一年ぶりの谷中へ



友人の作品が谷中のギャラリーで展示されているそうで、一年ぶりに伺ってみました。
近隣で暮らしているらしい古い友人とも十年以上会っていないのがザラな無精者にとっては珍しく。
二次元も三次元もオリジナリティというかインパクトある作品を生んでいる作者さんなのですが、もっと評価されてもいいのになぁとかれこれ二十余年。
みすぼらしさの中のチャーミングさとでも言ったらよいのか、他人と比較せずに一生懸命感というか。
十番目らしい一匹をとりあえず連れて帰ってきました。寂しい夜はギュッとして、オヤジの汗でベトベトにする予定です。

今年の彼岸花

三年前に入手した秋月電子さんの彼岸花の球根二つ、昨年は一輪しか咲かず、今年の春にほじくり出した球根を雑草の捨て場に放り込んでいたのですが、これが本日見事に開花。
陽当たりも悪いのに生命力の凄さというか、雑に扱った方が成長してくれるのでしょうか。

入居率

現在の部屋に引越してから四年経ちました。小さな庭があるお陰で地域の方とも会話が出来たり、まぁ平和な暮らしを楽しんでいます。
特に庭の先にあるアパートのお姉様方(自分の母と同年代くらい)とは、お互いのベランダ同士で花の生育状況な話題が多かったです。特にひまわりのシーズンは。
六世帯が入居出来るそのアパートは築三十年くらいでしょうか。庭や駐車場が広く修繕もしっかりされているようですし、住民の皆さんも模範的市民。
ここ二年程入居率は半分程度の様子でしたが、半年ほど前から全ての部屋が埋まっていました。自分には直接関係の無い事ですが、何となく良かった良かったと思えたり。
実際、まともな修繕もされず見るからに老朽化し、空室だらけなやる気の無いアパートも近くにあったりします。僅かな住民の立ち退きを待っているようにも思えて。

プライバシーに関わるのであまり詳しくは綴れないのですが、最後に入居した住民さんは独り暮らしのお婆ちゃんの様子でした。耳が遠いのか窓を開けた状況で電話をしていると言葉がけっこう響いてきます。
「私なんてもうあとは死ぬのを待つだけだしさ」とか聴こえてきたり。これは少し心配になったり。
入居から半年ほど経った二週間ほど前、救急車のサイレンが。どうやらそのお婆ちゃんが倒れた様子でした。
ただ、その晩は部屋の灯りが点いていたので、すぐに帰宅できたのかな?と思っていました。

しかし、その後も一晩中部屋の灯りは点いたまま。恐らく、室内灯を点けたまま部屋を去った感です。
そして数日前に若夫婦が部屋の片付けに。全ての家具や家電品は広い庭に出され、後日行政のトラックで回収されていました。

特にニュース記事にもなっていないので事件性は無いと思うのですが、こちらから少しは声を掛けてあげるべきだったのかなと少し後悔しています。
うちの庭のひまわり、先月は満開でしたので少しは話題に出来たのかも知れず。

常識なのかな?

加齢により忘れてしまう事が色々とあるなぁと。
一夜漬けの試験後にサッと忘れることは多かったですが、その後に触れると「昔覚えたなぁ」くらいの記憶は僅かでも残っていたのですが。
これが最近は「そんなの習ったっけ?」レベルの場面が多く。かすってもおらず。

数ヵ月前に大きな発見がありました。アメリカの首都ワシントンDCの他にアメリカには全く別の地域にワシントン州があったと。地理的には西海岸と東海岸で全く別の土地です。
この違い、習った記憶が全く無く。たまたま観た北米の地図で「あれ?」となりまして。
地図上でワシントンDCはメリーランド州の辺りだったので、メリーランド州に属しているものかと思っていました。

しかし、この記事を綴るのに改めて検索したところ、ワシントンDCはどの州にも属していないそうです。
これは常識なのか、自分が馬鹿なのか。詳しくはこちらのサイトへ。

地名関連の誤解は他にも色々ありました。高校時代に仲の良かった同級生の一人に勤勉なのがおりまして、国の研究機関に在職していた頃にコロンビア大学でも学んでいたそうです。
アメリカの優秀な大学だとは聞いていましたが、コロンビア州にあるのかなぁと勝手に想像していまして。
これも大間違いで、コロンビア大学はニューヨークのマンハッタンにある大学で、コロンビア州など存在せず似たような名前はカナダのブリティッシュコロンビア州。
下ネタ系になりますが、オマーンはトルコの何処かにあったかな?とか。勝手な想像も甚だしいです。

上記の勤勉な同級生は高校時代から英語が得意で、英語の弁論大会にも出場したことがありました。地元の仲の良かった同級生も数名参加していたので、誘われて観客席から応援に出掛けたり。
その弁論大会は異文化交流的な来賓も招かれていて。日本語の達者なイラン人の偉い方が母国について語られていました。
しかし、あまりの観客の少なさを冒頭から嘆いていました。正直な感想だとは思いますが、こんな田舎の小さな弁論大会で期待すべきでは無いですし、自分も誘われなければこの存在も知りませんでしたし。
当時はイランイラク戦争の真っ最中で、どちらの国にもちょっと怖いイメージがありました。母国についての説明でも「世界がイランは要らんと思っている」との自虚的な冗談等。
他にも色々と語られていたのですが、あのセリフしか覚えておらず。
地図上で何処がイランで何処がイラクなのか自分は分かりませんし、現在叩かれているイランよりもイラクの方が先にトドメを刺されていて。(フセインさんの件で)
どちらが悪いのか分かりませんが、結局どちらも同じ結果になり兼ねないこの頃なのかなぁと。

現在の日韓関係も遠くの国から観たら「何だかよく分からない」話題でしょうし、地図上のどの国なのかも分からないんだろうなぁと。
と、本題からかなり逸れた話題で締める結果に。

おしん

昨夜の事、たまたまチャンネルを回したBS放送でドラマ「おしん」の再放送が。
考えてみると、自分はおしんをまともに観たことが無く、どんなものなのかと。
昨夜は数編がまとめて放映されていて、佐賀県に嫁いだおしんが二人目の子供を身籠った前後のストーリーでした。
ここに登場した姑が実に鬼婆。妊婦さんだというのに何故か虐められるおしんは流産してしまい、ここまで耐えに耐えたものの家を出ることに。続きは次回の様な終わり方でした。

ここに至るまでの状況が全く分からず軽く検索したのですが、当時の佐賀県民からは苦情が殺到したそうです。こんな鬼婆だらけじゃないと。
ストーリーの着色はあったと思いますが、佐賀のイメージは多少でも落ちたかも知れません。しかし、ドラマ上に限らず鬼婆というのはどの土地でも一定数存在していると思います。
逆に鬼婆だらけの土地というのも存在しないと思ったりです。漱石の草枕の序章にもそんな表現があったような。
鬼婆も生まれた時から鬼婆では無かったんだろうなぁと思ったり。うら若き乙女の時代だってあったでしょうし、誰が観ても可愛い幼少期だってあったでしょうし。
暮らしてきた環境や経験がそうしてしまったのかなぁと。

これまで何故おしんを観てこなかったのか、ちと考えました。初回放送は1983年4月だそうです。丁度、自分が埼玉から北海道に引越した中学三年のタイミングでした。
勿論、番組名やその人気くらいは存じていましたが、新しい土地や学校に慣れるのに必死だった時期でした。
自分がそれまで通っていた埼玉の中学は校内暴力で授業が成立しておらず、数学なども習っていない領域がありました。特に一次関数辺り。
翌年には高校受験も控えているし、母親は身内の看病で神奈川に行ってしまっているし、勉強以外にも家事やら何やら忙しく。
ともかく遅れていた科目等もあったので受験勉強に頑張っていた頃でした。おしんどころかテレビも観なくなったのはこの時期からだった様です。テレビゲームも全くやらなくなり。

話が逸れました。
元々自分は流行り物に興味が無いというか、へそ曲がりで染まらないようにしていた部分もあって。
たまにはおしんを観る場面もあったものの、世の中の事がよく分かっていない中学生にはちょっと難解なストーリーだったのかも知れません。
これが海外でも絶賛されたとの情報は何十年も経ってから知りました。特に男女差別が多いお国柄で評価された様子でした。
日本の独特な文化っぽくも思えた作品が海外でも評価されたのなら、普遍的な何かがあるんだろうなぁと。
昨夜の放送を観て、成程なぁとも思えました。

陣内孝則さんがトーク番組で以前に語っていた記憶ですが「当時のおしんの視聴率は凄まじく、裏番組に出演していた自分はおしんより可哀想だった」と。
「オシャレ30・30」で語っていたようなうろ覚えです。つまらんことばかり覚えているのですが、それが本当だったのか検索したところ、根拠が見つかりました。
同時期に「おゆう」というドラマがお昼時に放映されていたそうで。
しかし、何故に似たようなタイトルで似たような内容のドラマを同じタイミングでやっていたのだか。バブルの前夜的な時代でもありましたし、物欲への警鐘な意味もあったのかな。

しかし、中途半端に観てしまったおしんの続きが気になります。田中裕子さんも若く。