中国の進化

中国の進化が凄いらしく。EV自動車の開発を手掛けている知人が中国の展示会にここ数年毎年伺っているそうなのですが、地域によっては既に日本のインフラより進化しているそうです。
例えるなら、大正と昭和を飛び越して明治から平成になったような流れの様で。
キャッシュレスは既に数年前から当たり前だったそうです。それもクレジット会社という手段を使っていないそうで。イメージが良くわかないのですが、スマホをかざすだけで売買が成立するそうで。
銀行から自動で引き落とされるのとも異なるような話だったような。チャージされたSUICAで何ても買えるようなイメージだったような。日本でもその手のサービスはありますが、まだまだ現金の扱いが主流です。
あと、EV自動車の普及率も凄いそうです。安全性や耐久性には疑問が残るものの、リスクあっても政府主導で推し進めているそうで。

アフリカへ出張した六年前に運転手をしていた現地の方に聴いたところ、日本車はエクセレントだとの最上級の誉め言葉でした。ともかく故障知らずで古い車でも頑丈だとのこと。修理代も安く。
対して、中国車は価格以外の部分でゴミ扱いの評価でした。まぁ六年前の話で、現在がどうなのか知りません。
しかし、ガソリンエンジンといった機構的に複雑な工業製品は長い時間を掛けて信頼性が上がるものなのかなぁと思っています。日本の自動車メーカーにしても当初は故障との戦いだったハズで。
これが、ひょっとしたらEVで一気に巻き返されるのかも知れず。
たぶん、その辺の事情を知らない人は中国の自動車何てB級どころかC級品と思われているかと。しかし、中国にとっての海外メーカーは中国生産で製造ノウハウは既に十分掴んでいてもおかしくなく。
スマートホンといった電子機器も同じ流れで、既に品質も十分で、それでいて安く。
これでブランド力まで身に付けたら凄いことになるんだろうなぁと。

日本の場合は新しい乗り物が生まれたにしても、現行の法律で公道では走れない乗り物も実際多く。セグウェイ辺りが良い例かと思います。
セグウェイが公道走行を許されたら、世の中色々と便利になると思っているのですが。安全面で心配が残るのも確かですけれど、どうにも勿体ない法律の壁を感じてしまいます。
実際、リスクを取って法的に許されるようになっても、事故が起こったら「それみたことか」な風潮はあるのかなぁと。
しかし、その辺はある程度柔軟に対応していかないと、日本の環境や技術は周回遅れにもなりかねないかなぁと思うこの頃でもあります。

日本に限らずですが、同業種で既に巨大な会社が幾つかあると、画期的な商品をぶら下げた新会社が叩かれたりします。映画「タッカー」なんかもビッグスリーから徹底的に嫌がらせを受けたり。理工系の人材は観ておくべき素敵な映画なのですが。(映画の概要だけでも読んでおいて損は無いです)
この作品も久し振りに観てみたくなり検索したところ、日本では何故かDVD化されておらず。ここまで圧力が?とは思っていませんけれど、勿体ないなぁと。
自分がこの作品を観れたのも、偶然でした。学生時代に講義で使われたらしいVHSテープが夕刻の教室にポツンと置き忘れられていて、気になっていた作品だったのでその晩だけお借りしました。
本来は直ぐに学生課にでも届けるべきだったんですけれど、観れたお陰で技術屋の面白さに開眼した部分がありました。(勿論ちゃんと返却しています)
「中国の進化」というタイトルに対して妙な終わり方の記事ですけれど、最終的にヘリコプターのエンジンを載せて完成したタッカーも、それまでの仕来りに囚われない凄さがあったなぁと。

Bohemian Rhapsody (2)

Bohemian Rhapsodyの続きな記事になります。
昨日のこと、映画館でやっとこさBohemian Rhapsodyを観てきました。
期待値が高過ぎたり、映画のCMの盛り上げ方が上手かったりで、感想としてはちと微妙な点もありました。実際、エッセンスを凝縮した短いCMの方が本作より良いってのも多いと思うんです。
しかし、映画館の大スクリーンで観るには良い作品だったとも思います。

代表曲が誕生したキッカケな場面とか、メンバーが出逢った場面とか、仲間割れしてしまった場面とか、色々と発見もありました。
しかし、Queenのアルバムを一枚も持っていない初心者には「どうして?」と思える場面も幾つかあったかあなぁと。
例えば、映画「That’s The Way Of The World」を観る前にはEW&Fのアルバムを数枚聴いていたからこそ当時の映像が意味あったり。まぁこの作品は実際のメンバーが出演しているのですが。
しかし、映画「Bohemian Rhapsody」に登場するメンバーは実物に限りなく近くもありました。

あと、大人向けの作品だったとも思います。特にゲイなフレディのキスシーンとか。
映画「Saturday Night Fever」は自分も大好きな作品なのですけれど、これも家族で観るべき作品では無さそうで。車の中で女性を無理矢理レイプする場面とか、あれは無くても良かったかなぁと。
大学時代の音楽仲間から聴いたのですが、高校の学園祭で「ミスター・ブー」という香港映画を上映したそうなんです。ギャグ映画なのですけれど、ベッドシーンな場面もあってそのタイミングでは会場であった体育館がざわめいたそうです。映画を選んだ先生は翌年異動になったそうで。
自分だってアダルトビデオは観ますが、過激なラブシーンが含まれている作品は一緒に観る人を選ぶかなぁと思っていて。
ただ、男女のキスシーン程度であれば問題ないとも思っていて。
それを考えるとバイセクシャルとかゲイとかレズとかに対して、自分はまだ偏見が残っているのかなぁとも。
何事にも偏見はなるべく持たないように思ってはいるのですけれど。

ただ、まさかQueenが主役になる映画が登場するとは思っていなかったんです。
Beatlesだって、伝記的な作品は無くて。(自分が知らないだけかも)
自分がBeatlesに開眼したのは小学校低学年の頃でした。ともかく分かりやすいメロディーで。
Queenはどうかというと、小学校高学年の頃にリアルタイムで新作を聴いていたものの、斬新過ぎて。(兄が聴いていたので)
しかし、テレビやラジオでQueenの曲が流れる場面は増える一方で、既にRockのスタンダードナンバーともなっている感です。

あと、個人的に期待していた場面についてです。
七十年代から言われていた日本公演の場面とか、もう少し分かりやすく登場させてほしかったなぁと。全く言語圏も違う国で大歓迎を受けたとか。「手を取り合って」を日本語で歌う場面でも良かったんです。
これは日本だけの都市伝説だったとは思えず。
あと、「ノー・シンセサイザー!」に拘った場面も欲しかったです。フレディはずっとピアノの音に拘っていて、シンセサイザーライクな音はブライアン・メイに任せていて。
既にずっと前にフレディが他界していたせいか、フレディのワガママな部分が目立っていて。QueenがQueenらしかったのはフレディが拘っていたシンセサイザーを使わなかった背景もあったかと思うんです。
死人に口なしとでもいうか。ギターのブライアン・メイが知性も言葉少な気な気の利いたセリフが光っていて。ちとズルいなぁとも。
生き残っている残りのメンバーだって、汚い部分はあったハズで。
お互い様だろってのはあってもよかったのかなぁとも。

しかし、洋楽が好きなら観といて損は無い作品だと思えました。(最後にフォロー)

存在感のある俳優さん

自分が観る映画は偏った傾向で、特に新しい作品の知識が全然無くて。
八十年代くらいまでの作品ばかり観ている様です。音楽も同様の傾向なのですが。
そんな中、昨日は午後から「ゴッドファーザー PART II」がテレビ放映されていて、途中から観ていました。
大分前にも観た記憶ですが、ストーリーはほとんど覚えていなくて。

で、途中から気付いたのですが、あの俳優さんは他の作品でも観たことあるなぁと。どの作品だったか思い出せずに検索したところ、ジョン・カザールさんという俳優でした。
見掛けた他の作品は「ディア・ハンター」でした。役者さんは作品によって別人のような見た目や雰囲気だったりするのですが、この俳優さんについてはどの作品でもそのままのイメージで。主役でも無いのに妙なインパクトがあって。
また、「ゴッドファーザー PART II」では「ロッキー」のエイドリアンまで登場していて。この女性もどの作品でも同じイメージな感です。エイドリアンについて検索したところ、コッポラ監督の妹だったらしく。全く知りませんでした。

自分はDVDといった映画のソフトはそれ程所有していません。どれも余程好きな作品ではありますが。
顔は何となく覚えているけれど名前まで覚えていない俳優さんが多く、そんな中、自分の所有するDVDで二つの作品に登場している俳優さんが。
リチャード・ドレイファスという俳優さんなのですが、「アメリカン・グラフィティ」ではひょうひょうとした青年や「未知との遭遇」では所帯じみたオッサン役を演じていて。どちらも好きな役なのですが、この二つの作品のインターバル僅か四年で青年からオッサンに進化しているところが何だか凄く。どちらも醸し出すユーモラス感は同じなのですけれど。

話が少し戻りますが、エイドリアン役のタリア・シャイアさんは著名人な家族に囲まれ、世界的な名作の出演経験もあるのに、ロッキーのエイドリアンはオーディションで勝ち取った役だったそうです。
ロッキーの脚本を売り込んだシルヴェスター・スタローンさんは当時無名の俳優さんだった様ですし、そこに潜り込んだタリアさんはどんなキッカケで作品を事前に知ったのか気になったりです。
ロッキーについては当初、低予算のB級映画的な公開だったそうですけれど音楽もインパクトありましたしポスターもインパクトありましたし、自分も大好きな作品で。

世界残酷物語

アマゾンの奥地で未確認の部族が発見されたとのニュースを昨日見掛けました。
現代人にまだ染まっていない部族がまだ居るんだなぁと、少し感動しました。
そういえば、未開の地の部族のドキュメンタリー番組が自分の子供の頃に流行っていたなぁと。

飛行機を崇拝する未開の地の原住民みたいなのが居て、当時けっこうショッキングでした。
どうしてそうなってしまったのかは、Wikiのカーゴ・カルトにて詳しく解説されていました。
近代文明の届いていない土地に、軍用機がいきなり飛び交い始めたら原住民としたら何らかの理由付けとか原因とか必要なのかな。

自分が当時観たのは世界残酷物語という作品だったようです。
世界中の独特な文化を紹介していた作品の様ですが、「やらせ」もかなり混じっていた様子。
その後の川口浩探検隊とかも、この流れを組んでいたのかも知れません。当時の日本のドキュメンタリー番組は多かれ少なかれインチキ多かったでしょうけれど、幼かった頃の自分はドキドキしながら視聴したものでした(物心ついてからはやらせに気付いて観ていません)。
ツッコミ覚悟で現代版みたいなのを作ってくれたら、娯楽作としてこれはけっこう面白いんじゃないかな?と思えたりです。

その世界残酷物語で使われていた曲が有名だったそうです。どんな曲だったかな?と検索したところ、こんな曲(More)でした。
国際線の空港で流れていそうなBGMっぽいですよネ。自分も昔何処かで聴いています。
未知の土地に旅に出るっていう意では、案外合っている選曲かも知れません。

タイトルの映画についてですが、Youtubeでフルに観れるようです。

ロードムービーとドライブイン

特に理由なくロードムービー系の映画が自分は好きです。
ペーパー・ムーン、俺達に明日は無い、バッファロー66、Big Wednesday、レイン・マン、等々数え上げたらキリが無く。

数日前のこと、某SNSで近くのレトロ喫茶の姐さんが載せた写真にハッとしました。
昔はよく見掛けたドライブインの夜の写真、子供の頃は特に憧れだったなぁと。
ドライブインは基本的に車での移動中でないと辿り着けないような立地で、まして子供だけでレストラン何て当時はあり得なく。そんな大人の世界が二乗で魅力的に思えたのがドライブインで。
現在の自分は、ツーリングで都心を時々離れたりしています。その途中で見掛けるドライブインは特に山間部ほど廃墟になっているパターンが多く。
トラックの運ちゃん向けの大衆食堂的なドライブインは未だしぶとく残っていたりですが、レストラン系のドライブインはかなり失われた感です。

レトロ喫茶の姐さんが載せた写真のドライブインは十年くらい前から自分も気になっていました。
松戸方面で暮らす同僚を会社の車で送る際に、幾度も観掛けていて。夜しか通らなかったルートで、フワッと光った存在でした。
途中で柴又に引越した自分は同僚と一緒だった会社を去ってしまい、夜の松戸方面に伺う機会が減ってしまい。
ラーメン二郎の松戸駅前店へ時々伺う際は大体昼間で、ドライブインの存在は薄く。

姐さんのレビューによると、そのドライブインのステーキが美味しいらしく、まして御飯とカレーが食べ放題。サラダまで食べ放題。
これは行くしかない。
そして、その翌日に早速伺いました。


100gのステーキセットは980円。これを注文して登場したステーキはまぁ小さかったです。
しかし、この肉がかなり柔らかく美味しく。これ、凄いです。
お腹を埋める部分はカレーと御飯とサラダで幾らでも可能で。
このお腹を埋められる料理も手抜きが感じられなく、どれも美味しく。特にポテトサラダが自分は大好物で。
まだ明るい時間に伺ったそのドライブインは、かなり年季の入った外観と内装でしたが、清潔感はちゃんとありました。
もっと早く伺うべきでした。

かすみ目にはチャップリン

小学生くらいの頃の夏休み、70年代後半の夏休みは夜になるとチャップリンの小劇場や代表作がテレビで放映されていたものでした。
小劇場というか短編も面白かったのですが、代表作の一つであった「サーカス」のエンディングは子供ながらに泣けてしまい。
あれだけ尽くしたのにサーカスの一座が砂煙とともに去る中、どうして一人取り残されてしまうのか。
自分は三人兄弟の三男坊、末っ子だったので、あの場面でブレーキも効かず涙ポロポロでした。

今宵は何かの拍子で「街の灯り」を観てしまい、結末も作りも知っていたので最初から涙ポロポロ。二十年ぶりくらいに観てしまいました。
盲目の美しい女性に憧れてしまったホームレスの物語です。時代背景の説明が無いと、細かな進行の意味が通じない作品でもあります。

1931年の作品である「街の灯り」、前作の「サーカス」が好評だったものの、サイレント作品の中でどうやって状況を伝えたら良いのか主演でも監督でもあるチャップリンは何年も悩んでいたとか。
チャップリンの作品は道化な要素が多いものの、本人は完璧主義者で何となくな進行が出来なかったらしく。しかし、ビデオも無かった時代にやたらと細かいディテールに拘り、製作者の方々にも厳しかったそうで。
平凡な閲覧者側は、何度も観ないと各場面の意味が分からなかったかと。現代なら容易なのですけれど。

盲目の花売りの乙女。お花を買ってくれそうなのは富裕層くらい。
車のドアの開閉音が鳴り、近付く足音。当時の自動車の所有者は富裕層くらい。
そこにたまたま現れた富裕層とは程遠いチャップリン。
何故にこの乙女は、こんなに優しいのか。
どうやら、目が見えないらしい。
自力で何とか救えないものか。

70年代まで版権か何かの関係でしばらくはテレビ放映や上映の機会が少なかったそうです。チャップリンの作品は左翼的だと批判されてアメリカでも立場悪かったらしく。
ただ、子供の頃に観れた自分は案外幸せだったのかなぁと思います。観ないまま大人になるのとは違いが出てきそうで。

ここしばらく「かすみ目」に困っていました。老眼とは症状が異なり老眼鏡を使っても視力は改善せず。
チャップリンの映画で涙をポロポロ落としてしまったところ、かすみ目が改善。
目が乾いていたのかな?瞬きが足りなかったとか、目の表面が汚れていたとか。
最後に妙な発見でした。

追記:
映画の途中々々で時々セリフが英語で登場するのですが、比較的短文で大意は掴みやすかったです。
しかし、一つだけ難しい表現が。「I’ve made a conquest!」というセリフです。
直訳すると「私は制服された!」な意味になってしまいそうですが「惚れられちゃった!」が妥当そうで。(数十年前に観たうろ覚えですが)
現代でも、そんな言い回しが普通なのか謎です。

竹中敏洋さんの思い出

高校を卒業するまでの四年間暮らした北海道の千歳には支笏湖という観光地があり、冬場にはそこで氷凍祭りというイベントが開催されていました。
氷点下の中、氷で作られた像が並ぶ神秘的なイベントでした。自分がこの像を観れたのはずっと後のことで。
というのも、真冬の移動手段は車しか無く、中高生だった自分はバスを使って遠く寒い場所に行くまでも無いかと。夏であれば自転車か単車で行けたのですけれど。
それに、その氷の像というのが著作権関連で揉めていたという噂も面倒臭く。像は雪から作るのでなく、氷点下の中で水を撒いて凍った産物らしく。その製法と表現方法を確立した芸術家の断りも無く実施していたそうで。
当時、アート系に興味ある地元の知人に聴いても、氷凍祭りは興味の対象外だったようです。

社会人になって数年経った頃、夏の終わりくらいに北海道へ帰省した機会がありました。
流れ者な町であった千歳に残っている友人は少なく、親の車を借りて近場の観光を楽しむ程度でした。
当時、自分の母は油絵に凝っていて、地域の文化活動にも関わっていたそうです。自分の出身校の先生とも繋がりがあったらしく、その中には自分の尊敬していた国語の平田先生も含まれていて。

この平田先生というのがナカナカの変わり者で。国語の試験で記述式の回答があると、滅多に×を付けられない性格で。
文章に対する解釈は一通りでなく、模範的回答以外の解釈にも理解を示してしまうというか否定は出来ない方でした。その度に考え込んでしまうそうで。
こういった先生は高校よりも大学の方が似合うのかと思いつつ、頭ごなしに否定しない姿勢に見習うべき点は多かったです。立場や権力で生徒を押し込める教師が普通で。
あと、先生の趣味がまた面白かったんです。オーディオマニアで、高価な機材を入手しては奥さんに怒られてしまうこともしばしばだったそうで。当時はまだCDが市場に出回り出したばかりの時代でした。
そんな中、録音の良いCDを自分は先生から沢山お借りしていて。アルバイトで稼いだお金をJazzのCDに注ぎ込んでいた自分もお返しにCDを貸したりで。教師と生徒の関係としては不適切だったかも知れませんが、自分の全く興味なかったジャンルやアーティストに触れられる機会を頂けて。こんな曲や表現方法もあるんだなぁと。
国語という限られた科目に置くには勿体ない先生でした。「表現と解釈」といった、もっと漠然としたテーマの方が似合っていたかと。これは文化や人種や言語を越えたコミュニケーション方法でもあって。

話を戻さねば。
その平田先生と繋がりのある芸術家が市民ホール(千歳市民文化センター)で個展を開くらしく、暇を持て余していた自分は母の勧めで個展に行くことに。母の造った大作も市民ホールの階段に飾られているそうで。
何の期待もしていなかった個展ですが、これが面白かったんです。印画紙を応用した作品は他に観たことが無く、独特な世界観。イマジネーション膨らむ作品群。
作者の方はその場には居なく、作者の奥さんがギャラリーを受け持っていて。
その奥さんと少しお話をさせてもらったところ、作者とのトークベントが後日あると。
あの作品の雰囲気は冨田勲の月の光に近いなぁと、地元のレコード屋さんでCDを入手し後日の夜も同じ場所へ。
(この記事を綴っている理由も、昨夜観た夜叉ヶ池で冨田勲さんの作品が使われていた故です)

作者のトークイベントも楽しかったです。参加者がとても少なかった中、プロのパーカッションプレイヤーの方と物の叩き合い的なセッションもあったりで。
作者は竹中敏洋さんという方で、元々は千歳で中学校の教師をしていたものの、作品制作の世界に没頭したかったらしく、周りの反対を押し切って芸術家の道に進んだらしく。
しかし、その世界で認められるチャンスは何年も訪れず、極貧生活が続いたそうで。教師時代に「先生先生」と持ち上げてきた方々からも冷たい視線を受けるばかり。
ご自身が嘗て製作した作品の一つだけを頼りにしばらく生きていたそうです。イベントではその作品を持参されていました。例えの難しい作品は表面のゴツゴツした少し伸びたタケノコのようなモニュメントというか。
全てを失った中、その作品を腕に抱えて真冬の夜汽車に揺られたこともあったと。
その中に自慢話は含まれておらず、いまは人里離れた場所で作品造りと。

頂いたパンフレットを観たところ、例の氷凍祭りで争っていたらしい芸術家でした。
個展の中で目に付いた作品の中に「偽善者」(記憶が曖昧なのですが、そんなタイトル)というのがあって、それが特に印象的でした。真っ黒の背景の中に細い白い線で描かれた弧。垂れ下がった真ん中には首が吊るされた細い人のシルエット。
静かなる抗議な作品だったようです。あの盗作に対する抗議だったのかなぁと。
どうにも気になる竹中さん、東京に戻る前日にご自宅へ車で伺ってみました。何のアポも無く向かった夕方、会えなくても仕方なく。
大きな地図を観ながら走ったルートは、高校時代に幾度かバスで経験した風景でした。盤尻というエリアはその先に市民スキー場があり、学生はナイター券を安く入手出来たので友人達と伺っていて。
しかし、冬の雪景色とは一味違っていました。夏の終わり頃の枯れはじめた土地というか。枯れてはいないものの、夏の始まりの勢いある緑とは別の衰える緑。

民家が少ないエリアだったので、竹中さんのご自宅はすぐに見つかりました。通り過ぎた道を引き返し、手作りっぽい木製のご自宅へ。(木造というより木製でした)
玄関をノックしてみると、先日の奥さんが。居間に案内されて竹中さんと世間話。そのままアトリエへ。アトリエといっても屋外でした。ご自宅の裏には川が流れていて。
冬になると、ポンプで川から引いた水を撒き、作品作りに没頭すると。
ポンプや照明に必要な電源周りの工作や電線の引き回しもご自身でやられたそうです。この時代にこんな人が生きているのが斬新でした。元々は何も無かったらしき場所なハズ。
真冬の北海道でこんな人里離れた場所、一歩間違えたら簡単に死ねてしまいます。ゼロからここまで続けてこれたことに見習うべき何かが大きく。幾度の冬をここで越してきたのだか。
どんな話をしたのかほとんど覚えていないのですが、この会話だけは覚えています。

 SUKIYAKI:時々変な夢を想てしまうんですよ。空を飛んでいる夢なんですけれど、地上に戻りたいと必死に泳いだり電線を捕まえようとかするんですけれど、酷い時なんて宇宙の彼方で一人っきりで、
 竹中さん:そのままそこに居ればいいじゃないか。

自分は人付き合いが下手な面を自覚していて、一人で居たい時はもちろんあります。それでも人里が恋しくなる部分もある勝手な奴で。
何でそんな会話になったのか自分でも不思議でありましたが、ここで二人いることも不思議でしたし、竹中さんの生きざまへの質問だったのかなぁと。

その次のお正月だったか、ご丁寧な年賀状が竹中さんから届きました。
自分のこと、覚えていてくれたのが嬉しく。謎の妙な東京の若造でしかなかったハズなのに。
大切に残していた年賀状だったものの、自分の引越しの機会でしか目に掛かる場面が無く。いまはこの部屋の何処にあるのか。

竹中さんとお会いした数年後に自分は一時的に北海道へ戻っていました。
当時は養父が単身赴任で、冬に向かう季節の北海道で一人暮らしだった母をドライブに幾度か連れまわしたり。
共通の話題が乏しい母に「そいえば、竹中さんどうしてる?」と。「アメリカで個展開催に向かう飛行機に乗るところで吐血したそうよ」と。
そういえば、竹中さんはお酒好きだったなぁと思い出しました。
そのうちまた挨拶に伺いたいなぁと思いつつ、その機会も無く北海道をまた離れた自分。

時々、竹中さんのことは検索していたんです。
2002年に亡くなられたことも後から知りました。
そして、専業主婦向けの昼のドラマでもあった「ダンプかあちゃん」の題材になったご夫婦が、あの竹中夫妻だったこともずっと後に知りました。
乞食のような妙な男が気になった若い女性、その男は全く売れない実直な芸術家。勝手に転がり込んできた女は作品の裸体になる覚悟も、ダンプカーの運転で男の生活を支える覚悟もあり。幾度もドラマの題材になった二人。
そんな話、ご本人達からは一切聞いておらず。
普通の老人なら、自慢の一つくらいするだろうに。
だから、ますます忘れられず。(五十年近く前のドラマも丁寧な作り)

三年前の引越し後、所有していたCDを久し振りに整理しました。とりあえず、アーティスト別に並び替えて。引越し前までは部屋の至る所に散乱していたCD達だったので、大きな進歩です。
整理中、同じアルバムが幾つも見付かったり。冨田勲の「月の光」も二枚同じのがありました。多分、過去に三枚購入していたのだと思います。そのうちの一枚は竹中さんへ。
いつ購入したのだか思い出せない一枚と、冨田勲さんが亡くなられた頃に「そういえばあのアルバムは手元に残っていなかった」と勘違いして購入した一枚。そんな手元の二枚らしく。
久し振りに自宅のステレオで聴いてみたところ、やはり素晴らしいアルバムでした。
幻想的に響きつつ、何処かに刻まれる残音。