Earl Klugh

今宵のこと、35年近く謎だった曲が判明しまして、これが嬉しく。その内の20年くらいはけっこう真剣に探していたんです。
誰かに助けを求めるのが自分は苦手で。それは迷惑にも繋がりかねず。なので、自分は気が付けば黙ってそっと助けるのが好きで。
ともかく、貴重なヒントとなるコメントを頂けた「通りすがり」さんに感謝しています。助けられました。

今年で平成が終わるワケで、1/7から1/8にかけての今宵は昭和から平成に変わった日でもありまして。まぁたまたまですが。
偶然にしても、何だか目出度いのが重なったというか。

Earl Klughについては名前だけは知っていました。フュージョン系のギターをやっていたことも。しかし、それ以上は知らなかっただけに、実はしっかり耳に残っていたんだなぁと。
Wikiで軽く調べたところ、音楽上でも自分と接点があったようです。何でも、ギターでBill Evansのピアノを目指していたそうで。
プロデビュー時はチック・コリアのバンドにも参加されていたらしく。

あと、やっと知れたアルバムの参加ミュージシャンも凄く。豪華すぎます。
B級のスタジオミュージシャンが奏でていたワケでは無かったんだなぁとか、そのミュージシャンらしい音を残していたんだなぁとか。
アルバム全体としてはこちらになります。耳に残っていたフレーズの曲はこちら(Cabo Frio)でした。
そのCabo Frioという名前も検索したところ、ブラジルの素敵な海岸が著名な地域らしく。
自分がAzymuthをその後好きになったのも、基本はブラジルにありそうで。

1977年のアルバムを1984年に聴いて耳にこびり付き、2019年に曲名が判明したとは。
当時気になっていた謎の何かの発掘は、なかなか面白く。

YMO / Solid State Survivor

本日、Amazonで注文していたYMOのSolid State Survivorが届きました。
改めて聴いてみた感想は、なかなか素敵。
特に代表曲とはならなかった合間々々に埋もれる曲に、色々と考えさせられて。

YMOのデビューと二作目のこのアルバムの時代、原田真二もシンセの音を利用していて、どちらが先だったのかな?とアルバムの発売日をWikiで確認してみたり。原田真二の方が先に演っていたのかも?と思えたりも。
原田真二も世界進出を企てていたハズなのですが、売り上げや知名度の結果は随分と異なってしまったなぁとも。音楽の完成度でいけば、原田真二も光っていたと思います。
しかし、いま聴いても斬新さ溢れる当時のYMOはやはり新しかったんだろうなぁと。

あと、ピーター・バラカンさんのラジオ番組では世界中の民族音楽を時々紹介していて。沖縄の音楽や、北海道のアイヌの音楽も登場したりで。
このYMOのアルバムでも二曲目に沖縄モードの曲が含まれていて。まぁテクノなのですが、沖縄臭な民謡風で、これは80年代中盤の太田裕美が演っていたテクノ・バンド「アッパレーズ」にも通じるなぁと。
バラカンさん自身もYMOの世界進出な場面でスタッフとして当時頑張られていたそうですし、何だかしっかり繋がっているなぁと。
目出度い新年です。

下町ロケットとYMO


昨夜は下町ロケットの最終回的な特別編を途中まで観ておりました。
本来は昨年の最終回で迎えてほしかったハッピーエンドなのになぁと、しかし、これまでの苦労が実りに結びつく展開でホッと一安心。
番組の残り一時間くらいのところでチャンネルを変えました。一応、録画はどちらもしたのですが、YMO関連の番組がBSで放映されるそうで。

前半の番組はYMOの「Solid State Survivor」が誕生した背景を関係者が語るストーリー。これがけっこう見応えありました。
個人的にはYMOに興味は少しあったのですけれど、無機質で厚みに欠ける印象でアルバムは一枚も持っておらず。
シンセサイザー等の鍵盤楽器を当時から演っていた兄はYMOのアルバムを何枚も持っていたものの、自分用のカセットテープにダビングすることは一度も無く。
その後、リバイバルが幾度かあっても何故か興味が持てず。

昨年、Googleのシーケンサーっぽいサービスを知り、簡単な楽曲しか再現できないような作りだったので、試しにYMOでも耳コピーしてみようかと。
久方ぶりにちゃんと聴いてみたサウンドは、意外にメロディックで分厚く。特にベースの音がかなり考え込まれていて。ベースの細野さんが立ち上げたYMOだったらしいのですが、細野さんの音楽歴がしっかり活かされているんだなぁと。
デビュー当時のYMOって、見た目で判断しては良くないのですけれど細野さん以外の二人がカッコ良すぎで、細野さんは妖怪っぽく謎のオッサンで。
まぁ、小学生の自分には斬新過ぎる音と見た目でした。

昨夜の番組では代表アルバムでもある「Solid State Survivor」のオリジナル音源から色々な音が発掘されていて。ボツになったトラックの音がけっこうあったんだなぁと。
あと、自分も鍵盤弾きではあるのですがピアノ出身であるせいか、軽すぎるシンセサイザー系のタッチがどうにも馴染めず。
ピアノですとミスタッチに気付いた瞬間に押し込まなければミスタッチの音がほとんど鳴らない技が使えるものの、シンセではそれが使えないパターンも多く。
特に音の強弱が無いオルガン的な音ですと、ミスタッチも派手に鳴ってしまい。
昨夜紹介されたトラックの中には坂本龍一の「魂の云々」と名付けられた早弾きも含まれていて。あれだけ弾きなれたスタジオミュージシャン上がりでも、気合が必要な場面があったのかと。
ただ、坂本龍一さんもバンド経験はそれまで無かったそうで、YMOの参加には当初戸惑っていたそうです。
Bill Evansもそういえば当初は録音を嫌がっていたんだよなぁと思い出したり。

番組を観ながらAmazonで注文した一枚は明日届くようです。先程確認したところ、既に売り切れになっていました。番組で影響を受けた人は多かったのかな。(トップの写真は本文と全く関係無い本日登場した新顔です)

シャカタクっぽいバンド

高校一年だった1984年の冬頃によく耳にしていた曲があるのですが、これを演奏していたバンドが分からず、二十年くらい気になっています。(実際は35年気になっていました)
たまに検索するのですけれど、手掛かりが掴めず。そのうちラジオで耳にするだろうし、そのときは番組のセットリストから確認できるだろうと踏んでいたのですが、これがなかなか巡り合えず。

曲調としては都会的なイージーリスニングで、シャカタクに近く。亡くなった兄もこのバンドのアルバムを持っていたような気がします。
ともかく、当時やっていたアルバイト先ではほぼ毎日流れていたBGMでもありました。

先程、InterFMを聴いていたらソレっぽい曲が流れ、確認したところ「Swing Out Sister」というバンドでした。曲調は近いのですが、これは自分が大学に入った1987年頃から流行り出したバンドのようです。
パステル(北綾瀬のカフェレストラン)でも、このバンドの曲はよく流れていたなぁと。

しかし、あのシャカタクっぽいバンド、何処の誰なのだろう?
知ったところで自分で買うつもりが無いから出逢えないのかなぁ。

追記:2019/01/07
しかし、どうにも気になってしまい、Googleの簡易シーケンサーで覚えているフレーズを打ち込んでみました。→ こんなフレーズです(実際の音はマリンバでなくアコースティックギターです)。
何方か、この曲が含まれているアルバムとバンド名を気が付かれたら教えて頂けると助かるのですが。喉に骨が刺さったままの二十年間です。

追記:上記と同日
「通りすがり」さんのコメントで演奏者が判明しました。更にYoutubeで84年の作品から順番に遡り、77年のアルバムから曲名も判明しました。→ Earl klugh – cabo frio

そんなに昔の作品だったんだなぁと。アルバムのタイトル「Finger Painting」も素敵なネーミング。
当時、総合結婚式場のアルバイトは日付が変わる時刻まで続いたりしたのですが、この曲が流れだすと「もう少しで終わりだよ」って合図でもあったんです。
寝室のモニタースピーカーで聴きつつ、あぁ懐かしい。

Bohemian Rhapsody (2)

Bohemian Rhapsodyの続きな記事になります。
昨日のこと、映画館でやっとこさBohemian Rhapsodyを観てきました。
期待値が高過ぎたり、映画のCMの盛り上げ方が上手かったりで、感想としてはちと微妙な点もありました。実際、エッセンスを凝縮した短いCMの方が本作より良いってのも多いと思うんです。
しかし、映画館の大スクリーンで観るには良い作品だったとも思います。

代表曲が誕生したキッカケな場面とか、メンバーが出逢った場面とか、仲間割れしてしまった場面とか、色々と発見もありました。
しかし、Queenのアルバムを一枚も持っていない初心者には「どうして?」と思える場面も幾つかあったかあなぁと。
例えば、映画「That’s The Way Of The World」を観る前にはEW&Fのアルバムを数枚聴いていたからこそ当時の映像が意味あったり。まぁこの作品は実際のメンバーが出演しているのですが。
しかし、映画「Bohemian Rhapsody」に登場するメンバーは実物に限りなく近くもありました。

あと、大人向けの作品だったとも思います。特にゲイなフレディのキスシーンとか。
映画「Saturday Night Fever」は自分も大好きな作品なのですけれど、これも家族で観るべき作品では無さそうで。車の中で女性を無理矢理レイプする場面とか、あれは無くても良かったかなぁと。
大学時代の音楽仲間から聴いたのですが、高校の学園祭で「ミスター・ブー」という香港映画を上映したそうなんです。ギャグ映画なのですけれど、ベッドシーンな場面もあってそのタイミングでは会場であった体育館がざわめいたそうです。映画を選んだ先生は翌年異動になったそうで。
自分だってアダルトビデオは観ますが、過激なラブシーンが含まれている作品は一緒に観る人を選ぶかなぁと思っていて。
ただ、男女のキスシーン程度であれば問題ないとも思っていて。
それを考えるとバイセクシャルとかゲイとかレズとかに対して、自分はまだ偏見が残っているのかなぁとも。
何事にも偏見はなるべく持たないように思ってはいるのですけれど。

ただ、まさかQueenが主役になる映画が登場するとは思っていなかったんです。
Beatlesだって、伝記的な作品は無くて。(自分が知らないだけかも)
自分がBeatlesに開眼したのは小学校低学年の頃でした。ともかく分かりやすいメロディーで。
Queenはどうかというと、小学校高学年の頃にリアルタイムで新作を聴いていたものの、斬新過ぎて。(兄が聴いていたので)
しかし、テレビやラジオでQueenの曲が流れる場面は増える一方で、既にRockのスタンダードナンバーともなっている感です。

あと、個人的に期待していた場面についてです。
七十年代から言われていた日本公演の場面とか、もう少し分かりやすく登場させてほしかったなぁと。全く言語圏も違う国で大歓迎を受けたとか。「手を取り合って」を日本語で歌う場面でも良かったんです。
これは日本だけの都市伝説だったとは思えず。
あと、「ノー・シンセサイザー!」に拘った場面も欲しかったです。フレディはずっとピアノの音に拘っていて、シンセサイザーライクな音はブライアン・メイに任せていて。
既にずっと前にフレディが他界していたせいか、フレディのワガママな部分が目立っていて。QueenがQueenらしかったのはフレディが拘っていたシンセサイザーを使わなかった背景もあったかと思うんです。
死人に口なしとでもいうか。ギターのブライアン・メイが知性も言葉少な気な気の利いたセリフが光っていて。ちとズルいなぁとも。
生き残っている残りのメンバーだって、汚い部分はあったハズで。
お互い様だろってのはあってもよかったのかなぁとも。

しかし、洋楽が好きなら観といて損は無い作品だと思えました。(最後にフォロー)

国際人の前に文化人

ニュース記事の一覧を斜め読みしていたところ、オーストラリアでの人種差別の記事が。
家を買ったり部屋を借りたりする際にアジア人は差別を受けやすいとの内容でした。
多かれ少なかれ、どの国でもあることでしょうし、日本でも全くないワケではありません。
自分も似たような経験はしていますし。

ただ、日本人はアジア人の中でも別格だったとも思っています。
特に二十年近く前にヨーロッパで三ヵ月滞在した際には、日本人だから助かったような部分もあって。
右寄りのネット民は日本の美談を語りがちなのですけれど、実体験でもそんなことが実際にありました。

まず、ヨーロッパでは日本の工業製品が溢れていますし、テレビCMも実際に多く。
日本では中型以上のバイクのCMが基本的に流せられない様ですが、現地では日本製のバイクのCMもけっこう多かったです。(文化の違いとか国のルールの違いをかなり感じた一面でもありました)
それも、精密で信頼性の高い製品を前面に押し出したCMでした。日本の場合は70年代くらいに大き目なバイクの事故が多発したらしく、CMについても自主規制のようなものが未だ続いている様子です。
あと、偶然だったのかも知れませんが、日本の文化的なテレビ番組も多く。盆栽の手入れの仕方とか大相撲のダイジェストなんてのも放映されていて。(自分の訪れた2000年は日蘭交流400周年だったので、これはたまたまだったのかも知れません)
しかし、盆栽を扱うお店は街の中心街にもあったり、日本以上に日本らしいなぁとか思えたりな場面でもありました。
あと、日本のアニメ番組も多かったです。ポケモンなんて日本でちゃんと観たこと無くて、初めてちゃんと観たのがオランダででした。

ともかく、日本に対しての敬意みたいなのは少なからずあったのかと思います。工業製品に限らず文化面にしても。
じゃぁ、そういったハードウエアやソフトウエア以外に人種としての日本人はどうだったかというと、現地の皆さんと同等な扱いだった感です。
自分は仕事で行ったので、職場の皆さんは自分が日本人だと最初から疑う余地も無かったですし、親切でフレンドリーな接し方でした。
職場の皆さんは似たような世代の方々が多かったですが、基本的に冗談が好きでしたし、職場でノリの良い音楽が流れたりすると歌ったり踊ったりが始まって。
自分はこんなノリが元々好きなので、一緒になって馬鹿をやったりで。

ヨーロッパに滞在した拠点はオランダの現地工場近くでした。オランダの中でもかなり田舎な土地で「フランダースの犬」に登場したような風景がそこら中に残っていて。(あの作品はベルギーなのですけれど、自分の滞在先はベルギーアで僅かな距離で、文化的には近いものがあったようです)
定宿にしていた場所は当時自分がお世話になっていた会社の社長の親族(社長の弟さん)が営むペンションでした。ソコソコな広さで、なかなか快適な部屋でした。
そのペンションの敷地にはちょっとしたレストランもあったり、そのレストランにはグランドピアノが置いてあったり。

滞在初日にペンションのオーナーと挨拶した際が、そのレストランでした。何よりも最初に目に飛び込んだのがピアノ。
何処のメーカーのピアノかな?と覗き込んだところ、YAMAHAでした。
触れてみて良いですか?と聞いてみたところ、勿論ですと。
人差し指一本だけでCのキーを押さえてみると、一音だけでも素敵な響き。お気に入りの短いフレーズを弾いてみても素敵な響き。各鍵盤のタッチも音も完璧です。調律はちゃんとされていました。
そこでショパンの代表的な曲を弾いてみたところ、四小節目辺りでミスタッチ。そのまま終了。
しかし、レストランに居たウエートレスさんが残りのフレーズをハミングしてくれて。

これが、何だか感動だったんです。
お互い知っていた「別れの曲」でした。「指が忘れてしまいました。ごめんなさい」と簡単な英語でお返し。
たどたどしい片言英語しか使えなかった初日の自分でしたが、音楽というものは、それ以上の何かがあるんだなぁと。
ペンションのオーナーは地域で古くから伝わる音楽の継承者でもあったらしく、それから意気投合する場面も幾度か。
帰国直前には、自分もちゃんと弾けるようになっていて、お世話になった恩返しもやっと出来たかと。
地域の文化的な場所をプライベートで沢山体験させて頂けたりだったもので。
馬に触れさせてもらったり、名所に連れて行って貰ったり、街の中心部の古い教会でパイプオルガンを弾かせてもらったり。こんな経験をさせてもらうなんて想像していませんでした。
お別れの際は、電話越しに涙ポロポロでした。

後から考えると、ピアノを弾けた縁もあったと思うんです。
人種がどうであれ、何らかの文化的な素養があれば、受け入れてくれる部分があったと思えて。
ヨーロッパでは何処の家でもピアノが置いてある。なんてワケでも無く。

自分の育った環境は裕福な家では無かったのですが、子供にピアノを習わせるのが母の夢だったそうです。(数日前に放映された「遥かなる山の呼び声」というドラマでも、裕福でもない家庭で子供がピアノを練習していて)
自分の三人兄弟は小学校の卒業式でピアノの伴奏をそれぞれしてきました。しかし、音楽のプロになったのは誰も居ません。
だいたい、母は習わしておきながらもその道に進めさせるのは否定的で。
安定した職業を望んでいた様子でした。少なくとも自分より二人の兄は音楽の素質もあり、その可能性は十分にあったのに。
何事にも一番出来の悪かった自分は、妙な場面で恩恵を頂いていた感でした。

話が戻るのですが、人種云々の差別があったとしても文化的な経験はそれらを覆す力があるのかと思っています。
「エレファント・マン」という見た目の障害を持った主人公の映画でも、主人公が人知れず聖書を唱える場面で流れが変わりました。(それまでは単なる見世物で、まさか教養があるとは思われていなかった)
高校生時代にショパンのノクターンを聴いてみたいと思っても自宅にはレコードが無く、FM放送で録音した演奏が衝撃的でもありました。

それは自分にとって理想の演奏でした。さりげない完璧な演奏の中に感情も僅かに伺えて。ノクターンらしいノクターンでした。
演奏されていたのはダン・タイ・ソンさん。ベトナムのハノイ出身のピアニストで、1980年にアジア人で初めてショパン国際ピアノコンクールで優勝されていたそうです。
後から知ったうろ覚えですが、ベトナム戦争中は音が漏れないような練習で相当苦労していたとか。(こちらの記事が詳しいです)
そんな酷い環境の中で育った音だなんて、演奏だけでは分からず。

日本人であっても、アジア人の出身地によっては甲乙つけてしまう場面は実際にあります。
ただ、自分の場合はこういった経験があったので、あくまでも本人次第です。
と、道徳的なお説教になってしまいました。

何より、先人が築いた日本の印象に感謝すべきですし、それを台無しにしてしまう様な振る舞いは残念だと思います。
文化面の経験による違いは日常茶飯事で、時として怒られてしまうこともあるのですが、その土地に合っていなかったのなら素直に謝る心構えも大切で。
海外に出る度に、ピアノをちゃんと練習しておくべきだったなぁとか、次回のためにも練習しておかなくちゃとか思いつつ、進歩の足りない自分です。
しかし、この文章を入力しているキーボードの手前には鍵盤楽器も備わっているのですが、かれこれ一ヶ月電源も入れていないなぁ。
ガァ

前田憲男さん

今夜見掛けたニュース記事で、前田憲男さんが他界されたとのこと。
ジャンル問わずの天才ピアニストでした。幸運にも自分は生演奏を経験していました。
(詳しくは過去の投稿によります)

メロディックでドラマティックで軽やかな演奏でした。
楽器をやっている人は、極端に上手い演奏を生で耳にしてしまうと、自分には無理だと思うこともしばしばです。
これはアマチュアでもプロでも同じらしく。
あの三越劇場でも、同じ衝撃が走りました。演奏の上手さと感動と、自分の出来の悪さと。

話が少し飛びます。
その無料で体験出来てしまった三越劇場でしたが、客席は半分くらい埋まっていた状況でした。
ホールは入り口から別次元で、古い扉や椅子等の内装なのですけれど磨かれていて気品に溢れていて。自分達以外のお客さんはほとんどがシルバー世代でフォーマルにキメていて。
多分、劇場の関係者も「音楽好きな若い子達いっぱい連れてらっしゃい!」なノリだったと思うんです。自分達は小汚い服を着たまだ青臭さ残った若造でした。
自分を誘ってくれた軽音関係者も、それぞれ受け持っている楽器の演奏に感動していました。
どうやったら、あんな演奏が出来るんだろう?と。それも軽々と。

更に話が飛びます。
思い出してみると、大学時代まではコンサートに行ける機会がそれなりにありました。
もう三十年近く前の話なので罪は無いと思いますが、ほぼ全てのコンサートは無料でした。
音楽仲間の伝手で突然誘われるパターンで。大体は「席を埋めたいから助けて!」って話で。
バブル時代だったのでロック以上にクラシックのコンサートも人気があったりでしたが、何かの手違いでチケットが大量に余ってしまうパターンもあったようです。
自分は夜間大学に通っていて、ほとんどのコンサートは夕刻に開演だったので、その度に天秤に載せていました。
今夜の講義は外しても大丈夫か等々。特に語学の講義は出席点がモノを言うと兄からも教わっていて。

マーラーの五番の生演奏は一度くらい聴いてみたかったものの、厳しい英語の講師だったので誘いを断っていて。
誘ってくれた友人は出欠だけ済まして教室を上手く抜け出していて。
しかし、その友人が講師からリーディングを指名されてしまい。
代返とは異なる次元、義理と人情で自分が「はい!」と立ち上がり、英文を読み上げることに。
しかし、この後自分がリーディングで指名されたら、誰か代理をしてくれるのかな?
かなりハラハラする残り時間でした。

ともかく、自分は若いうちに東京に出てきて良かったんだと思います。グレーゾーンな中で、持ちつ持たれつ貴重な機会が多くて。
高校時代から「今だったら許される!」と馬鹿な誘い合いばりでしたし、根性試しというか、大学でも延長線で周りを馬鹿に染めてしまった感で。
しかし、あの頃は面白かったなぁ。(じじい口調)

自分が前田さんの生演奏を経験したのは1990年頃だったかと思います。逆算すると当時の前田さんは五十代半ば。
自分も頑張らねばと思いつつ、素敵な演奏に改めて感謝しております。