存在感のある俳優さん

自分が観る映画は偏った傾向で、特に新しい作品の知識が全然無くて。
八十年代くらいまでの作品ばかり観ている様です。音楽も同様の傾向なのですが。
そんな中、昨日は午後から「ゴッドファーザー PART II」がテレビ放映されていて、途中から観ていました。
大分前にも観た記憶ですが、ストーリーはほとんど覚えていなくて。

で、途中から気付いたのですが、あの俳優さんは他の作品でも観たことあるなぁと。どの作品だったか思い出せずに検索したところ、ジョン・カザールさんという俳優でした。
見掛けた他の作品は「ディア・ハンター」でした。役者さんは作品によって別人のような見た目や雰囲気だったりするのですが、この俳優さんについてはどの作品でもそのままのイメージで。主役でも無いのに妙なインパクトがあって。
また、「ゴッドファーザー PART II」では「ロッキー」のエイドリアンまで登場していて。この女性もどの作品でも同じイメージな感です。エイドリアンについて検索したところ、コッポラ監督の妹だったらしく。全く知りませんでした。

自分はDVDといった映画のソフトはそれ程所有していません。どれも余程好きな作品ではありますが。
顔は何となく覚えているけれど名前まで覚えていない俳優さんが多く、そんな中、自分の所有するDVDで二つの作品に登場している俳優さんが。
リチャード・ドレイファスという俳優さんなのですが、「アメリカン・グラフィティ」ではひょうひょうとした青年や「未知との遭遇」では所帯じみたオッサン役を演じていて。どちらも好きな役なのですが、この二つの作品のインターバル僅か四年で青年からオッサンに進化しているところが何だか凄く。どちらも醸し出すユーモラス感は同じなのですけれど。

話が少し戻りますが、エイドリアン役のタリア・シャイアさんは著名人な家族に囲まれ、世界的な名作の出演経験もあるのに、ロッキーのエイドリアンはオーディションで勝ち取った役だったそうです。
ロッキーの脚本を売り込んだシルヴェスター・スタローンさんは当時無名の俳優さんだった様ですし、そこに潜り込んだタリアさんはどんなキッカケで作品を事前に知ったのか気になったりです。
ロッキーについては当初、低予算のB級映画的な公開だったそうですけれど音楽もインパクトありましたしポスターもインパクトありましたし、自分も大好きな作品で。

世界残酷物語

アマゾンの奥地で未確認の部族が発見されたとのニュースを昨日見掛けました。
現代人にまだ染まっていない部族がまだ居るんだなぁと、少し感動しました。
そういえば、未開の地の部族のドキュメンタリー番組が自分の子供の頃に流行っていたなぁと。

飛行機を崇拝する未開の地の原住民みたいなのが居て、当時けっこうショッキングでした。
どうしてそうなってしまったのかは、Wikiのカーゴ・カルトにて詳しく解説されていました。
近代文明の届いていない土地に、軍用機がいきなり飛び交い始めたら原住民としたら何らかの理由付けとか原因とか必要なのかな。

自分が当時観たのは世界残酷物語という作品だったようです。
世界中の独特な文化を紹介していた作品の様ですが、「やらせ」もかなり混じっていた様子。
その後の川口浩探検隊とかも、この流れを組んでいたのかも知れません。当時の日本のドキュメンタリー番組は多かれ少なかれインチキ多かったでしょうけれど、幼かった頃の自分はドキドキしながら視聴したものでした(物心ついてからはやらせに気付いて観ていません)。
ツッコミ覚悟で現代版みたいなのを作ってくれたら、娯楽作としてこれはけっこう面白いんじゃないかな?と思えたりです。

その世界残酷物語で使われていた曲が有名だったそうです。どんな曲だったかな?と検索したところ、こんな曲(More)でした。
国際線の空港で流れていそうなBGMっぽいですよネ。自分も昔何処かで聴いています。
未知の土地に旅に出るっていう意では、案外合っている選曲かも知れません。

タイトルの映画についてですが、Youtubeでフルに観れるようです。

ロードムービーとドライブイン

特に理由なくロードムービー系の映画が自分は好きです。
ペーパー・ムーン、俺達に明日は無い、バッファロー66、Big Wednesday、レイン・マン、等々数え上げたらキリが無く。

数日前のこと、某SNSで近くのレトロ喫茶の姐さんが載せた写真にハッとしました。
昔はよく見掛けたドライブインの夜の写真、子供の頃は特に憧れだったなぁと。
ドライブインは基本的に車での移動中でないと辿り着けないような立地で、まして子供だけでレストラン何て当時はあり得なく。そんな大人の世界が二乗で魅力的に思えたのがドライブインで。
現在の自分は、ツーリングで都心を時々離れたりしています。その途中で見掛けるドライブインは特に山間部ほど廃墟になっているパターンが多く。
トラックの運ちゃん向けの大衆食堂的なドライブインは未だしぶとく残っていたりですが、レストラン系のドライブインはかなり失われた感です。

レトロ喫茶の姐さんが載せた写真のドライブインは十年くらい前から自分も気になっていました。
松戸方面で暮らす同僚を会社の車で送る際に、幾度も観掛けていて。夜しか通らなかったルートで、フワッと光った存在でした。
途中で柴又に引越した自分は同僚と一緒だった会社を去ってしまい、夜の松戸方面に伺う機会が減ってしまい。
ラーメン二郎の松戸駅前店へ時々伺う際は大体昼間で、ドライブインの存在は薄く。

姐さんのレビューによると、そのドライブインのステーキが美味しいらしく、まして御飯とカレーが食べ放題。サラダまで食べ放題。
これは行くしかない。
そして、その翌日に早速伺いました。


100gのステーキセットは980円。これを注文して登場したステーキはまぁ小さかったです。
しかし、この肉がかなり柔らかく美味しく。これ、凄いです。
お腹を埋める部分はカレーと御飯とサラダで幾らでも可能で。
このお腹を埋められる料理も手抜きが感じられなく、どれも美味しく。特にポテトサラダが自分は大好物で。
まだ明るい時間に伺ったそのドライブインは、かなり年季の入った外観と内装でしたが、清潔感はちゃんとありました。
もっと早く伺うべきでした。

かすみ目にはチャップリン

小学生くらいの頃の夏休み、70年代後半の夏休みは夜になるとチャップリンの小劇場や代表作がテレビで放映されていたものでした。
小劇場というか短編も面白かったのですが、代表作の一つであった「サーカス」のエンディングは子供ながらに泣けてしまい。
あれだけ尽くしたのにサーカスの一座が砂煙とともに去る中、どうして一人取り残されてしまうのか。
自分は三人兄弟の三男坊、末っ子だったので、あの場面でブレーキも効かず涙ポロポロでした。

今宵は何かの拍子で「街の灯り」を観てしまい、結末も作りも知っていたので最初から涙ポロポロ。二十年ぶりくらいに観てしまいました。
盲目の美しい女性に憧れてしまったホームレスの物語です。時代背景の説明が無いと、細かな進行の意味が通じない作品でもあります。

1931年の作品である「街の灯り」、前作の「サーカス」が好評だったものの、サイレント作品の中でどうやって状況を伝えたら良いのか主演でも監督でもあるチャップリンは何年も悩んでいたとか。
チャップリンの作品は道化な要素が多いものの、本人は完璧主義者で何となくな進行が出来なかったらしく。しかし、ビデオも無かった時代にやたらと細かいディテールに拘り、製作者の方々にも厳しかったそうで。
平凡な閲覧者側は、何度も観ないと各場面の意味が分からなかったかと。現代なら容易なのですけれど。

盲目の花売りの乙女。お花を買ってくれそうなのは富裕層くらい。
車のドアの開閉音が鳴り、近付く足音。当時の自動車の所有者は富裕層くらい。
そこにたまたま現れた富裕層とは程遠いチャップリン。
何故にこの乙女は、こんなに優しいのか。
どうやら、目が見えないらしい。
自力で何とか救えないものか。

70年代まで版権か何かの関係でしばらくはテレビ放映や上映の機会が少なかったそうです。チャップリンの作品は左翼的だと批判されてアメリカでも立場悪かったらしく。
ただ、子供の頃に観れた自分は案外幸せだったのかなぁと思います。観ないまま大人になるのとは違いが出てきそうで。

ここしばらく「かすみ目」に困っていました。老眼とは症状が異なり老眼鏡を使っても視力は改善せず。
チャップリンの映画で涙をポロポロ落としてしまったところ、かすみ目が改善。
目が乾いていたのかな?瞬きが足りなかったとか、目の表面が汚れていたとか。
最後に妙な発見でした。

追記:
映画の途中々々で時々セリフが英語で登場するのですが、比較的短文で大意は掴みやすかったです。
しかし、一つだけ難しい表現が。「I’ve made a conquest!」というセリフです。
直訳すると「私は制服された!」な意味になってしまいそうですが「惚れられちゃった!」が妥当そうで。(数十年前に観たうろ覚えですが)
現代でも、そんな言い回しが普通なのか謎です。

竹中敏洋さんの思い出

高校を卒業するまでの四年間暮らした北海道の千歳には支笏湖という観光地があり、冬場にはそこで氷凍祭りというイベントが開催されていました。
氷点下の中、氷で作られた像が並ぶ神秘的なイベントでした。自分がこの像を観れたのはずっと後のことで。
というのも、真冬の移動手段は車しか無く、中高生だった自分はバスを使って遠く寒い場所に行くまでも無いかと。夏であれば自転車か単車で行けたのですけれど。
それに、その氷の像というのが著作権関連で揉めていたという噂も面倒臭く。像は雪から作るのでなく、氷点下の中で水を撒いて凍った産物らしく。その製法と表現方法を確立した芸術家の断りも無く実施していたそうで。
当時、アート系に興味ある地元の知人に聴いても、氷凍祭りは興味の対象外だったようです。

社会人になって数年経った頃、夏の終わりくらいに北海道へ帰省した機会がありました。
流れ者な町であった千歳に残っている友人は少なく、親の車を借りて近場の観光を楽しむ程度でした。
当時、自分の母は油絵に凝っていて、地域の文化活動にも関わっていたそうです。自分の出身校の先生とも繋がりがあったらしく、その中には自分の尊敬していた国語の平田先生も含まれていて。

この平田先生というのがナカナカの変わり者で。国語の試験で記述式の回答があると、滅多に×を付けられない性格で。
文章に対する解釈は一通りでなく、模範的回答以外の解釈にも理解を示してしまうというか否定は出来ない方でした。その度に考え込んでしまうそうで。
こういった先生は高校よりも大学の方が似合うのかと思いつつ、頭ごなしに否定しない姿勢に見習うべき点は多かったです。立場や権力で生徒を押し込める教師が普通で。
あと、先生の趣味がまた面白かったんです。オーディオマニアで、高価な機材を入手しては奥さんに怒られてしまうこともしばしばだったそうで。当時はまだCDが市場に出回り出したばかりの時代でした。
そんな中、録音の良いCDを自分は先生から沢山お借りしていて。アルバイトで稼いだお金をJazzのCDに注ぎ込んでいた自分もお返しにCDを貸したりで。教師と生徒の関係としては不適切だったかも知れませんが、自分の全く興味なかったジャンルやアーティストに触れられる機会を頂けて。こんな曲や表現方法もあるんだなぁと。
国語という限られた科目に置くには勿体ない先生でした。「表現と解釈」といった、もっと漠然としたテーマの方が似合っていたかと。これは文化や人種や言語を越えたコミュニケーション方法でもあって。

話を戻さねば。
その平田先生と繋がりのある芸術家が市民ホール(千歳市民文化センター)で個展を開くらしく、暇を持て余していた自分は母の勧めで個展に行くことに。母の造った大作も市民ホールの階段に飾られているそうで。
何の期待もしていなかった個展ですが、これが面白かったんです。印画紙を応用した作品は他に観たことが無く、独特な世界観。イマジネーション膨らむ作品群。
作者の方はその場には居なく、作者の奥さんがギャラリーを受け持っていて。
その奥さんと少しお話をさせてもらったところ、作者とのトークベントが後日あると。
あの作品の雰囲気は冨田勲の月の光に近いなぁと、地元のレコード屋さんでCDを入手し後日の夜も同じ場所へ。
(この記事を綴っている理由も、昨夜観た夜叉ヶ池で冨田勲さんの作品が使われていた故です)

作者のトークイベントも楽しかったです。参加者がとても少なかった中、プロのパーカッションプレイヤーの方と物の叩き合い的なセッションもあったりで。
作者は竹中敏洋さんという方で、元々は千歳で中学校の教師をしていたものの、作品制作の世界に没頭したかったらしく、周りの反対を押し切って芸術家の道に進んだらしく。
しかし、その世界で認められるチャンスは何年も訪れず、極貧生活が続いたそうで。教師時代に「先生先生」と持ち上げてきた方々からも冷たい視線を受けるばかり。
ご自身が嘗て製作した作品の一つだけを頼りにしばらく生きていたそうです。イベントではその作品を持参されていました。例えの難しい作品は表面のゴツゴツした少し伸びたタケノコのようなモニュメントというか。
全てを失った中、その作品を腕に抱えて真冬の夜汽車に揺られたこともあったと。
その中に自慢話は含まれておらず、いまは人里離れた場所で作品造りと。

頂いたパンフレットを観たところ、例の氷凍祭りで争っていたらしい芸術家でした。
個展の中で目に付いた作品の中に「偽善者」(記憶が曖昧なのですが、そんなタイトル)というのがあって、それが特に印象的でした。真っ黒の背景の中に細い白い線で描かれた弧。垂れ下がった真ん中には首が吊るされた細い人のシルエット。
静かなる抗議な作品だったようです。あの盗作に対する抗議だったのかなぁと。
どうにも気になる竹中さん、東京に戻る前日にご自宅へ車で伺ってみました。何のアポも無く向かった夕方、会えなくても仕方なく。
大きな地図を観ながら走ったルートは、高校時代に幾度かバスで経験した風景でした。盤尻というエリアはその先に市民スキー場があり、学生はナイター券を安く入手出来たので友人達と伺っていて。
しかし、冬の雪景色とは一味違っていました。夏の終わり頃の枯れはじめた土地というか。枯れてはいないものの、夏の始まりの勢いある緑とは別の衰える緑。

民家が少ないエリアだったので、竹中さんのご自宅はすぐに見つかりました。通り過ぎた道を引き返し、手作りっぽい木製のご自宅へ。(木造というより木製でした)
玄関をノックしてみると、先日の奥さんが。居間に案内されて竹中さんと世間話。そのままアトリエへ。アトリエといっても屋外でした。ご自宅の裏には川が流れていて。
冬になると、ポンプで川から引いた水を撒き、作品作りに没頭すると。
ポンプや照明に必要な電源周りの工作や電線の引き回しもご自身でやられたそうです。この時代にこんな人が生きているのが斬新でした。元々は何も無かったらしき場所なハズ。
真冬の北海道でこんな人里離れた場所、一歩間違えたら簡単に死ねてしまいます。ゼロからここまで続けてこれたことに見習うべき何かが大きく。幾度の冬をここで越してきたのだか。
どんな話をしたのかほとんど覚えていないのですが、この会話だけは覚えています。

 SUKIYAKI:時々変な夢を想てしまうんですよ。空を飛んでいる夢なんですけれど、地上に戻りたいと必死に泳いだり電線を捕まえようとかするんですけれど、酷い時なんて宇宙の彼方で一人っきりで、
 竹中さん:そのままそこに居ればいいじゃないか。

自分は人付き合いが下手な面を自覚していて、一人で居たい時はもちろんあります。それでも人里が恋しくなる部分もある勝手な奴で。
何でそんな会話になったのか自分でも不思議でありましたが、ここで二人いることも不思議でしたし、竹中さんの生きざまへの質問だったのかなぁと。

その次のお正月だったか、ご丁寧な年賀状が竹中さんから届きました。
自分のこと、覚えていてくれたのが嬉しく。謎の妙な東京の若造でしかなかったハズなのに。
大切に残していた年賀状だったものの、自分の引越しの機会でしか目に掛かる場面が無く。いまはこの部屋の何処にあるのか。

竹中さんとお会いした数年後に自分は一時的に北海道へ戻っていました。
当時は養父が単身赴任で、冬に向かう季節の北海道で一人暮らしだった母をドライブに幾度か連れまわしたり。
共通の話題が乏しい母に「そいえば、竹中さんどうしてる?」と。「アメリカで個展開催に向かう飛行機に乗るところで吐血したそうよ」と。
そういえば、竹中さんはお酒好きだったなぁと思い出しました。
そのうちまた挨拶に伺いたいなぁと思いつつ、その機会も無く北海道をまた離れた自分。

時々、竹中さんのことは検索していたんです。
2002年に亡くなられたことも後から知りました。
そして、専業主婦向けの昼のドラマでもあった「ダンプかあちゃん」の題材になったご夫婦が、あの竹中夫妻だったこともずっと後に知りました。
乞食のような妙な男が気になった若い女性、その男は全く売れない実直な芸術家。勝手に転がり込んできた女は作品の裸体になる覚悟も、ダンプカーの運転で男の生活を支える覚悟もあり。幾度もドラマの題材になった二人。
そんな話、ご本人達からは一切聞いておらず。
普通の老人なら、自慢の一つくらいするだろうに。
だから、ますます忘れられず。(五十年近く前のドラマも丁寧な作り)

三年前の引越し後、所有していたCDを久し振りに整理しました。とりあえず、アーティスト別に並び替えて。引越し前までは部屋の至る所に散乱していたCD達だったので、大きな進歩です。
整理中、同じアルバムが幾つも見付かったり。冨田勲の「月の光」も二枚同じのがありました。多分、過去に三枚購入していたのだと思います。そのうちの一枚は竹中さんへ。
いつ購入したのだか思い出せない一枚と、冨田勲さんが亡くなられた頃に「そういえばあのアルバムは手元に残っていなかった」と勘違いして購入した一枚。そんな手元の二枚らしく。
久し振りに自宅のステレオで聴いてみたところ、やはり素晴らしいアルバムでした。
幻想的に響きつつ、何処かに刻まれる残音。

夜叉ヶ池

夜叉ヶ池(ヤシャガイケ)という映画を観たのは三十年ほど前、自分が大学に入ったくらいの時期でした。
テレビ放映でたまたま途中から観掛けて。これがナカナカインパクトのある作品でした。そのうち最初から観てみたいなぁと。
しかし、残念なことにテレビ放映はその一度キリでした。歌舞伎役者の坂東玉三郎が女役とはいっても男優さんと接吻する場面があり、現在大物になり過ぎてしまった玉三郎さんのお許しが得られないといった噂もあるようです。(真偽不明な噂ですけれど)

その途中から観た感想としては、特撮の古臭さとか薄気味悪さとか気持ち悪さみたいなアングラ劇に近いものを感じまして。ただ、冨田勲さんの音楽は特にラストシーンの浮遊感を際立たせていました。
翌日の大学で「昨日のヤシャガイケ観たかよ?ありゃ凄かったなぁ」と友人に尋ねられ。変な映画は観たもののあれが「ヤシャガイケ」という作品名なのは知らず、どんなラストシーンだったか尋ね返したらどうやら同じ作品で。
そして、上記のような感想を伝えていました。友人はバンドでドラムを叩いていましたが、クラシックにも強く、芸術的な感性は持っていました。
当時の自分は包容力が色々な面で足りなかったのか、特に特撮にぎこちなさが残る作品が苦手で、ストーリーとか作品が伝えたかったこととか本質的な部分は二の次になりがちでした。
いずれにしても途中から観てしまったので、語れるレベルではなかったです。ただ、ラストシーンの壮大さと孤独感は呑み込まれる感覚が確かにありました。

そのうちまた観れるだろうとテキトーに意識していたものの、十年経っても二十年経っても観れず、Webで検索したところ、上記の理由でソフトの再販は限りなく難しいし、テレビ放映は更に難しいとの噂で。
そうなると益々観てみたくなるのですが、半分諦めていて五年以上は「夜叉ヶ池」をキーワードに検索するは無かったです。

昨夜、何の気なしに「夜叉ヶ池」を検索したところ、数年前からYoutubeにアップロードされていて。半分眠りかけていたものの、一気に最後までスマホで観ることに。
これが、なかなか良かったんです。良いとか悪いとかいう判断は良くないと以前に忠告されたこともありましたが、決して悪くは無くて。

スケールが大き過ぎて、舞台に収まりきれない作品な面もあったとは思います。前途の通り、特撮も当時の技術レベルで。ただ、これを演劇として観た場合は強力な破壊力がありました。
かなり大雑把なストーリーはWikiにも載っています。映画上では姫が我が儘を押し通そうとする場面前後が如何にも演劇っぽい演出なのですが、人の動物的本能が穢れの無い美しさで理性を取り戻させる展開は誰にでも当て嵌まりそうで。
山崎努さんも自分は昔から気になっていた俳優です。「スローなブギにしてくれ」や「早春スケッチブック」といった作品が好きでした。「どの作品でも同じ印象」も上手く働いているというか。ちとインテリでありつつも野性味を残していて、人生の修羅場も経験していて。
坂東玉三郎については名前しか存じないような方でした。ここで演じる女性は女性以上に女性でした。自己主張の無さの中に自己主張が隠れていたり、男からすると誰かが傍に居なければ誰かが守ってあげなければいけない可憐な女性というか。
自立して生きていく為の教養とか経験とかが現代の女性には必要なのでしょうけれど、これを観てしまうと男が守らなければな旧来の社会も否定出来なくなる感で。

そしてクライマックス。
民衆の邪念が大量の水で押し流され、冨田サウンドが持ち上げて。
これをハッピーエンドと言って良いものなのか分かりませんが、愚かな民衆心理の結末。
暫く前に綴った記事で「浦島太郎」のクライマックスが理不尽過ぎると思ったものの、掟を破った結末はこの作に近く。

順番が全く逆になるのですが、映画の序盤も面白かったです。
日照り続きで水の乏しい村を彷徨う主人公が強風で舞った土埃で目を傷めてしまう場面です。目を洗いたいものの水は何処にもなく、人が集まる場所で状況や症状を伝えたところ「これで洗いなさい」とばかりに乳房から母乳を出そうとする女性。
大正時代が背景なのですが、都会で現代的な経験を持つ主人公は村の女性の対応に驚きます。勿論親切心や母性本能があったのでしょうけれど、そこに何の恥じらいも無く、明治はおろか江戸時代の風土に迷い込んだ感覚で。

現代の若者がこの作品を観たら、どんな感想になるのだろう?と。
おとぎ話や演劇だと事前に耳打ちしたら、細かな突っ込み無く素直に観れるかなぁと思ったりです。

西城秀樹さんの思い出

昨夜、西城秀樹さんが亡くなられたそうです。
十年以上前に脳梗塞で倒れられたと聴いていて、その後テレビでお見掛けする姿が少なかった気がしますが、自分自身が高校時代からテレビをあまり見なくなっているので、出演の機会自体はそれなりにあったのかも知れません。
最後に生放送でお見掛けしたのは某国営放送の「のど自慢」だった記憶です。これすら十年くらい前だったかもしれません。
このとき、素人が歌った「傷だらけのローラ」はかなり上手だったものの、審査員の西城さんは「もっとオーバーアクション」をとの指導をされていた記憶です。

西城さんのデビューというか存在を知ったのは自分が小学校に上がるくらいの頃だった記憶です。当時の西城さんの歌というか演技というかは派手過ぎて自分にはついていけなかった感です。
ただ、ドラマ「寺内貫太郎一家」は楽しみで、夕方の再放送を笑いながら見たものでした。

小学校の高学年の頃に流行ったYMCAは、体育の授業か何かでも踊らされた記憶があります。老若男女誰でも知っていた歌、誰でも謳えて一緒に踊れて。そんな時代はここまでだったかなぁと後から思い出したりしています。
この時代になるとニューミュージック系の方々が続々と登場し始めて、自分もそちらの方が気になっていました。世良公則さんや原田真二さん等です。あとは、担任の先生も好きだった「さだまさし」さん等のフォーク系も。

その頃くらいに観た映画がずっと気になっていました。日曜の夕方頃に放映されていた作品は途中から観たのですが、一文無しの身寄りの無いらしきお婆ちゃんが可哀そうで、冷たい対応の家族達と大喧嘩した青年(西城秀樹)が「こんなところ一緒に出て行こう!」とお婆ちゃんを連れて旅立つ結末でした。
しかし、痛快だったのは、大きな土地を処分したお婆ちゃんは数億円資産を持つ大金持ちだったというオチで。
どうやら、お婆ちゃんはお金目当てでは無い信頼できる人を探していた様子でした。隠し持っていた資産を最後の最後で打ち明けられた青年はビックリし、ニコニコのお婆ちゃんはそれさえも楽しんでいるようで。

かなりうろ覚えですが、ラストはこんな会話だったような。
 お婆ちゃん:あなたお金預けたいの(Vサインしながら)
 青年:二万円?
 お婆ちゃん:もっともっと
 青年:二十万?
 お婆ちゃん:もっともっと
 青年:え?

今日、西城さんの訃報でその謎の作品が何だったのか検索したところ、すぐに分かりました。「おれの行く道」という作品で、リンク先であらすじも判明しました。あの冷たかった家族も当初は財産目当てでお婆ちゃんの奪い合い的な展開だった様子です。
また、主演は田中絹代さんだったそうで、昭和の大スターではありましたが既に高齢でほぼ最後の主演作となったそうです。そんな大事な作品に出演した西城さんですが、西城さん自身が登場する映画というのは実はかなり少なかったらしく(それも手伝って探しやすかったです)。
また、この作品はVHSビデオでは販売されていた模様ですが、その後DVD化はされていないらしく。もう観れる機会は無いのかなぁとか、出来れば追悼で放映してほしいなぁとか。素敵なB級映画だと思っていて。
余談ですが、日曜の夕方に日本テレビで時々放映されていた映画は名も知らぬB級なのばかりでしたが、タイミング良く見れる機会があると、どれも心にジーンと響くのが多かった記憶です。「初めての旅」という作品も途中からだったので、もう一度観てみたい一作です。輸入スポーツカーを盗んで旅した二人の青年の顛末でした。

今夜のニュースで西城秀樹さんの訃報も扱われました。デビュー当時から全盛期の元気に踊って歌う姿。自信満々元気モリモリ。そして身体を壊してからのリハビリ場面やバラエティー番組でのトーク等。この身体を壊してからのトークというのが声を出すだけでやっとな状況で。何処かに無理な力を入れないと発声出来ないような頑張り方でした。
それでも一時よりは随分マシになったそうなんです。芸能人によっては衰えた姿を隠してしまう方も実際居ると思うのですが、西城さんは障がいが残っても頑張っている自分をさらけ出す覚悟があったそうです。

西城さんの本当のカッコ良さを、今日になって知ったようでもあります。
ご冥福お祈りします。