文化が違うのだから仕方ない

早朝から、友人と妙な話題になりました。
自分は異文化の国に訪れる機会が幾度かあり、訪問前には特にトイレ事情について調べたり。
その中でショッキングだったのが韓国のトイレ事情。ワンルームだと台所に便器があるとのこと。(まだ行ったことない)

合理的な設計にも思えるのですが、問題はそこにあらず。
一人暮らしの若者であってもキムチは重要な存在らしく、自分で白菜の洗いから作り始める方も多いらしく。
そして、台所に便器がある環境では、便器に白菜をドボンと放り込んで洗う輩も居ると。二十年くらい前に国際交流の海外サイトで知った情報でした。
半信半疑ですけれど、台所に便器は検索結果でも登場しますし、あながち考えられなくも無く。

その話題をした友人は欧米での留学経験も長く、ルームメイトが韓国人だった場面も幾度かあったそうです。
最初は反日な発言が多かったそうですが、打ち解けると母国の実情や文化の違いも語ってくれたそうです。
現在の日韓状況では、冗談抜きに直行便が無くなってしまう可能性があり、その前に一度は経験しておくべきかという話題になっていました。
しかし、韓国国内の外食店で日本人だと気付かれると調理中にタンや唾を入れられることもあると聴いていました。その件については、友人も知っていて韓国からのルームメイトからも同様の話題を聴いていたそうです。
だから、どうしても行きたいのなら食事は持参すべきだとの警告を。

現在の日韓関係は政府レベルでは最悪に近いですが、庶民ベースでは友情もあったりだと思います。文化交流も含めて。
しかし、小中高と反日教育を叩き込まれ、ドラマも映画も反日なのが未だ続く国、一部の国民はそのまま「日本が悪」だと信じている様です。国策なので、仕方ありません。
かといって、悪の国の客が来たからと、とんでもない料理を出すのはフェアでないと思うのですが。

上記について、自分はその場に居たワケでは無いので、誤解があるのかもしれません。大間違いかも知れませんので、鵜呑みにしない方が良いかも知れません。判断はご自身で。
食べるものと排泄するものを分けて考えるのは普通の日本人というか多くの国々の考え方だと思っています。
しかし、その境界線が文化的にも曖昧な国はあるようです。
野菜の栽培に必要な土壌には、いまでも糞尿が養分として用いられていますし、それは日本でもそうですし。その境界線が何処まで許されるかの違いだけかも知れません。
家庭によって漬物の味が違うのは、作った本人が持つ菌に違いがあると「包丁人味平」にも載っていましたし、汗と小便の違いも大差無いのかも知れず。

可愛いウサギさんも、自分のウンチを食べてしまうという習性があるのですし、かの国の祖先はひょっとしてウサギさんだったのであろうか?という滅茶苦茶な結論に至った友人と自分でした。(そんなワケないのですが)

難民とか

以前の仕事で小さな商社で勤めていたことがありました。
特殊な分析装置を輸出入する会社で技術を自分は担当していました。それなりの実績を残せて、立場も築けていたのですが、会社の経営が傾いてしまい社内で一番若かった自分が早期退職を選ぶことに。

その会社でベトナム出身の少し年上の社員Tさんが居ました。日本語はだいたい通じたものの、時々通じていないことがあったり発音に癖があって別の意味で伝わってしまう事もあったりでした。(ネイティブの発音に近かったのかも知れませんが、キャンペーンという単語がケンベンに聴こえてしまった時は、自分も失笑してしまい)
しかし、Tさんは人柄がとても良く、特に自分が仕事に慣れていなかった入社時は色々と助けて頂けて。

会社の平均年齢は高めでした。大手の商社やメーカーを定年退職された方が輸出入の英文担当だったり、技術士だったりで。この高齢者の方々が一癖あったりでした。
元々は悪い人では無かったのでしょうけれど、思ったことを直ぐに口にしてしまい。元々それなりの立場だったのもあったようで、遠慮やブレーキが効かない傾向で。
特に、上記のTさんに対して意地悪ともとれる場面が時々あり。これがネチネチしつこくて。

自分はこういった行為が大嫌いで、あまりにもしつこいと「もうそろそろ」と止めに入ることがしばしばありました。
しかし、あまりにも度を越えた際にTさんも怒ってしまいまして、大声で反撃に。自分はTさんを宥める羽目に。
その場はどうにか収まりましたが、何というか日本人として情けなく。
オヤジギャグというのも加齢によりブレーキが効かなくなったオッサンの脳が、思ったことをそのまま口にしてしまう傾向があるとその後知りましたが、こういった意地悪も似たようなものなのかなぁと。

ベトナム出身のTさんが何故日本に居たのかというと、七十年代のベトナム戦争で難民として日本に渡って来たそうです。所謂難民船でやってきたそうで。
Tさんのお父さんはベトナム政府で教育に関わる重職だったそうで、そのまま国に残れば皆殺しの対象だったらしく。実際にご家族の何人かはそれで他界しています。
何とか乗れた難民船も酷い状況だったそうです。かなり運良く日本に保護されたらしく。
その後、夜間大学を卒業し、何かの機会でこの会社に入社出来たそうです。会社の会長は第二次世界大戦を経験していた堅物で、人としてTさんを惚れ込んだとも聴いています。

何かのお酒の席で、いつも温和なTさんに「怒ったことはあるのですか?」と聴いたことがありました。もちろん有るとの答えでした。
学生時代に難民仲間とドライブに出かけた際、何処かの不良どもに絡まれたことがあったそうです。仲間がボコボコにされそうになり、Tさんは車から大きな工具を取り出して反撃したと。
ちょっと信じられない話にも思えましたが、十分にあり得る場面、生きるか死ぬかの場数が普通の日本人とは違うんだなぁと。
数々の意地悪を日本で経験してきたと思われますが、基本的に人として扱ってくれた日本に感謝の念は忘れていないTさんでした。

自分の送別会の際、Tさんは非常に残念がっていました。最後は握手の手をなかなか放してくれず。そのTさんも数年後に退職されたそうです。

ベトナムで反日教育みたいなのは無かったそうです。また国民性は基本的に穏やかだったそうですし、Tさんのような前向きな方が基本だったんだろうなぁと。
話が飛ぶのですが、昨今の日韓関係を観ていると、結果的に大量の難民が押し寄せる可能性が否定できない状況にも思えてしまい。
もしそうなったとしたら、ベトナムやカンボジアから当時やってきた難民の数とは比較にならないかと。
飛行機やまともな船での移動なら防ぎようもありますが、小さな船で大量に押し寄せたらどうにもならないかと。
Tさんのときでも受け入れ施設がパンクしていたそうですし。
何より、日本の道徳観とかに慣れて頂けるのか謎です。

そんな奴、居ない

先ずは上記の動画をご覧頂きたく。
多くの方は存じぬ70年代後半のど派手な楽曲「ACT-SHOW」です。演奏はSPECTRUM。
こんな古い曲をBGMに踊る若いOLなど居るワケもありませんし、出社途中の決まったコスチュームというか、かなり無理な組み合わせです。
しかし、これは令和時代の偉大なる組み合わせなのかも知れません。
こんな奴は居ないと思うのですが、中には何かのキッカケで「何じゃこりゃ?」で目覚めてしまう方もいらっしゃるかと。

五十代に突入した自分の世代でもSPECTRUMの楽曲を存じている方は少ないかと。存じていてもせいぜい「スタンハンセンのテーマ」とか「IN THE SPACE」とか「ALBA」とか、当時のCM等のテレビ放映で定期的に流れていた楽曲の範囲かと。
自分が小学校の高学年の頃にデビューしたSPECTRUMでしたが、あまりにもぶっ飛んでいてリアルタイムでまともに聴いたことはありませんでした。
二人の兄も馬鹿にしていましたし、世間的には派手なコスチュームの色物バンドだった様子です。実際、当時の自分の周りではまだ歌謡曲に主権があってたので、たのきんトリオとか聖子ちゃんを聴くのが普通だったと思います。(一年ぐらい前後するかも知れませんが)
マセた連中は洋楽とかジャパニーズ・ロックを聴いていたのかも知れません。

そんなワケで当時は自分も「ハシタナイ音楽」と切り捨てていたSPECTRUMでした。クラシック・ピアノもリアルタイムでまだ習っていましたし、国内のどのジャンルにも属さず。
その数年後、川越(埼玉)から千歳(北海道)に引越した自分は川越の八百屋のマツダの部屋でコイツら(SPECTRUM)のFinal Liveを知ってぶっ飛びました。演奏が凄すぎました。
「こんなの今聴いて感動しているのは俺達くらいだろうなぁ」と。

夏休みや春休みになると自分は青春18切符で北海道から埼玉まで遊びに行くのが常でした。いつも泊めてもらっていたのが八百屋のマツダの家で。
親が暮らすお店とは離れになっている家だったので、中学時代から何でもやり放題で、煙草もお酒も治外法権のような場所で。
マツダはプロのベーシストを目指していて、マツダの兄もギターが上手で、青学の軽音系でバンドを組んでいるそうで。
自宅には大きなステレオと様々なLPがあったのですが、その中にSPECTRUMの全作が含まれていました。自分が最初に針を落としたのがFinal Liveでした。
もう、それから虜になったというか。

1984年の当時はCDが普及し始めたばかりの頃。SPECTRUMのCDはベスト盤のみ発売されていて、気になった1stとFinalに収まっていた幾つかの曲は自宅で聴けずじまい。既に解散してから三年も経過していて。
自分が大学を卒業する頃に当時のアルバムがやっとCDで復刻。1991年です。
全部の演奏がやっと聴けて、これはかなり嬉しかったです。レーザーディスクまで発売してくれて。

あれからずっとSPECTRUMを聴いている自分や音楽仲間ですが、こんな古いの聴いていま喜んでいるのは俺達くらいだよなぁ?と笑い合ったり。
しかし、そうでもなかった様子でした。更に五年程経ってからインターネットが普及しだすと全国にはSPECTRUMのファンが多いこと多いこと。
その後にはトリビュートバンドのLiveが開催されていることを知り、幾度も観に行ったり。プロの方もアマチュアの方もとにかく上手で。
Liveの会場に訪れると、ほとんどは自分より年上の方ばかりが集まっていたものの、中にはまだ二十代らしき若者も。いったい、どうやって知ったのだか。

始まったばかりの令和。SPECTRUMがまたヒットしてくれたら景気も良くなるのではないか?と夢想する自分です。
そして、何よりもオリジナルメンバーが存命中に演奏をまた再会してほしく。

物騒な事件

常磐道であおり運転をした犯人についてです。
現時点で犯人はまだ捕まっていないのですが、昨夜の時点でようやく実名で指名手配となり顔写真も公開され。
事件の動画自体は数日前から公開されていて、Twitter上では様々な憶測が。中には犯人の実名らしきも噂されていたのですが、今回はハズレていたようです。
ここ最近の凶悪事件は、実名報道される前に流れた名前が本当だったパターンが多く、今回も当たりなのかな?と思っていた自分でもありました。

そして、あおり運転の動画で一緒に映っていたガラケーの女性についても昨夜辺りからTwitter上で実名が囁かされていました。
インスタ上でそれらしい女性のアカウントはあっという間に荒らされていました。しかし、先ほど観たところ非公開のアカウントとなっていました。
女性本人も否定しているそうです。確かに、インスタをする人がガラケーというのは矛盾していそうです。

出鱈目な第一報を載せてしまう方は愉快犯なのかも知れませんが、その情報を鵜呑みにして拡散してしまう方が実際に多く。
何年か前のあおり運転事件でも全く関係ない会社が風評被害を受け、結果的に間違った噂を流したり業務妨害してきた方が訴えられていて。
こういった事例もあるのに、相変わらずだなぁと思えるここ数日です。

こういった事件関連のつぶやきで、ハッキリとした根拠も無いのに便乗して実名を載せてしまうのは危険だなぁと思います。ただ、あまりにも多くの人がそれをやってしまうと根拠も無いのに事実なのかな?と思い込んでしまったり。
多数論が必ずしも正しいワケでは無いということなのでしょう。自分も気を付けねばです。
まぁともかく、早いところこの犯人が捕まると良いですネ。

Little Melonae

高校生時代に入手した「1958 Miles」というアルバムが自分は大好きでした。印象的なクリーンな曲が続くアルバムです。
しかし、ラストの一曲「Little Melonae:リトルメロネー」が全く異質の存在でした。曲調的にはセロニアス・モンク風というか、かなりヘンテコな曲で自分はモンクの作品だと勝手に誤解していたくらいで。実際、発売当初は別レーベルの録音に含まれていた様子です。
しかし、この一曲もインパクトあって一度聴いたら忘れられないです。うろ覚えで自分が演奏しても、たぶん何処かの音を聴きやすいように取り違えてしまうでしょうし、譜面は必須だろうなぁと。

数年前に何となく思い出して「Little Melonae」を検索したところ、多くの日本人の耳に残っていた様子で、この曲にまつわる記事も多く。
昨夜久し振りに検索したところ、作曲者はレフトアローンでも有名なJackie McLeanさんだったらしく、Melonaeはその娘さんだったとか。
娘さんの名前を使うなら、もっと美しい曲に採用すべきなのになぁとも勝手に思ったりです。どんな娘さんなのか存じませんが「チコちゃんに叱られる!」に登場するチコちゃんみたいな雰囲気に似合いそうな曲というか。

「1958 Miles」のレビューの中には「これだけ美しい曲が並んでいるのに、ラストにこんなヘンテコな一曲を入れられたので減点1」みたいなのもありました。その気持ちは自分もよく分かるのですが、ちょっと可笑しかったです。
そんな「醜いアヒルの子」のような「Little Melonae」自分はけっこう好きだったりです。

弾き語り

数日前の事、かなり久し振りにカラオケへ。海外から一時帰国していた方との飲み会ででした。カラオケはもう十年以上やっていなかったと思います。
自分、唄にぜんぜん自信が無く。無駄に力んでしまったり、勝手にビブラート(震え?)が入ってしまったり。

若い頃は幾度か弾き語りも経験していました。ただ、これも二十五年くらい前に演ったのが最後でした。
身内の披露宴でカラオケを頼まれて、どうせなら弾き語りにしようと鍵盤楽器を持ち込んで。
演奏自体は問題なく片付いたのですが、緊張してしまい折角の美味しい料理がほとんど喉を通らず。とても勿体ないことをしてしまいましたし、もう二度と演らん方が身のためと思っていて。

たまに酔った勢いで演奏を録画してみるのですが、やはり納得の出来では無く。
時間の許されるうちに、少しは練習してみた方が良いのか。そもそも演ってみたい曲が難しいのばかりで、それがまたよろしく無く。