ひまわり開花とか

一昨日のこと、庭のひまわりが開花してくれました。ひまわりを育て始めて今年で五年目、なかなか満足の咲きっぷりでした。

他にも綴りたい話題があるのですが、ちとデリケート。所謂日韓関係についてです。
これを綴ると無駄に長くなってしまいがちですし、過去に同じようなことを幾度か綴っていそうですし。

結論から言ってしまうと「仮に現在韓国側が取り上げている徴用工問題に対して日本政府が100%譲歩して謝罪と賠償を行って丸く収まったとしても、これまでの流れでは何年かしたらまた同じ問題が掘り起こされるだけでしょうし、今後を長い目で観ても意味が無い」です。
ここ十年以上の日韓関係はとても友好国と思えぬ状況でしたし、それは双方同感だと思います。であれば優遇された立場のホワイト国から除外されても何ら問題無いかと。信頼関係が無いのですから。
今回の流れは、もう落ちるところまで落ちて、底についてから修復すべきかと思っています。双方一旦言いたいことを全て伝えるべきで。
無限ループから脱出するにはそれが一番良いのかなと。

韓国の一般庶民の中には日本に対して友好的な方も確かにいました。韓国内の反日ムードや不買運動に対して異を唱えている方も居るようです。ただ、そういった方々が国内で迫害されないことを祈るのみです。
逆に日本で韓国寄りの意見を出される方が居ても、言論の自由まで奪われていません。集団でヘイトスピーチを行うような場面が日本であれば、それは国内問題として冷静に対処してきたと思えますし、日本国内で不買運動なんてほとんど聴いたことも無く。
そんな点だけでも、日本で生まれ育ってきて良かったなぁと自分は思っています。

あと、これが出来ない限り韓国は変わらないかな?と思える部分についてです。内政干渉にもなってしまうのですが。
まず一つ目は、小中高の反日教育です。こんなことをやっていたら、何時まで経っても両国間に信頼関係など生まれないかと。

二つ目は以前に綴った「法の不遡及」の徹底です。法令の効力はその法の施行時以前には遡って適用されないという法の一般原則です。これがなっていないと何の約束も意味が無くなってしまうので。
他にも幾つかあるのですが、民族的な思想とか個性の範囲なのかなぁとも思えています。

韓国政府は日本政府に対して何故にここまで好き勝手な行動を取れるのか不思議でもありました。韓国は常に日本より優位な立場なのだから、日本に対しては何をやっても許される的な。
最近気付いたのですが、李氏朝鮮時代の両班に近い立場だと思っているのかなぁと。下の身分に対しては略奪でも何でも許されてしまう身分だったそうです。

来年は東京オリンピックの年ですし、下手をすると今回の件が影響を及ぼしそうなムードでもあります。
不買運動に続いて不参加運動が始まっているそうで。これに対し、ネット上の特にSNS上の意見を観ていると、日本の右寄りの方々は大喜びしている状況です。
1980年のモスクワオリンピックは東西の分裂で大きなボイコットがあったりでしたが、今回はどうなるのかなぁ。一国だけ不参加とか。

貧乏人煙草

何だか中国語のようなタイトルですが、貧乏人向煙草な三銘柄が廃止だそうです。

別に馬鹿にしているワケではありません。ほぼ無駄遣いと害にしかならぬ煙草など安いに越したこと無く、非常に経済的合理的な選択です。
よほど不味ければ別ですが、煙草を偶々切らせた場面では十分に代替になる銘柄たちでした。

友人が学生時代にゴールデンバットを好んでいて、そればかり注文していたら店頭の自販機にゴールデンバッドを置いて頂けたそうです。
あのジャケットというか見た目はなかなかエキゾチックで、江戸川乱歩的とでもいうか。
エコーやわかばというと、工事現場の牧歌的なオッチャンなイメージです。そういえば、亡くなる前の元父は病棟の待合室でエコーを吸っていたなぁと。
あの頃の自分は大学生で、カッコつけてマルボロ派だった記憶です。バブルの頃は皆銘柄に拘っていたなぁと。まぁ今現在よりぜんぜん安かったのですけれど。

万引き家族

今宵の事、気になっていた映画「万引き家族」をやっと観れました。
感想としては、記憶に刻まれる作品だったなぁと。素直に良い映画だったと。

誰しも起こりえる環境下でのストーリーだと思えました。あのボロ家とか、散らかった部屋とか、見捨てられた子犬を拾うように小さな子供を拾ってきてしまう家庭とか。
老若男女、家族全員が痛みを知っていて、いま一番困っている人を観掛けたら迷いつつも素通り出来ず。

リリー・フランキーさん。この方の名前は存じていたのですが、主演がこの方だったとは。
作品上は、もう何処にでも転がっていそうな小汚いオッサンでした。いつ風呂に入っているのかも分からないような体臭まで漂ってきそうな。
安藤サクラさん。名前も全く存じておりませんでした。飾りっけなんて二の次で生活臭漂うおばちゃんでしかないのは前半まで。少し化粧するだけでこんなに綺麗なのに。いつもやる気無さそうな雰囲気なのですが、土壇場では覚悟のセリフが。
樹木希林さんについては説明無用で、もうあのままです。完璧です。
二人の子役も頑張っていました。特にラストシーンの女の子が「また連れてってくれないかな」と。
あと、若手の女性。さめた目で世の中みているようですが、案外そうでも無く。

撮影のテクニックとかに疎いのですが、亡くなったお婆ちゃんの髪しか映さなかったり、夜逃げに失敗し捕まる場面が車のヘッドライトで照らされるだけとか、この間接的な表現がまた優しさあって。

十年位前に神保町の救世軍でシスターと少しお話する機会がありました。年末の社会鍋の季節でした。「エリートだった人ほど、上手く行かなくなったら大変なのよ」と。
人のぬくもりとか優しさとかを尊重できるこの作品の家庭の方が、よほど幸せなんだろうなぁと。
自分が若い頃にこの作品を観ていたら、ちょっと貧乏でも素敵な家庭を持つべきと思えたのかも知れず。

柴又が紹介された記事

柴又が紹介された記事が、ちょっと癪に障ったのでこちらに綴ってみることに。
代官山からガチな「下町」へ引っ越した、イラストレーターの私が「得たもの」と「失ったもの」』という記事です。

まず、「おしゃれで文化的なもの以外は何でもある」という表現がどうにもスッキリせず。この方が気付かれていないか視野が狭いかだけかと。
そもそも「お洒落」とは何ぞや?になってしまうのですが、お洒落とか流行とかは時代によって変わるものですし、お洒落の流行が去った直後はカッコ悪さの代表格にもなったり、忘れられた頃にリバイバルしたり。(帝釈天が流行った江戸時代の一時期はおしゃれで文化的な町だったかも知れず)
また、文化的なものについては柴又にも色々残っていると思いますし、活動されている方も多い感です。着物文化を広めようと活動される海外の方や、昭和レトロをこよなく愛する方や。
巣鴨のとげぬき地蔵にしても、柴又の帝釈天参道にしても何がキッカケてお洒落と見直されるか分かりませんし、ひょっとしたら今年の年末に公開される「男はつらいよ」で柴又は大ブレークするかも知れません。若い人には新鮮でしょうし寅さんな服装が全国的にブレークするのかも知れません(流石にそれは無さそうですが)。
どうにもお洒落な町から引越してきた的な、上から目線臭漂う文章だなぁと思えてしまい。

あと、「下町」という表現についてです。
これも自分は神田で十数年暮らしていたので、下町という言葉の扱いは慎重だったりです。
何代も神田で暮らしている方にとって、「下町」とは江戸時代から続く城下町神田の代名詞であって、それ以外の土地の者が無暗に下町だと名乗ると笑われてしまったり。
人によっては「城下町」が下町の語源だと言い張る方も実際に居ました。
神田の町歩きを手伝っていた頃は「本郷もかねやすまでは江戸のうち」何て言葉を幾度も聴いたり。
他にも、柴又の歴史を紹介されていた文章が何処かのサイトにあったのですが、どうにも見つからず。ここでも神田の人に気を配られていた記憶です。

と文句ばかり綴ってしまいましたが、それ以外の部分は概ねそんな感じかなと思います。
記事に登場する幾つかの写真が自分の行動範囲と重なっていたので、何処かですれ違っていた作者さんなのかも知れません。

追記:
記事中に柴又を連想させる写真が幾つかありましたが、本文で柴又とは一言も触れられておらず。
ちとトリッキーというか、消防署方面からやってきた消火器売りに近いというか。
なんじゃこりゃ。

法の不遡及

ここしばらくの隣国系のニュースがちと気になっております。
どうしてまた片付いた古い話を蒸し返すのかなぁと。ここ数十年の流れを思い出しても、どうにも違和感を覚えておりまして。
最近気付いたのですが、法の不遡及がなっていないんだなぁと。
人によっては聴きなれない言葉ですが、法令の効力はその法の施行時以前には遡って適用されないという法の一般原則です。

例えば、三十年以上前であれば駅のホームで煙草が吸えましたが、法や条例が出来てから当時の喫煙をとがめることは出来ないとか。
このルールが徹底されていないと、気に入らないからといって後からルール変更して過去の出来事が幾らでも罪に出来てしまいます。
極端な話、スポーツのドーピング問題も昔はルールが無かったですし、ルールの無かった過去に遡ってメダルの剥奪を始めたら滅茶苦茶なことになりそうです。

世界中で隣国同士仲が悪かったりします。これは日本に限らずだと思います。ただ、法の不遡及がなっていない国は隣国に限らず、どの国とも上手く行かない感です。
好き勝手にルールを変えられてしまうのですし、約束さえも意味をなさなくなってしまうので。法治国家でも何でもないです。
隣国は日本に対して過去に遡ったルール違反を幾度もしている状況です。

ただ、隣国の国民全体を否定しているつもりはありません。国の方針がそうである以上、従うしか無いのですし、反論をしたら罪に問われてしまうのですし。
普通なら、何処かで矛盾が生じてしまうでしょうし、気付いたら是正されるのかと思うのですが、これがずっとそのままで。
恨みといった感情が法より優先されるのは個人レベルであったりしますが、それが何世代も後まで引き継がれるのは考え物だと思うんです。赤穂浪士で戦った子孫達が未だにいがみ合うようなことは無いワケで。
隣国の過去の大統領に至っては「千年後も恨む」とか平気で言ってしまったり。これはほとんど病気に近いかと。壊れた一般人が言うのならまだ分かりますが、一国のトップの発言として何じゃこりゃです。
既に片付いた問題を幾度も蒸し返したり、当時は当たり前だったことを批判したりな国と上手付き合って行くには、先ずは相手国のルールを変えてもらわない事には何も解決していのでは無いかなぁと思うこの頃です。

隣国から日本へやってくる観光客の中には親日派の方も実際に居るワケで、日本の文化に触れては嬉しそうな表情だったりします。
これが帰国してから大っぴらに語れない状況というのも気の毒に思えて。
逆に、小中高と半日教育を受けた中で、教えに背いてまで来日する方に敬意を表してしまったりです。勿論、悪い事をやりに来る方は論外ですけれど。

過去の旅行記でも綴りましたが、自分が訪れた海外で日本人だったから良い思いをした場面は幾度もありました。自分が認められたとかではなくて、先人の善行の恩恵でしかなく。
隣国についても、四十年近く前であればここまでヘンテコな関係では無かった記憶です。どうしてそうなちゃったの?な感です。

作り過ぎても飽きない料理

この二週間ほど、ほぼ自炊の生活が続いています。自分の好みの料理で、一度作ったらしばらく保存の効く料理をメインにしていました。具体的にはカレーとシチュー。
どちらもルー一箱を丸ごと使うので、十食分以上にはなるようです。ただ、自分は大食いなのでこれはあくまでも一般的な目安です。
使うお肉はシチューの場合一番安い鶏肉の胸肉か、カレーの場合は豚のばら肉です。自分が育った家庭では鶏肉をあまり使わなかった傾向でしたが、学生時代に彼女が作ってくれたシチューの鶏肉が美味しかったもので、以降自分で作るシチューは鶏肉が多い傾向です。
カレーについては、混ぜご飯的な感覚で最初から小さく薄い豚のばら肉が食べやすく全般的な味が好みで。
不思議なことに、子供の頃にイトコの家で頂いたカレーも実家のカレーとほとんど同じ味で驚きました。使っている具材は微妙に異なったものの、目指している味や何かが同じなのか。
外食のカレーは全く別の味ですし、他の家庭で頂けたカレーもやはり別の味ですし、これは不思議な現象だなぁと。家系というのはカレーに現れるものなのかな?

何度も温め直すと具材が溶けてしまうは不味くなるは、衛生的にもよろしく無いので、一度作ったら容器に入れて冷蔵庫に保存しています。
しかし、ほとんど家に居る状況にしても上記を一度作ると五日間前後食べ続けることになります。いくら手間を掛けて美味しく作れても、飽きてしまい。
本格的な方ですと小分けにして冷凍庫に保存するらしいのですが、解凍が面倒ですし、食感が変わってしまいそうで。
ともかく、この飽きてしまう問題を如何にして克服するか悩めるこの頃でした。
結論は出ておりませんし、トップの写真は本日庭にやってきた本題とは全く関係の無い野良猫です。