外神田のメモ

2008年に発生した秋葉原での事件について、当時の住民視点なサイトからの引用を時系列にピックアップしてみました。
当時の地域コミュニティサイトは既に終了しておりまして、インターネットアーカイブさんのリンクが主です。
現時点、秋葉原というより外神田でまたトラブりそうな気配で、心配で。

2008/04/29:中央通パトロール(事件前、既に制御不能に近い状況でも地元なりに)
https://web.archive.org/web/20130630213029/http://www.sotokanda.jp/?p=200

2008/06/08:中央通にて通り魔(事件当日)
https://web.archive.org/web/20130630170322/http://www.sotokanda.jp/?p=205

2008/09/10:万世橋ルネッサンスⅡ(の予告)
https://web.archive.org/web/20130705160336/http://www.sotokanda.jp/?p=210

2008/10/19:祝 優勝!!(千代田区の運動会にて)
https://web.archive.org/web/20130705051756/http://www.sotokanda.jp/?p=214

2008/12/07:地域安全パトロール実施のお知らせ(予告)
https://web.archive.org/web/20130630131527/http://www.sotokanda.jp/?p=218

2009/02/01:第2回12睦防犯パトロール
https://web.archive.org/web/20130702160519/http://www.sotokanda.jp/?p=223

2009/03/04:第1回神助会お花見会のご案内(コメント欄で残念な流れ)
https://web.archive.org/web/20130704005058/http://www.sotokanda.jp/?p=227

2009/04/02:宮入り参拝の順・撮影の御協力願い(なるべくシンプルなルールで)
https://web.archive.org/web/20130708111223/http://www.sotokanda.jp/?p=243

2009/05/06:2009神田祭(なるべくシンプルな予定)
https://web.archive.org/web/20130703053917/http://www.sotokanda.jp/?p=402

2009/05/11:2009宮入直後(撮影は完璧でなかったものの無事終了)
https://web.archive.org/web/20130703035122/http://www.sotokanda.jp/?p=443

2009/11/07:天皇陛下御即位二十年奉祝神輿渡御(裸やフンドシは禁止)
https://web.archive.org/web/20130628134014/http://www.sotokanda.jp/?p=557

2010/01/09:2010 神田明神「だいこく祭」寒中禊(地元の皆さんも多数参加)
https://web.archive.org/web/20130630094525/http://www.sotokanda.jp/?p=583

2011/01/23:歩行者天国再開(やっと何とか再開)
https://web.archive.org/web/20130630152155/http://www.sotokanda.jp/?p=822

2011/03/13:ワッショイです(東日本大震災直後)
https://web.archive.org/web/20130701194745/http://www.sotokanda.jp/?p=858

2011/04/05:神田祭中止(残念無念)
https://web.archive.org/web/20130628064648/http://www.sotokanda.jp/?p=880

2011/04/17:復興支援 懇親会のお知らせ(別のカタチで頑張りたい予告)
https://web.archive.org/web/20130629174335/http://www.sotokanda.jp/?p=883

2011/05/15:復興支援(別のカタチの本番)
https://web.archive.org/web/20130628074724/http://www.sotokanda.jp/?p=895

2011/10/16:体育大会代替イベント(運動会も雨で中止で別のカタチで)
https://web.archive.org/web/20130704030817/http://www.sotokanda.jp/?p=956

2011/10/30:神田明神東日本大震災復興鎮災祈願神輿渡御祭(別のカタチで御神輿を)
https://web.archive.org/web/20130628084343/http://www.sotokanda.jp/?p=960

こんな流れでした。なかなか、思い通りにはならなかったものの、地元の皆さんは頑張っていたと思うんです。

洞窟探検隊の思い出

子供の頃にテレビのドキュメンタリー番組で洞窟探検隊が遭難してしまい、酷い水攻め状況から数日後に何とか脱出というのを観た記憶があります。日本テレビの木曜スペシャルだったか。
川口浩の探検シリーズが定番だったテレビ朝日の水曜スペシャルに比べ、日本テレビの木曜スペシャルは子供ながらに「やらせ度」が低い印象でした。
特に「どっきりテレビ」とかは、嘘がバレた際の騙された方がかなり本気で怒ってしまうとか。前者は娯楽度、後者は本気度的な。

その洞窟探検のドキュメンタリーがずっと気になっていました。放映前には実際に数日間に渡って救出劇がテレビニュースにもなっていて。
現代ですと、世間をそんなに騒がせた事故であれば放送は出来ないのだと思います。
自分が小学校の低学年くらいの出来事でしたので、細かい部分は綺麗に忘れてしまいましたが、山奥の謎の深い洞窟を探検するチームに撮影班も同行したところ、天候の急変で洞窟には大量の雨水が滝のように流れ込み、脱出不能な状況に陥ったストーリーでした。本来は探検目的の撮影が、生き残りをかけた脱出劇になってしまい。
救助隊が現地に駆け付けたものの、晴れていても難易度が高い場所で、この大水の状況では二次災害も十分に考えられて見守るしか無い(?)流れだった様な(勿論最善は尽くされていました)。洞窟の中で奥まで行かなかった中継チームは自力(?)で何とか脱出出来たものの、その先のアタック隊は連絡も取れない状況で、数日後にやっと自力脱出した様な。

この事故がずっと忘れられず、幾度か検索したものの葬られた情報の如く手掛かりが無く。
昨夜久し振りに検索したところ、判明しました。
岩手県の「白蓮洞」という洞窟で1976年に発生した事故だった様です。自分がまだ小学二年生の頃。
自分は富士山の青木ヶ原での出来事かと勘違いしていました。検索が上手く行かなかったのはこの部分に理由があったのかも知れません。
白蓮洞は日本一深い竪型洞窟らしく、513mの深さだとか。東京タワーより余裕の高さというか深さです。ちなみにスカイツリーの展望台は450mだそうです。
ただ、それにしても情報が少なく。この事故の影響で洞窟は立ち入り禁止となってしまったそうです。
事故の一部についてはこちらのサイトで触れられています。「mixiの某トピック」「猫仙人の洞窟探検」。

沢の水が洞窟に流れ込みやすい地形だったのが、酷い状況を招いた様子でした。最悪の場面でアタック隊と連絡が取れなくなった理由はインターホンのケーブルが途中で切れてしまったからの様です。
また、何処かの大学のワンゲルがチャレンジしたと思っていましたが、社会人の探検経験豊富な方々だった様子です。
結果的に全員脱出出来た事故でしたが、まだ生存しているのかどうか分からない状況でアタック隊が洞窟の入口から戻ってきた場面は感動的でした。
遭難中の最悪時に下手に動き回らなかったのも生き延びれた理由の一つだったとか。

自分は山や海で逃げ出したい思いを経験しています。山奥で体力を消耗してしまったり、悪天候のヨットで酷い酔いに襲われたり。地上に早く戻りたい感覚。
これが車での移動でしたら、車を停めてしばらくゆっくりすれば回復するものですけれど、山や海や空ではそうも行きません。
なので、地上でのアウトドアに自分は偏りがちです。この事故は洞窟という更に特殊な環境での出来事で、恐ろしさも半端なかったかと。海中とか宇宙とかですと更に怖そうです。

この件、mixiのトピックでも気になっている方がいらっしゃるし、自分もです。
もう一度観てみたいドキュメンタリーの一つです。後世に伝えるべき事故の実録だと思うのですけれど。

謎の植物

上記の写真は2014年の8月下旬に撮影したのですが、この頃から自分は園芸おじさん化しておりました。
先住民達に放置された沢山のプランターや植木鉢が屋上で悲惨な状況になっていて、これを使ってヒマワリを育てられるかな?でハマり初めまして。
ヒマワリ自体は順調に育ったのですが、全てのプランター類を片付ける作業は毎週末頑張っても二ヵ月ほどかかった記憶です。
単に片付けるだけではなく、土を振るいにかけて粒の大きさ毎に袋分けしたり、殺菌目的で黒いビニール袋に入れたり。そんな細かい作業まで含めると半年くらい掛かったかも知れません。

ただ、土いじりは案外楽しくて、嫌々ながらな作業では決してありませんでした。ラジオを流しながらとかちょっとしたアウトドア気分で。
マンションの屋上でしたので、暖かい時期は日焼けを兼ねてパンツ一丁とかで。ただ、屋上には蛇口が無かったので、三階の自分の部屋から屋上まで毎日水を運ぶのはちと辛かったりでした。
それでも、育てている植物の成長が楽しみで、毎朝の起床もアラーム一発で、水を抱えて屋上まで様子見に行くのは素敵な作業でした。
ビルに囲まれた商業地では地上から空なんてほとんど拝められないのですが、屋上に出るとソコソコ視界も開けて、朝日も浴びられて。

で、その作業の途中で放置されたプランターの中からは時々謎の植物が登場したりでした。
半分腐ったような根菜類とか球根とか。そんな中でコブシ大の妙なのを発見してしまい。
白くて柔らかい物体で、観たことがない部類。それを試しに切断してみたところかなりの悪臭。酸っぱさも伴っていて。中身も白くブヨブヨ。
何じゃこりゃ?

そういったモノは生ゴミで処分してしまい、数ヶ月後に全ての土や小石類は分類完了していました。
分類した土は最終的に大き目なプランターに移して乾燥させたり。
その春頃に、小石類を収めたプランターの表面近くで上記の謎の白いのがまた登場しました。
先週の作業では見掛けなかったので、僅か一週間で一気にコブシ大まで成長した様子でした。
恐る々々切断してみると、またあの悪臭です。どうなってるんだろう?

気持ちの悪い植物だったのもあり、直ぐには調べることも無くあれから数年。
昨日のことその件を思い出し検索してみました。簡単には見つからなかったのですが、キーワードを色々試したところアレはどうやら「スッポンタケの卵」だった様子です。
キノコの一種だそうで、放置していたら傘が登場したのかも知れず。
しかし、生息域は一般的なキノコのように直射の当たらない湿気のありそうな森の中とからしく。
ソコソコ陽当たりの良い屋上で見つけたアレとはひょっとして別モノかも知れないのですが、特徴はほとんどそのまま。写真に残しておけば良かったなぁと後悔したりでしたが、気持ち悪いのって撮り難く。
コレを生のまま食べてしまう人も居るそうなのですが、あの臭いを嗅いでしまった自分としては絶対に真似出来ず。
自分はあのマンションから引越して既に三年近く経っています。ひょっとしたらあの屋上ではスッポンタケだらけになっているのかなぁと。
ちとオチも何も無い記事になってしまいましたが、昨日の発見でした。

西城秀樹さんの思い出

昨夜、西城秀樹さんが亡くなられたそうです。
十年以上前に脳梗塞で倒れられたと聴いていて、その後テレビでお見掛けする姿が少なかった気がしますが、自分自身が高校時代からテレビをあまり見なくなっているので、出演の機会自体はそれなりにあったのかも知れません。
最後に生放送でお見掛けしたのは某国営放送の「のど自慢」だった記憶です。これすら十年くらい前だったかもしれません。
このとき、素人が歌った「傷だらけのローラ」はかなり上手だったものの、審査員の西城さんは「もっとオーバーアクション」をとの指導をされていた記憶です。

西城さんのデビューというか存在を知ったのは自分が小学校に上がるくらいの頃だった記憶です。当時の西城さんの歌というか演技というかは派手過ぎて自分にはついていけなかった感です。
ただ、ドラマ「寺内貫太郎一家」は楽しみで、夕方の再放送を笑いながら見たものでした。

小学校の高学年の頃に流行ったYMCAは、体育の授業か何かでも踊らされた記憶があります。老若男女誰でも知っていた歌、誰でも謳えて一緒に踊れて。そんな時代はここまでだったかなぁと後から思い出したりしています。
この時代になるとニューミュージック系の方々が続々と登場し始めて、自分もそちらの方が気になっていました。世良公則さんや原田真二さん等です。あとは、担任の先生も好きだった「さだまさし」さん等のフォーク系も。

その頃くらいに観た映画がずっと気になっていました。日曜の夕方頃に放映されていた作品は途中から観たのですが、一文無しの身寄りの無いらしきお婆ちゃんが可哀そうで、冷たい対応の家族達と大喧嘩した青年(西城秀樹)が「こんなところ一緒に出て行こう!」とお婆ちゃんを連れて旅立つ結末でした。
しかし、痛快だったのは、大きな土地を処分したお婆ちゃんは数億円資産を持つ大金持ちだったというオチで。
どうやら、お婆ちゃんはお金目当てでは無い信頼できる人を探していた様子でした。隠し持っていた資産を最後の最後で打ち明けられた青年はビックリし、ニコニコのお婆ちゃんはそれさえも楽しんでいるようで。

かなりうろ覚えですが、ラストはこんな会話だったような。
 お婆ちゃん:あなたお金預けたいの(Vサインしながら)
 青年:二万円?
 お婆ちゃん:もっともっと
 青年:二十万?
 お婆ちゃん:もっともっと
 青年:え?

今日、西城さんの訃報でその謎の作品が何だったのか検索したところ、すぐに分かりました。「おれの行く道」という作品で、リンク先であらすじも判明しました。あの冷たかった家族も当初は財産目当てでお婆ちゃんの奪い合い的な展開だった様子です。
また、主演は田中絹代さんだったそうで、昭和の大スターではありましたが既に高齢でほぼ最後の主演作となったそうです。そんな大事な作品に出演した西城さんですが、西城さん自身が登場する映画というのは実はかなり少なかったらしく(それも手伝って探しやすかったです)。
また、この作品はVHSビデオでは販売されていた模様ですが、その後DVD化はされていないらしく。もう観れる機会は無いのかなぁとか、出来れば追悼で放映してほしいなぁとか。素敵なB級映画だと思っていて。
余談ですが、日曜の夕方に日本テレビで時々放映されていた映画は名も知らぬB級なのばかりでしたが、タイミング良く見れる機会があると、どれも心にジーンと響くのが多かった記憶です。「初めての旅」という作品も途中からだったので、もう一度観てみたい一作です。輸入スポーツカーを盗んで旅した二人の青年の顛末でした。

今夜のニュースで西城秀樹さんの訃報も扱われました。デビュー当時から全盛期の元気に踊って歌う姿。自信満々元気モリモリ。そして身体を壊してからのリハビリ場面やバラエティー番組でのトーク等。この身体を壊してからのトークというのが声を出すだけでやっとな状況で。何処かに無理な力を入れないと発声出来ないような頑張り方でした。
それでも一時よりは随分マシになったそうなんです。芸能人によっては衰えた姿を隠してしまう方も実際居ると思うのですが、西城さんは障がいが残っても頑張っている自分をさらけ出す覚悟があったそうです。

西城さんの本当のカッコ良さを、今日になって知ったようでもあります。
ご冥福お祈りします。

山での遭難

一週間ほど前から新潟の山で行方不明になっている親子の消息が不明なままで、ずっと気になっています。
それ程高い山では無かった様なのですが、低山でも危険だとのニュース記事もあり。
軽装で中途半端な時刻から登山を開始したのが問題だとかWeb上では批判も多い事故なのですが、これは自分も思い当たる節があって、決して非難出来ず。

二十年ほど前の自分はオフロードの単車で週末の野山を走るのが楽しみでした。特に奥多摩方面は単車で往復する一日ルートに丁度良く。
職場の開発チームと道志村へキャンプに伺った際は皆四輪で現地に向かったものの大渋滞。単車で登場した自分は渋滞の中でもすり抜け出来て、さっさと現地入りしたり渋滞にハマる皆の様子を観に戻ってみたりの往復。
同行した何人かはオフロードの単車に興味を抱いたようでした。終わりの見えない渋滞で空を飛べる自動車を見たようなものか。
それから数ヶ月後、単車仲間が二人増えました。

写真は日原街道経由で崖崩れの終点手前です。自分の好きなルートでした。ここが東京都だとは思えぬ風景で。
この仲間とは色々な場所へツーリングに出掛けたり、近場の多摩川でオフロード走行の練習をしたり、楽しい思い出が多いです。
一時期の自分は忙しかったからか、ツーリングに登山まで含まれているお誘いは断っていました。
しかし、ある日のツーリングでは天候も時間も現地で余裕があり、上記の崖崩れ現場から雲取山に登ろうということになりました。

装備はほとんど何も無し。皮のブーツとおにぎり二個くらいでした。
登山の最初は自分でもスイスイと歩けたものの、残り半分というところで自分は既にヘトヘトでした。脚はガクガク。
他の二人は最近既に幾つかの山に登っているからかペースが落ちず、自分は着いていくだけで必死。
そして、そのコースは思ったよりも危険で。途中は山肌のロープをしっかり掴まないと危険な崖であったり。その直下は百メートルはありそうな谷底で。
途中で昼食休憩を取って、登りを再開したものの、自分は文字通り足手まとい状況が続き。

心配になりました。
山頂まで伺う予定、無理して山頂まで行けたとしても帰りのルートを歩き切れるか自信が失せる一方で。
もう一つの心配が、まともな地図を持っていなかったことです(ツーリング用の縮尺率の高い地図は持参していましたが)。他の二人は自分じゃ気付かない標識のようなモノが目に入っているらしく、それを頼り進んでいるのですけれど、自分はほとんど気付かず。
頭の中を過っていたのは「自分を置いて二人で山頂まで往復して。自分はここで待ってるから」でした。
こんなワケの分からない場所で待っていたとして、戻ってくる二人が同じ場所を通過できるのかも不安でした。
バックパックの中にはカメラと三脚も含まれていて、途中で幾度も捨てたくなりました。少しでも身軽になりたく。

ただ、二人にあと少しだからと励まされて、何とか尾根までは同行出来て。オオダワという大きな看板の立った場所で自分は留守番することに。
さっきまで汗だくだったのが十分ほどで周りの寒さに気付ける状況になりました。
一時間を過ぎた頃に二人は戻ってきました。オオダワから山頂まではかなりユルいコースだったそうです。ただ、自分は安全を取りました。
心配していた帰りのルートは重力に逆らわない下山になるからか思ったより楽でした。人によっては下山の方が危ないと言いますが、自分はもう重力に逆らう体力が残っていなく。
エンジンの壊れた車でも坂道を降りるだけなら走れるワケで。ブレーキさえ壊れていなければ。

帰路の途中では数時間前に追い抜いた登山集団とすれ違いました。平均年齢六十以上の十人程の集団は重装備で、時間的にも山で泊まる様子でした。
「やっぱり若い人達は早いねぇ」と声を掛けられて。そんなこと無いです。自分がこの集団のような重装備だったら、ここまで辿り着けれるとは到底思えません。
二人に連れられた下山、やはり二人には自分に見えない標識か何かにちゃんと気付いている様子でした。
凄いなぁ。これ、自分がはぐれたら冗談抜きに遭難してしまうよ。

単車を置いた場所に戻ると、少し気持ちに余裕が出来たのか記念撮影を。それが上記の写真だったと思います。
山登りにしても、やはり練習とか経験とか続けないと危ないんだなぁと痛感しました。特に遅れを取る自分を見捨てなかった二人に感謝したり。赤の他人だったら置いて行かれたかと。
埼玉と山梨と東京の県境にある雲取山は標高二千メートル。雲取山という名前が素敵ではないですか。いかにも高い山なんだぞと。
難易度が高い山では無いそうですが、初めての自分には何かと無理がありました。

その数年後に愛知へ引越した自分は猿投の見晴らし台まで時々登り、体力作りに励んだものの、これは続かず。結局あの雲取山が登山の最後の経験になってしまいました。
では最初の登山は何だったか?と思い出してみました。小学校の遠足で登った高尾山か林間学校で登った「子の権現」辺りかと。
大晦日の夜にお世話になったおじちゃんと神奈川の大山に登ったこともあったなぁ。あの時は連れて行ってくれたおじちゃんが途中からバテちゃって辛そうだったなぁとか。

たまに山登りしてみたいなぁと思う時はあります。出来れば頂上の見晴らしが面白くて、途中のルートは自然が残っていて、人は多くも少なくも無く。
高尾山では観光地化し過ぎているなぁとか、富士山は日本一の高さだから、さぞや辛いだろうなぁとか。全く勝手な妄想です。
そして、以前の職場に登山を趣味にしている同僚が居て、幾度か誘われた機会がありました。この同僚は仕事上でも意地悪な部分があったので、毎度断っていました。
実際、別の同僚が富士山に同行したものの、途中からバテバテで週明けには噂になっていました。同僚曰く「奴は途中からお爺さんだった」と。
バテてしまった方の同僚は自分より一回り若く、週末はサーフォンを楽しむようなナイスガイ。体力も十分にありそうなのにサーフィンと登山では求められる筋肉が全く異なるのかな?
そんな体力の持ち主でもこのアリサマでは自分など無理に決まっていて。何より意地悪のネタにされてしまうのが心地良くなく。
やはり、一緒に行くなら気の知れた仲間に限ると思っていて。

そんな自分の経験ですが、冒頭の事故の件で思い出すと、雲取山ではかなり危ない真似をしていたんだなぁと改めて思いました。ともかく準備不足に行き当たりばったり。単独行動で無かったのは唯一の救いか。
直接の知り合いでは無いのですが、自分が大学時代にお世話になった研究室では、そこの教授が自分の入学前年に雪山で遭難し親子共々他界しています。環境問題の著名人だったそうで親子とも優秀な学歴の持ち主。発見されたのは次の春が訪れた頃だったそうです。
上記の富士山登山の話があった職場でも協力会社の社員が遭難で命を落としていたそうです。相当のベテラン登山家だったそうで、自分を富士山に誘った同僚もこの方に登山の魅力を教わったそうで。特に仕事の技術面では頼りになる存在で、知恵の出し惜しみをしない優しい人物だったそう。

【ヤマレコで読んだ記録】
昨夜のこと、別の遭難のニュース記事をたまたま見掛け、そのコメントの中に「ヤマレコ」という見慣れない文字を発見しました。「ヤマレコ」とは何ぞや?
ヤマレコは山を愛する人向けのコミュニティサイトらしく、一般的なSNSに比べてルート情報等の機能が充実しているそうです。
遭難時はヤマレコ繋がりの方が救助に向かう例もあるらしく。何だか凄い世界があったんだなぁと。
そのヤマレコの中で伝説となった方の記録がショッキングでした。一気に読んでしまいました。
けっこうな長文だったものの、単独遭難で何とか生きて帰ろうとした四十代半ばの男の記録です。

三重県の鈴鹿山脈へ日帰りで単独登山に向かったY氏は、下山途中でルートを見失う。その後今朝見掛けたベテランらしい別の登山家R氏と幸か不幸か偶然再会。
しかし、R氏もルートを見失った様子。しばらくはR氏の進むルートに着いて行くものの状況は悪くなるばかり。無駄に谷へ下りたりまた登ったり。
ベテランらしきR氏もミスルートに誘ってしまった立場の悪さからか、Y氏が提案したルートに従うも更に状況は悪化。
Y氏はパーキンソン病の持病を持つからか、体力を消耗したからか、途中から幻覚に悩まされることに。R氏には見えない誰かにY氏は話しかけたり助けを求めたり。
そんな嫌な時間が流れる中、まだ体力の残るらしきR氏は先行する何処かでY氏を置き去りに。

Y氏は途中で飲料水を求めて沢まで下りたり、また登りなおしたり。(遭難した際は発見されやすいよう基本的に下りない方が良いとされているそうですが、水分補給のためには仕方なかったのかも知れません)
遭難から数日目にはお尻に違和感を覚え確認したところ、腸の中で卵からかえった蠅の幼虫がお尻からわき出していて。山ヒルやムカデにも幾度も襲われ。このまま虫の餌になってしまうのか?
もう幾度も幻覚の救助を観た一週間目、僅かに残った腐った食料も既に無く装備品も随分と失った中、力を使い果たし沢で横になるY氏。
そこへヘリの音。しばらくして人の声。今度もまた幻覚であろうか?

上記が記録の要約ですが、最後のヘリの音と人の声は本物でした。発見されたY氏はその後ヘリで救助され、入院し、一命はとりとめました。
身体が回復した後にY氏は登山活動を再開するのですが、翌年には前回遭難した場所の近くで再び遭難し、数日後にヘリで救出されたそうです。
この救出はニュース記事にもなったらしく、Web上では「またかよ」と批判の声が少なくなく。病院に担ぎ込まれた時点ではまだ生きていたのも手伝ってか。しかし入院の翌日に心不全でY氏は他界されたそうです。

最初の遭難の記録は相当な反響があったようですが、自分が知ったのは事故から何年も経った昨夜です。そして本人による二度目の遭難の記録は残っていません。
一度目の遭難で平常の生活に戻ったY氏はR氏をWeb上で見つけ、R氏に抗議のメールを送ったものの、R氏からは返答が無くR氏の立派なHomepageは突然閉鎖。

R氏の気持ちもY氏の気持ちも分からなくは無いです。二人が初めて出会ったのが互いにルートを見失った山奥とか、知り合って間もないのに突然究極の選択が続き。
登山の知識が無い自分には、どちらがルール違反なのかも分かりませんし、良い悪いといった判断が出来ません。ただただ、凄い経験だなぁと息をのむのみ。
海外の著名な高山に比べると、日本の山はパッとしないなぁとか素人考えで思うこともありました。じゃぁ自分が登れるか?となると勿論無理なのばかりです。何を言っても外野のヤジでしょう。

Y氏の二度の遭難についての感想記事も世の中には多いようです。山の経験を積まれた方の中には批評を綴られている記事もありました。
その幾つかは原因が共通していました。「ヤマレコに依存し過ぎた」的な表現でした。
ヤマレコは登山記録の便利なツールでもあるようで、これからその山に訪れたい人の参考にもなるようですが、近年のインスタ栄えに近い現象なのかな。
「注目される」という表現は不適切かも知れませんが、それが目的の何処かに含まれると危険や無謀や無茶に近付いてしまうのかなぁと。

自分も未経験の領域についてはWebで検索してイメージトレーニングをする機会が多いです。特にインターネットが普及してから。
実際、それで本番が有利に働いた場面も多かったです。しかし、小さな失敗を積み重ねて掴んだ知識や判断力というのは何よりイザという時に強かったり。
ちょっとしたトラブルが良い思い出に繋がることも実際あって。ただ、山ではそんな甘い考えは捨てるべきなんだろうなと。

気違い部落と子育てごっこ

タブーなタイトルの記事となりますが、実存した映画のタイトルでもあります。短いタイトルに危険な文字が二つも
「気違い部落」は、かれこれ二十年以上気になっている作品で未だ観れていません。タイトルが危険すぎるのもあってか、上映の機会やソフトの再販も難しいのかと思っています。
ただ、この二十年の間にWeb上では詳しい情報が溢れるようになりました。

あらすじを読む限り映画の前半は風刺的な要素がありますが、中盤辺りからは考えさせられる展開となっているようです。
そもそも、森繁久彌さんや伴淳三郎が関係する作品なので酷い駄作では無いと予想してはいました。
ちなみに、作中には気違いなど登場せず、旧来日本文化の山村での葛藤を描いたようなストーリーの様子です。個人的には地方だからとか田舎だからとかに限らず、古くから続く地域には都会であっても似たような現象があるかと思っています。
外部サイトとなりますが「大正生まれのブログ」さんの記事が作品のストーリーについて詳しいです。作品比較についても自分が知る他の作品が登場しているので察しやすくもありました。
四十年近く前に出版された手塚治虫さんの作品も現代でいう差別用語が多く、そのままでの再販が難しい部類もあるそうですが、作品の中身は虐めや差別を助長するようなモノでは無いハズなので、その辺は時代背景も含めてあまり敏感になるべきでは無いと個人的に思っております。
当時は実際に普通に使われていた表現ばかりなのですし、その注釈さえ入っていれば何ら問題無いかと。こんなのが進めば、使える言葉が減る一方で日本も英語的な単純でストレートな表現に溢れてしまうかも知れず。
片言英語しか使えない自分は、海外でのストレートな表現に拍子抜けして笑ってした場面も多く、相手からは何が可笑しいのか逆に尋ねられてしまったり。また、妥当な単語が浮かばなかった自分が別の単語を用いたところ、相手が驚いたりもありました。

いまでもいつか観てみたい作品に変わりない「気違い部落」について、原作者「きだみのる」氏はどんな人物だったのか調べたところ、変わり者だったようです。
この作品については実存した地域や、実存した人物名をそのまま用いていたらしく、作品公開後は関係者から相当な非難を浴びた様です。多かれ少なかれ着色もあったでしょうし。
自分も過去の出来事を綴る際、実名や着色についてはこれでもかなり気を遣っています。時として相手に対する批判も含まれていますし、事実を綴るにしてもなるべく大袈裟にならないようにしています。なので、出版物のような迫力やドラマティックな展開や面白味は少ないとも思います。まぁ少なくとも創作作品ではないので、これは仕方ないです。
そして、書きたくてもそのままでは角が立つため未だ公開できない思い出も抱えたままです。途中まで書いたものの、そのままゴミ箱なのは未だにあります。

話が戻ります。
原作者は若かりし頃に慶應義塾経由でパリにも留学経験があったそうですが、本作はその後八王子の山村生活時の実体験が基らしく、高齢になった晩年は幼い娘を連れての放浪生活だったそうで。
いったい、幾つの時に授かった子なのか引き算も面倒ですが、放浪生活でまともな教育を幼少期に受けられなかった娘は有名な邦画の主人公にもなっています。「子育てごっこ」です。

「子育てごっこ」については自分も子供の頃に幾度かテレビ放映を観ています。岩手の山奥で教職に就く夫婦に預けられた野生児的なストーリーだった記憶です。原作者「三好京三」氏の実体験に基づく映画だそうで。
預けられた少女も連れてきた老人も作中では嘘つきで、老人は嘗て学があった様子ですが現在は単なる老いぼれ。客観的な教育をロクに受けていない娘を秀才だと自慢するのですが、娘もこんな状況の年老いた父親の悪いコピーというか。
娘の登場場面はなかなかインパクトあったものの、その後のストーリーはほとんど忘れてしまいました。山村の分校の純朴な生徒達がなかなか良い奴らで、主人公は少しずつ健全な少女に変化していったような。
当時、この作品は社会現象的な注目も浴びていたそうです。別の作者になりますが、その後の「積み木崩し」とかに近いモノがあったのかも知れません。

子育てごっこでは、無責任な子育てや出鱈目な教育をしてきた元父「きだみのる」氏への非難的要素も含まれていたと思います。気違い部落で実名の方々に非難されたのとは別次元で。
子育てごっこの主人公だった少女を養子縁組で育てた夫婦は、ある面模範的で常識的で道徳的な人物として自分達を描いていました。養父の方はスパルタンな面があったものの、土台は深い愛情にあり、単にその場の怒りだけで幼女を攻撃するようなことは無く。しかし、赤ん坊の頃から育て上げた実の子では無い為、手探りな状況はあったようです。
そして、またしてもこの作品だけで話は終わりませんでした。

思春期を迎えた娘は一浪後に東京の大学に進学したものの、大学では一単位も取得せず遊び惚け、遂には養父への反逆が始まりました。
少女、養女、娘と文中で呼び名が変わってしまいましたが、ここからは娘で。
娘「広瀬千尋」氏は養父の性的虐待な暴露本で出版界にデビュー。抑圧的な生活下で娘を抑えきれると思っていたのか。
田舎の分校で無欲な生活を送っていたと思われた養父も実は地位や名誉に貪欲な文学賞狙いの男だったとか。実際、子育てごっこで直木賞を受賞し、その後は文筆業や教育評論家で生計を立てていたそうで。
その辺を検索してみると、文豪には必ずしも人格が必要無いという意見があったり、立派な実績はゴシップ記事にも勝るという意見もあるようです。
分かる気もしますが、山籠もりな生活でもしない限り世間の非難に耐えるのは普通の人に辛いかと思います。作者にはそうなるかも知れない覚悟が執筆時にどれだけ備わっていたものなのか。謎
ただ、自分が検索結果で知った内容も何処までが真実なのか分かりません。三者とも偏った実体験を基にした代表作が共通点。偏ったとは良し悪し抜きにサラリーマンといった一般的な社会人経験が乏しい作者と思われて。
勿論、偏っているから面白味もあるワケですし、エゴを貫いた結果がどうなるのか?といった究極の空間を読者は仮想的に経験出来たり期待していたりで。

無宗教な自分でも「因果応報」は多かれ少なかれ世の中にあると思っていますが、今回の記事は因果応報の四文字が三世代に渡って続いているようでもあり。
“Me too”という言葉が最近の流行のようで、陰で悪い行いを続けていた人の素性がバレてしまった際は関係者も含めた総叩きにあったりします。逆に目に付かぬところで人助けを続けていた人が窮地に陥った場合助けてもらえるかというと、そうでも無いよなぁと思える現代でもあったりするワケですけれど。
それでも困っている人が裏表無い善人であれば助けてあげたいものです。少しでも。

上記でこの記事を〆ようかと思ったのですが、どうにもしっくりせず。
数十分、文章の入力画面を放置した後に思い出して以下を綴ります。
課長島耕作の作家である弘兼憲史さんの劇画が自分は好きです。特に「人間交差点」とか。あれは痛みを知っている人しか描けない作品で。
作者は大手家電メーカーで働いていた経験があったそうで、世間の荒波に揉まれた実績が作風にも現れている感です。エゴとか人の醜い部分も含めて。
作者が学校という閉ざされた社会しか知らぬまま漫画家になったのでは描き切れなかった場面が多かったかと思います。
自分はその作品の一部しか存じていないものの、作者の綴ったエッセー「覚悟の法則」は入手してから四半世紀たった現在も読み返す機会があります。自分も過去に大手企業の本社で揉まれた機会があり、迷える日々に高層ビル内の本屋さんで出逢った作品でした。
特に「許される嘘」についてのくだりが印象に残っています。

火垂るの墓と野坂さん

昨夜のこと、ネットで調べ事をしていた途中で「火垂るの墓」についての話題に目が留まりました。
あの作品のポスターには爆撃機が描かれていて、蛍の灯に見える一部は焼夷弾とのこと。

あの作品は既に幾度も観たことがあります。これが何故か自宅以外で観てばかりでした。出張先のオランダであったり。
初めて観たのは帰省中の実家で、大学の夏休みだった記憶です。途中で涙が溢れてきてしまい、慌ててビデオ録画に切り替えてリビングを後にしました。母もリビングに居たもので恥ずかしく。
地元に帰省していた高校時代の同級生達と作品の話題になった際、色々な感想がありましたが概ね自分と似たようなものでした。その中に異質な意見も。
「主人公は働けばよかったのに」。多分、戦中から終戦にかけて少年が働くなど難しかったのではと思います。幼い妹を置いたままにも行かなかったでしょうし。随分と冷めた意見だなぁと思ったりでした。
しかし、Wikiで作品の監督の言葉を昨夜確認したところ、特に戦争をまた迎えるような場面にでもなれば、そのような意見の方が多数になると危惧されていて。
正しいとか間違いとか、確かに世情によって180度変わったりするものなので、なるほどなあと。

原作者の野坂昭如さんも人として面白味がありました。
自分の世代ですと、小学生くらいの頃にサントリーのCMで観た野坂さん。「そ、そ、ソクラテスかプラトンか」。当時のサントリーのCMはどれも味わい深く。
野坂さんはこのCMも手伝って、とてもダンディなオッサンのイメージでした。この方もWikiで観るとかなり個性的な人生を歩んでいて。
酒乱らしき言動は若い頃からあったようです。大島渚監督をステージ上で殴った件とか観ていて面白かったですが、あぁいったのが友達ですと、なかなか大変だとは思います。

その後もネットで何かを調べていたところ、中川昭一さんの名前がたまたま登場しました。日本との通貨スワップに韓国が最近意欲的というようなニュース記事からでした。
中川さんは過去の同様な場面で否定的な立場だったらしく。
その中川さんも野坂さんと同じくダンディなイメージでしたが、酒癖の悪さも一緒で。
特に海外での会合で酩酊状態に観えた様は日本国民どころか世界を驚かせた失態で。その後は転げ落ちる日々で翌年辺りに他界してしまい。
何だかとても勿体ないものを感じました。

中川昭一さんが政界に現れたのは父親である中川一郎の急死によるものでした。
更にWikiで中川一郎さんについても調べてみました。
こちらの中川さんについては逞しいオッサンのイメージだったものの、息子に負けぬ酒癖の悪さだったようです。どうにも遺伝するものなのか。
そして、突然訪れた死の原因が未だハッキリしていない様子でした。親子揃って残念な終わり方です。
で、Wikiを読み進むと気の毒に思えるエピソードも。

中川一郎さんの奥さんが相当な恐妻だったらしく。この件、手短な文章で纏められているので一読の価値はあります。火垂るの墓に登場した親戚の叔母さん以上に恐ろしいものを感じました。
奥さんが何時からそうだったのか存じませんが、身の回りでも結婚後に人が変わってしまった女性を何人か観ています。
結婚式でも洋式ですと神父さんの前で永遠の愛を誓ったりするワケですが、こんな状況に陥ったとしても誓いを守らなければならないのかと考えると、結婚は大変だなぁと。
逆に、結婚後に旦那さんが辛い状況に陥っても支え続けている奥さんも世の中には居たりで、この違いは何処から生まれてくるものなのか謎です。

そういえば、野坂さんも国会議員だった時代があったんだよなぁと思い出しました。酒癖の悪さとダンディな面はこの三人とも一緒で。一夜にして妙な繋がりです。
野坂さんについては、家族とバラエティ番組に出演されている姿も記憶に残っています。いまでもそうなのか存じませんが、よく出来た娘さんはしょうもないお父さんの良き理解者な様子でした。
うろ覚えですが、野坂家では風呂の湯を何年も入れ替えていないとの話でした。何かの入浴剤を入れているそうですが、その湯は相当濁っていて。別に野坂さんだけがその湯に浸かるのは構わなかったのですけれど、当時まだ若くて綺麗な娘さんも同じ湯に浸かっているのか?と。
そんな話も含めて、野坂さんは家族には恵まれていたんだろうなぁと思っています。

追記:
野坂昭如さんが歌うYMCAモドキのYWCAに至っては、絶好調で酔っぱらっている様子でコーラスに任せて途中で歌を放棄しています(たまに掛け声上げる程度)。→ YWCA
上記の曲は販売もされているらしいですが、野坂さんに誰もまともな歌など期待していないのかと思います。
ビリー・ホリデイの晩年のアルバムでも長年の不摂生で老婆のようなシワガレ声に美し過ぎるシンフォニーとの共演な、対比的な作品があるそうですが、それとはまた次元が異なるか。