テレビの故障

ベランダでイップクしていたところ、何処からか手を叩く音が。
斜め向かいのお婆ちゃんが自分を呼んでいました。
何か用事があるときは、毎度このパターンです。

フェンス越しまでやってきたお婆ちゃんは「テレビ直せる?」とのこと。
「家に戻って待っててください」と。
顔を洗ってから伺いました。

症状を聴く限り、テレビの電源が入らなかったり、入っても勝手に数分で落ちてしまうそうで。
その場で試してみたところ、一発でテレビは起動してくれて。そのまま数分待ってみましたが、勝手に落ちることも無く。
しかし、手動で電源を落した次は二度と起動せず。
どうやら、半壊れというか再現性の高めな故障の様です。

起動しなくなったテレビの電源ランプは明るくなったり暗くなったりの繰り返しで。点滅とはまた違うゆらゆらとした点灯で。
恐らくテレビ本体の電源周りが壊れてしまったのでしょう。
念のためコンセントの抜き差し等も試したのですが、症状は変らずです。接触不良の問題でも無さそうで。

昨夜はたまたま起動したそうで、一晩中テレビはそのままにしていたそうですが、朝には落ちていたそうで。
電源周りのトラブルですと、火災の恐れもあり、逆にコンセントも抜いていた方が良いかと。
購入してからまだ7年くらいとの話でしたが、本体背面の製造年を確認したところ2010年製でした。
12年以上使えた家電なので、元は取れたと喜んで良いものかと。

修理すれば使えるのかも知れませんが、下手に修理するより買い替えた方が安かったりで。
お婆ちゃんとしては、修理も買い替えもしないつもりだそうです。2階に小型のテレビがあるそうで、それを持ってくると。
だったら、今のうちに自分が入れ替えてあげようかと提案したところ、自分で出来るそうで。
部屋が散らかっていたのかもしれませんが、大丈夫なのかちょっと気になったままの帰宅となりました。

オチも何もない話で恐縮ですが、人様の家にあがるのは久し振りだったので、ちょっと新鮮な空気というか。
飼われている子犬はいつものようにおとなしく、自分の横で作業を見守っていて。

実家もこれくらい近所だったら、色々と助けてあげられたのになぁと思い返したり。
昨年亡くなった母の遺品整理をしていた際、母が使っていたパソコンを起動してみたところ、OSは何とWindowsXPでした。
よくこんな古いのを使っていたなぁと。だいたい、メーカーのサポートは何年も前に終了していましたし、主要なブラウザーもほとんどサポート終了で。
詳しい方に設定してもらったのか、ちょっとマイナーなブラウザーでHomepageの閲覧は可能だった様子です。
助けを求められたら、自宅で余っていた古いノートPCを届けていたのに。

しかし、晩年の母は自分の帰省をひたすら拒んでいて。自宅には誰も入れたくなかったらしく。
母本人も半ばゴミ屋敷と化した家の中を気にしていたのだと思います。
親子なのだから、そんなの気にする必要など無かったのに。

その点、先ほどのお婆ちゃんの家の中はとても片付いていました。
恐らく母よりも年上だと思うのですが、毎日の犬の散歩のお陰もあってか全然しっかりされていて。
冗談も仕掛けてくる余裕のあるお婆ちゃん、なかなか大したものです。

この街に引越す際は、近所付き合いは最低限にしようと決めていたハズなのですが、結局またそれなりの近所付き合いになってしまい。
それなりというより、集合住宅暮らしの立場としては多い部類かと思っています。
やはり一階の部屋で庭があると、それが縁になってしまうのかな。

引越前の下町暮らしも面白かったのですが、近所付き合いを通り越してしまい、地域活動にどっぷりハマってしまい。
これも皆が仲良かった頃は面倒なお手伝いでも後味は良く。しかし、その仲が崩れ始めた後は悲惨としかいえない状況が続いてしまい。
代々その土地で暮らしていたご家庭も、そんなのが面倒になって何世帯も遠くへ離れてしまい。
大きなお祭り等で地域住民が集まる場面では喧嘩になってしまう流れも多く、自分もいつからか一切参加しなくなってしまい。
地域の絆が崩れた原因は東日本大震災にもあったと思います。あの年の大きな祭りが急遽中止になってしまい。
二年に一度の本祭りは、どうやらガス抜きの役割もあった様です。その間にくすぶっていた地域の様々な問題も、あの祭を皆で乗り越えれば全て水に流せた様で。

あと一ヶ月少々であの本祭りです。
前回はコロナ禍で中止だったらしく。
タイミングが合えば、ちょっとだけ様子見に行ってみようかと。

地磁気逆転

ここのところ、地磁気の話題ばかりで恐縮です。
数日前の地磁気の乱れがどうにも気になったままでして。昨夜も北海道方面でそれなりの地震があったそうで。
現在は地磁気の乱れも収まったのですが、色々と検索したところまた気になる話題が。

地磁気逆転という現象です。
数年前にチバニアンという言葉がニュースを賑わしましたが、それに関わる現象です。
地球のS極とN極が逆転してしまう現象で、その原因や影響はハッキリしていな点も少なく無いらしく。
ただ、過去にあった地磁気逆転の痕跡から色々と解明されつつあるそうで。

自然現象ですので、人の手ではどうやっても変えられない部類です。
地磁気逆転によりどんな影響があるのかパッと思い浮かんだのは、磁石を用いた位置とか方位を示す道具が全部使えなくなってしまうとか、渡り鳥がしばらく方向感覚を失ってしまうくらいで。
検索したところ、それどころの問題では無さそうでした。通信や電力網といったインフラも機能しなくなる恐れがあるそうで。

記事によっても見解に色々と違いがありまして。
比較的新しい研究分野で発見も日々あるらしく、数年前の記事は当てにならないのかも知れません。
間違った解釈かも知れませんが、地磁気が逆転しきった後は気候等も安定している様です。
問題なのは逆転の移行期間が何かと不安定だそうで。
『最近の大規模な地磁気逆転「ラシャンプ地磁気エクスカーション」は4万1000?4万2000年前に約800年にわたって起こったとみられる』との記事がありました。
800年というと人類で何世代に渡るのだか。30歳前後で代々子作りが継続された場合は26世代くらいになります。
自分は恐らく子供を作らないのですが、26世代の間の人達は色々と大変なんだろうなぁと。
逆に自分の26世代前がどんな人かなど知る術もありません。辛うじて200年前の祖先に辿り着ける程度で。

上記のリンク先によると、ハッキリとした言葉は避けられていましたが氷河期のような気候も訪れてしまったそうで。
仮にこの頃の地磁気の乱れが地磁気逆転の初期症状だったとしたら、待っているのは地球寒冷化であって、地球温暖化の対策など無駄どころか火に油を注ぐような対応で。
温室効果ガスが原因というのなら、化石燃料はどんどん燃やすべきなのかもなぁと。

元々自分は地球温暖化が人為的な結果でなく、自然現象の一つなのかと思いがちでして。
80年代初頭に科学番組「コスモス」で名を知られたカール・セーガンさんは寒冷化を恐れていましたし。
解釈の違いや主流は時代によって変化しがちなのですが、世界規模の指針や協定みたいなのはどうにも利権が絡まりがちにも思えていたりです。

最近ちょっと気になったニュースも興味深かったです。
EUがエンジン車禁止を断念したそうでして。
それを真に受けて対応や宣言をしていたホンダはどうするのだか。

またしても、とっ散らかった話になってしまいました。
地磁気逆転中の期間の影響については、こちらの記事が具体的でした。
ただ、五年以上前の記事ですので、どれだけ真に受けて良いのか謎です。
何れにしても、平穏な日々に少し感謝すべきだなぁと。

考え方とか

人それぞれ考え方は異なるもので、それは面白味にも繋がるのですが、エゴが強い人はどうにも苦手な自分です。言葉遣いの悪い人も同様に。
これは多くの人も同様のスタンスなのかと思いますが。

綴るべきか数ヶ月迷っていた話題になります。

最初は技術面から。
アマチュア無線というのは電波を送信出来る趣味なのですが、その電波が汚いと様々な迷惑が周りに掛かります。電波障害というものです。
症状が酷いと近隣住宅のテレビの映像が乱れたりで。ただ、近年のテレビはデジタル放送に移行したので昔ほどの影響は少ないと思いますが、あくまでも例として。
カラオケのマイクとアンプにしても、マイク音声の過大入力でスピーカーからの音が割れてしまう現象があるのですが、これは送信機でも同様で、汚い電波を放出しがちで。

送信機の場合はそうならない様にALCという回路が設けられていたりです。ALCは過大入力を抑える機能で、ALCの稼動率はメーターで確認出来たりします。
製品の規格にもよりますが、ALCのメーターが振れない範囲での運用が好ましく。
FT8といったデジタル通信の場合はマイク端子にパソコンが生成したトーン信号を入力するのですが、このトーン信号の大きさもALCの振れを意識した運用が必要で。

FT8でも迷惑な信号を時々観掛けます。スプリアスです。
スプリアスとは、本来の信号の上下の周波数に余計な信号が乗ってしまうことで、酷い時には等間隔で幾つもの余計な信号が乗ってしまうことも。
FT8の通信ソフト上では一目瞭然な症状だったりのスプリアスです。特に混んでいないタイミングですと、なんじゃこりゃ?でして。
古い無線機を利用しただけで、こうなってしまうパターンもあり、電波を管理する総務省ではスプリアス対策に益々厳しい近年です。スプリアスが基準外の古い無線機は使わせない方針だったりで。

新しい無線機であってもALCの振れ過ぎがスプリアスに繋がる恐れもあるそうです。
FT8に使い慣れた頃のローカル局さんにその話をしたところ、意外な答えが。
「(周りに迷惑が掛かるだけで)俺には関係無い」と。

この方にFT8の使い方を指導したり、PC周りのセッティングをしてあげたことに後悔してしまいました。
例えると、単車の免許は持っているのに乗り方を知らない人に指導してあげたところ、単車の運転が楽しみになったものの、暴走行為を始めたようなもので。
実際ローカル局が電波を普通に送信するだけで、我が家からは近過ぎるので他の局の信号が全く観えなくなり。
これはお互い様で仕方が無い事なのですが、その電波を更に汚すようなマネは避けるべきで。遠くの局にまで迷惑が掛かってしまうのですから。

後日、もう一つの理由を付けて説得に伺いました。
50Wの出力が許される局でフルパワーを出しても、スプリアスが多いと余計な信号に出力が持っていかれると。
本来の信号も歪んでしまい、相手も聴き取れず自分の首を締めるようなものだと。
これには納得して頂けました。

しかし、それ以外でも基本的に自分さえ良ければ良いというスタンスは別の話題でも幾度か感じ取れたりで。
こんなスタンスだと最初から知っていたら、自分は何も教えなかったです。
ただ、自分もローカル局からはアンテナの資材を提供してもらったりでお世話になっていて。
あと、時々言葉遣いが悪い面があり。これも気になっていたのですが、その頻度が今年に入ってから酷く。
結果的に自分から訪問することは控えてしまいました。

特に喧嘩をした訳ではないのですが、自分の場合はそうなる前にフワッと居なくなる傾向です。
この人に大事な話をしても通じないだろうと気付いてしまうと、過去の恋愛でも同様でした。
喧嘩とは、どうしても理解してもらいたい相手とするものであって。理解出来ない人と喧嘩したところで面倒な結果しか待っていなかったりです。
喧嘩した結果で以前より理解しあえたり仲が良くなることもあるのですが、根本的な信頼関係が無い事には。

あと、自分の苦手な言葉があったりです。
「当たり前だろ」という言葉を使う方は基本的にそれなりの知識を持たれているのですが、その何割かは過信でした。
例外をあまり知らないパターンもあったりで、「当たり前」では無かったりです。
自分の方が詳しいという前提での「当たり前」なのですが、実は無知の証のセリフでもあったりで。
なので、自分は滅多に使わない禁句でもあったりです。というか使わない様に気を付けています。
逆に恥をかいたりなのですし。
(危険を伴う作業とか場面では必要な言葉だとは思います)

技術方面の知識にしても、それが十年前の知識のままですと、色々と進歩とか新技術が生まれていたりとか。
しばらく前に辞めた電気工事の仕事でも「当たり前」という台詞を幾度か耳にしてしまい。
数年前に辞めた測量の仕事でも「当たり前」という台詞は少なく無かったです。
どうにも、現場系の仕事に携わる方の傾向にも思えます。
しばらく前に読んだ知恵袋系の記事にも、同様の話題がありました。特に現場系の仕事しか経験したことがない人達の特徴として、その世界しか知らない故に視野が狭く決めつけがちであったり、本を全く読まなかったり。
ここでいう本とは文学の類だと思います。様々な作品に触れたお陰で自分では経験出来なかった世界にも触れられることは多いと思います。
逆の立場の考えも理解出来る様になったり。

自分が無知だったと気付けると、そんな経験が重なると言葉遣いも変るものかと思うのですが、中には全く変らない人も居まして。
これは持って生まれたモノなのかなぁと。

手順とか

以前に化学系の分析装置の販売店で技術屋さんをやっていた頃の話です。
自分は物理系を専門にしていたもので、化学系の製品を扱う仕事は初体験でした。
その会社に転職してしばらくは修理と点検の作業だけで済んだものの、仕事にある程度慣れた段階で、製品の据付とお客さんへの取説(取扱説明)も必要な作業になり。

客先の本番前夜に社内で予行練習がありました。
取説書は既に存在していたので、それを元に話を進めたのですが、これが途中で頓挫してしまい。
取説書は機能別に項目が分かれていて、これを元に話を進めると頁が飛び飛びとなってしまい。
仕舞いには戻り先の頁も判らなくなってしまい。説明する側がこれでは、聴く側のお客さんも煙に巻かれるかと。
根本的な問題は「手順に乗っ取った取説」が存在しないことで。
この問題を漏らしたところ、それを聴いていた技術系の社員も以前から同じ疑問を持っていたそうで。

「二時間以内に作るから」と約束し、急遽それを作ることにしました。
文字だけの叩き台な文章ではあったものの、それはちゃんと出来上がりまして。
その晩の帰りは皆遅くなったものの、スムースな取説は出来る様になりました。
結果的にその文章はその後の取説で必ず利用されるようになりました。

一般家庭で利用される家電類でも「手順に乗っ取った取説」は少なかったりです。
既に類似の製品を経験している人にとっては取説そのものが不要であったりなのですが、社会的にレアな分析装置はそうも行かずでして。
特に化学系の分析装置ですと、手順を誤るとまともに動作しないどころか高価な分析装置を破壊しかねずで。

分析対象の試料にしても、前処理が必要だったりです。分析に必要な薬品も同様で。
この前処理についても、手順を間違うと恐ろしい事態が待っていたりで。
熟練した技術者や研究者には当たり前のことであっても、習得中の学生には抜けもあったりでして。
実際に立派な大学の学生が、手順を誤って調製中の薬品を爆発させて指を失ってしまった事故もあったりで。

化学分野の恐ろしいところは、何をしたら具体的に危ないのか周知されていない点だったりです。
ペーパー試験では高得点を稼げても、そこに危険性が隠れていなかったりで。
化学式しか覚えていないと、そこに隠れるリスクは伝わらないのかも知れずです。

demon coreをご存知でしょうか?
これは化学ではなく物理の世界の実験と事故です。ちょっとしたアクシデントが元で、核開発に関わった優秀な研究者が命を落していました。
再現映像も残っています。

映像は3分にも満たないものの、ちょっと解説が必要かもしれません。
核反応の臨界状態を研究する場面、非常にリスキーな作業途中でコップの割れた音に気を取られた研究員が装置の操作を誤ってしまい。
起してはならない臨界の青い光をまともに浴びてしまった研究員。青い光は核分裂反応の証で。
プルトニウムの塊である球体を移動させない事には核分裂反応は収まらず、素手で球体を払いのけ。
素手で触るのも当然危険なのですが、一刻も早く対処しないことには同じ部屋に居る皆も大量の放射線を浴びてしまい。咄嗟に判断した犠牲行為でした。

研究段階とはいえ、1945年当時でも扱いを誤ったら危険という認識は十分にあった様です。(核爆発に至らなくとも)
そういった前例を知らなかったのか、周知されていなかったのか半世紀以上後の日本でも似たような事故が発生しています。
これは実験で無く、作業の過程で生じた事故なのですが、臨界の青い光を目前で観てしまった点では同じ結末で。
被爆した作業員は数日の間、見た目に大きな変化も無く会話も普通に出来たそうです。
即死ではなかったものの、明らかに危険な放射線量を浴びてしまい、そのまま特殊な環境へ入院。

悪く言ってしまうとモルモット的な実験材料にされてしまい、身体の表面は崩れ落ち、本人も早く死なせてほしい苦しみがあったものの、延命措置は続き。
以前に検索した際には患者がベッドの上で宙吊りにされた写真も残っていたのですが。
事故の数年後だったかには、某国営放送でもドキュメンタリーで扱われていた題材です。

普通に出回っている製品は、事故を防ぐために冒頭で危険について箇条書きがあったりです。悪く言ってしまうと責任回避で。
ただ、そんなのを読む人は少ないかと思います。そもそも、取説を読む必要も無い製品が多いのでしょうし。
何か良い方法があれば良いのですが。

話を戻しまして。
自分はニッチな分野での技術職が長く。
転職が多かった中で、既存の取説に解り難さを感じる場面も少なく無く。
内部資料としてチェックリストはあったりなのですが、そのチェックの手順が明文化されておらずだったり。
高齢の熟練技術者はそんなの当たり前だったりでしたが、新前は慣れぬ作業に時間も掛かり間違いも多く、熟練技術者から非難されがちで。
その熟練技術者が完璧だったかというと、これがそうでもなく。大項目そのものを忘れていたりでして。

短期間で去った会社では、そういった手順書を作りがちでした。
一部の製品でしか対応出来なかったものの、引継ぎの相手からはもっと作ってほしかったとの意見もありました。
手本は残したので、似たようなモノはアレンジしやすかったかと思います。

ここでオチが閃きました。
自炊の料理にしても、材料を一気に調理しても悲惨な出来になったりでして。
やはり手順は無視出来ないよなぁと。
思い返すと分析装置の手順書も料理の手順にかなり似ていました。
同時進行の工程は一方の作業の待ち時間に上手く片付けたりで。短時間に効率的にという考え方は一緒でして。

地震予知とか

地震予知の研究は、まだ「トンデモ科学」の範囲でもある様です。
未確認飛行物体の研究と大差無いと思われる方もいらっしゃるかと。
ただ、予知の精度がもっと上がればそれなりの説得力を持つでしょうし、被害を最小限に抑えられるメリットは莫大でしょうし。
なので、未解明な部分が少しでも明らかになればなぁと。

あと、地震による二次災害的なものは、ある程度対策がされている様子です。
地震による津波とか、地震による停電とか、事後対応だけでも前例が活かされているらしく。
個人的に気になるのは、震災復旧の現場でもありまして。

自分の若かりし頃に地方の役所の土木課に勤務していた身内は、自分より少し若く。
何事も無ければ平和な部分もある職場だったそうです。
しかし、その地域で突然の大地震が発生し、道路や橋といったライフラインはズタズタに。
窮地に陥った人というのは心の余裕が失われ気味で、本性が露わになりがちで。
それから数年は地獄の様な忙しさの日々だったそうです。
役所には早く橋を直してほしいといった苦情も毎日で。ともかく冷静な優先順位は必要だったそうで。

身内と久し振りに再会したのはお互いに遠くの関西ででした。祖父の突然の葬儀でした。
かなり久し振りの再会、子犬の様にふっくらした頬の少年はスラっとしたシルエットに変貌していたのですが、やつれさえちょっと感じてしまう程で。
まだ若いのに白髪も目立っていて。
葬儀の晩にホテルで同じ部屋だった身内とは、夜遅くまで現状報告が続きました。
震災の処理は大変なのですが、出口はもう少しだからと。
当時は自分も忙しい立場でしたが、身内と比べればまだ全然マシな部類でした。
ともかく、お互いに身体を壊さぬようにと。

翌年の中旬には結婚を予定していた身内、一年でまた再会出来るんだなと、次の目出度い席を楽しみにしていました。
しかし、新年の気分もまだ抜けぬ一月中旬に職場へ兄から突然電話があり。
あの身内が亡くなったと。
信じ難い話でしたが、そんなことでも無ければ職場への電話など無く。
車が好きな身内でしたし、その仲間には乱暴な運転なのも居たので「車の事故?」と聴いたところ「心不全で朝起きてこなかった」そうでした。
寮母さんが起しに行った時には、もう手遅れだったそうです。

翌日には北海道の寒い地域に到着し。葬儀場の周りには多くの若者達が駆けつけていて、順番待ちで。氷点下20度以下の外で大変だったと思います。
亡くなる前日は、震災復旧の報告書を書き上げた日でもあったそうです。寮に帰宅したのは深夜だったそうで、枕元にはコンビニのおにぎりも。
苦労が報われるタイミングでしたし、明るい未来や生活が待っていたのに。
婚約者だった女性が気の毒過ぎて、掛けられる言葉も無かったです。

過労が原因だったと思うのですが、それにしてもこのタイミングというのが。
何かホッとしてしまったのだか。
身内とは自分も似ている点が幾つかありました。祖父の葬儀でのホテルでもそんな話題で大笑いしたり。
お互いに弟の立場だったので、兄からは玩具にされてしまった過去はあったらしく、これは弟じゃないと伝わらない会話でもあって。
葬儀が終わると、骨になった身内は実家へ帰りました。身内の方々も可哀想で、自分の休暇も延長してご実家まで付き添うことに。
ご実家でも葬儀に来れなかった高齢者の方々が。そのお婆ちゃんの一群からは自分が亡くなった身内にそっくりだとの言葉も。
初めてお会いするお婆ちゃん達でして、若い世代は皆同じに観えてしまうのかなぁと。
ただ、痩せた体型は確かに似ていたのかも知れません。

あと、寮の部屋で遺品整理していた中で、机の引き出しの奥から出てきた本のタイトルが実情を語っていました。
「上司を殴らなくて済む方法」の様なタイトルでした。
理不尽な指示が多かったとは噂で聴いていたものの、本人も相当頭にきていたんだなぁと。
だったら、ホテルの一緒の部屋で思い切り毒を吐けば良かったのにと。
自分から先に吐くべきだったのかも知れず。

当時は自分も一発くらい殴っても許されそうな上司が居ましたし。
勿論それは出来なかったのですが。
赤穂浪士の様な単独成敗は、周りも喜んでくれたとかも知れません。クビになっても降格になっても「でかした」と。
しかし、全てを捨てる覚悟が必要でして。

以前にも同様の記事を綴っていましたが、大地震というと数年後にあったあの不幸を思い出しがちです。
なので、復興が遅れていても、現場の担当者を責めてほしく無く。
命懸けで頑張っているのですから。その地域の皆さんの為に。

あの不幸以降は、自分も仕事の進め方を変えました。大きな教訓にもなり。
頑張るにしても、命を落したら元も子もなく。
徹夜の仕事は極力回避するようになり、手抜きとも言われまして。
同じく忙しくしていた同僚の中にはメンタルを壊してしまったのも居たりで。
自分の場合は胃潰瘍程度で済んでいたので、まだ救われた範囲かと。
あのままのスタイルでやっていたら、身内と同じ結果だったかも知れずです。

話が逸れます。
その関西での祖父の葬儀の写真が何枚か残っています。
自分は葬儀の場での撮影が苦手で、カメラを持参していてもよほどな場面以外は撮影出来ずで。(母の葬儀でも安置所から火葬場へ向かう前に立派な霊柩車の前で一族と集合写真の予定だったものの、その場で泣き崩れてしまった自分には無理でした。安置所に辿り着いた時にドライバーさんが勧めてくれた撮影のタイミングに素直に従うべきでした)
待機している時間は意外に長く、東京から愛車を飛ばしてきた自分は身内をドライブに誘ってみたく。
現地のスタンドで観光名所を聴いたところ、日本画の立派な美術館が近くにあるそうで。
しかし、誘いに乗ってくれたのは母だけでした。皆さんそんな心境では無かったのが当然ですが、気分転換にはなるだろうと。
母と一緒に伺った美術館の写真は押入の何処かに残っているハズで。
自分は日本画の知識も興味も無かったものの、美術の教科書で観た様な横山大観の作品も並んでいました。
絵画か趣味でもあった母は、かなり感動していました。庭園も立派で。
あの時の写真は自分が撮ったのか誰が撮ったのかもサッパリ思い出せずです。アルバムを引っ張り出したら、あの場に集った身内の写真も残っているのかもと。
いまお互いに生きていたら、どんな会話が出来たのかと。

反ワク

3/23と3/24に発生した地磁気の乱れはその後落ち着いた様子です。
3/24の夕刻と、3/27の日付が変った直後に東北方面で中規模の地震があったそうですが、この程度で終わってくれれば良いのですが。
東日本大震災はその10日前に地磁気の乱れが大きく、今回の乱れはそれを上回っているとも言われていました。
もし巨大地震が訪れるにしても、震源が何処なのか全く謎ではあるものの、あと一週間は注意を続けるつもりです。
東日本大震災は、震源があれだけ離れていたのに自分の暮らす東京にも影響は大きかったですし。

話が逸れます。
数日前に観掛けたニュース記事で自衛隊のワクチン接種会場が閉鎖されたとのこと。
この記事へのコメント欄になかなか考えさせれまして。
『結局、最初にシオノギのワクチンを待とうと思って、1回も接種せず幸いにもここまでは罹患もせずに来れたので良かったです。
本当にワクチンが体に問題ないのか、ワクチン接種後に体調を崩して持ち直すことなく通常業務に復帰できず退職した同僚もいたりするので、これからしっかりと検証してほしいと思います』との最初のコメントへの反応コメントが賛否両論で。
最初のコメントは自分の考えにも似ていましたし、接種した方を否定してもおらずで。
自分の場合は選択肢が残されるのなら今後も打たないつもりですが。

最初のコメントは「イイネ」が1688票で「悪いね」が302票でした。
このコメントに反応したコメントの中には「反ワク」とのレッテルを貼った攻撃的な内容も散見されました。
「周りの人が打ったお陰で貴方は助かった」「打った人たちに感謝しろ」「さすがに1回も打ってないって仙人すぎやしませんか?テレビもラジオもスマホも無い山奥で生活していたんですか?もうちょっと周りに興味持ちましょうよ…。まぁ打っては行けない体だったらいいですけど」等の否定コメントも。
誰しも自分の取った行動を正当化させたい心理はあるのだと思いますが、反応した否定コメントへの票は「悪いね」が圧倒していました。
言葉遣いが悪かったのも影響したのかも知れませんが。

ワクチンのリスクについてほとんど何も考えずに「周りも皆打っているし、予約は埋まっているし」だけの理由で打たれた方も少なく無かったと思います。特に一般人へのワクチン接種が始まった当初は。
ちょっとこれは残念な行動にも思えました。当時自分がお世話になっていた職場もそんな雰囲気でして。
ただ、あの時点ではまだ得体のしれないウイルスでしたし、毒性も強く著名人の方が感染後に何人も亡くなられていました。
ワクチンを打つリスクよりもメリットの方が勝っていたとも思えています。重症化が本当に抑えられていたのならですが。

ただ、昨年の時点ではウイルスも十分弱毒化していましたし、特に中国政府の方向転換が印象的でした。
徹底したゼロコロナ政策を止めた結果、感染爆発は起こったものの、感染した人の中には喜ぶ人さえ。
「これで本物の免疫が得られた」との意見が少なく無く。「高熱が出て苦しくても謎のワクチンで苦しむより意味がある」とも。
庶民の意識も随分と変ったのだなぁと。弱毒化したウイルスにサッサと掛かった方が得策なのかもで。

一方、日本政府はどっちつかずな対応を続けていた様にも思えました。サッサとマスクを外した欧米と、ゼロコロナを徹底させた中国の間くらいの政策で。
昨年のサッカーワールドカップで中継された海外の映像にマスクをする観客などほとんどおらずで。
国内での様々な規制の解除はやっと今年に入ってからに思えます。

あと、最初の頃に優先接種をされた立場の方々が気になりました。
国防関連や医療関連の方達なのですが、立場上選択肢は無かったのかもで。
身体の弱った高齢者が暮らす施設等では、未接種の方は接触できないルールでしたし。
結果的にそれでも感染爆発は起こりがちでしたし。あの時点での関係者の方々は相当な苦労が続いた様です。

自分の親しい友人の中には未接種者が意外に多かったです。選択肢が残されていたのも理由の一つだとは思いますが、ワクチンのリスクを皆心配されていて。
ただ、世間の風当たりは優しくなかったと思います。
先日短期間で辞めてしまった電気工事の職場でも、自分への風当たりは厳しいものがありましたし。「何を考えているんだ!」「周りへの迷惑を考えろ!」「さっさと打ってこい!」と。
あぁもう選択肢は自分に無いんだなぁと。所属する組織によっては仕方ないとも思っていましたし。大勢に非難されたあの場で自分は何を言っても無駄だろうと。
これは今年の一月の出来事だったのですが、組織によっては世間の変化に追い付いていない様子でした。
因みにその時点の初回接種であっても、最新の株にはほとんど効果が無さそうな初期のワクチンが回ってくるそうで。
在庫整理も兼ねているのでしょうが、これは罰ゲームに近いというか。副反応が待っているだけにも思えてしまい。
結局、打たされる前に自主退職してしまったのですが。(他にも理由があり)

重症化を防ぐ目的のワクチンにもリスクはあり、ウイルスそのものが重症化しなくなった傾向の中では、ワクチン接種のリスクが目立つばかりにも思えています。
当初は責任を取ると言っていた大臣も、昨年にはスタンスを変えてしまい。ワクチン接種が原因で副作用に苦しむ人はどうやら少なく無さそうで。
自分の身の回りでもそんな方が居まして。本人も接種を後悔しているのですが、立場上選択肢は無かった様子です。
仕方ないことなのですが、上からの指示に従うしか無く。出来るものならそういった方への救済を早くしてあげてほしいです。
言われた通りにしてそうなったのですから、言った通りにしてほしいなぁと。
過去の薬害や公害による裁判は結果が出るまでに相当な年月が必要で。被害者の多くが他界してからというのもあったかと。
全員救済というのはその費用も天秤に乗せられてしまうのだか。

上記のニュース記事のコメントで未接種者を非難する言葉には誤解もあると思われます。
身の回りの未接種者は何となくそうしたのではなく、自分で考えて自分で選択していました。
立場的には少数派でしたし、風当たりも強かったですし。
なので、お互い未接種者だと判ると妙な親近感も沸きがちでした。ここまでの健闘を称えあったり。同じ立場だから言えることもあったりで。

あと、自分は果たして「反ワク」なのかと考えてしまうことも。
どうにもその言葉の響きが好きになれずでして、別の言葉に言い換えられないものかと。
頭ごなしに反対しているつもりは無いですし。

国もコロナワクチンが治験段階であることは認めています。
治験段階というのは動物実験がやっと終わった段階でして、人への副作用がまだハッキリしていない状況です。
その辺のリスクがちゃんと説明されていない中での接種推奨に観えてしまい。悪く言ってしまうと人体実験そのもので。
薬の開発段階では仕方ない治験の過程ですが、それは統計データを取るのに最小限の人数で実施されるものかと思っています。リスクは否定できないので。
全国民を導入しての治験はこれまでほとんど無かったと思います。それほど逼迫した脅威のウイルスだったのかも知れませんし。

ワクチン接種を後悔した知人の中には「どうして教えてくれなかったの?」と聴かれてしまうこともありました。
少数派がそんなのを触れて回るのもリスキーな行為でしたし、趣味のBlogで個人的な意見を綴るまでがやっとでして。
実際、自分がお世話になっている歯医者さんはワクチン反対派で、クリニック内ではabemaの映像が常に流れていました。ワクチンの危険性を訴える番組で。
この歯科医とはやはり意気投合出来てしまったのですが、クリニックのクチコミを観たところ、反ワクだと叩かれる意見も少なく無かったです。
歯科医と医師は別な面もあるのですが、薬を扱う時点でその辺のリスクの知識は同等にも思えます。
そんな訳で、たまたまその話題にならない限り、自分は未接種だと伝えていません。それ自体がリスキーなので。
答えるにしても、相手は接種している前提で遜った言い方をしています。接種者は九割でして。
江戸時代の隠れキリシタンはもっと大変だったんだろうなぁと。

一般的な治験結果を待っていたのでは、正式承認まで時間が掛かり過ぎた中での一般接種だった様です。
それが普通の手順で承認されていたのなら、自分も接種していたのかも知れません。
なので「反ワク」という言葉にどうにも違和感を覚えてしまいまして。

隅っこ

数日前の地磁気の乱れがようやく収まって来まして、アマチュア無線のHF帯も電波がまともに飛ぶようになってきました。
ただ、東日本大震災は地磁気の乱れから10日後に訪れていますので、あと一週間ほどは注意をしています。
バスタブに貯めた水は消毒剤を入れたままそれくらい放置する予定です。

あと電気周りです。
モバイルバッテリーを四つほど所有していますが、全てフル充電が完了しました。
数年前に北海道で発生した地震は数日間の停電が続いてしまい。実家の母と初日は電話連絡が取れたものの、その後しばらく音信不通でした。
最初はスマホのバッテリーが切れてしまったそうです。翌日にはボランティアの方が車で充電してくれたそうなのですが、基地局のバッテリーが切れてしまいアンテナが立たずで。
現在はどうなのか知りませんが、スマホが生きていても基地局が倒れていたらどうにもならないそうで。

余談ですが、実家の地域が復電したか否かの情報はTwitterでマメにチェックしていました。復電を確認し実家へ電話したところ、直ぐに繋がりました。
寝ぼけていたらしき母は携帯電話が繋がった意味や長い停電が解決した意味をしばし理解していなく。
ボランティアさんに落とされたブレーカーを戻すよう伝えたところ、母は現実に戻れていました。
「電気点いた」「母ちゃんもう大丈夫だよ」。

そういった場面では、基地局といった中継を必要としないアマチュア無線は無敵に思います。
なので、東日本大震災の後に数十年ぶりに無線機やアンテナを揃えだした自分でした。
しかし、当時暮らしていた秋葉原界隈はノイズが多過ぎて、HF帯は使い物にならなかった感です。
結果的に設備はオブジェと化してしまい。
引越し先の柴又のマンションは部屋が一階だったので、ロケーションが悪く、また使い物にならなく。
屋上にアンテナを置かせてもらえたらなぁと。まぁ管理組合は首を縦に振らないでしょうし。

そこで救いになったのがFT8のデジタル通信でした。
宇宙通信の技術を元にした諸々で、地球から遥かに離れた探査衛星の微弱信号を送受信出来る仕組みで。
しかし、アマチュア無線でその技術を採用するのは幾つか問題があったそうです。
探査衛星と管制は一対一での交信ですが、アマチュア無線ですと一対複数のパターンが多く。
受信した幾つもの局の信号を同時にデータ化するには、その信号を処理するPCのスペックが要求され。
それも近年のハイスペックなPCですと、可能になったそうで。
理論的には可能でも、コスト面で現実的では無い技術は他にも色々とありそうです。

数日前の地磁気の乱れで遠くの信号が届かなくなった中、色々と考えてしまいました。
話が少し逸れるのですが、DXCCのアワードが目標な100の3歩手前で足踏み状態でもありまして。
実際に交信した地域は既に100を余裕で越えているハズなのですが、相手局が交信証明を提出してくれず。待っていれば何とかなるのでしょうが、それがいつなのかは相手の気分次第。
だったら、デジタル以外の他のモードで頑張れば良いのでは?と。
しかし、音声通信では前途の通り無理があり。
残る一つはモールス(CW)で。

所謂トンツーな電鍵を用いた通信は、ノイズ等のコンディションが相当悪くても比較的聴き取りやすく。
人の会話も同じなのですが、酷い騒音の中の声や小さな声は聴き取り難いものの、それがブザーの音であれば鳴ったか鳴らないかは判断しやすく。
これをデコード(復調)というのですが、昨夜試してみました。CWを。

自分の所有する無線の免許ではCWの運用も可能なのですが、何年も使っていない技なので、自分の耳で文字を起せるか。そこが問題でした。人間によるデコードというか一種の翻訳。
僅かに聴こえた信号は意外に易々と解読できました。恐ろしく低速なトンツー。そのリズムはかなり揺れていたものの、その遅さが救いになり。
何だか考えさせられてしまいました。
無線人口の高齢化が問題になっています。古くからCWを愛する高齢者が頑張っているのかなぁと。
自動車の運転にしても高齢者の事故が人の命を奪ったりで。少なくとも無線の通信で命を奪う事故は少ないだろうなと思ったり。

そのCWの信号はそれほど遠くない国内の局から届いたのですが、自分の耳ではかなり小さな音で。
さっきから広げっ放しだったデジタル通信のソフト上では、その信号が可視化されていました。細い線だったものの、かなり強い信号を示す真っ赤な色で。
人間にはこんな小さな音でも、デジタル通信経由ですとかなり強力な信号だったんだなぁと。

これではデジタル通信に太刀打ちなど出来ないと。
恐れ入りました。

ノイズや弱い信号に強いCWは船舶通信で特に利用されていた経緯があり、大きな船舶には通信士も必要だったり。
しかし、十年以上前に淘汰されてしまった技術で。衛星通信が取って代わり。
いまやCWはアマチュア無線界でしか利用されていない古典芸能の様なモノで。
CWのメリットは当時と変っていないものの、デジタル通信は更に上を行っていました。

そのデジタル通信で流行っているFT8なのですが、利用者の人口が増えてしまい既に過密状態です。
利用可能な幅の中で信号は密集しており、空いたスペース探しさえ難しいタイミングも多く。
先ほど試してみたのですが、過密の隙間で自分の信号は遠くまで届いておらずでした。
試しに相手がデコード出来ないかも知れない隅っこより外側で送信したところ、かなり遠くまで届いていました。
これが何を示しているかというと、本来の車道は混み過ぎていて、僅かな隅っこを利用しないことには通過できないで。
無線の信号としては届いてはいるのでしょうが、周りにかき消されていたで。
送信で勝った局からすると、自分の弱い送信は迷惑なノイズでしかなかったかと。

FT8よりも新しいモードであるFT4への移行をそろそろ真剣に考えねばとも思えたりでした。
このモードはまだ過疎気味ですが、FT8が混みあっている状況ではそれなりに利用者も居て。

アマチュア無線やCB無線が流行っていた80年代も、限られた帯域やチャンネルでの潰し合いでした。
弱肉強食のサバンナというか。
あぁいった現象はもう訪れないだろと思えた衰退中のアマチュア無線で、またこうなるのは残念でもあるのですが、ちょっと嬉しくもあります。