十年以上前だったか、某アイドルが酔っ払って六本木の公園で全裸になったそうです。
誰に対して訴えていたのか謎ですが「裸で何が悪い!」と叫んでいたらしく。
まぁそんな気持ちになることも分からなくもないのですが、公の場でのソレはやはり問題あるかと。
先月と今月、自分が指摘された言葉に性格が現れているのかなぁと思えたりでした。
馬鹿正直で何が悪い?と申しますか。
自分の履歴書は転職歴を素直に綴っています。既に十回以上の悪しき転職歴です。
先月、出先の仕事で同行していた同僚からは「そんなのテキトーに書いちゃって問題無いのに」と。
ただ、嘘がバレてしまった後の方が面倒臭いですし、履歴書の詐称はクビになる正当な理由でもあったりです。
だいたい、正社員を続けていたのなら、年金の履歴で総務に嘘はバレるハズで。自分の場合は働いていた期間と無職の期間が年金の加入状況と見事にリンクしています。厚生年金と国民年金は払い続けていましたから。
怯えながら仕事を続ける方が自分にとって居心地悪く。「それでも良ければ」で採用してもらった方が遥かに楽です。
まぁその前に書類選考で落とされてしまうのが普通ですけれど。
ともかく、人物本位で採用された方が幸せも待っていそうでもありまして。
今月、十八年ぶりに再会した友人とは、その間に何があったのかの報告会にもなりました。
何でも話し合える信頼関係のある嘗ての同僚です。新卒時の現場で苦楽を共にした親友だと思っています。ベトナム戦争の最前線で戦い抜いてきたような間柄というか。
大袈裟な表現かも知れませんが、全国展開するサービス業の会社で日本で一番忙しい都心の支社に配属された同期でした。
二十数人ほどの支社、現場を走り回る同僚は十人少々でしたが、毎月退職者が出るような状況で。
そんな中で一年以上生き抜いてきた同期、助け合いとか信頼関係を抜きに成立しなかった何かがあったと思います。
その再会の場面上でも、友人から指摘されました。
M君:そんなの、テキトーに書いちゃえば良かったのに。
SUKIYAKI:だってバレたら問題だし、それでも採用してくれたら心配も少ないし。
M君:そんなのバレやしないよ。
SUKIYAKI:無職の期間も長かったし、年金の加入状況でバレちゃうじゃん。
M君:そりゃ考え過ぎだよ。テキトーに丸め込んじゃえばいいじゃん。
SUKIYAKI:だけど、職歴と年金とツジツマ合わなくなっちゃうじゃん。
M君:お前らしいなぁ。
M君は呆れて笑っていました。
まぁ、嘘も方便なのだと思います。
ただ、許される嘘と許されない嘘はあると思うんです。
新卒時の採用で現場にて悪戦苦闘していた自分は希望通りの研究開発部門に異動が出来て、更にその数年後に本社の中枢部門にも異動していました。
ただ、現場で教わった社訓とは裏腹の現実が本社では待っていました。想定外のトラブルを如何に穏便にまとめる様な場面も少なくなく。
所謂グレーゾーンな舵取りが必要でした。諸悪の根源まで考えてその対策をしようとすると角が立ち過ぎます。なので、所々曖昧な文章を綴る必要があり。自分は分かりやすい短文を目指していましたが、それは上司を困らせていたばかりでした。
添削後の文章は「何を言っているのかよく分からない代名詞と曖昧な表現だらけ」というか。
こんなのでは、何の問題解決にもならず。
しかし、何人かのお偉いさんの立場を救える文章でもありました。
そんな流れも理解はしていましたし、添削通りの文章に書き換えていました。
しかし、自分にはジレンマの期間。
問題の先送りでしか無く。いつかバレるだろうになぁと。
しかし、そんな問題は数年後に忘れ去られてしまうのも世の流れ。
現在の政治も似たようなものかと。それを野党からほじくり出されて無駄な討論に時間を費やす場面だらけで。
「世の中そんなもん」と諦めつくのが早かったのなら、自分もあの会社で出世していたのかもなぁと。
その当時、許される嘘とは何ぞや?と自分の中で問いかけていました。
当時、本社が入っていたノッポなビルには大きな書店も入居していて、昼休みにビジネス書を漁ったり。
そんな中、たまたま見つけた弘兼憲史さんのエッセー集に答えがあったんです。自分なりの答えです。当時流行っていた修羅場だらけの「課長島耕作」の作者さんの新書「覚悟の法則」でした。
「許される嘘というのは、相手を救う場面くらい」との内容でした。
例えとしては、末期の癌患者を精神面で救う嘘でした。
嘘なんて、それくらいの場面でしか許されないんだろうなぁという教訓にもなりました。
ただ、現実はもっと複雑にも思えますし、その場をやり過ごすハッタリも必要とも思えたり。
ハッタリほど度胸が必要だとも思えます。
現代に着色された赤穂浪士系のストーリーで、インチキの関所越えがバレる場面とか。
自分の嘘だと分かる事実を敢えてさらけ出し、その事情を相手に理解してもらう場面。
立場上、ここを通過しなければならない覚悟。
そんなの、修羅場を何度もくぐってきた相手にしか通用しないハズで。イチかバチかというか。
赤穂浪士のストーリー上で、討ち入りそのものより、あの関所越えのやりとりというか人情劇が自分は大好きです。
お互いを尊重し合った感動の場面でもあります。
現代でも通用する場面は乏しいかも知れません。死ぬ覚悟で挑む姿勢というか。
まぁ、そこまでの究極を迫られた経験は自分にほとんど無いと思います。
でも、少しはありましたが。
なので、嘘つかないで生きられる方が自分には楽です。ありのままで許される人って幸せだと思います。
それでも良かったらで。