が富士山に同行したものの、途中からバテバテで週明けには噂になっていました。同僚曰く「奴は途中からお爺さんだった」と。
バテてしまった方の同僚は自分より一回り若く、週末はサーフォンを楽しむようなナイスガイ。体力も十分にありそうなのにサーフィンと登山では求められる筋肉が全く異なるのかな?
そんな体力の持ち主でもこのアリサマでは自分など無理に決まっていて。何より意地悪のネタにされてしまうのが心地良くなく。
やはり、一緒に行くなら気の知れた仲間に限ると思っていて。

そんな自分の経験ですが、冒頭の事故の件で思い出すと、雲取山ではかなり危ない真似をしていたんだなぁと改めて思いました。ともかく準備不足に行き当たりばったり。単独行動で無かったのは唯一の救いか。
直接の知り合いでは無いのですが、自分が大学時代にお世話になった研究室では、そこの教授が自分の入学前年に雪山で遭難し親子共々他界しています。環境問題の著名人だったそうで親子とも優秀な学歴の持ち主。発見されたのは次の春が訪れた頃だったそうです。
上記の富士山登山の話があった職場でも協力会社の社員が遭難で命を落としていたそうです。相当のベテラン登山家だったそうで、自分を富士山に誘った同僚もこの方に登山の魅力を教わったそうで。特に仕事の技術面では頼りになる存在で、知恵の出し惜しみをしない優しい人物だったそう。

【ヤマレコで読んだ記録】
昨夜のこと、別の遭難のニュース記事をたまたま見掛け、そのコメントの中に「ヤマレコ」という見慣れない文字を発見しました。「ヤマレコ」とは何ぞや?
ヤマレコは山を愛する人向けのコミュニティサイトらしく、一般的なSNSに比べてルート情報等の機能が充実しているそうです。
遭難時はヤマレコ繋がりの方が救助に向かう例もあるらしく。何だか凄い世界があったんだなぁと。
そのヤマレコの中で伝説となった方の記録がショッキングでした。一気に読んでしまいました。
けっこうな長文だったものの、単独遭難で何とか生きて帰ろうとした四十代半ばの男の記録です。

三重県の鈴鹿山脈へ日帰りで単独登山に向かったY氏は、下山途中でルートを見失う。その後今朝見掛けたベテランらしい別の登山家R氏と幸か不幸か偶然再会。
しかし、R氏もルートを見失った様子。しばらくはR氏の進むルートに着いて行くものの状況は悪くなるばかり。無駄に谷へ下りたりまた登ったり。
ベテランらしきR氏もミスルートに誘ってしまった立場の悪さからか、Y氏が提案したルートに従うも更に状況は悪化。
Y氏はパーキンソン病の持病を持つからか、体力を消耗したからか、途中から幻覚に悩まされることに。R氏には見えない誰かにY氏は話しかけたり助けを求めたり。
そんな嫌な時間が流れる中、まだ体力の残るらしきR氏は先行する何処かでY氏を置き去りに。

Y氏は途中で飲料水を求めて沢まで下りたり、また登りなおしたり。(遭難した際は発見されやすいよう基本的に下りない方が良いとされているそうですが、水分補給のためには仕方なかったのかも知れません)
遭難から数日目にはお尻に違和感を覚え確認したところ、腸の中で卵からかえった蠅の幼虫がお尻からわき出していて。山ヒルやムカデにも幾度も襲われ。このまま虫の餌になってしまうのか?
もう幾度も幻覚の救助を観た一週間目、僅かに残った腐った食料も既に無く装備品も随分と失った中、力を使い果たし沢で横になるY氏。
そこへヘリの音。しばらくして人の声。今度もまた幻覚であろうか?

上記が記録の要約ですが、最後のヘリの音と人の声は本物でした。発見されたY氏はその後ヘリで救助され、入院し、一命はとりとめました。
身体が回復した後にY氏は登山活動を再開するのですが、翌年には前回遭難した場所の近くで再び遭難し、数日後にヘリで救出されたそうです。
この救出はニュース記事にもなったらしく、Web上では「またかよ」と批判の声が少なくなく。病院に担ぎ込まれた時点ではまだ生きていたのも手伝ってか。しかし入院の翌日に心不全でY氏は他界されたそうです。

最初の遭難の記録は相当な反響があったようですが、自分が知ったのは事故から何年も経った昨夜です。そして本人による二度目の遭難の記録は残っていません。
一度目の遭難で平常の生活に戻ったY氏はR氏をWeb上で見つけ、R氏に抗議のメールを送ったものの、R氏からは返答が無くR氏の立派なHomepageは突然閉鎖。

R氏の気持ちもY氏の気持ちも分からなくは無いです。二人が初めて出会ったのが互いにルートを見失った山奥とか、知り合って間もないのに突然究極の選択が続き。
登山の知識が無い自分には、どちらがルール違反なのかも分かりませんし、良い悪いといった判断が出来ません。ただただ、凄い経験だなぁと息をのむのみ。
海外の著名な高山に比べると、日本の山はパッとしないなぁとか素人考えで思うこともありました。じゃぁ自分が登れるか?となると勿論無理なのばかりです。何を言っても外野のヤジでしょう。

Y氏の二度の遭難についての感想記事も世の中には多いようです。山の経験を積まれた方の中には批評を綴られている記事もありました。
その幾つかは原因が共通していました。「ヤマレコに依存し過ぎた」的な表現でした。
ヤマレコは登山記録の便利なツールでもあるようで、これからその山に訪れたい人の参考にもなるようですが、近年のインスタ栄えに近い現象なのかな。
「注目される」という表現は不適切かも知れませんが、それが目的の何処かに含まれると危険や無謀や無茶に近付いてしまうのかなぁと。

自分も未経験の領域についてはWebで検索してイメージトレーニングをする機会が多いです。特にインターネットが普及してから。
実際、それで本番が有利に働いた場面も多かったです。しかし、小さな失敗を積み重ねて掴んだ知識や判断力というのは何よりイザという時に強かったり。
ちょっとしたトラブルが良い思い出に繋がることも実際あって。ただ、山ではそんな甘い考えは捨てるべきなんだろうなと。

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