馴染みのお店

ここ三年ほどで、馴染みだった都心のお店がどんどん閉店しています。
中には、学生時代から35年もお世話になっていたお店も。
神保町のいもや、駿河台のとんかつ駿河、末広町のセガ、秋葉原のeuro Cafe、秋葉原のPlace、秋葉原のキッチンジロー、そして、サカエヤミルクホール(移転だそうですが、あの味のある店構えが貴重でした)。

コロナ禍関連で閉店したお店も含まれています。
どれも学生街とか電気街とかでコストパフォーマンスの高いお店ばかりでした。
大盛がかなりの量であったり、下手な大手チェーン店より安かったり。
基本的に貧乏学生向けのお店がほとんどだったものの、あの味が忘れられず社会人になってからも利用する機会が少なくなかったです。
学生時代に比べて随分と値上がりしてしまったものの、それでも安いくらいで。

しかし、こういったお店が減ってしまうと、都心に出る機会も益々減ってしまいまして。
新しくオープンする店の多くは、どうにも特徴の薄いのが多い感。
その辺、昭和から続いているお店は強力なポリシーや個性があったとも思えます。

コロナの終息まで、あとどれくらい掛かるのだか。
単なるボヤキの記事になってしまいましたが、残念でたまらずです。

総裁選

昨日の午後はテレビ中継の総裁選をぼんやり観ていました。
これがなかなか見応えありました

党員票では河野さんが票をそれなりに集めていたものの、議員票では伸び悩み。
岸田さんが決選投票の前の時点でも僅かにリード。
高市さんも十分に健闘されていました。
決選投票は、この時点で票の流れが分かっていたので当然の結果でした。

曖昧な物言いをしない河野さんを自分は期待していました。当初は。
しかし、答弁を観ていると横柄な態度が目につき、記者からの質問を拒否する場面も。あの態度ではテレビ越しの庶民まで見下されているような感覚に陥り。
だいたい、記者からの質問は難しい問題が少なくないのですが、それにしても「もしこうなったら」との過程の話です。
実際に総理になり、その難しい問題に直面した時、まともな対応が期待出来ないではないですか。これでは。

なので、他の候補者を見回したところ、高市さんの趣味がちょっと面白そうでした。
ヘビメタ好きで、ご自身もドラムを演奏されるそうで。議員でバンドを組むような話も以前にあったそうですが、ヘビメタ派は他にいなかったそうで。仕事でやるせない思いをした夜はドラムを叩いてストレス発散もされていたそうです。
あの終始穏やかな人柄でも、やはり胸の奥には溜まってしまう何かがあるんだなぁと。そんな場面で直ぐにカッとなる河野さんとは大違いだなぁと。
まぁともかく、政治は抜きに人柄としては面白そうだなぁと。

そして岸田さん。
何事にも影の薄い印象でした。しかし、社会から批判の多かった幹事長の任期について頭っから問題提言。
これは勇気ある発言だったと思います。永く幹事長を続けた二階さんの影響力は絶大な雰囲気でしたし、影の番長的。
しかし、岸田さんの発言後、二階さんは自ら幹事長を降りる流れに。
これはまさかの展開でした。岸田さんとしては、これから手掛けようとしていた重要課題が勝手に片付いてしまったのでしょうし。
ここら辺から今回の総裁選が面白くなったのですけれど。

思っていても誰も言い出せない問題は世の中少なくなく。特に組織上の問題は。それを口に出せたのは大したもので。
今後も予期せぬ問題は当然起こり得るでしょうけれど、この方は正面からちゃんと対応してくれそうだなぁと。
自民党という組織をちょっと見直した気さえしました。十年前の某政権など足の引っ張り合いというか、まとまりの無さというか。

総裁選終了後の河野さんへのインタビューも、横柄な対応だった感です。
こんな対応を今後毎日観ずに済み、良かったのかもと。

橋下徹さんが総裁選後に語っていたそうです。
「本当に日本に生まれて、暮らしてよかったと思う。そう思うのは、(今回決まるのは)最高権力者になる可能性の人でしょ?アフガニスタン見たって、権力をつかむために国民の命がどれだけ奪われるか。本当にこういった形で権力が作り上げられるっていうのは、民主国家として素晴らしい国だなとつくづく思いました」
全くその通りに思えます。流れや結果によっては失望しか残らなかったでしょうし。

台風

大きな台風が近づいているとのニュース。
ラジオを準備しておけと。

以前の地震だったか台風だったかで入手した手回し発電の出来るラジオを久し振りに引っ張り出す。
ついでに、壊れていないか動作確認。
バッテリーは上がったらしく、全く無反応。
そこでハンドルを三分ほど回してみたところ、ちゃんと音が出ました。

今どきのラジオはデジタル家電に近く、チューニング等はボタン一発なものの消費電力は大目な様子。
このラジオはアナログで、操作感も昔ながら。

電波が一番強く入る局を選んだところ、英語の放送が。
NHKの教育系でした。
そのまま聴き続けると、自分の耳でも案外大意が英語でも伝わってくるんだなぁと。
そのまま、耳がダンボ。

これ、懐かしいものの妙に新鮮。
アラスカを旅した人の話がちょっと面白かったです。「わすれなぐさ」の紹介。
「時として立ち止まって考えることも必要」。
そりゃそうだ。

流行歌

ニュース記事で「レコード大賞の衰退」について扱っていました。
自分の若かりし頃は大晦日に紅白と並んだ一大イベントがレコード大賞でした。
紅白についてはいまでも意識している番組ですが、レコード大賞などどうでも良い存在にいつの間にかなっていました。

その紅白でさえ、今年話題になったらしい曲が登場しても自分は初耳だったり。
特に演歌系の新曲はそんなのがここ十年以上続いている感ですが、最近は普通の歌謡曲や歌い手さんでも自分にとっては初対面的なのが多く。
普段の歌番組自体観なくなったし、減ってしまった様子です。

いま流行っている曲が遂にはさっぱり分からなくなってしまったこの頃でして。
歌番組をたまに観るにしても、過去のヒット曲系なのがほとんどな自分です。
キャンディーズやピンクレディーが活躍していた時代は、老若男女誰でも新曲を歌えていた記憶なのですが。
自分の意識が低いだけなのかな。

歌も歌い手も多様化した部分が、流行を希薄化させたのかも知れませんが、最近の若い人はどんなのを聴いているんだろう。
全く謎です。

見えない壁

東京の一人暮らし未婚男女の間に立ちふさがる「見えない万里の長城」という壁』という記事に目が留まる。
記事に掲載された写真は美女の背景に柴又駅でして。どんな壁なのかと。

記事を要約すると、お金持ちの独身女性は港区や世田谷区といった家賃の高い地域に多く、貧乏な独身男性は江戸川区や葛飾区といった家賃の安い地域に多いから、男女の出逢いの機会が少ないといった内容でした。
他にも、低年収の男性ほど、高年収の女性ほどそれぞれ未婚率が高いそうで。
なるほどなぁとは思えました。

逆説的には女性が江戸川区や葛飾区で暮らしたらモテる可能性も上がると思われます。
あと、記事では家賃ベースでの比較をしていますが、持ち家ベースでは別の意味も持ちそうです。
購入可能な家というのは現実面でけっこうシビアです。生涯賃貸生活ですと、収入や貯蓄の限られた老後は生活面で苦労しそうです。
その辺、家賃の安い地域は販売されている家も安く。高い家賃な地域で生涯暮らすよりも、安い家を買った方が得策とも思えるのですが。
中には背伸びして家賃の高い地域で暮らす人も少なくないかと。しかし、それでは貯蓄が増え難いかと。

自分は恐らくこの先も独身のままだろうと四十代で悟り、一人暮らしに十分な間取りの中古マンションを10年ローンで購入しています。一般的な定年退職前に完済出来るので、その後は楽も出来そうです。
子育てが終えた夫婦が突然離婚してしまい、残った広い家の処分に困る例もあったりで。慰謝料として女性が家を貰える例も少なくないのですが、持て余し気味で。
ちなみに、柴又周辺は緑も多く、ちょっとした観光地でもあり、週末を地元で過ごすには飽きの来ない地域でもあります。これは老後の楽しみでもあり。

しかし、表紙の写真は何が言いたかったんだろう。
葛飾区の象徴でもある柴又に美女が居ないワケでは無いのになぁ。

案外いい加減

昨夜の某国営放送「ちこちゃんに叱られる」で2極コンセントについての説明があったのですが、ちょっとそれは不適切な説明ではと思ってしまいました。
「片方が出口で、もう片方が入口」との説明でした。

「片方だけが押し/引きしていて、もう片方は接地されている」と伝えるべきかと。
実際、接地されている方にドライバーを入れても感電しません。
接地されていない方にドライバーを入れたら派手に感電します。
1/2の確率です。
見た目でコンセントの穴は僅かに長めな方が接地されているルールなのですが、工事の手違いで必ずしもこうなっておらず。
電気工事に従事するプロの方は、実際に「検電ドライバー」という小さな道具を所有しています。それで事故を起こさないように極性を確かめています。

では「接地」とは何ぞや?と聞かれてしまいそうですが、電位を持たず電位差を生むための基準とでも申しますか。
古い自転車のライトで、ダイナモ(発電機)とライトが分かれている場合、配線は一本しか伸びていないパターンが多いです。この場合、もう一本は車体を配線として利用しています。
四輪や単車でもウインカーの配線は一本だけとかあるのは同様の処理をしていて。車体側の電位はゼロで、配線側が12Vの電位です。(古い車では6Vとか大型車は24Vもありますが)
ほとんどの四輪も単車も一般的には直流電源ですが、回路としての考え方は交流も基本的に同じで。(以前に載っていた古いVespaは交流6V仕様でしたが)
コンセントも同様に片側は接地されていて、電位差を持つ側にドライバーを突っ込むと、床に脚のついている人間が接地側となるため電位差を生んで通電というか感電する仕組みです。

まぁ、普通の人は知らなくてもよい知識ですし、下手に好奇心持たれたら怪我したりします。
なので、あのような不適切な説明をするよりは、こんな企画を放送しない方が良かったのでは?と思えたりで。

自分は強電も弱電も中途半端に知識を持っていて、仕事というかそれで食べさせてもらった類でして。
他の分野のことはそれほど詳しくないので、あの番組の企画に「そうなんだ」と素直に毎度感心していました。
しかし、今回の件で「案外いいかげんな説明をしている」とも思えてしまい。「諸説あります」とのテロップは無かったですが、そんな分野ではありませんし。
素人への説明は難しかったりで、何かに例えるのは大切だと思います。多くの場合は例えが効くのですが、そうでないことも中にはありそうです。
「厳密には違うけれど、だいたいこんなイメージ」という表現を自分はそんな場面で使いがちでした。
番組では大学の若い先生が概念らしきを語っていましたが、電気工事屋のおっちゃんに検電ドライバーで実演させた方が良かったのかもと。素人が代用品で真似されたら危険でしょうけれど。

追記というか、例外的な現象もあります。
何らかの原因で家電製品の金属筐体が電位を持ってしまう場合があります。この筐体に触れてしまうと感電します。なので、別途緑の線でアース(接地)を推奨する例も。水回りな洗濯機は漏電しやすく、この例が多いかと。
四輪でも冬場の乾燥時期にドアノブを握ったら静電気で痛い思いをしたりですが、四輪のボディが帯電して電位差を持ったからで。場合によっては人の方が帯電していることもあったりで、恋人と手を繋いだ瞬間に互いの電位差でビシっと痛みを感じることも。

過去にあった恐ろしい事故で、鹿避けの電気柵が川に接触してしまい、近くで水遊びをしていた人達が感電死してしまった例も。電気柵はけっこうな高電圧で、これが漏電したらしき原因で。この事故では助けようとした人まで感電してしまったそうで。
目の前で人が苦しんでいたら、咄嗟に助けてしまいたい気持ちも分かりますし、原因が謎ですと自分も助ける側に回ってしまうかと。
目に見えない電気の怖い部分というか。この電気柵を個人で設けたお年寄りはその後に自責の念で残念な終わり方をしています。

満腹感

自分は大食いで、何を頂くにしても大盛派。
以前勤務していた研究開発セクションの社員食堂では、おばちゃん達から「あら、大森さん」と呼ばれ、注文せずとも大盛が。
あの建物から遠い本社に異動した数年後、何かの打ち合わせついでに食堂へ寄った際もあの名で呼ばれ。
「違います!自分はこの社員証の通り〇〇です!」と、嘗ての毎度のやり取りを懐かしみ。
「いきなり居なくなっちゃって、どうしたのか心配してたの。でも、出世したって噂聴いたから嬉しかったの」
自分なんかより優秀な技術者があれだけ沢山訪れた食堂なのに、気にしていてくれてたとは。

どうにも、幼少期は空腹感を覚える期間が長かったようで「食べられるときに食べておけ」な発想になりがちなのかなあと。
最近のニュースでも似たような記事を読んだばかりでした。捨て猫を拾ってきてしばらくたった頃、猫の食欲が落ちてしまい、飼い主が動物病院に連れて行ったそうです。
何も異常の無い猫を診た獣医さんは優しく答えたそうです。
「もう、空腹の心配が無くなっただけです。安心しているのでしょう」そんな話でした。
しかし、どうにも自分の大食い癖は治まらず。
なんじゃこりゃ。

しばらく前から続く身内の認知症、高齢であるが故か症状が悪化しているらしき連絡が。
食事は自宅に届くお弁当が主だそうですが、夕刻を過ぎても届かないとの話が。
電話の相手は咄嗟に閃き「台所とかに、食べ残しの器が残っていない?」と。
実際、受話器越しに「あっ!」という声が響いたそうです。
少し前に食べたのを既に忘れていたらしく。
自分でも昨日の夜食が何だったのか覚えていない場面は少なくないですが、直前に食べたか否かまで忘れるようなことはなく。
認知症は直近の記憶も失うどころか、満腹感まで忘れてしまうのかな。

倉本聰さんが脚本を綴った「ライスカレー」というドラマの一場面を思い出してしまいました。
あらすじは、関東の外れにある漁港近くの高校を卒業した若者二人が、カナダで飲食店を営むOBから「カレー屋を一緒に始めよう」との誘いから始まります。
しかし、現地に到着してみると、誘った本人は女生と駆け落ちして連絡先も分からず。英語も使えぬ若者二人は漂流の様な旅を続ける羽目に陥り。
高校の野球部で信頼関係のあった若者二人は正反対の性格。方やまじめでコツコツと信頼を広げる男と、お調子者で勢いだけの男と。
後者の駄目な孫(息子?)の行く末を案じるお祖母ちゃんは、意外な末路を。孫を思ってか、大量のカレーを鍋で作ったものの、一人短時間で平らげてしまったそうで。
訃報が届いた孫はすぐさま帰国し、集まった沢山の香典を握りしめ夜の街へ出るのですが、何処かの呑み屋で酔いつぶれてしまい、全財産奪われる羽目に。雨の路上に散りばめられた空っぽの香典袋、実に最悪の展開です。
最終回まで目を離せない展開でしたし、役になりきる俳優さんたちが「いい味」出していて。
純粋なマドンナ役を演じた藤谷美和子さんも、とても素敵だったので、その後の私生活の悲劇は残念過ぎたり。

あのお祖母ちゃんの死に物狂いな食べっぷりも映像で衝撃的でした。
と申しますか、食べた記憶よりも満腹感とか食欲とかいった五感さえ歳をとると忘れてしまうものなのか?といった疑問まで。
実際にあり得る出来事だと今夜知った次第です。

身内には以前から冗談っぽく伝えていたんです。「うちの嫁は朝から何も喰わしてくれない」なんてボケ方はお互いしないようにと。
残念ながら、ほぼその通りになってしまいました。
元々、不都合とか記憶違いがあると、相手のせいにしがちな性分が更に進んでしまったとも思っています。
先ずは自分を疑うべきなのに。

幸い、自分は遠く離れた場所で暮らしているので、地域の専門家に身内を任せっきりです。ここまで、自分の善意も悪意に受け取られてしまった場面が幾つもあり。
専門家の方は、話を聞く限り面倒なことほど率先して解決してくれているそうです。赤の他人だというのに、そこまでやってくれて。
何かの機会があれば、ちゃんと自分からもお礼を伝えねばと。

追記:
認知症で食事したことを忘れる件、Webで検索したところよくあることの様子で対処法まで。
認知症の人の対応~ごはん食べていない」によると『私たちの満腹感や空腹感は、脳下垂体の満腹中枢と摂食中枢が関与しています。食事を摂ると、血中の糖質、脂肪、インスリンが増加し、満腹中枢が刺激され、満腹を感じ、同時に摂食中枢が抑制されて食べることを止めます。また、血中のこれらの栄養素が少なくなると、摂食中枢が刺激され、満腹中枢が抑制され、空腹感を訴えて、何かを食べようとします』とのこと。
更に『認知症の人の食事に纏わる話で多いのが食べたことを忘れ「ごはん食べていない」と再度要求することです。この原因として、満腹中枢の機能が働かなくなり、いくら食べても満腹にならず、摂食中枢が刺激され、どんどん食べたくなることが考えられます。また、食べたことも忘れてしまうエピソード記憶の障害も加わり、「食べてない」と訴えるようです』らしく。

脳科学の世界で、そこまで解明されているのも凄いと思えたりなのですが、単に記憶機能の衰えだけではないんだなぁと。