九段会館

春夏秋冬、過去に幾度も撮っていたハズなのに、自分のBlogで何故か一枚も公開しておらず。
2013年の12月に撮った九段会館です
この季節のお昼過ぎは逆光が激しくて、正面からの撮影はちと無理がありました。
建て替えによる解体が愈々始まったらしく。
でも、一部だけでもそれらしきが残るらしく、良しとしておきます。

竹中敏洋さんの思い出

高校を卒業するまでの四年間暮らした北海道の千歳には支笏湖という観光地があり、冬場にはそこで氷凍祭りというイベントが開催されていました。
氷点下の中、氷で作られた像が並ぶ神秘的なイベントでした。自分がこの像を観れたのはずっと後のことで。
というのも、真冬の移動手段は車しか無く、中高生だった自分はバスを使って遠く寒い場所に行くまでも無いかと。夏であれば自転車か単車で行けたのですけれど。
それに、その氷の像というのが著作権関連で揉めていたという噂も面倒臭く。像は雪から作るのでなく、氷点下の中で水を撒いて凍った産物らしく。その製法と表現方法を確立した芸術家の断りも無く実施していたそうで。
当時、アート系に興味ある地元の知人に聴いても、氷凍祭りは興味の対象外だったようです。

社会人になって数年経った頃、夏の終わりくらいに北海道へ帰省した機会がありました。
流れ者な町であった千歳に残っている友人は少なく、親の車を借りて近場の観光を楽しむ程度でした。
当時、自分の母は油絵に凝っていて、地域の文化活動にも関わっていたそうです。自分の出身校の先生とも繋がりがあったらしく、その中には自分の尊敬していた国語の平田先生も含まれていて。

この平田先生というのがナカナカの変わり者で。国語の試験で記述式の回答があると、滅多に×を付けられない性格で。
文章に対する解釈は一通りでなく、模範的回答以外の解釈にも理解を示してしまうというか否定は出来ない方でした。その度に考え込んでしまうそうで。
こういった先生は高校よりも大学の方が似合うのかと思いつつ、頭ごなしに否定しない姿勢に見習うべき点は多かったです。立場や権力で生徒を押し込める教師が普通で。
あと、先生の趣味がまた面白かったんです。オーディオマニアで、高価な機材を入手しては奥さんに怒られてしまうこともしばしばだったそうで。当時はまだCDが市場に出回り出したばかりの時代でした。
そんな中、録音の良いCDを自分は先生から沢山お借りしていて。アルバイトで稼いだお金をJazzのCDに注ぎ込んでいた自分もお返しにCDを貸したりで。教師と生徒の関係としては不適切だったかも知れませんが、自分の全く興味なかったジャンルやアーティストに触れられる機会を頂けて。こんな曲や表現方法もあるんだなぁと。
国語という限られた科目に置くには勿体ない先生でした。「表現と解釈」といった、もっと漠然としたテーマの方が似合っていたかと。これは文化や人種や言語を越えたコミュニケーション方法でもあって。

話を戻さねば。
その平田先生と繋がりのある芸術家が市民ホール(千歳市民文化センター)で個展を開くらしく、暇を持て余していた自分は母の勧めで個展に行くことに。母の造った大作も市民ホールの階段に飾られているそうで。
何の期待もしていなかった個展ですが、これが面白かったんです。印画紙を応用した作品は他に観たことが無く、独特な世界観。イマジネーション膨らむ作品群。
作者の方はその場には居なく、作者の奥さんがギャラリーを受け持っていて。
その奥さんと少しお話をさせてもらったところ、作者とのトークベントが後日あると。
あの作品の雰囲気は冨田勲の月の光に近いなぁと、地元のレコード屋さんでCDを入手し後日の夜も同じ場所へ。
(この記事を綴っている理由も、昨夜観た夜叉ヶ池で冨田勲さんの作品が使われていた故です)

作者のトークイベントも楽しかったです。参加者がとても少なかった中、プロのパーカッションプレイヤーの方と物の叩き合い的なセッションもあったりで。
作者は竹中敏洋さんという方で、元々は千歳で中学校の教師をしていたものの、作品制作の世界に没頭したかったらしく、周りの反対を押し切って芸術家の道に進んだらしく。
しかし、その世界で認められるチャンスは何年も訪れず、極貧生活が続いたそうで。教師時代に「先生先生」と持ち上げてきた方々からも冷たい視線を受けるばかり。
ご自身が嘗て製作した作品の一つだけを頼りにしばらく生きていたそうです。イベントではその作品を持参されていました。例えの難しい作品は表面のゴツゴツした少し伸びたタケノコのようなモニュメントというか。
全てを失った中、その作品を腕に抱えて真冬の夜汽車に揺られたこともあったと。
その中に自慢話は含まれておらず、いまは人里離れた場所で作品造りと。

頂いたパンフレットを観たところ、例の氷凍祭りで争っていたらしい芸術家でした。
個展の中で目に付いた作品の中に「偽善者」(記憶が曖昧なのですが、そんなタイトル)というのがあって、それが特に印象的でした。真っ黒の背景の中に細い白い線で描かれた弧。垂れ下がった真ん中には首が吊るされた細い人のシルエット。
静かなる抗議な作品だったようです。あの盗作に対する抗議だったのかなぁと。
どうにも気になる竹中さん、東京に戻る前日にご自宅へ車で伺ってみました。何のアポも無く向かった夕方、会えなくても仕方なく。
大きな地図を観ながら走ったルートは、高校時代に幾度かバスで経験した風景でした。盤尻というエリアはその先に市民スキー場があり、学生はナイター券を安く入手出来たので友人達と伺っていて。
しかし、冬の雪景色とは一味違っていました。夏の終わり頃の枯れはじめた土地というか。枯れてはいないものの、夏の始まりの勢いある緑とは別の衰える緑。

民家が少ないエリアだったので、竹中さんのご自宅はすぐに見つかりました。通り過ぎた道を引き返し、手作りっぽい木製のご自宅へ。(木造というより木製でした)
玄関をノックしてみると、先日の奥さんが。居間に案内されて竹中さんと世間話。そのままアトリエへ。アトリエといっても屋外でした。ご自宅の裏には川が流れていて。
冬になると、ポンプで川から引いた水を撒き、作品作りに没頭すると。
ポンプや照明に必要な電源周りの工作や電線の引き回しもご自身でやられたそうです。この時代にこんな人が生きているのが斬新でした。元々は何も無かったらしき場所なハズ。
真冬の北海道でこんな人里離れた場所、一歩間違えたら簡単に死ねてしまいます。ゼロからここまで続けてこれたことに見習うべき何かが大きく。幾度の冬をここで越してきたのだか。
どんな話をしたのかほとんど覚えていないのですが、この会話だけは覚えています。

 SUKIYAKI:時々変な夢を想てしまうんですよ。空を飛んでいる夢なんですけれど、地上に戻りたいと必死に泳いだり電線を捕まえようとかするんですけれど、酷い時なんて宇宙の彼方で一人っきりで、
 竹中さん:そのままそこに居ればいいじゃないか。

自分は人付き合いが下手な面を自覚していて、一人で居たい時はもちろんあります。それでも人里が恋しくなる部分もある勝手な奴で。
何でそんな会話になったのか自分でも不思議でありましたが、ここで二人いることも不思議でしたし、竹中さんの生きざまへの質問だったのかなぁと。

その次のお正月だったか、ご丁寧な年賀状が竹中さんから届きました。
自分のこと、覚えていてくれたのが嬉しく。謎の妙な東京の若造でしかなかったハズなのに。
大切に残していた年賀状だったものの、自分の引越しの機会でしか目に掛かる場面が無く。いまはこの部屋の何処にあるのか。

竹中さんとお会いした数年後に自分は一時的に北海道へ戻っていました。
当時は養父が単身赴任で、冬に向かう季節の北海道で一人暮らしだった母をドライブに幾度か連れまわしたり。
共通の話題が乏しい母に「そいえば、竹中さんどうしてる?」と。「アメリカで個展開催に向かう飛行機に乗るところで吐血したそうよ」と。
そういえば、竹中さんはお酒好きだったなぁと思い出しました。
そのうちまた挨拶に伺いたいなぁと思いつつ、その機会も無く北海道をまた離れた自分。

時々、竹中さんのことは検索していたんです。
2002年に亡くなられたことも後から知りました。
そして、専業主婦向けの昼のドラマでもあった「ダンプかあちゃん」の題材になったご夫婦が、あの竹中夫妻だったこともずっと後に知りました。
乞食のような妙な男が気になった若い女性、その男は全く売れない実直な芸術家。勝手に転がり込んできた女は作品の裸体になる覚悟も、ダンプカーの運転で男の生活を支える覚悟もあり。幾度もドラマの題材になった二人。
そんな話、ご本人達からは一切聞いておらず。
普通の老人なら、自慢の一つくらいするだろうに。
だから、ますます忘れられず。(五十年近く前のドラマも丁寧な作り)

三年前の引越し後、所有していたCDを久し振りに整理しました。とりあえず、アーティスト別に並び替えて。引越し前までは部屋の至る所に散乱していたCD達だったので、大きな進歩です。
整理中、同じアルバムが幾つも見付かったり。冨田勲の「月の光」も二枚同じのがありました。多分、過去に三枚購入していたのだと思います。そのうちの一枚は竹中さんへ。
いつ購入したのだか思い出せない一枚と、冨田勲さんが亡くなられた頃に「そういえばあのアルバムは手元に残っていなかった」と勘違いして購入した一枚。そんな手元の二枚らしく。
久し振りに自宅のステレオで聴いてみたところ、やはり素晴らしいアルバムでした。
幻想的に響きつつ、何処かに刻まれる残音。

夜叉ヶ池

夜叉ヶ池(ヤシャガイケ)という映画を観たのは三十年ほど前、自分が大学に入ったくらいの時期でした。
テレビ放映でたまたま途中から観掛けて。これがナカナカインパクトのある作品でした。そのうち最初から観てみたいなぁと。
しかし、残念なことにテレビ放映はその一度キリでした。歌舞伎役者の坂東玉三郎が女役とはいっても男優さんと接吻する場面があり、現在大物になり過ぎてしまった玉三郎さんのお許しが得られないといった噂もあるようです。(真偽不明な噂ですけれど)

その途中から観た感想としては、特撮の古臭さとか薄気味悪さとか気持ち悪さみたいなアングラ劇に近いものを感じまして。ただ、冨田勲さんの音楽は特にラストシーンの浮遊感を際立たせていました。
翌日の大学で「昨日のヤシャガイケ観たかよ?ありゃ凄かったなぁ」と友人に尋ねられ。変な映画は観たもののあれが「ヤシャガイケ」という作品名なのは知らず、どんなラストシーンだったか尋ね返したらどうやら同じ作品で。
そして、上記のような感想を伝えていました。友人はバンドでドラムを叩いていましたが、クラシックにも強く、芸術的な感性は持っていました。
当時の自分は包容力が色々な面で足りなかったのか、特に特撮にぎこちなさが残る作品が苦手で、ストーリーとか作品が伝えたかったこととか本質的な部分は二の次になりがちでした。
いずれにしても途中から観てしまったので、語れるレベルではなかったです。ただ、ラストシーンの壮大さと孤独感は呑み込まれる感覚が確かにありました。

そのうちまた観れるだろうとテキトーに意識していたものの、十年経っても二十年経っても観れず、Webで検索したところ、上記の理由でソフトの再販は限りなく難しいし、テレビ放映は更に難しいとの噂で。
そうなると益々観てみたくなるのですが、半分諦めていて五年以上は「夜叉ヶ池」をキーワードに検索するは無かったです。

昨夜、何の気なしに「夜叉ヶ池」を検索したところ、数年前からYoutubeにアップロードされていて。半分眠りかけていたものの、一気に最後までスマホで観ることに。
これが、なかなか良かったんです。良いとか悪いとかいう判断は良くないと以前に忠告されたこともありましたが、決して悪くは無くて。

スケールが大き過ぎて、舞台に収まりきれない作品な面もあったとは思います。前途の通り、特撮も当時の技術レベルで。ただ、これを演劇として観た場合は強力な破壊力がありました。
かなり大雑把なストーリーはWikiにも載っています。映画上では姫が我が儘を押し通そうとする場面前後が如何にも演劇っぽい演出なのですが、人の動物的本能が穢れの無い美しさで理性を取り戻させる展開は誰にでも当て嵌まりそうで。
山崎努さんも自分は昔から気になっていた俳優です。「スローなブギにしてくれ」や「早春スケッチブック」といった作品が好きでした。「どの作品でも同じ印象」も上手く働いているというか。ちとインテリでありつつも野性味を残していて、人生の修羅場も経験していて。
坂東玉三郎については名前しか存じないような方でした。ここで演じる女性は女性以上に女性でした。自己主張の無さの中に自己主張が隠れていたり、男からすると誰かが傍に居なければ誰かが守ってあげなければいけない可憐な女性というか。
自立して生きていく為の教養とか経験とかが現代の女性には必要なのでしょうけれど、これを観てしまうと男が守らなければな旧来の社会も否定出来なくなる感で。

そしてクライマックス。
民衆の邪念が大量の水で押し流され、冨田サウンドが持ち上げて。
これをハッピーエンドと言って良いものなのか分かりませんが、愚かな民衆心理の結末。
暫く前に綴った記事で「浦島太郎」のクライマックスが理不尽過ぎると思ったものの、掟を破った結末はこの作に近く。

順番が全く逆になるのですが、映画の序盤も面白かったです。
日照り続きで水の乏しい村を彷徨う主人公が強風で舞った土埃で目を傷めてしまう場面です。目を洗いたいものの水は何処にもなく、人が集まる場所で状況や症状を伝えたところ「これで洗いなさい」とばかりに乳房から母乳を出そうとする女性。
大正時代が背景なのですが、都会で現代的な経験を持つ主人公は村の女性の対応に驚きます。勿論親切心や母性本能があったのでしょうけれど、そこに何の恥じらいも無く、明治はおろか江戸時代の風土に迷い込んだ感覚で。

現代の若者がこの作品を観たら、どんな感想になるのだろう?と。
おとぎ話や演劇だと事前に耳打ちしたら、細かな突っ込み無く素直に観れるかなぁと思ったりです。

マンションで水漏れ

数日前から向かいの部屋の玄関前にバケツが置かれていました。
向かいの部屋は現在売り出し中で、清掃途中なのかな?と思っていたところ数日置きっぱなし。
今朝気付いたのですが、天井から水が滴り落ちていました。水漏れでした。
この玄関前からすぐ隣のエレベーターホールに渡って、天井からじんわりと水が滴り落ちていて。

雨が降ったのは二日ほど前だった記憶ですし、雨漏りよりは配管からの水漏れが疑わしいかと思われます。
屋上の排水口が詰まってプールになっていると、長期に渡り水漏れということも過去の仕事で経験していますが、屋上の防水工事は昨年実施されたばかりなので排水口も含めて恐らく問題無いだろうと。
まぁ、素人考えなので実際のところ原因はまだ分かりませんけれど。

漏れの原因と被害範囲が共用部内であれば良いのですけれど。
というのも、原因箇所や被害箇所が専有部の場合ですと、その区分の所有者に高額な修繕費が回ってくる危険があるそうで。
また、現在売り出し中の向かいの部屋は前の家主さんが引っ越された後に大掛かりなリフォームをしたばかりでした。床も壁紙もキッチンもバスルームも総入れ替えしたようなリフォームで。
その室内まで水漏れの被害があったら、また大変そうです。

うちのマンションはそろそろ築三十年にはなるかと思われます。大規模修繕は五年ほど前に実施されたとも聴いています。
ただ、その際には外壁周りが主だったとも聴いており、廊下で本日お会いしたマンション理事会役員の方の話では配管周りの修繕は数年以内に予定とか。
築三十年は、色々とボロが出てくるタイミングな様です。
ただ、修繕積立金の運用はまともに行っているらしいので、その点は安心しています。
管理費や修繕積立金が高いなぁとは思っているものの、こういったときは強みになるのかも知れません。戸建ての場合ですと、計画的に修繕費を積み立てている方など少なそうですし。

マンションの水漏れについて検索してみたところ、色々な例があるようです。
特に、上階での水漏れに気付くのは下階の方が多い様子で。その時点で下階には被害が発生しているワケで壁紙の張り替え等の費用は上階の方が持つパターンも多いらしく。
うちは一階なので、そういった問題は少ないのかな?と思われますが、水漏れに気付かないままというのも有り得そうです。
ちなみに新しめのマンションですと、そういった対策も含めて配管は床下でなく天井上なのが多いとか。(上水だけかと思われますが)

ともかく、今回の水漏れの件、早く安く片付いてほしいです。
そうでないと、向かいの部屋の買い手も見つからないでしょうし。この状況で見学に来る方は諦めるか大きな値切りに入るかと思われます。

アメリカンフットボールの事件

某大学のアメリカンフットボール(以下アメフト)部の事件が話題になっています。
アメフトのルール等、自分は全く知らなく。大体、アメリカで流行っているスポーツというのは野球も含めてアメリカ以外ではマイナーな存在な気もします。
数週間前からこの件はネット上で話題になっているのですが、ルールを知らない自分はそれが反則行為なのかも当初分からず。
あんなにごっついプロテクターで固めた選手たちですから、格闘技に近いジャンル何だろうなぁくらいに思っていて。
ともかく、ボールを持っていない選手に対してのタックルは反則らしく。
勿論、選手はそんなの知っていて当たり前でしょうけれど、サッカーのオフサイドとかも面倒臭いルールだなぁと思っている分かっていない自分です。

この事件に興味を持ったのは大学側の対応でした。
既に大きな話題になってしまっているので説明も不要でしょうけれど、数年後に読み返したときにどうだったか必要そうで。
危険な反則行為により対戦相手のK大学が抗議。→N大学は意図的な反則では無かった回答。→K大学が抗議。→N大学の反則を犯した選手が謝罪会見(上からの指示であったと釈明):正直な選手の姿勢に世間は評価。→N大学がの監督とコーチが謝罪会見(そんな意味で選手に指示したのではないと釈明):矛盾だらけの釈明に世間は更に不信感。→K大学が抗議(現在この辺り)。
まぁ、巨大組織であるN大学側の体質が疑われる現状かと思います。

そのN大学で自分は大学時代にお世話位なっていました。自分は別の理工系単科大学で夜学部の学生で、昼間は駿河台にあるN大学の職員をしながら生活費と学費を稼いでいました。
学生職員という微妙な立場の自分でしたが、卒業までの期間は雇用が保証される身分で、職員証も正式なものを所有していました。
月収は生活するのにギリギリなレベルだったものの、賞与はしっかりしていて学費は何とか払える範囲で。ともかく、勤労学生向けの学生職員という制度でした。
N大学のこの制度が無ければ、自分は大学を卒業できなかったのが確実かと思います。
N大学には今でも大きな恩義を感じています。

自分が採用された経緯は過去の記事にも綴っています。かなり偶然の出会いでした。
学生職員には同期が数名居ました。しかし、自分以外は全て付属高校からN大学の夜間に上がってきた若者でした。
この付属から上がってきた連中は受験勉強をまともにしてこなかったのか、英語の構文とかにめっきり弱く、こいつらは何なのだ?と当初思ったり。自分が宿題の回答をすることもしばしば。
まぁ、付属上がりというのはN大に限らずこんなものかと思います。
ただ、一緒に仕事を続けていたら、色々と苦楽を共に出来て信頼関係はちゃんと生まれていました。自分も何度も救われています。

当時の大学での職員の立場は案外まともでした。出入りの業者さんからは自分のような若造でも先生と呼ばれたり、教員より立場が弱いということも無く。現代では正規雇用の教員も少ない様で、むしろ職員の方が立場が強いのかも知れず。昔は教員の方が圧倒的に強い立場だったらしく。
自分の様な18歳で入ってきた若造から、定年間近の管理職から、大手企業を定年して再雇用された方から、年齢層は広い職場でした。
実際、再雇用された高齢の方々は太平洋戦争で戦った経験があり、ジェネレーションギャップを越えた経験に驚いたものでした。あの方々にとっての自分は孫で、管理職の方々にとっての自分は息子で。

ともかく、当初は何処の馬の骨だか分からない存在の時分だったので、出来ることは何でもしましたし、遅刻や欠勤は絶対に避けていました。
もちろん、社会経験が少ない自分は沢山のドジを踏んだものの、周りの職員の皆さんは暖かくフォローしてくれて。それが有難くて涙したこともしばしばでした。
職員の皆さんは、包容力のある優しい大人ばかりでした。

ただ、大人同士の派閥争いみたいなのは僅かながらもあった様子でした。自分には分からない大人の事情です。
自分が生まれた時代にあったらしい学生運動の名残はまだ僅かでも存在していて。それは学生側にも教職員側にも。
当時からの職員は相当辛い思いを経験していたようでした。生々しくてここにも綴れないくらいです。
また、総長選挙の際には意味不明な怪文書が流れたり、負けた派閥についてしまった方が飛ばされたり。
でも、学生職員の自分達には関係無いことでしたし、そんな面倒臭い事象に振り回される場面は無かったです。大人達が守ってくれたのだと思います。
夜に通っていた大学よりも、社会人としての大人の振る舞いを自分は昼間に教わった感です。若い頃の痛みを知っていた方々だから、包容力を持った大人だったんだろうなぁと。
自分も、あぁなりたいなぁと。

大学の卒業と同時に自分は民間企業に就職したのですが、内定を頂いた後にN大学の本部職員の紹介を頂いていました。
そんな話はかなり有難いレアなお誘いだったらしいのですが、既に他から内定を頂いていて、自分の性分ではまだ未経験の民間の方が向いている気もしていて。
課長から説得も頂いたりでしたが、自分は民間を選びました。今考えると全く勿体ない話です。

そんな経験もあるので、N大学の職員の皆さんに自分は一生頭が上がらないです。
変わった方も中には居ましたが、ごく一部で。そんな方でも若手には優しくて。
だから、N大学の皆さんには頑張ってほしいし応援しています。
なるべく早く、ちゃんと片付いてほしい事件です。まともな判断が出来るの分かっていますし。

アルファロメオ

ヨーロッパの車のエンブレムは何かの紋章系なのが幾つかある様です。
パッと見でどのメーカーなのかは分かるのですが、紋章の中の細かいオブジェクトまでゆっくり観る機会はナカナカ無く。
特にアルファロメオはゴチャゴチャしている系かと思います。

以前に新車を購入する際に安いモデルのアルファも候補にあがったことがありました。その際は故障が怖くて諦めたのですが、そのタイミングで知ったアルファの紋章の由来がちと驚きでした。
よく観たら、大蛇が人を呑み込んでいて。ちと怖いですよネ。
アルファロメオのお膝元の土地では大昔にサラセン人との戦いがあったそうで、それにちなんだ紋章だそうです。サラセン人とはイスラム教徒を意味しているそうなのですが、現代では問題にならないのかなぁとちと心配だったりです。

四輪ではありませんが、自分がVespaに乗っていたのはイタリア車への憧れもありました。デザインの美しさや乗り味です。
デザインの美しさについては観れば分かりますが、乗り味については人伝に色々な人から聴いていて。
安いパンダでも十分に面白いとか、ぶっ壊れそうな回転数まで回せられるとか、それで実際にぶっ壊れたとか。

新卒で入社した会社で知り合った同期の一人にボンボンがいて、大学時代はインテグラーレに乗っていたとのことでした。親が何社もの会社を経営していて母親から買ってもらえたそうです。本田のインテグラではなく、ランチャのインテグラーレです。
そのインテグラーレ、新車で購入してから数ヶ月後に首都高を走行していたところ、エンジンルーム辺りからボンッ!と音がして停止してしまったそうです。オイルパン付近に穴が開いたとか言っていました。

その後に会社の寮で知り合った先輩が同じ勤務先になり、過去にアルファロメオに乗っていた話が可笑しかったです。FRの運転が楽しかったとか、とにかく高速走行が楽しかったとか。
この方の場合はそれなりの収入があったそうですが、車の維持費等に無理があったそうで自己破産したそうです。本人による事故もあったそうですけれど、勝手に壊れた系の話は聴けず。
車両価格は無理なかったと思われますが、そこまでの魅力があった様子でした。

その後に気になったアルファは、ドイツからオランダへ帰るアウトバーン上でした。
自分達の乗っていたシトロエンの商用車がオープンの黒いアルファに勢いよく抜かれたのですが、次のサービスエリアで黒いアルファにまた遭遇してしまい。
乗っていたのはとても綺麗な二人組の女性で、黒いドレスもお揃いで。日本では観ることの無いようなキマり具合でした。

中古の輸入車屋さんでは少し古いアルファがかなり安く販売されているんですよネ。まぁ、日本車でしたら同じ年式ですと更に安いのでしょうけれど。
展示されている車体はどれもとても美しく。
ただ、故障頻度とか修理費とかが、やはり日本車に比べると高額そうです。

以前に古いVespaに乗っていたもう一つの理由は、壊れても自分で直せるくらい単純な作りというのもありました。
アジア製の互換部品はかなりの安さでしたし。以前にインドとかでノックダウン生産をしていたらしく、格安部品の入手は難しくなかったです。
たまにまた古いVespaに乗りたくなるのですが、自分が入手した十年以上前でもソコソコの値段。現在では更に高価になっているらしく。
そんなワケで、宝くじでも当たったらイタリアの四輪と二輪は高確率で入手してしまいそうです。

2006年の秋葉原中央通り界隈

2006年に新調したデジタル一眼レフはNikonの普及機D50というモデルでした。本体は六万円程度だった記憶です。
純正の標準ズーム(AF-S DX Zoom-Nikkor 18-55mm f/3.5-5.6G ED)を併せて入手したのですが、商品レビューのような説得力ある写真が撮れず、Tamronの評判の良い広角寄りズームレンズ(SP AF 17-50mm F/2.8)を入手したところかなり化けました。
続けてNikonの単焦点(ズームでは無い)レンズAi AF Nikkor 50mm f/1.4Dというのを入手したところ、あまりの性能に驚きを感じました。

D50は安い製品だったものの、基本をおさえた真面目な作りだったようで、プロの方のレビューでも「何も期待していなかったが自腹で購入したくなった一台」的な最大限の評価をされていました。比較対象の無かった自分でもレンズを換えるだけで「ここまで表現力が変わるんだ」と感心した一台でした。
それまで使用していたコンデジ類とは大違いというか。有効画素数については約600万画素で、現代のスマホのカメラより貧弱ですけれど、普通に使う分には当時としては問題なかったです。悪いカメラですと画素数が豊富でもノイズが増えるばかりで。D50は良いレンズでちゃんと撮れば等倍で観ても粗がほとんど目立たずで。
標準ズームについては何も良い思い出がありません。こんなものか程度で。
続けて、Tamronのズームについては一気に表現幅が広がった感でした。サードパーティーのレンズを使うのが生まれて初めてだったものの、メーカー純正の半額以下でこれだけの性能は実にありがたく。当時の地元の行事やお祭りではほとんどの場面がこのレンズの出番でした。単焦点に比べればもちろん描画力が落ちるものの、ズームの恩恵で撮り直しの効かないタイミングや場所では構図を決めやすく。
単焦点の50㎜は表現力が凄まじかったです。絞りを少し変えるだけで暴れ馬の如く表現が変わり、色々と試し撮りをしたものでした。あのキレとボケの対比が面白かったです。

撮影の本番は地元の行事やお祭りでしたが、ともかく失敗の許されぬ場面が多かったので、機材を入手した後は近場での撮影に毎週末励んだものでした。自宅から徒歩5分で秋葉原の中央通りがあり、当時平和の象徴でもあった歩行者天国は撮影練習に丁度良い空間でもありました。
何を撮っていたかというと、普通のカメラ小僧とは視点が異なっていて。なるべく全体の雰囲気を伝えたいなぁと。普通の人はコスプレそのものを撮るのでしょうけれど、自分の場合は撮影者の集団を撮っていたんです。
自分の本番は御神輿と担ぎ手という沢山の人や集合写真ですし、他にも運動会であったり、餅つき大会であったり、盆踊りであったり。ポートレートのような一人だけを写す場面は極端に少なく。
その当時の撮影分を昨日久し振りに確認したところ、いまでは撮れないような場面が何枚か残っていたので、せっかくだからこちらにも載せてしまおうと思った次第です。全て2006年の撮影分です。
2008年の秋葉原の事件まではこんな風景が当たり前でしたし、事件に近付く日までは露出度や過激度は実際上がっていた感でした。

当時はまだスマホが無く、中にはレンズ付きフィルムも。

路上販売は当時から反則だった様子です。

このウッドデッキは自分も好きでした。

小道具等(掃除機?)に凝った女装者は何故か人気が乏しく直ぐにポーズ。

気が向いたら、2007年から後のも載せてみようかと思っています。