DellのINSPIRONをポチった


DellのINSPIRONなノートであります”INSPIRON 14 5000″と申しますか”5405″というモデルを二週間ほど前にポチりました。
購入の理由は色々とありました。職場のPC環境がちと重かったり、まともな性能のノートは15年近く前に入手したThinkPadであったり、直近に購入したデスクトップPCは今でも爆速と思いつつであるもののCPUスコアは今回のノートPCの方が倍以上高速。そして、六万円程度の出費。

自分が生まれて初めて入手したコンピューターはAppleのカラクラII。当時はソコソコのスペックで六本木のステップにて十万円くらい。
その後に仕事で必要に迫られて入手した富士通のノートは486の平均的なCPUで二十五万円。更に必要に迫られて入手したGateway2000のPentium Proなデスクトップはモニター込みで三十万円くらい。
それらに比べると、今回の買い物は安いモノです。
まぁ、上記との比較は恐ろしく古い対象ベースなので、何かズレているかも知れません。

今回の選定理由はこんな感じです。
同価格帯でレノボやHPの方が更に魅力的な製品が多かったものの、納期が三ヵ月以上先とかが現状で常。コロナの影響もあったのか。
それに対して、モニターやSSDの容量は劣るものの、現時点でほぼ二週間ほどで納品される製品がDell製でした。
写真を観る限り製品の見た目も悪くなく、高性能で安価なのにAppleのAirをちょっと意識しているデザインでもありました。

出先でも使えるノートとして、見た目がダサいのは避けたく。
本当はM1なMacbook Airを購入したかったものの、bootcampが正式にサポートされておらず、仕事で必要なWindowsアプリが使えなく。
Macbook Airは今回購入したノートよりも倍近い値段なのですが、ともかく爆速でスタイリッシュで軽量で。

恐らく、この二日間で到着しそうな今回の注文分。
国内の物流に届いた前後ですと、噂の煙にまかれるステータスになりました。
Dellさんの出荷から佐川さんへ渡ると、到着日が曖昧にされるそうで。
細かい事をいうと、1/17の深夜に注文した製品は1/22に中国から出荷され1/29に謎のステータスに。否定された当初の到着予定は2/9でしたので、当初の予定よりも十日間ほど速い到着の見込みかと。
出来れば、プライベートに時間的余裕あるこの週末に届いてほしいです。

加速

これまで、身の回りでコロナ感染者の話題がほとんど無かったのですが、今週はそんな話題が続けてありました。
ニュースでは取り上げられていませんが、身の回りの情報を知る限り、感染者数は加速している様子です。
指数関数的増加という表現では分かり難いかも知れません。勢いが着いてきて、もうどうにも止まらないとでもいうか。

保健所の対応もこれまでの情報とは異なっている状況っぽいです。既にパンクしていて調査どころでは無さそうで。
感染者と同居するご家族の検査も後手々々状況の様子です。だからといって、最前線で頑張っている保健所の皆さんを責めるつもりはありません。
上からの指示や組織の在り方に従っているだけでしょうし、個人の裁量が許されにくい世界でもあります。
大地震の後の役所の土木課も「いつになったら対応してくれるんだ!」といった苦情の電話だらけだったりです。それと同じかと。
最前線の人は頑張っていますし、同じヒトですし、家族や友達だっています。

芥川の「蜘蛛の糸」を思い出しつつです。あらすじはこちら

「身の回りで感染者が突然増えだしたので、気を付けましょう」といった趣旨に「どうしてくれるの!」との趣旨で怒り出すヒトも居ました。
早めに伝えたのが仇となった様子ですが、土壇場での振舞いにヒトの本性は出がちです。
気遣いや心配の一言も無く、責められるだけで。「私はこれだけの立場なのよ!」との趣旨で。
もはや立場も関係無く拡大していると思うのですが。
知り合いのご家族が感染した出来事でした。知り合い本人は結果的に陰性でしたが、その結果が判るまでに数日必要でした。予定より大幅に遅れたモヤモヤした数日でした。
それ以外の全員は気遣いとか心配の一言があったのですけれど。

明日でも今日でも誰しも感染しておかしくない状況、感染対策より感染後対策の方が必要かと。

無駄なあがき

仕事で使用中のソフトが特殊な状況だったもので、色々と試した数日でした。
ソフト自体の問題では無く、Windows XPでしか動作しないソフトを未だ使用している状況で。
このバージョンのソフトしか使えない方が社内で多い為、結果的に15年前の古いPCが現役だったりです。
Windows XPを未だ利用している方というのは実際に多いと思います。過去の仕事で扱った分析装置もWindows XP向けのソフトでしか動作せず、仕方なくXPを利用しているというユーザーは世の中に多いかと。
今時のPCなど十万円も出せばかなり立派なスペックを入手可能ですが、XPはとっくにサポート終了ですし、無理矢理インストールしたところでセキュリティの問題が多く、インターネットには繋げられないシロモノです。
上記の分析装置向けのPCについても同様で、PCの値段が問題なのではなく、分析装置そのものが数百万円もするからだったりです。

理想としては、MS社の現役OSであるWindows10でこのソフトが動いてくれればなぁでした。
しかし、メーカーは勿論そんな古いバージョンのソフトをサポートしていませんし、動作保証もしていません。これは真っ当なことです。
ネット上で成功例を検索したものの、全く引っ掛からない状況でした。
そんな中、Windows 10で動作しないか手持ちのPCで試してみることに。

まず試したのが自宅でほぼ寝ていた15年程前のノートPCです。Windows XP時代から使用中のThinkPadでOSのバージョンアップを度々重ねて数年前からWindows 10(32bit)で動作しています。機種はCPUにCore Duoを搭載したT60。
ソフトのインストール自体はエラーが出ながらも何とか出来ました。しかし、パラレルポートを持たない機種の為、ドングルが挿せません。
仕方が無いので、USBで接続出来るパラレルポートの変換器を週末に秋葉原で入手しました。千円くらいで入手出来ました。
結果的にこの変換機を途中に挿してもドングルは認識されませんでした。
あと、社内のネットワーク環境でUSBのドングルに認識させる手段もある様子ですが、それもXP上で無いと対応が出来なそうです。
このネットワーク経由でライセンス認証させるソフトをインストールしようとすると、Windows 10はクラッシュの繰り返し。結果的に幾度もクリーンインストールを試みる羽目に。

次に試したのが三年程前に購入したレノボのデスクトップ。OSは最初から64bit版のWindows 10で、ソコソコ速いモデルです。
この環境で上記のXP向けソフトをインストールしようと試したところ、インストールさえ全く出来ませんでした。
ほぼ門前払いな結果だったので、逆に無駄な時間を費やさなくて助かった感です。

自分のコンピューター歴は四十年ほど。
シャープのMZ80に中学生時代に触れて、その後はMSX、MS-DOS環境の98やDOS/V、Windows3.1から95、そしてMACも使いつつ現在に至っています。他にもLinuxを二十年以上経験しています。
特に古いPCやソフトを何とか再利用する場面が仕事上でも多かったです。
しかし、今回の件は無駄に近かったかと。更に突き詰めれば何とかなったのかも知れませんが。
仮にマグレで何とかなったにしても、再現性は乏しいでしょうし、次にトラブったときに最短ルートで修復出来る保証も無く。

まぁ、ここに記事を残しておく分には誰かの役に立てるかも知れず。そんな意味では無駄なあがきとならずかもです。
PC関連のトラブルについては、なるべく成功例を綴るようにしていましたし、古い記事へのお礼なコメントも時々頂いていました。
今回の件は、試すだけ時間の無駄というか。既にけっこうな時間を費やして実り無しでした。

自分が現行バージョンのソフトに使い慣れれば済む話です。
しかし、古いバージョンのソフトにも自分は使い慣れておらず、使い慣れている社員の方々との共同作業で成果物が完成している状況です。自分はその古いバージョンのソフトを上司から教わりながら使用している見習い状況でもあります。
現行バージョンのソフトも社内にあるらしいのですが、使い勝手がかなり異なるらしく、ほとんどの社員は未使用。
ともかく、これ以上の延命は無理がある古いソフトだと思えました。

UIといった使い勝手が同じであれば、最新バージョンでも抵抗感が少ないと思います。どんなソフトにしても。
ただ、十数年に一度くらいで大きな変化がある世界。
それについて行けるかが重要でもあります。
Windows95以降のOSはだいたい似たようなUIです。しかし、MS社のOfficeについては十数年前にUIがかなり変わりました。これには戸惑いましたが、何とか使い慣れたというか。
開発環境についても、当初勢いの良かったWeb系のPHPは取っつき易かった言語なものの、途中でC言語の様な別物に変わってしまい。
自分はコンピューターをメインにした仕事に向いていないのかと悟ったり。コンピューターはちょっと使えて、それは脇役くらいの方が現役で活躍の場も多いだろうと仕事を選んできた節もあります。
ともかく、今回は新しいのに使い慣れる必要性を感じた次第です。面倒臭いのは分かっているのですが。

裸で何が悪い

十年以上前だったか、某アイドルが酔っ払って六本木の公園で全裸になったそうです。
誰に対して訴えていたのか謎ですが「裸で何が悪い!」と叫んでいたらしく。
まぁそんな気持ちになることも分からなくもないのですが、公の場でのソレはやはり問題あるかと。

先月と今月、自分が指摘された言葉に性格が現れているのかなぁと思えたりでした。
馬鹿正直で何が悪い?と申しますか。
自分の履歴書は転職歴を素直に綴っています。既に十回以上の悪しき転職歴です。
先月、出先の仕事で同行していた同僚からは「そんなのテキトーに書いちゃって問題無いのに」と。
ただ、嘘がバレてしまった後の方が面倒臭いですし、履歴書の詐称はクビになる正当な理由でもあったりです。
だいたい、正社員を続けていたのなら、年金の履歴で総務に嘘はバレるハズで。自分の場合は働いていた期間と無職の期間が年金の加入状況と見事にリンクしています。厚生年金と国民年金は払い続けていましたから。
怯えながら仕事を続ける方が自分にとって居心地悪く。「それでも良ければ」で採用してもらった方が遥かに楽です。
まぁその前に書類選考で落とされてしまうのが普通ですけれど。
ともかく、人物本位で採用された方が幸せも待っていそうでもありまして。

今月、十八年ぶりに再会した友人とは、その間に何があったのかの報告会にもなりました。
何でも話し合える信頼関係のある嘗ての同僚です。新卒時の現場で苦楽を共にした親友だと思っています。ベトナム戦争の最前線で戦い抜いてきたような間柄というか。
大袈裟な表現かも知れませんが、全国展開するサービス業の会社で日本で一番忙しい都心の支社に配属された同期でした。
二十数人ほどの支社、現場を走り回る同僚は十人少々でしたが、毎月退職者が出るような状況で。
そんな中で一年以上生き抜いてきた同期、助け合いとか信頼関係を抜きに成立しなかった何かがあったと思います。

その再会の場面上でも、友人から指摘されました。
M君:そんなの、テキトーに書いちゃえば良かったのに。
SUKIYAKI:だってバレたら問題だし、それでも採用してくれたら心配も少ないし。
M君:そんなのバレやしないよ。
SUKIYAKI:無職の期間も長かったし、年金の加入状況でバレちゃうじゃん。
M君:そりゃ考え過ぎだよ。テキトーに丸め込んじゃえばいいじゃん。
SUKIYAKI:だけど、職歴と年金とツジツマ合わなくなっちゃうじゃん。
M君:お前らしいなぁ。
M君は呆れて笑っていました。

まぁ、嘘も方便なのだと思います。
ただ、許される嘘と許されない嘘はあると思うんです。
新卒時の採用で現場にて悪戦苦闘していた自分は希望通りの研究開発部門に異動が出来て、更にその数年後に本社の中枢部門にも異動していました。
ただ、現場で教わった社訓とは裏腹の現実が本社では待っていました。想定外のトラブルを如何に穏便にまとめる様な場面も少なくなく。
所謂グレーゾーンな舵取りが必要でした。諸悪の根源まで考えてその対策をしようとすると角が立ち過ぎます。なので、所々曖昧な文章を綴る必要があり。自分は分かりやすい短文を目指していましたが、それは上司を困らせていたばかりでした。
添削後の文章は「何を言っているのかよく分からない代名詞と曖昧な表現だらけ」というか。
こんなのでは、何の問題解決にもならず。
しかし、何人かのお偉いさんの立場を救える文章でもありました。
そんな流れも理解はしていましたし、添削通りの文章に書き換えていました。

しかし、自分にはジレンマの期間。
問題の先送りでしか無く。いつかバレるだろうになぁと。
しかし、そんな問題は数年後に忘れ去られてしまうのも世の流れ。
現在の政治も似たようなものかと。それを野党からほじくり出されて無駄な討論に時間を費やす場面だらけで。
「世の中そんなもん」と諦めつくのが早かったのなら、自分もあの会社で出世していたのかもなぁと。

その当時、許される嘘とは何ぞや?と自分の中で問いかけていました。
当時、本社が入っていたノッポなビルには大きな書店も入居していて、昼休みにビジネス書を漁ったり。
そんな中、たまたま見つけた弘兼憲史さんのエッセー集に答えがあったんです。自分なりの答えです。当時流行っていた修羅場だらけの「課長島耕作」の作者さんの新書「覚悟の法則」でした。
「許される嘘というのは、相手を救う場面くらい」との内容でした。
例えとしては、末期の癌患者を精神面で救う嘘でした。
嘘なんて、それくらいの場面でしか許されないんだろうなぁという教訓にもなりました。

ただ、現実はもっと複雑にも思えますし、その場をやり過ごすハッタリも必要とも思えたり。
ハッタリほど度胸が必要だとも思えます。
現代に着色された赤穂浪士系のストーリーで、インチキの関所越えがバレる場面とか。
自分の嘘だと分かる事実を敢えてさらけ出し、その事情を相手に理解してもらう場面。
立場上、ここを通過しなければならない覚悟。
そんなの、修羅場を何度もくぐってきた相手にしか通用しないハズで。イチかバチかというか。
赤穂浪士のストーリー上で、討ち入りそのものより、あの関所越えのやりとりというか人情劇が自分は大好きです。
お互いを尊重し合った感動の場面でもあります。
現代でも通用する場面は乏しいかも知れません。死ぬ覚悟で挑む姿勢というか。

まぁ、そこまでの究極を迫られた経験は自分にほとんど無いと思います。
でも、少しはありましたが。
なので、嘘つかないで生きられる方が自分には楽です。ありのままで許される人って幸せだと思います。
それでも良かったらで。

布団乾燥機を導入

冷え切った布団に身を投じる行為。これが毎晩寒中禊の如く。
昨夜、勢いでポチった布団乾燥機が先程到着。
早速試してみることに。

敷布団と掛布団の間に乾燥機のシートを挟み、先ずは一時間乾燥させ、更に掛布団を引っ繰り返して一時間乾燥させ。
停止から三十分ほど経過してから布団へ入ってみたのですが、まだやんわりと暖かく。
停止直後に入ったらもっと暖かかったと思いますが、その後が凄かったです。
五年前に購入した羽毛の掛布団はホカホカの暖かさで、一度寝れたものの暖か過ぎて目が覚めてしまい。
敷布団も煎餅気味だったのがフカフカ感が少し蘇り。

毎日利用するのは面倒そうなので、週一くらいで利用する予定です。
集合住宅によっては屋外で布団を干せない環境もあったりです。あと、梅雨の季節は誰も干せなかったり。
そんな中、やはり布団乾燥機は威力を発揮してくれそうです。
幼少期の自宅にも布団乾燥機があったものの、当時はけっこう高価な品だった感です。
今回自分が入手したのは僅か六千円程度。家電類は多くは四十年前よりも安くなっている感です。

しばらく前に少子化とか生涯独身関連の記事を読みましたが、家電類が安くなったのも影響しているのかなぁと思っています。
昔の三種の神器は「白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫」だったそうで、特に洗濯機と冷蔵庫は主婦の家事を大いに楽にさせたそうで。
他にも電気炊飯器や電子レンジ、電気掃除機とかの普及で調理や洗濯や清掃はかなり楽になったかと。
男女問わず、一生独身でも働けさえすれば家事に追われる場面は圧倒的に減ったのだと思います。

三種の神器は1950年代後半の言葉だそうですが、映画「東京物語」での庶民の生活はどうだったかなぁと。
東京物語は1953年の作品だそうで、やはり三種の神器が入り込む前でした。美しい未亡人の紀子さんは狭い集合住宅住まいで、小さな台所で料理を作ったり。
お米だかお酒だか何かが足りず、お隣さんに借りに行く場面とか。あの台所に冷蔵庫は無かった記憶です(あったらゴメンナサイ)。
と綴っていたら、東京物語をもう一度観たくなってしまいました。
たぶん、テレビも冷蔵庫も無かったと思うのですが。

ミニマムな生活を営むには冷蔵庫も所有すべきでは無いそうなのですけれど、普通の現代人にこれはキツいと思います。
第一、自分は酒を呑みますし、冷蔵や冷凍が必要な食材に頼ってばかりです。
それでも賞味期限を守れずに捨ててしまう計画性の無さがあったりですけれど。
便利な家電が無くとも過ごせた時代の人達は、相当な計画性を持っていたのかも知れません。
冷凍とか冷蔵とか氷の必要な魚は、魚屋さんで買ってきたらその日の内に食べるとか。

映画「火垂るの墓」で空襲に苦しむ母親は庭の土の中にお米とか梅干とかを埋めていた記憶です(これもうろ覚え)。
そういった生活を一度試してみようかなぁと、この文章を綴りながら思いついたり。
冷蔵庫の中身を全て消費した後にコンセントを抜くだけです。
これが上手く行ったら、災害時も強く生きれるかも知れず。
そういえば、東日本大震災で備蓄していた食料も、賞味期限だか消費期限だかがそろそろ切れていそうでもあります。
何だか恐ろしく脱線した話題に落ちました。

解消

年末から続いていた筋肉痛やら足腰の関節痛が年末年始の連休でほぼ解消しました。
足首のサポーターや膝のサポーター、コンドロイチンとグルコサミン入りのサプリも少しは効いてくれたのか?
暫く前に入手した縄跳びも、これで試せそうです。

あと、血行も少しは良くなったのか目の下のクマも薄くなった感です。
身体を使い始めてから体質改善までは二ヵ月近くかかるものなのか。謎
ともかく、コロナにて二度目の緊急事態宣言が出され中で、なかなか健康的な日々です。

十八年ぶりの再会

新卒で入社した頃の同期と十八年ぶりに再会した本日でした。三十年前の同期です。
同期が川を隔てた隣の市で暮らしているのは数年前に知っていて「近いんだからたまには会おう」とメッセージを頂いていたものの。
自分の方がここ数年、地に足着いておらず、落ち着いたらとぼんやり思っていて。
しかし、このスタンスではあと何年経っても会えないかもしれないと。
あと、現在の仕事で現場の面白さもちょっと思い出してしまい。

この件、無駄にダラダラ綴っていたら収拾つかない文章になってしまいました。
それを一気に消してしまい。

毎月とか毎年とか会っていたところで、その間の話題も大したことなかったり、昔話するにしてもマンネリ化したり。
しかし、十八年ぶりですと全てが意外だったり笑えたり。
三密の店内で大笑いを必死に堪える場面が度々でした。

次に会うのは何時になるんだろう。