気違い部落と子育てごっこ

タブーなタイトルの記事となりますが、実存した映画のタイトルでもあります。短いタイトルに危険な文字が二つも
「気違い部落」は、かれこれ二十年以上気になっている作品で未だ観れていません。タイトルが危険すぎるのもあってか、上映の機会やソフトの再販も難しいのかと思っています。
ただ、この二十年の間にWeb上では詳しい情報が溢れるようになりました。

あらすじを読む限り映画の前半は風刺的な要素がありますが、中盤辺りからは考えさせられる展開となっているようです。
そもそも、森繁久彌さんや伴淳三郎が関係する作品なので酷い駄作では無いと予想してはいました。
ちなみに、作中には気違いなど登場せず、旧来日本文化の山村での葛藤を描いたようなストーリーの様子です。個人的には地方だからとか田舎だからとかに限らず、古くから続く地域には都会であっても似たような現象があるかと思っています。
外部サイトとなりますが「大正生まれのブログ」さんの記事が作品のストーリーについて詳しいです。作品比較についても自分が知る他の作品が登場しているので察しやすくもありました。
四十年近く前に出版された手塚治虫さんの作品も現代でいう差別用語が多く、そのままでの再販が難しい部類もあるそうですが、作品の中身は虐めや差別を助長するようなモノでは無いハズなので、その辺は時代背景も含めてあまり敏感になるべきでは無いと個人的に思っております。
当時は実際に普通に使われていた表現ばかりなのですし、その注釈さえ入っていれば何ら問題無いかと。こんなのが進めば、使える言葉が減る一方で日本も英語的な単純でストレートな表現に溢れてしまうかも知れず。
片言英語しか使えない自分は、海外でのストレートな表現に拍子抜けして笑ってした場面も多く、相手からは何が可笑しいのか逆に尋ねられてしまったり。また、妥当な単語が浮かばなかった自分が別の単語を用いたところ、相手が驚いたりもありました。

いまでもいつか観てみたい作品に変わりない「気違い部落」について、原作者「きだみのる」氏はどんな人物だったのか調べたところ、変わり者だったようです。
この作品については実存した地域や、実存した人物名をそのまま用いていたらしく、作品公開後は関係者から相当な非難を浴びた様です。多かれ少なかれ着色もあったでしょうし。
自分も過去の出来事を綴る際、実名や着色についてはこれでもかなり気を遣っています。時として相手に対する批判も含まれていますし、事実を綴るにしてもなるべく大袈裟にならないようにしています。なので、出版物のような迫力やドラマティックな展開や面白味は少ないとも思います。まぁ少なくとも創作作品ではないので、これは仕方ないです。
そして、書きたくてもそのままでは角が立つため未だ公開できない思い出も抱えたままです。途中まで書いたものの、そのままゴミ箱なのは未だにあります。

話が戻ります。
原作者は若かりし頃に慶應義塾経由でパリにも留学経験があったそうですが、本作はその後八王子の山村生活時の実体験が基らしく、高齢になった晩年は幼い娘を連れての放浪生活だったそうで。
いったい、幾つの時に授かった子なのか引き算も面倒ですが、放浪生活でまともな教育を幼少期に受けられなかった娘は有名な邦画の主人公にもなっています。「子育てごっこ」です。

「子育てごっこ」については自分も子供の頃に幾度かテレビ放映を観ています。岩手の山奥で教職に就く夫婦に預けられた野生児的なストーリーだった記憶です。原作者「三好京三」氏の実体験に基づく映画だそうで。
預けられた少女も連れてきた老人も作中では嘘つきで、老人は嘗て学があった様子ですが現在は単なる老いぼれ。客観的な教育をロクに受けていない娘を秀才だと自慢するのですが、娘もこんな状況の年老いた父親の悪いコピーというか。
娘の登場場面はなかなかインパクトあったものの、その後のストーリーはほとんど忘れてしまいました。山村の分校の純朴な生徒達がなかなか良い奴らで、主人公は少しずつ健全な少女に変化していったような。
当時、この作品は社会現象的な注目も浴びていたそうです。別の作者になりますが、その後の「積み木崩し」とかに近いモノがあったのかも知れません。

子育てごっこでは、無責任な子育てや出鱈目な教育をしてきた元父「きだみのる」氏への非難的要素も含まれていたと思います。気違い部落で実名の方々に非難されたのとは別次元で。
子育てごっこの主人公だった少女を養子縁組で育てた夫婦は、ある面模範的で常識的で道徳的な人物として自分達を描いていました。養父の方はスパルタンな面があったものの、土台は深い愛情にあり、単にその場の怒りだけで幼女を攻撃するようなことは無く。しかし、赤ん坊の頃から育て上げた実の子では無い為、手探りな状況はあったようです。
そして、またしてもこの作品だけで話は終わりませんでした。

思春期を迎えた娘は一浪後に東京の大学に進学したものの、大学では一単位も取得せず遊び惚け、遂には養父への反逆が始まりました。
少女、養女、娘と文中で呼び名が変わってしまいましたが、ここからは娘で。
娘「広瀬千尋」氏は養父の性的虐待な暴露本で出版界にデビュー。抑圧的な生活下で娘を抑えきれると思っていたのか。
田舎の分校で無欲な生活を送っていたと思われた養父も実は地位や名誉に貪欲な文学賞狙いの男だったとか。実際、子育てごっこで直木賞を受賞し、その後は文筆業や教育評論家で生計を立てていたそうで。
その辺を検索してみると、文豪には必ずしも人格が必要無いという意見があったり、立派な実績はゴシップ記事にも勝るという意見もあるようです。
分かる気もしますが、山籠もりな生活でもしない限り世間の非難に耐えるのは普通の人に辛いかと思います。作者にはそうなるかも知れない覚悟が執筆時にどれだけ備わっていたものなのか。謎
ただ、自分が検索結果で知った内容も何処までが真実なのか分かりません。三者とも偏った実体験を基にした代表作が共通点。偏ったとは良し悪し抜きにサラリーマンといった一般的な社会人経験が乏しい作者と思われて。
勿論、偏っているから面白味もあるワケですし、エゴを貫いた結果がどうなるのか?といった究極の空間を読者は仮想的に経験出来たり期待していたりで。

無宗教な自分でも「因果応報」は多かれ少なかれ世の中にあると思っていますが、今回の記事は因果応報の四文字が三世代に渡って続いているようでもあり。
“Me too”という言葉が最近の流行のようで、陰で悪い行いを続けていた人の素性がバレてしまった際は関係者も含めた総叩きにあったりします。逆に目に付かぬところで人助けを続けていた人が窮地に陥った場合助けてもらえるかというと、そうでも無いよなぁと思える現代でもあったりするワケですけれど。
それでも困っている人が裏表無い善人であれば助けてあげたいものです。少しでも。

上記でこの記事を〆ようかと思ったのですが、どうにもしっくりせず。
数十分、文章の入力画面を放置した後に思い出して以下を綴ります。
課長島耕作の作家である弘兼憲史さんの劇画が自分は好きです。特に「人間交差点」とか。あれは痛みを知っている人しか描けない作品で。
作者は大手家電メーカーで働いていた経験があったそうで、世間の荒波に揉まれた実績が作風にも現れている感です。エゴとか人の醜い部分も含めて。
作者が学校という閉ざされた社会しか知らぬまま漫画家になったのでは描き切れなかった場面が多かったかと思います。
自分はその作品の一部しか存じていないものの、作者の綴ったエッセー「覚悟の法則」は入手してから四半世紀たった現在も読み返す機会があります。自分も過去に大手企業の本社で揉まれた機会があり、迷える日々に高層ビル内の本屋さんで出逢った作品でした。
特に「許される嘘」についてのくだりが印象に残っています。

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