例の旅猿が柴又にやってきた



外が何だか騒がしく、様子を観に行ったところ何かの撮影中。
また、旅番組か何の取材かな?と思ったところ、お巡りさん達は網を抱えていて。
例の旅猿が柴又にやってきたようでした。

部屋に戻りデジイチを引っ張り出したところ、タイミング良く目の前を通過してくれました。
威嚇してくるようなことはなく、ひょうひょうとしたお猿さんでした。
そのまま、ホイサッサと去ってゆきました。

遠慮遥々お待ちしておりやした。古代の東海道も柴又にも通じていたとか何かで読んでいた記憶です。
帝釈天さんには、ちゃんと寄ったのかな?

以下は追記な余談です。

【健脚】
今回のお猿さんは名前がまだついていないので、Twitterで検索するにもなかなか面倒でした(「猿」だけをキーワードにすると幾らでも関係ない話題が登場しました)。
テレビのニュースによると丹沢方面から箱根駅伝ルートで都心を越え、柴又にやって来たような話でした。
なかなかの健脚だなぁと思ったりですが、その間二ヵ月だったそうで。
しかし、明治以前の日本人は相当な健脚なイメージがあります。

随分前に綴った「化物稲荷」の件で当時知った「半七捕物帳」では、お正月頃だったかに都心と川崎を徒歩で往復するような話もあった記憶です。(化物稲荷については、その後書籍やドラマ化された「みをつくし料理帖」でかなり有名になってしまいました)
江戸時代の飛脚も短期間でとんでもない距離を走っていたらしいですが、当時の一部の一般人も相当な健脚だったのかなぁと思っていたりです。

【平和な町】
街と町の使い分けがよくわかっておらず。街の方が都会的だとしたら、柴又は町なのかな。
今回の柴又での捕物劇、はたから観ていてもなかなか面白かったです。
この土地に引っ越してきて二年少々、自宅近くでよく顔を合わせる方が居ても話すキッカケが無かったり、挨拶だけだったり。
今回は普段お話出来ない方と笑いながらお話出来たりでした。こういった妙な事件は案外良いキッカケをもたらしてくれるようです。
これが凶悪事件の犯人の逃走劇だったら、こうはならないだろうなぁと。

お巡りさんや地元の行政の方や報道陣は、かなり真面目に追っ駆けていた状況だったものの、地元の住民は「柴又まで遠慮遥々よく来たなぁな話題のお猿さん」だった感。
本気で捕まえるなら現代風な道具で一撃出来るでしょうに、これを小さな網だけで捕まえようとするのが何とも面白く。
ここまでの旅路で人に危害をくわえていたとかなら、対処方法も違ったのかも知れませんけれど。

だいたい、柴又は駅から帝釈天の参道や、寅さんのロケ地でもあった矢切の渡し以外は単なる低層な住宅街で、夏の花火大会くらいしか大きなイベントも無く。
そんな中で転がり込んできた面白い話題に直面出来て、ちょっと幸せな一日でした。

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