通勤のことを色々想像

色々と想像が膨らむ中で、またしても通勤の話題です。
今度の職場の通勤はドアツードアで80分。電車に乗っている時間が60分。
距離は約60㎞。フルマラソンの1.5倍近い距離です。

東日本大震災に遭遇した際、自分は出先の八王子方面に居て、千代田区の自宅に戻るまではけっこう大変でした。会社の車で十時間近く渋滞を耐えたカタチでした。
当時の職場はドアツードアで15分。電車には10分も乗っておらず。
通勤自体はかなり楽な環境だったものの、出先の仕事が多かったので、震災時はどう転ぶか分からず。

今度の職場で震災に遭遇した場合、状況によっては下手にジタバタしない方が良さそうです。東日本大震災の際も、当日中に無理な帰宅を試みた人が、結果的に一番苦労したようにも思えて。今度の仕事は出先での作業がほぼ無さそうですし。
まぁ、東日本大震災の当日は金曜日だったというのもあり、多くの方は本来翌日がお休みだったから翌日の仕事の心配は無かったのかも知れませんが。

現在の住まいに決めたのも、都心までの通勤が一時間未満という選択範囲からでした。
今回の転職はその掟から漏れたものの、いまの自分にこれ以上の待遇は無い内容でしたので決めた次第です。通勤時間は少しだけ目をつぶろうと。
前回も綴りましたが、電車に乗る60分は座席にほぼ座っていられそうですし、条件としては許せられる範囲とも思えますし。

ただ、往復で三時間近いというのは勿体なくて、試しに職場近くの物件を検索もしてみました。これがあまり安くなかったです。
自分の場合単身なので戸建てにしてもマンションにしても30~60㎡の広さで充分で、広くても清掃や冷暖房、管理修繕費が無駄になるばかりで、そもそもそんな物件は極端に少なかったです。
じゃぁ広めの物件はどうなのか?というと意外に安くなくて。京成線沿線は満遍なく職場や学校の拠点があるためか、都心から離れたら安くなるという単純な方程式が成り立たず。
駅から離れた物件でも車で通勤する人も多いのか、それほど安くなく。しかし、今度の職場は都心から離れていても近くに安い駐車場は無く、少し離れた場所に借りても一万円以上掛かるそうです。
車両通勤が許される職場ではあるのですが、職場近くに駐車場が無くて自費というのはちょっと痛く。
以前の地方暮らしの頃は車が無いと何処にも行けず、車は生活必需品でした。行く先々の駐車場はどれも無料で、ほぼ毎日乗るのに高速料金や駐車代は不要でお財布にも優しかったです。そして、当時は飲酒運転にも寛容な時代でもありました(世の中のルールが厳格化されてもそれまでの風習から切り替えられなかった年配者は、罰金百万円という痛手も多かったった様子)。

ここまで綴って気付いたのですが、自分の場合は独身の一人暮らしです。同世代の多くは家庭を持ち、子供さんの通学や転校を考えると引越しなど更に難しいんだろうなぁと。
子供さんの居る家庭の多くは共働きで、奥さんの仕事の環境も考慮すべきで。

あと、定年まで十年くらい。定年延長まで含めても15年くらい。それであれば無理に引越す必要な無いかな?と思えている状況です。
65歳以降も自分達の世代は何かしら働かないと食べていけないと思われます。その再就職の際に都心からあまりにも離れた環境で暮らしていたら、やはり選択肢が限られそうで。
そう考えると、今度の職場にも都心にも通勤圏内な柴又はベストポジションなのかも知れず。

この部屋が売りに出されていた際、問い合わせは多かったそうです。ライバルになった一人は国内外の出張が多いビジネスマンだったそうで、成田にも羽田にも都心にもほぼ一本で通える環境が気になったらしく。
そのビジネスマンさんもこの部屋を購入したかったそうなのですが、売りに出されていたタイミングは海外出張中だったそうで、その間に自分が下見から手付金まで一歩早かったそうで。
あと、元々の住民さんも園芸が好きで、部屋の小さな庭を前に園芸の話題で盛り上がってしまい。お婆ちゃんだったのですが、お琴の師範だったそうで、部屋に飾ってある趣味の品等も魅力的でした。
お互い「この人に売りたい」「この人から買いたい」という雰囲気でした。
あのお婆ちゃんは地域の方々とも仲良くやられていて、引越しの際は皆さん残念がっていたとも。

かなりの散文、色々考えてみたところ、やはりこのままの住まいで良さそうです。

京成線の朝の下り

新しい通勤ルートは朝の京成線の下りを利用する予定です。
乗車時間は一時間ほど。余裕で座って通勤出来るだろうと思っていたところ、そうでもないらしく。
上りはどの路線も混むものですが、京成線の下りは空港を利用するお客さんや関係者の乗車がそれなりにあるらしく。特に、国際線を利用するお客さんのスーツケースは大きく場所を取るそう。
各駅停車はガラガラだそうですが、特急は様子が異なるそうで。

実際のところどんなものか、今朝は様子を伺いに。
通勤で利用予定の特急を待っていると、現れた電車はまぁまぁの混み具合でした。
このまぁまぁというのを具体的に表現すると、ほとんどの座席は埋まっていて僅かに席が空いていて、車両によっては全席埋まっていて。
座れる確率はざっくり七割くらいでしょうか。その駅で下車した乗客も僅かに居ました。ほとんどは各駅に乗り換えていました。
空港の稼働率が上がれば、多分座れないだろうなぁとも思える絶妙な状況でした。

健康のためにはずっと立っているのも悪くないでしょうけれど、いつでも座れる余裕があったら幸せです。
朝の自分は食欲がそれほど無く、勤務先最寄りの駅を降りてから食事するパターンがほとんどでした。また、一時間も乗りっぱなしの乗車前に食事を取るのはトイレに行きたくなったら面倒だなぁと。
ともかく、通勤ラッシュから解放されるだけでも幸せだとは思います。

追記:
乗車時間と混雑具合を自分の好み順で並べてみると。
30分ガラガラ>60分ガラガラ>30分激混み>60分激混み
2番目と3番目は人によって好みが分かれそうですが、60分ガラガラは読書や昼寝が出来そうで悪くない気もします。

素晴らしき公共サービス

本日のこと、柴又の隣駅である金町へ伺っておりました。金町へはこれまで幾度も伺っていたものの、大発見がありまして。
葛飾区の中央図書館というのが金町にあるのですが、専門書がどれだけ揃っているのか確かめに伺ったところ、図書館の広さに驚いた次第です。
二十三区内でも葛飾区というのはかなり東京らしくなく、文化面も期待していなかったのですが、これは大きな誤算でした。
内装も綺麗で、本の整理もしっかりしていて。更に、利用者の方々も皆小綺麗で知性に溢れている印象でした。

途中で返信を急ぐ電子メールがスマートホンに届いてしまい、15分ほどしか居れなかったのですけれど、もっと色々観てみたい心境でした。
残念なことに、技術系の資格に関する書籍は少ない印象でしたが、自分の調べが甘かっただけかも知れません。時間が許されれば明日も伺ってみたく。

前回の記事にも綴りましたが、知人の娘さんの音楽教育に適していそうな材料が無いかも図書館で軽く見渡していました。
そんな中で、これまた驚きの発見が。

バンドスコアがけっこう豊富だったんです。それもハードロックなレッド・ツェッペリンのスコアがかなり充実していて。
公共の図書館に如何わしいエロ本が堂々と並んでいるくらいの発見と申しますか、何故ここに?でした。
どういった基準で選ばれたのか分かりません。ひょっとしたら寄贈なのかも知れず。
しかし、バンドスコアはけっこう高価ですし、元々個人所有だったとしても音楽活動をされていたのなら、本人が死なない限り手放さないと思うんです。
スコアの中には絶版で中古価格が恐ろしい値段になっている部類もけっこうありますし。
レッド・ツェッペリンをリアルタイムでやっていた世代であったなら、自分よりも年上だとは思いますが、まだ老衰する歳でもないでしょうし。
ドラムのジョン・ボーナムの如く突然逝ってしまったのかなぁとか、色々と想像が膨らんでしまいました。

万一、自分が突然死してしまったら、自分の所有しているスコアも地元の図書館に寄贈したいなぁとか思いながらの帰宅でした。
けっこう貴重なスコアもあるんです。自分の耳ではコピーが出来なそうなフレーズやコードもかなりしっかり押さえられていて。
CDについては、親しい方々に持って行ってもらいたいです。こんなのを聴いていたんだなぁって。
まぁ、しばらく死ぬことは無いと思いますが。

話が飛びます。
二十五年ほど前のこの季節に、道東の役場でコツコツ働いていたイトコがポックリ逝っています。自分の身内で自分より若いのは当時少なく、「圭介兄さん」と呼んでくれるのは奴一人で。
当時、道東方面で大きな地震があり、土木課に所属していたイトコはそれまでの生活が一変してしまい。ずっと平和だったのが、ライフラインの復旧で数年間寝る間を惜しんで働いていたんです。
イトコが生きているうちに再会できたのは亡くなる半年ほど前でした。奈良の爺ちゃんが亡くなった際の葬儀ででした。
数年ぶりに再会したイトコは逞しくなっていたものの、白髪も目立ち体型も自分より細いくらいになっていて。
元々は子犬の様にコロコロしていたいつも笑顔の少年だったんです。誰からも愛されるキャラクターで。
「いま仕事が大変だって聞いてはいたけど、それじゃヤツレ過ぎじゃないかよ」とか、葬儀場から近いホテルで語り合ったり。
イトコは一年後に結婚の予定だったので、地域住民への貢献共々頑張っていたそうでした。
理不尽なクレームも多かったそうですし、ここで綴れないような内容も少し聴いていました。

自分が当時勤めていた会社の本社に移動して数ヵ月経った一月の中旬に、突然の電話が職場にありました。
兄からの連絡でイトコが死んだと。車が好きだったので、交通事故に巻き込まれたのかな?と思ったのですが、過労死だったらしく。
大きな地震のライフライン復旧が片付き、その報告書を明け方まで片付けていたそうです。
書き上がったその朝、古い建物の寮の部屋から起きてこなかったらしく。

翌日に自分や身内が駆け付けたのですが、布団に横たわったままのイトコは普通に寝ているだけの姿にしか見えず。
風邪気味だったそうで、鼻のまわりは少し赤かったですが、それがまた単に寝ているだけにも見えて。

夕方くらいから部屋の片づけを手伝いました。プライバシーな部分はなるべく触れないように。
最後辺りに机の引き出しの整理となりました。その引き出しの奥から出てきた本のタイトルが皆の目に留まりました。
「上司を殴らなくて済む方法」のようなタイトル。本があまり無かった部屋だったので、余計に目についてしまい。
色々と大変だったんだなぁと。

お通夜は氷点下二十度以下だったのに、同世代の若者達が何時間も外で待っていてくれて。まだ若過ぎたのもありますが、数百人の参列者はイトコの人徳もあったと思います。
火葬場に向かう途中でイトコの勤めていた役場を身内の車列が横切りました。地方にしてはかなり立派な役場でした。
数階建ての庁舎、職員の皆さんが全ての階から並んでこちらに頭を下げている姿が廊下の窓越しに伺えました。

この人達、恨んではいけない。

火葬は地域によって仕来りも異なるようなのですが、自分は棺桶に釘を打つことが出来ませんでした。イトコのご両親からもお願いされたのですが、まだ生きているようにしか思えず、謝るしかなく。

煙突から出てくる煙を、足跡の無い雪の広場から眺めるしかありませんでした。隣にはイトコのお父さん。何の会話も無く眺めていました。
半年後に披露宴の予定だったんだよな。

自分も、あれから無茶な仕事っぷりは避けるようになりました。しかし、簡単に変えられるものでもなかったよなぁと思い出しつつ。
あれから更に倍の人生を自分は健康的に生かせてもらえて。そのイトコのお陰だと思っています。

再就職に伴い

直近の仕事を短期で辞めてしまい、次の仕事はいつ決まるかなぁと思っていたのですが、かなり幸運な縁がありました。
自分は滑り込みセーフでバブル卒業組だったので、新卒時は誰でも好きな会社に入れたのですが、七年ほど勤めた後の転職は楽でなくて。
その後はこれまでの知識や経験で縁のありそうな小さな会社を渡り歩いていました。
実際のところ、大きな会社は門前払いなのが分かっていて。正社員に拘らなければ縁があったと思うのですが、それは最後の手段で。

新卒で入った会社も技術系ではあったのですが、自分の興味があった細かな設計や開発は関連会社が担当するパターンばかりで。
設計や開発の上流工程は経験できたものの、技術者としては中途半端感があったと思っています。
その後の転職でいつかはそういった細かい部分というか熟練度を上げたかったのですが、その機会は無かったです。良く言えば広く浅くなのでしょうけれど。

今回縁のあった組織は民間ではなく、財団の職員でした。
職安さんの求人票では59歳以下となっていて、自分の経験も活かせそうなので応募したのですけれど、その財団のHomepageで募集要項を確認したところ、35歳以下となっていました。

応募したことはスッキリ忘れようと数日経った頃に突然電話がありました。面接の日程調整の連絡でした。
なるべく早いタイミングを希望したところ、一月上旬の面接となり。
ただ、電話でも聴かれてしまいました。「転職回数が多いようだけど、大丈夫?うちの仕事は離職率がとても低いけど、仕事に慣れた若手は物足りなくなって稀に辞めることもある」と。
恥かしい回答をしてしまいました。「私は安定を望んでいますので、全く問題はございません。財団のHomepageでは年齢的に問題外だったようで、諦めていたんです」。でも、本心でしたし。
経歴や経験が加味されたそうでした。

面接会場は分かり難い場所で、職員の方が改札近くまで迎えに来てくれました。案内された会議室ではお茶まで頂けて。(前回の会社とはえらい違いです)
面接の内容も、答えやすい優しい質問ばかりで。逆に聴きにくいだろう点をこちらから正直に伝えた後半でした。
そこで突然「分かりました。内々定を出します」と。

驚きました。かなりしっかりした財団なのに、この場で即決で。
更に、三十倍以上の応募倍率だったとも聞かされて。そして、目の前の責任者の方は自分の出身校のOBだったそうで。
自分の出身校は単科系の理系で、OBはそもそも少なく、そういった期待は持ったことも無く。
大手企業の開発部門に居た頃はOBが何人か居て、助けられたり引っ張り上げて頂けたこともあったのですが、そういった機会は大きな組織だからあったことで。
ただ、OBが少ないが故に自分も後輩にチャンスを与えたくなる気持ちはありました。

面接はこれで終わるけれど、最後に何か言いたいことは?と。
「もっと早くご縁を持ちたかったです」。これも本音でして。

入所後には技術系のちと難易度高い資格を取得する必要があり、本日はその参考書を求めに御茶ノ水へ伺っていました。
自宅近辺の本屋さんでは置いていない専門書系で、Amazonでも入手できたのですが、似たような本が数種類あり、実際に斜め読みしてみないと比べられないなぁと。
手に取って読んだところ、Amazonでも評価の良かった方の本が老眼の目でも読みやすく、そちらに決めました。
しかし、三千円の本が五種類必要で、とりあえず基礎編のみの入手。

基礎編と言っても、三角関数や微分積分の基礎から分かっていないと読み進められない項目もあり。学生時代だったら余裕で読めたのになぁとか。
最近、橋下さんが「三角関数なんて全員が覚える必要ない」みたいなことを言っていたばかりですが、自分も社会人になってからソレを使う機会などほとんどなく、橋下さんの意見を全面的に否定など出来ません。
しかし、過去に習っていたら少しは取っつき易いハズで。
とりあえず頑張らねば。

偶然なのですが、今日は学生時代から親しくしている友人夫婦から相談も。
小学生の娘さんがプライベートで音楽の勉強中らしく、譜面の読み方を教えてほしいと。ソルフェージュを優しくしたようなドリル(教本)の回答を教えてほしいそうで。
試しに本文の写真を送ってもらったところ、自分でしたら一頁辺り三分で答えられそうな内容でした。
ただ、譜面を読むにはかなり基礎的な内容で、これさえも知らなければどんな譜面も読めないだろうなぁというレベルで。
夫婦のお嫁さんの方もピアノを昔習っていたんだし、十分に答えられそうに思えて。しかし、何十年もピアノから離れていて、綺麗に忘れてしまったそうで。
家が近ければ直接教えてあげられるのですが、ちと距離が離れていて。とりあえず、スキャナーでコピーしたPDFを送ってもらう流れになりました。
まぁ、通信添削になりそうですけれど、楽器というのは座学であっても実際に音を出しながらの方が意味あると思っています。

またしても、話が随分逸れてしまいました。

一言足りない説明

お昼前にたまたま観ていたテレビで「親子で楽しむ電子工作」のような番組が。
どんなものかと観ていたところ、LEDをボタン電池に直結して発光させるという実験が。試しているのはまだ小さな子供達。
番組内で注意の説明も少しはあるかな?と思っていたのですが、何も無し。
これは頂けないなぁと。

電子回路の設計を少しでも経験したことがある人は同じ思いで番組を観ていたようで、Twitterでも同様の感想が。
誰でも小学生の頃に豆電球を乾電池に直結して発光させる実験はやっていたと思います。今回のLEDの発光も似てはいるのですが、動作原理が全く別です。

一般の方への説明はちょっと難しいのですが、豆電球というのは電球そのものがそれなりの抵抗成分を持っているハズで、乾電池を直結しても大した電流は流れません。
対して、一般的なLEDはほとんど抵抗成分を持っていないので、乾電池を直結したら大電流が流れて、下手すると一瞬でLEDが焦げます。焦げるといっても大爆発的な部類では勿論無いですが。
LEDを点灯させる最も単純な回路でも、その辺は意識して設計されていて回路の何処かには抵抗かCRD(定電流素子)が入っているものです。
今回のテレビ放映では、定電流素子が一体化したLEDを使っていたのかも知れません。

それを知らずにテキトーに材料だけ集めて試すのは、ちょっと危ないかなぁと。極端な話、電池をショートさせるのと変わらないことをやっているのですし、電池そのものも熱を持ってしまいそうで。
番組のHomepageでは追記でも注意事項を綴るべきかなと。放送局側は裏方で技術の専門職が沢山いらっしゃるでしょうし、電気電子の技術検証は放映前でも楽に出来るかと思うのですが。
電子レンジで卵料理を試した番組で、視聴者が試したら卵が爆発してレンジの中が汚れてしまった件とか以前にありましたし。

宝くじの換金

ハタチくらいの頃から、年に一度くらい宝くじを購入しています。
これが全く当たらない。

一番の高額当選は五千円でした。二十代中盤の頃で、喜びは分かち合いましょうと少し高価なお菓子を購入し、職場の女の子達と味わって消えました。
あれから四半世紀、全く当たっておりません。(正確には末等は当たっているのですけれど)

当選日まで夢を想るものだと既に開き直っているのですが。そのついでに当たってくれればなぁと僅かな期待。
夢を十分に楽しめてない場合は、換金まで数ヵ月放置とかもあったりです。当選番号の確認は自分でやらず、売り場の判定機で。

あの判定機が一枚々々自動で確認作業をしている場面が、毎度シュール。
途中で300円というのは必ず登場するのですが、カウント数が残り僅かになるほど残念感と期待感が交差して。

昨日は駅前の売り場へ年末ジャンボの換金に。高額当選などほとんど出ていない売り場ですが、柴又に引越してきてからは自宅から一番近い通り道で、ここを利用しています。
確率的には何処で買おうが同じハズですし、母数である枚数が売れれば当たりの数が増えるだけの違いで。
購入する際は「残りの人生預けますから、当たりを選んでください」と毎度の冗談。
運が良ければ三千円が十億円。しかし、結果は毎度の三百円でした。

買い続ければ当たる確率が上がるワケでは無いものの、そろそろ当たってもいいんじゃないのと。
十億なんて使い切れそうも無いから、一億で当たりの枚数増やしてくれればいいのになぁと。
夢は消え、現実に戻った昨日でした。

Earl Klugh

今宵のこと、35年近く謎だった曲が判明しまして、これが嬉しく。その内の20年くらいはけっこう真剣に探していたんです。
誰かに助けを求めるのが自分は苦手で。それは迷惑にも繋がりかねず。なので、自分は気が付けば黙ってそっと助けるのが好きで。
ともかく、貴重なヒントとなるコメントを頂けた「通りすがり」さんに感謝しています。助けられました。

今年で平成が終わるワケで、1/7から1/8にかけての今宵は昭和から平成に変わった日でもありまして。まぁたまたまですが。
偶然にしても、何だか目出度いのが重なったというか。

Earl Klughについては名前だけは知っていました。フュージョン系のギターをやっていたことも。しかし、それ以上は知らなかっただけに、実はしっかり耳に残っていたんだなぁと。
Wikiで軽く調べたところ、音楽上でも自分と接点があったようです。何でも、ギターでBill Evansのピアノを目指していたそうで。
プロデビュー時はチック・コリアのバンドにも参加されていたらしく。

あと、やっと知れたアルバムの参加ミュージシャンも凄く。豪華すぎます。
B級のスタジオミュージシャンが奏でていたワケでは無かったんだなぁとか、そのミュージシャンらしい音を残していたんだなぁとか。
アルバム全体としてはこちらになります。耳に残っていたフレーズの曲はこちら(Cabo Frio)でした。
そのCabo Frioという名前も検索したところ、ブラジルの素敵な海岸が著名な地域らしく。
自分がAzymuthをその後好きになったのも、基本はブラジルにありそうで。

1977年のアルバムを1984年に聴いて耳にこびり付き、2019年に曲名が判明したとは。
当時気になっていた謎の何かの発掘は、なかなか面白く。