再会

先月の母の葬儀で久し振りに再会した奈良の二人のイトコが相変わらず素晴らしかったです。
厳密にいうと二人の叔父になるのですが、この二人兄弟は自分の兄弟と同世代なもので、どうにも叔父さんとは言い難く。
実際は二人を下の名前で自分は呼んでいます。

初めてこの二人と会った記憶は、自分が幼稚園に入る前。
遠い親戚が亡くなられたそうで、神奈川で暮らす叔父の運転で奈良まで伺った際でした。
この時の二人の記憶がほとんど残っておらず、初めて触れる生の関西弁がちょと不思議だったくらいです。
上のTさんはとても物静かで勤勉な印象、下のKさんはちょっとヤンチャな印象でした。

次の再会はあれから二十年以上後の、奈良のお爺ちゃんの葬儀だった記憶です。
お爺ちゃんの子供がこの二人なので、やはり叔父と呼ぶべきなのですが。
自分からするとお婆ちゃんが早く亡くなり、再婚した女性から生まれた二人がこの叔父さんで。
この時もほとんど会話が出来ませんでした。父親が亡くなったショックもあったのでしょう。
ただ、いきなり立派な大人に変身した二人が不思議にも思えました。二人からしても自分はそうだったのかも知れません。

あの葬儀は当日の早朝に母から電話があり「あなたは来なさい」との命令口調でした。
別に命令されなくても行ったのですが。
現地で送迎役になれるかも知れず、車で向かったものの、この運転が眠い眠い。前日に新潟であった友人の披露宴には冗談半分で単車で行ったのが災いしました。
当時は大手企業の研究開発部門に所属していた自分です。急な休暇でちょっと迷惑を掛けてしまったのですが、各部署から幾つもの弔電が現地で読み上げられて驚いたりでした。
社員に厳しい会社だったものの、こんな場面では上手くやっているんだなぁと。

現地では暇を持て余し気味で、近くの美術館に母を連れて出掛けたり。
他の親族も誘ったのですが、長距離の移動でゆっくりしたかった様子です。
横山大観の繊細な筆遣いがなかなか新鮮な美術館でした。日本画も捨てたもんじゃ無いなぁと。母も珍しく喜んでいて。

その後も身内の冠婚葬祭で幾度か再会出来た二人。
特に兄の披露宴では夫婦漫才的な芸を披露してくれた二人の夫婦にサービス精神感じたり。
やはり、いい人達だったんだなぁと。

先月の葬儀で再会出来た二人は兄の披露宴以来だったので、二十年ぶりくらいでした。
参列者も少ない葬儀でしたので、お通夜の後は色々とお話が出来て。
二人とも仕事等が大変だったとは噂に聴いていました。しかし、助け合う兄弟とのこと。
落ち着いたお兄さんと、場を盛り上げようと冗談連発の弟さん。
この二人はFacebookで母とも繋がっていて、母の大したことない書込みにも毎度「いいね」を押していたんですよネ。
あの参列者の中で酒飲みは自分だけかと思っていたのですが、深夜まで付き合ってくれた二人でした。(途中自分は寝ていましたが)
お互い、五十代になってからやっと話が出来ました。これがまた不思議で。

集まった皆さんがまだ起きている時間の弟さんの話が色々と面白かったです。
自分にとってのお爺ちゃんは孫たちの前でいつも笑顔の優しい紳士で、自分も大好きだったから懐いていました。
しかし普段はとても厳しい人だったと母からは聴いていて。
奈良の二人にとっても、普段は厳しいお父さんだったらしいのですが、お茶目な部分もあったそうで。

細かい部分はお酒も入っていて忘れてしまったのですが、弟さんが若い頃に購入した原付バイク、これを陰で乗り回していたそうです。あのお爺ちゃんが。
ある夜、帰りの遅いお父さんを心配していたら、警察から電話があったそうで。
「お父さんを引取りに来てください」との話。なんでも、息子の原付を無免許で運転し、運悪く捕まってしまったそうです。

帰宅したお父さんはとても気まずい雰囲気の中、普段聴けない気の効いた話題を振ってくれたそうです。笑って許して感というか。
その無理している姿が二人には可笑しかったそうで。
戦前の教育とか戦争を経験した世代の男性は、厳格な方が多かったです。普段から姿勢を正しているというか。
そんな厳しいお父さんが孫の様な二人に救出されて決まりが悪い場面、何だか素敵だなぁと。
原付で無免許運転の老人を捕まえたお巡りさんも、それが大手生命保険会社関連の社長だった知って「なんじゃそりゃ」だったかと。
そんな話、いまだから出来るんだろうなぁと。

骨になった母を実家に連れて帰り、葬儀に集ってくれた身内も皆一緒に来てくれて。
葬儀そのものは「人前で泣いちゃいかん」と皆隠しがちだったかと。
ただ、それが片付いた後は実家の狭い居間で、やっと楽な世間話が出来て。これがまた素敵な時間でした。
みんな優しいもんだから、気の遣い合戦でもあり。
ドタバタだった葬儀、時々外で煙草を吸いに行くのは自分だけ。玄関に飾られていたささやかな花と置手紙にやっと気付けたり。それにまた泣けてしまったり。

なので、身内が順番に去ってしまう場面が、また寂しく。
いい大人になったハズの自分なのに涙でお別れの言葉にならず、大手を振ってお見送りすることしか出来ず。それしか芸も無く。
次に会えるのはいつなんだろうか。
「また会えるんだから」と言われたものの。

SMAP

先月の最初の帰省で、実家がちょっと賑わう場面が。
介護ベッドの上の母と、叔母と、自分と、介護のお姉さんと、若い営業さんと。
若い営業さんは介護用のトイレを設置に訪れていて、なかなかの二枚目。

母は若い二枚目が気になる様子で、視線が追っていました。
よし、ここはツッコミを入れよう。

「母ちゃん昔から若い男が好きだからなぁ。SMAPが夢に出てきて遊んでくれたって大喜びしてたの覚えてる?」。
母は「そうだったかしら?」と。
介護のお姉さんもすかさず話に乗ってきました。「イーヅカさん、SMAPのメンバー全員覚えてる?」。
これは脳の活性化になりそうな話題の振り方なのかも知れません。流石プロ。

母は数名のメンバーを即座に答えていました。
これだけでも凄いのですが、集中力は持続し、残りのメンバーも一生懸命思い出そうと。
そんなのに疎い自分は当然答えられるワケないのですが、ヒントも交えながら母はほとんどのメンバーを回答。
「こりゃ凄い」と自分も素直に褒めてしまい。

五分前の会話も忘れてしまう認知症だったのに、二十分ほど同じ話題に集中出来て。
「これは、余程の若い男好きに違いない」と言ってしまったら、流石に怒っただろうなぁ。
自分の滞在中は、息子だから許されそうな失礼なツッコミが多かったです。看病で付きっ切りだった叔母はハラハラしたかも知れません。
自分は怒られて当然なのに、母は案外嬉しそうな顔していて。昔からふざけた奴だと覚えていたのかな。

話が逸れます。
SMAPが流行り出した頃は自分がテレビを全く観ていない時代に重なります。実際、部屋にテレビも置いていなく。
その存在を知ったのは、主要メンバーだかが脱退したタイミング。
事務所の社長は激怒したそうで、インタビューに「そんな奴最初から居ない!」とのコメントが。
その後の過去映像でも、旧メンバーが映る場面は避けられたらしく、余程のことだったのでしょう。

しかし、居た人間を居なかったとの表現は自分も使ったことが無く。
トランプさんも「そんなこと言っていない」の様な場面はあったなぁと。明らかに過去に発言していたニュースでの比較映像でした。
権力者というのは、頭にくると最初から無かったことにしがちなのか。
理屈ではあり得ない話なのですが「それくらい頭にきている」と解釈すべきなんだろうなぁ。

悪く言ってしまうと嘘になってしまうのですが「そんな奴最初から居なかった」と思えれば、これ以上考えても仕方ないことさえ、簡単に片付けられるのかも知れません。
これは案外便利なのかも。

学校豚肉?

友人夫婦の娘さんが先月緊急入院し、昨日のこと退院出来たそう。
右半身がしばらく機能しなかったそうですが、現在は僅かながらも機能が回復したそうで。

そんな中、嫁さんの方からメッセージが。
「家の前が緩やかな坂でそれが好きなんだけど、今回は車椅子に全体重を乗せて玄関前まで押していく…ナカナカの試練でございます。
そんなわけで何もかも初めてだらけ…明日から学校豚肉スタートで緊張中?」。

とりあえず、良い方向に進んでいる様子。
新学期は九月からじゃないんだなぁとか。
ともかく、良かった良かったと。

しかし、謎の文言が含まれておりまして。
「学校豚肉」が何なのか検索してみました。最近流行りのゲームか何かな?
それとも「きつねダンス」みたいなのか。
おじさんは流行に疎く。

誤字や予測変換の失敗とも思うのですが「学校」の後に豚肉が入る経緯が不明です。

検索結果にそれらしきモノは見当たらず。
検索結果の中に「ブタがいた教室」が含まれていました。以前に気になったものの未だ観れていない作品です。

小学校のクラスで何故か子豚を飼うことに。「みんなで育てて最後に食べましょう」との提案。
面白そうだと生徒達も乗り気。みんなで餌をあげたり、糞尿の始末も。
しかし、時は流れ家畜では無く愛玩動物的なペットになってしまった豚さん。
果たして、最後に食べられてしまうのか?

結末が凄く気になるんですよネ。
恐らく食べられないとは思うのですが。
でも、週に一度は他の豚を誰もが食べていると思うんです。

話を戻しまして、嫁さんに返信をしました。
「親子でその坂に名前を付けてみたら面白そう。
しかし、学校豚肉ってなーに?」。

しばらくして、返信が。
「学校がなぜ豚肉なのか…誰にもわかりませんスミマセン」。

そりゃそうだろうなぁ。
案外律義な回答でした。

ダーティハリーに学ぶ

ここ二十年くらいの映画は、コンピューターグラフィックの進化もあるのか、自分の眼では追い付かない場面が多く。
画面からちょっとでも目を離した隙に、重要な場面があったり、ともかく展開が速すぎて瞬きさえ許されぬアクションシーンだったり。
そもそも自分がボーっとしているのが問題なのかも知れませんが。

それに比べて80年代以前の作品は良い意味でノロマで助かっています。
それぞれの場面で考えさせてくれる余裕があって。

どれもテレビ放映で観れた作品ばかりでしたが、当時観た映画は思い出深いのが多く。
自分が子供だったのもあり、そんな奴居るのかよ?と思えた場面も。
「ダーティハリー」もそうでした。

主人公の刑事はそれなりの能力があるものの、理不尽な上司の要求には一切従わず。
世間からは偏屈者扱いですが、僅かながらも信頼関係ある友人知人もいて。
結果的に、面倒臭い案件ばかり任されて。

知能犯の犯罪など捕まえたところで法の裁きさえかいくぐってしまうのは判っていて、その場で覚悟を決める辺りがカッコ良く。
結果的に謹慎処分とかしか待っていないのですが、そうでもしない限り同じ犯罪は繰り返されるだけで。

世の中を冷めた目で観ているからか、嫌な上司の圧力や脅しに対しても真に受けず。
印象的だった返しの言葉は「あんた口が臭いよ」とか「おっかねぇなぁ」とか。

新任の刑事とチームを組まされたりですが、これも何だかソリが合わず。
どれも優秀な人材なものの、理屈ばかりで何も解っちゃおらず。

四作目に登場した美女の新人も、面白い場面がありました。
新しい武器のお披露目会、バズーカ砲みたいなのの性能を何も知らないだろうハリーに得意げに解説する美女。
美女は話の途中でハリーに突き飛ばされます。
試射したバズーカの後ろには大きな反動が。さっきまで美女が立っていた場所でした。
経験の差が出たのでしょう。

近いうちに全作もう一度観ておきたいです。
あんなのが好きだから、こうなっちゃったんだろうなぁと。でも好き。

Iさんの誕生日のこと

また誕生日を迎えてしまいました。
もう十分だよという感覚です。

誕生日は何故か母が覚えていて、メールや電話が来たものです。
そして、地元北海道の食べ物を贈ってもらったり。
しかし、母の懐事情は知っていたし、自分の為に使ってほしいと。
有難かったのですが、自分は何もしてあげられていないし勿体無くて。

そして、認知症の入った去年は何の連絡も無く。
もうそういったことは無いんだろうなぁと去年から思っていましたが、葬儀は先月だったので、もう二度とないと。

トラピストのクッキーが自分は大好物だったので、缶入りが沢山届いたこともありました。
先月の帰省で二十年ぶりに寄った空港で、あのクッキーを扱う店舗は減り、やっと見つけたものの缶入りは結構な値段していました。
全くなぁと。

ここ数日、色々と考えさせられることがありました。
ただ、ここでは綴れない話なもので、友人や関係者と直接連絡を取り合い。
漠然とした不安要素ではあったものの、よくよく考えてみたらそういうことだったのかな?と。
まぁ心配し過ぎかもしれませんし、余計な心配かも知れませんし。
キリの良い本日ですので、これ以上考えるのは止めておきます。
一つ若かった頃のことで。

思い帰してみると特に大学時代の自分は色々と大変でした。
借金せずに学費や生活費の捻出、そして実家との確執。
卒業と同時に水に流したことでしたが、あれは良い経験だったと思っています。
あれが無ければその後の人生を対処し切れたのか分からずです。

何もかも上手く対処出来たワケではないのですが、それで大きな病気になったワケでも無く。
ただ、当時の自分は若かったから、東京でどこの馬の骨だかも分らぬ自分に大人達は寛容だったとも思えます。頑張っていたのは伝わっていた様で、どれだけ助けられたことか。
曲がったことは嫌いでしたし、それで逆に迷惑を掛けてしまった場面もあったなぁと。
ただ、立場上仕方ないという感覚も持てるようになりました。

学校を出るまでは優秀だった若者も、社会の理不尽さに短期間で崩れてしまう例も自分は観てきました。
現実と理想のギャップです。
学生時代の自分の経験が無ければ、自分もそうだったかも知れません。

話が少し飛びます。誕生日の思い出です。
大学時代の職場で、母親代わりの様な女性職員Iさんが居ました。母よりは少し若かったのですが、いつも気にかけてくれていて。
同期が何人か居る中で、何故か自分のことを気に入ってくれていた様で、どうしてなのかな?と。一番貧乏そうだからなのか。
いつも優しい笑顔で接してくれたのですが、感情の波は大きめでした。どうしてそんなことで怒っちゃうの?と思えた場面も。また何か配慮が足りなかったのかなぁと。

他の職員から聴いたのですが、職員になりたての頃はかなりの美貌の女性だったそうで、誰からもチヤホヤされたそうです。
同じ会計課で一人だけ厳しいオバチャンが居たそうです。仕事はもっと厳しく。
しかし、不正会計が非難された学園紛争は学内の戦争状況で。ある日そのオバチャンが早めに出勤し、職場で首つりをしてしまったそうです。
全ての責任を一人で背負いこんだそうです。実際、それで使途不明なままになった部分もあったそうで。
Iさんはあまりのショックで入院してしまったそうです。大嫌いな上司だったハズなのに、想いは一転してしまったそうで。泣いてばかりで仕事にもならず。

Iさんの誕生日をその日たまたま知った自分は仲の良かった同期と一緒に廊下で「お誕生日おめでとうございます!」と大声で。
しかし、何故か聴こえなかったのか二人でもう一度。どうやら無視されてしまった様です。
その後も自分と口を聴いてくれなくなったIさん。

あまりにも頑ななIさんに「どうしてなんですか?」と二人の場面で直接聴いてみました。
「(年寄りの)誕生日をからかっていたと思ったの」と。
「そんなのあるわけないじゃないですか!自分、意地悪なんて一度もしたことないですよ!」で、Iさんに謝られてしまい。

数日後に同期と自分は高級な居酒屋さんにIさんから誘われて。Iさんは二人に直々で謝りたかったそうです。二人とも夜間の大学は珍しく休みました。
どの食材も美味しく、生まれて初めての生牡蠣も。生牡蠣は今年最後の品だそうです。
これは食感も味も最高でした。世の中にこんな美味しいモノがあるとは。
Iさんは苦手らしく頂いていませんでした。

しかし、その晩の深夜二時に悪寒と下痢と吐き気。
明け方までバスルームのトイレで青い顔。便器にまたがり、膝にはタライ。
こんなの生まれて初めてです。
久し振りに仕事も休んでしまい。

仲の良い同期は、こういったタイミングで必ず電話を寄こしていました。
昼食がいつも一緒だったから、それで気付けば「大丈夫か?」と。
同期が逆の立場でもそうでした。
なのに電話も無く、冷たい奴だなぁと。

翌朝再会した同期は青い顔をしていて。
「まさかお前も腹壊していたのか?」。
互いに「お前もか!」で大笑い。
「電話こねーから冷たい奴だなって悲しんでたんだよ!」と伝えたところ「俺も同じこと考えてた」と。
やっと「生牡蠣にどうやら当たったらしい」と互いに気付きました。
あれは死ぬかと思ったものの、二人で大笑いで。

Iさんは勿論意図的にハメたワケじゃなく、気まずそうな数日でした。そんなのを責めるつもりは無く。
でも、そんなドラマに優しい人間味を感じて、自分はみんな大好きでした。
携帯もスマホも無かった時代です。

立派になれたらIさんに挨拶行こうと思っていました。しかし、残念なことにそうはならなそう。
Iさんはずっと独身のままで、千葉のマンションで一人暮らしていると数年前に他の職員から聴いていました。
トラピストのクッキーはまだ数箱残っていたし、住所を知れたら数日中に伺わねば。
世の中捨てたもんじゃないですヨ。

事故や事件での台詞

渋谷で母親と娘さんが刺されてしまった事件が数日前にありました。
たまたま第一報を早く知り、どうしてそうなってしまったのかと僅かな情報を眺めつつ。

刺された母親は娘さんを庇いつつ「なんでそんなことするの? あんた誰!?」と犯人に訴えつつ。
単なる怒りの台詞ではなく、馬鹿な真似した子供を諭す台詞だよなぁと。

本当にそんなやり取りがあったのか不明でしたが、動画に残っていました。

自分、事件現場や事故現場に居合わせたことが時々あって。
その瞬間を目撃したことは無く、結果的に直後な場面ばかりでした。
気付いていたら止めたと思います。

ただ、どれも非現実的なので、咄嗟に判断出来たとも思えず。
人によっては気付いてもリスキーだから黙ってるとは思います。

未解決事件系の番組でやるせない思いが残ったのがありました。
水に溺れていた子供を通りすがりの男性が一目散に救助に走ったそうです。
子供は助かったものの、中年の男性は流されて溺死。
目撃者によると、子供はその後に母親の車に引っ張りこまれて何処かに消えてしまったそうです。
何処にでも居そうな中年男性には家族がいて、遺族となった奥さんが番組で残念がっていました。
「あの人らしい死に方だったけど、そんなあの人が好きだった。でも、こんな事件になったのは知ってるでしょうし、名乗り出てほしい」と。(古い話なので詳細な台詞は不明)

溺れている子供に気付いたら、自分も同じことをしたかと。
キッカケがどうであれ、本能で動いてしまう場面としか言えず。
それに近い事故が重なり、浮き輪になりそうなモノを投げ込むのが得策らしい昨今です。

そんなに大きな事件では無かったものの、大切な人が危ない場面で自分が盾になったことはあったし、それでどうなろうと本望な気質です。
たぶん、治らない。

十五年くらい前だったか、下町暮らしの寒い朝に飯田橋の職安へ。
行きは電車の切符で。帰りは少し早めの神保町のラーメン二郎へ。
そんな予定でした。
東京の冬は寂しい寒さ、夏は面倒臭い暑さ。

職安から二郎への呑気な徒歩、水道橋駅前の歩道で赤信号。
ただ、車が横切る機会の少ない一方通行だったので、そのまま渡りかけました。
しかし、大きな音をたてるダンプカーが近付いてきて。
立ち止まったところ、小柄な女性が追い抜き。
後ろ姿の女性の頭にはヘッドホン。

こいつ、外の音に気付いていないし、俺に習って信号無視したな。
咄嗟に腕を掴み。どさくさに紛れてオッパイを掴む余裕などなく。
加速したままのダンプカーが轟音のまま横切り。

女性が振り返りました。
人前でたまたまそこに居合わせた友人から腕を掴まれる冗談だと思っていたのだか、やたら人懐こい笑顔。
色白の可愛い女の子、これはど田舎からやってきた予備校の生徒か?
無精髭生やした小汚いオッサンに「ありがとうございます」と。

「危ないぞ」としか返せず。

歩行者の信号は直ぐに青に代わり、そのままラーメン屋へまたすたすたと。
あれが巨大なおばちゃんだったら、自分はどうしたのだろう?と考えつつ。
両腕で後ろから抱きしめたとしたら、共倒れだったかも知れず。
下手したら咄嗟に引っ叩かれただろうなぁと。

事前に気付いたら、こんなもんです。

町の生活臭

一人暮らしを始めてから、ほとんどの生活圏は東京でした。
何故だか判らないのですが、自分は近所付き合いに恵まれていました。
幼少期に暮らしていた地域で、親切な御近所さんに恵まれていたからかも知れません。

大学時代に四年暮らしたワンルームマンションでも、普通ではあり得ないくらいの近所付き合いがあり。
たまたま隣りの部屋の女性が北海道出身で、電話も置けないくらい生活が苦しそうで。夜の仕事の一つ年下な女性、緊急の場面では自分の部屋の電話を借りに来たり。
交際相手の男性はほとんど紐の様な存在で、女性のお兄さんが部屋へ訪ねてくると、ベランダ伝いに自分の部屋に逃げ込んできたり。「イーヅカさん助けて!」と。
お兄さんは堅気の仕事で無さそうでしたが、妹さんが心配で時々訪ねてきていました。妹がお世話になっているとビール券まで頂いてしまったり。
年末年始に寂しくしていたところ、賑やかな隣の部屋から誘われたことも。綺麗な女性が集まっていたお酒の場、とても楽しかったです。パジャマ姿の写真も残っていたり。
他の部屋の方とも親しくしてもらえたので、卒業間近の大事件に巻き込まれた場面でも助け合えたりでした。

大学の卒業で会社の寮に引越す際も、二部屋隣りの女性の交際相手がエアコンの取り外しを手伝ってくれたり。エアコンを持ち帰る友人は「今時こんな付き合い珍しい」と呟いていたものの、確かにそうかも知れないと。

八年暮らした会社の寮でも、毎晩同僚の部屋で呑むか自分の部屋で一緒に呑むかでした。
まぁこれは当然だと思います。

十二年暮らした都心の下町も、風邪で寝込んでいたら御近所さんが煮込みうどんを届けてくれたり。
そして現在暮らしている柴又では、ベランダのフェンス越しに採れたての野菜をプレゼントしてくれる御近所さんが居たり。

都心の下町も柴又も、無意識に町の生活臭を選んでいたのかなぁと。
自分から何か働きかけたワケではなかったのですが、気付いたらそうなっていた様子です。
マヌケ面だからか、話し掛けやすい雰囲気はあるそうで。

しかし、この文章だけでは善人ぶった奴にしか思えんかと。
実際のところ、大学時代のあの部屋ではスケスケの薄着で隣りの女性がやってくると欲望を押さえ込むのに必至でしたし、「今夜は彼が居ないから遊びに来て」と言われると、理性を保てるか自信無く断ったりでした。
ハタチそこそこの男には刺激的過ぎまして。