すっきり

現在暮らしているマンションで、最近まで二つの問題を抱えていました。
この二つが解決し、気が楽な数日です。

一つ目の問題は空缶の投げ捨て。
自分の部屋はマンション一階にありテラスの向こう側は歩道になっています。
この歩道に深夜空缶を投げ捨てる不届き者がおりました。深夜なもので投げ捨てた音が響くこともあり。
この空缶、気付けば拾うようにしていましたが、放っておいたら街路樹が空缶だらけで。
一昨年の引越し直後から気になっており、自分に対しての嫌がらせだったらやだなぁと思っておりました。
マンションの管理人さんに聞いたところ、十年以上前から続いていて、以前の居住者だったお婆ちゃんも困っていたそうです。
隣接する戸建てのお婆ちゃんも、深夜に壁に投げつけられる缶の音に恐怖を覚えていたそうで。

秋口にインターネットに接続可能な安いWebカメラを購入し、テラスの状況を記録してみました。
犯人はそれに気付いたのか、空缶の投げ捨ては納まってしまいました。結果的にそれで収まったのなら、まぁいぃか。
記録される動画はテラスに訪れる野良猫くらいでした。それもウンコを垂れる場面ばかり。

数ヶ月経ち夏が近づいた頃、空缶の投げ捨てがまた始まりました。
捨てられる空缶は同じ銘柄の缶チューハイばかり。寒い季節は飲まないだけのようでした。
深夜の投げ捨てのようで、Webカメラには上手く記録が残らず。

しかし、ある週末の真昼間に見事な記録が残りました。
特徴的な自転車に乗るガラの悪い若者が、缶を投げ捨てていました。
投げ捨てられた場所には、缶がしっかり転がっていて。
特徴的な自転車をマンションの駐輪場で見つけ、管理組合のステッカーを確認したところ、部屋番号まで分かりました。
自分も相当頭にきていたので、インターホン越しに苦情を入れました。

翌日、管理人さんに動画を確認してもらったところ、部屋番号の過ちに気付きました。
ステッカーの字が汚く、一つ隣の全く関係ない方に自分は苦情を入れたようでした。
直ぐにお詫びに伺ったのですが、あいにく不在。それはそれで別の問題になってしまいました。

マンションの管理会社の担当(Aさん)経由でことの終息を計ったのですが、埒が明かず。
住民の個人間の問題は基本的にAさんを通すルールのようですが、埒が明かないというより問題は大きくなるばかり。
結果、自分からのお詫びは不要になったそうです。しかし、こちらも謝らないと気が済まない状況でした。
Aさんの対応は別件でも色々問題があったらしく、自分の件でも整合性の取れない流れで途中からは電子メールでのやり取りになっていました。
「言った言わない」の問題にしたくもなく、言動に責任を感じてほしく。

上記は昨年の十月頃までのことでした。
Aさんと直接会った際に、テラスのバイクの駐車についても指摘されました。「テラスに勝手に停められては迷惑」との趣旨。

自分は勝手に停めているワケではありません。
そもそも、この一階のテラスが魅力的で購入した物件でした。
マンション購入時の不動産会社担当者からもテラスへのバイクの駐車は可能と聞いていましたし、当時の居住者からも同様に聞いていました。
その旨伝えたところ、納得頂けた状況でした。A氏の判断だけの指摘とのことでした。

そして今月、二つ目の問題が勃発。
流石に立て続けの二つ目はシンドイ..。これでも地域住民として気配りしていたつもりだったのに。
マンション管理組合の総会の議案が届きました。自分の部屋のテラスでの駐車についての議案が盛り込まれていました。
「現在の駐車は暫定的に認めるが、所有者の意志で撤去された以降は認めない」旨の議案。

何故に当事者の自分へ議案の件を事前に連絡しなかったのか。それを電子メールでAさんに送りました。
相変わらず埒が明かない返答が続きました。
自分はマンションの管理組合にバイク分と自転車分の駐車料を既に納めていますし、何方からも苦情は受けていません。
前回の総会でも指摘されていませんでした。以前に話した通りの契約までの経緯も改めて伝えました。
それでも話は進展せず。

埒が明かぬまま管理組合の総会が目前に迫り、出欠票と共に管理組合へ事の経緯等の文章を届けました。ありのまま。
以下箇条書き。文章はもっと柔らかい表現でした。
喧嘩腰では解決出来る問題も解決できなくなるばかり。引越し前までの下町暮らし時代に散々経験してきました。無駄な経験では無かったハズで。
・事前連絡もなく突然の議案に困惑している。
・契約段階までに販売会社の営業担当からも前居住者からもテラスへのバイクの駐輪は許可されていた。
・マンションの規約に駄目だとも書かれていなかったし、駄目だとの説明も無かった。
・前居住者から大型物置を引き継げる予定だったが、契約時に撤去を要請され従った。(これもA氏の指摘、入居前で何とかなりました。結果引越しの荷物は相当処分しましたが)
・バイク駐車後も特に問題も指摘もなく、駐車代も問題なく収めていた。
・テラスが避難通路の一部なのは分かっていたので、動線は十分に確保していた。
・周りの迷惑にならぬよう敷地内でのエンジンの始動はしなかった。不安を煽る違法改造も当然していない。
・外から丸見えのテラスなので、美観を損なわぬよう雑草や落ち葉の扱いは最善を尽くしていた。(資産価値を落とすような真似はしたくもなく)
・一時的な駐車許可では万一の買替が出来なくなるので議案の賛成は出来ない。
・議案に反対の場合は即時の撤去も考えられるので反対も出来ない。
・議案を通すのであれば上記を考慮した修正案を期待したい。

上記の文章を提出直後、例の空缶事件で迷惑をかけてしまった方と歩道でばったり出会えました。
ともかく自分の勘違いで迷惑をかけてしまったことを深々とお詫びしました。(お詫びが出来ぬ状況ほど残念なことはなくて)
ご理解は頂けたようで、かなり気が休まりました。ここまで半年以上かかりました。
また、Aさんの以前からの対応に相当な不満をもたれているとのお話も聴けました。
振り回されていたのは、自分だけではなかったようです。

築三十年近いマンション、住民の過半数は新築時から居住される方々で、現在の居住者も温和な方々ばかりです。
築三十年近いマンションではありますが、管理人さんの努力等々で美観は損なわれていません。煉瓦調のタイル張りは年数重ねた方が貫禄あったりで。
また、修繕積立金や管理費もしっかり運用されていて、現時点で滞納もないらしく。荒廃する集合住宅の多くは、この点が崩壊しているハズで。
総会があった日曜日、自分は朝から気晴らしにツーリングに出掛けていました。幼少期に過ごした川越近辺へ。

後は野となれ山となれ。
どうなるか分からないものの、出てきた結果には勿論従うつもりでした。

翌日の夜(昨夜)、Aさんから電子メールが届きました。
問題の議案は多数意見で否決されたそうです。バイクの駐車は承諾の方向で。
それよりも、何らかの避難時にバイクが傷ついた際の補償が問題とされたそうです。

そんなの考えもしませんでした。気遣い過ぎです。
人の生死が関わる場面で、バイクの傷など屁でもないのに。
やはり、このマンションを選んで良かったと思えます。
久方ぶりのドラマでした。

化物稲荷(その二)

本日はお昼頃にセピアさんにてカレーピラフを頂き、その後自宅で調べごとをしていたらソファーでそのまま転寝。
お腹一杯の睡魔に任せられる幸せ、なかなか贅沢にして心地良く。
これが、軽く目を覚ましてはまだ寝れるの繰り返し。時は既に日没近く。

何気にテレビのリモコンに触れてみると、時代劇。
ボロいお稲荷さんにて若い男女な数分間。
そういえば「みをつくし料理帖」が最近放映されているらしく、これがそうなのかな?と。

「みをつくし料理帳」は何年も前から気になっていた作品でした。気になった理由は幾つもあり、どれを切り口に語るべきか分からぬ程。
ともかく面白い作品らしく、その作品が理由か十年前の自分の地味な記事へのアクセスは一時から多い状況。

一昨年の引越しまで十二年暮らしていた神田同朋町では、古くから続くお祭りや行事に色々と文化を感じていました。そのお祭りや行事は古くから受け継がれ、守るべき伝統と新しくすべき何かで現在に至る感でした。
古き良さと、現代に合わせられる柔軟性や調和なくして、何事も続かないかと思っています。電柱が立つまでの神田祭はお神輿ではなく山車が主流だったように。

「化物稲荷」だか「化け物稲荷」だかを知った経緯は、こちらの十年前記事によります。たまたま広げた古地図にチラッと載っていたような流れでした。
当時Webで「化物稲荷」検索した際は「半七捕物帳」と昭和時代の映画程度しかヒットしない結果でした。半七捕物帳は青空文庫でも公開されており、なかなか面白かったです。
Blogに記事を載せた頃、自分は町歩きで撮影係等も楽しんでいまして、下町の名所を色々と周っていました。
町歩きの参加者は文化人な方も多く、昔はこうだった等の話も色々と聞けまして。
上記の記事の閲覧数が上がりだしたのはその一年後くらいからでした。

何事かと改めて検索してみると、「みをつくし料理帖」という時代劇な文章が人気らしいと。検索結果の多くはその時代劇関連に塗り替わっていました。
作中に化物稲荷が登場するそうで。その後も人気はうなぎ上りだったようで、ドラマ化は今回が二例目だそうです。
しかし、作者の髙田郁さんも、どうやってこんなマイナーな稲荷を見つけたんだろうと感心してしまいました。古地図でインパクト感じた一人だったのか。
「みをつくし料理帖」には「俎板橋」等の実存する名所も登場しているようです。
全巻揃えて読んでみたい気もします。今回のドラマは録画すべきでした。

化物稲荷については古地図に載っているので当時存在していたのは確かなようです。
しかし、今でも残っているかどうかは自分でも謎です。古地図に載っていた辺りには小さな稲荷がありましたが、それが化物稲荷だったかは確かめられませんでした。まして、それらしき稲荷も周辺の建て替え工事中で現時点では無くなっています。
化物稲荷を探された方の記事がWeb上には幾つもありました。中には否定派の意見も。

自分は否定も肯定も出来ない感です。それを知る人と直接お話出来たワケでも無いので。
江戸の町並みは何度か塗り替えられています。明暦の大火であったり、大正時代の大震災であったり、第二次世界大戦の大空襲であったり。
明治の頃の地図と震災後、空襲後の地図を見比べると相当な違いがあり。現在の道路網とは別物に近く。
当時は道だった場所が現在は建物だったり、その逆も十分にありそうです。
因みに、過去に載せた記事では東京大空襲直後の写真があります。地元の方が空襲直後に神田明神の男坂から上野方面を撮影したものです。この焼野原状況ですと、それまで残っていたとしてもこの時点では厳しそうです。
空襲からしばらくは、地元の妻恋神社も一時的に遷座していました。

ちとだらだらな長文になってしまいました。
途中からで悔しいながら次回からのドラマ「「みをつくし料理帖」」はしっかり観ておきたいです。
主演の女優さんに自分は好感持っていました。昨年放映された「天皇の料理番」で気になっていて。このドラマも途中から知ったのですが。堺正章さんが主演した大昔のバージョンは当時全部観ていました。
(この記事は5/20に書きかけて5/22に加筆の上公開しました)

上福岡方面に行ってきた

本文は後から追加予定です。とりあえず画像のみ。

熊野町公園にて。自分の幼かった頃は黒光りしていた石碑でした。

さざんかさん。母が当時お世話になっていました。

自宅があった場所。現在は立派なおうちになっていました。

高階南小学校。母校は一学年二クラスになっていました。当時は五クラス。本日は確かに子供が少なかったです。

サイクルファクトリーアライがあった場所。

マルス百貨店。まだ残っているのが奇跡的です。

マルス百貨店。

有山城。

飯田百貨店の隣の焼き鳥屋さん。飯田百貨店は更地になっていました。

その焼き鳥屋さんのメニュー。百貨店で買い物をした母は、ここの焼き鳥をいつも沢山お土産にしてくれました。今でも安い値段。

だるま市場。ここだけは昔と変わりません。

藤間幼稚園。いつものほほんのんびりだった先生が卒園式の日にエンエン泣いてて。

タバコの害(その2)

頭っからタイトルと関係ありませんが、写真は五年前の本日。アフリカはカメルーン出張の朝焼けです。
一生に一度は行ってみてもいいかな。と思える出張でした。当時に比べて現在のアフリカの治安は更に厳しい状況の様子です。

本題はこちらから。
今朝見たニュース記事で「ベランダ喫煙」というのがありました。
集合住宅でベランダ喫煙により迷惑が掛かり、被害者の会が結成されたとの記事でした。

出先での喫煙も吸える環境が減り続け厳しい数年でしたが、自宅でも厳しい時代に入ったんだなぁと。
自分はマンションの一階暮らしで、ベランダには土埃や枯れ葉が溜まりやすく、年に数回ベランダの水洗いを心掛けています。
丁度数日前にそれをやったばかりでした。

その際に自分でも煙草の臭いが気になりました。
喫煙している場所はベランダの隅で、風に流された煙草の灰が隅に溜まりやすく、清掃途中で水を流した際にはかなりの悪臭が漂いました。
以前の職場の通勤時、パチンコ屋さんの前では灰皿が毎朝水洗いされていたのですが、冬場はお湯を使われていて酷い臭いが通り一面に漂っていました。
あれを思い出す悪臭、愛煙家な自分でも勝手ながら大嫌いな臭いの一つです。

自分の高校生時代までは学校の職員室というのはタバコの煙が漂っていて普通でした。小学校も中学校も。
社会人になってからも職場ではタバコの煙が漂っていて普通でした。
現在のマンションに引っ越すまでは自宅では室内での喫煙が普通でした。

しかし、12年暮らした前回の部屋はタバコのヤニによる汚れが壁紙やら家具やらにびっしりで、そのほとんどは汚れが完全に落とせなく。
現在の部屋は大き目なベランダがあり、タバコはベランダだけで吸うようになりました。お陰で部屋の汚れは全くありません。
他人様の家へ伺う際も、タバコはベランダで吸うようにしていました。(家主に許可の上で)

出先でも喫煙が許される場所は極端に減り、自宅のベランダだけは安心できていました。
これも既に過去のルールになるんだなぁと。

自室の真上にはお婆ちゃんが一人暮らしで、とても善人そうな方です。
交流はほとんど無いのですが、以前に庭仕事中に携帯電話の使い方を聴かれたことがありました。
今度顔を合わした際は、タバコの煙で迷惑されていないか聴かねばと思っています。

話が飛びますが国別の喫煙率ランキングを先程確認しました。(2016年)
日本の男性については34%だそうです。身の回りはもっと少ないイメージでした。
喫煙率の高い国は途上国寄りの様子で、低いのは先進国寄り。
日本の喫煙率は減少傾向にあるようです。

「そんな無理して無駄なお金払って身体に悪いタバコなんて止めちゃえばいいのに」。
自分でも分かっていますし、まぁこれに限るのですが、何故かまだ続けています。屁理屈は避けたく。
値上げも一箱千円くらいでしたら追従してしまいそうです。
他力本願ではありますが、タバコは売らない買わない吸わない全面禁止な世の中にしてもらった方が都合良さそうです。
自発的に止めるにはドクターストップが一番近道なのかなぁ。しかし体調はすこぶる良くて。

夜の検索

昨夜寝付きが悪く、枕元のスマホでニュース記事を確認したところ、西武園ゆうえんちで火事があったそうて。
以前にもあった記憶で検索したところ、ウルトラマンショー開催中の着ぐるみが燃えて、アクターが亡くなられたとの事故。
見物していたのは子供が多かったでしょうし、派手なアクションに最初は拍手喝采だったのかなと。しかし、ウルトラマンでトラウマになりそうです。
マイケル・ジャクソンもペプシのCM撮影で大火傷なのがあったなぁとか。

その後も寝れず、辿り着いたサイトでは事故物件の情報を扱っていました。
試しに自宅周辺を地図で確認したところ、うちのマンションの斜め裏にあるアパートに事故マークがありました。
マークをクリックすると、十年前に白骨死体が出たとのこと。
住所等のキーワードで更に検索したところ、事件の記事が見つかりました。
七十代の女性が亡くなられ、四十代の娘が年金目当てで遺体を二年放置したそうで。
天井から水漏れで下階の住民が管理会社に連絡したのが発覚のキッカケだったそうです。
自然死だったようで、すぐに届ければ事故扱いにはならなかったのに。

そのアパートは築三十年ほどで、六世帯分の部屋がありますが、暮らしている方は半分未満の様子。
この界隈の古めなアパートは空き部屋が目立ち、条件が悪いと埋まらないものなんだなぁくらいに思っていましたが、こんな過去があったとは。
現在も入居者募集中のようですけれど、家賃は世間並みで割安感も特に無く、瑕疵情報も特に無し。
自分が暮らすマンションも築三十年近く、新築時からの住民も多そうで、この事件をリアルタイムで経験していたんだろうなぁ。

タバコの害

高校時代からタバコを未だ吸い続けている自分です。雪かきの後のイップクから味をしめた記憶です。
減煙は試したことあるものの、止めようと思ったことは無く。
止められなかったら悔しいのが、止めない一番の理由かと思っています。

数日前に友人から電話がありました。大きな会社に居た頃の同期で、寮が同じだったり勤務先が隣の部署だったりもあり、互いに退職後も細いながら付き合いは続いていました。ただ、最後に会ってからもう十年は経っていました。

電話の前にはメッセンジャーで歯の痛みと治療の長さについて語り合っていました。互いに最近痛い思いをしていて。
電話でもその話題の延長になるかと思いきや、タバコをまだ吸っているのか尋ねられました。
友人曰く、人間ドックで脳を診てもらったところ、脳梗塞寸前の結果だったそうです。
血管だか神経だかが極端に細くなっている箇所が見つかったそうで、この世代では珍しいと。高齢者には多いらしく。
脳梗塞にタバコが良くないのはよく聞く話ですが、過去半年以内にタバコを吸った人と会うのも許されない指導を受けたそうで。

聴き返してしまいました。
一本でも吸ったら半年は残るものなの?
その通りだそうです。具体的にはニコチンが害らしく。
それでは外出先とか電車の中とか、危険だらけじゃん。
その通りらしく、相手に納得してもらう為の診断書を手放せないそうで。

友人は現在IT系個人事業主なので、人との接触は抑えやすい様ですが、自分と会う機会はこのままですと無さそうです。
仮に今すぐ自分が禁煙したとしても会えるのは半年後。遠くの惑星に旅に出るような感覚というか。

友人も若い頃はタバコを吸っていたそうですが、それも良くなかったそうです。
なかなか考えさせられる話を聞かされました。

50ccの単車

ニュース記事によると、50ccの単車が絶滅危惧種になるかもと。
安全性や環境性能の強化でコストが掛かり過ぎてしまい、価格の上昇等々で売れる見込みもなくなりそうらしく。

八十年代はミニバイクブームで、五万円前後で安いモデルは買えたようです。
テレビのCMでも街中でも、ミニバイクが溢れていました。
そのほとんどはギアチェンジやクラッチ操作が不要なママチャリに簡単なエンジンと保安装置を付けたような部類。

しかし、中にはなかなか本格的なスポーツバイクもありました。
当時中学生くらいだった自分の興味対象でもありました。RZ、MBX、RGΓ。
高校に入り、やりたかったことの一つは単車に乗ることでした。
アルバイトで貯めたお金で入手したのはカワサキのAR50。
中古車でコンディションはイマイチな車体でしたが、スパルタンなデザインが好きでした。
千歳の実家から積丹半島までツーリングに出掛けた夏が今でも思い出深いです。
空冷2サイクル故のトラブルもありましたが、走行不能になるようなことは無く、タフな相棒でした。
自分の肉体では出せないスピードのコントロール。何処までも遠くに行ける乗り物。

話が戻ります。
ニュース記事のコメントには似たような経験をした当時のハイティーンの書き込みが溢れていました。
当時の50ccが時速100km/h出せたのを信じられないコメント等も。

自分がAR50に乗っていた頃はヘルメットの着用義務も無く、本当にユルい時代でした。風呂上がりのドライヤー替わりにひとっ走りとか気持ちよく。
通っていた高校の校則もユルく、多分バレていたと思いますが、特にお咎め無し。
通学で使っていた高校近くの駐車場でも特に文句言われず。電電公社の駐車場を勝手に借りていました。
余計な装備のない50ccは燃費も良く維持費も安く。良いこと尽くめ。当時は。

阪神淡路大震災の際も機動力にたけていたのは、そんな乗り物だった記憶です。
郵便配達の単車も電動式に置き換わろうとしているそうです。
ただ、また大震災が訪れた時にどれだけ役に立つのかと考えてみたり。

スマホで長々ダラダラと綴ってしまいました。誤字脱字多そうです。
気軽な単車というジャンルが消えてしまいそうなのは残念です。
当時の危ない性能を経験した若者は、その後の車の運転でも事故が少ない感ですし、悪い経験では無かったと思います。
手に入るうちに、小さいの一台持っておこうかと考える今宵でした。