スパルタカス

高校時代から気になっていた映画「スパルタカス」がBSで放映されていました。
やっと観れました。

Evansが半身不随のフルート奏者と協演した「スパルタカス愛のテーマ」が好きな一曲でして。
アルバムの他の曲は尺八みたいな音色なのですが、この曲は深く響いていて。
秋に似合う感です。

映画は三時間越えの大作でした。
ノーカットですと国営放送くらいでしか放映出来ない長さでしょうね。
あらすじは以前から存じていました。古い作品なので、アクションシーンとかは迫力に欠けたりでしたが、伝えたいのはそんな部分じゃないのも解っていて。
奴隷の立場であっても人間らしさを失っていない仲間達を描きたかったのでしょう。
しかし、結末がちょっと掴み難かったです。もう少し白黒付けてほしかったなぁと。
戦争に勝っても、どちらも勝者になり得ないということなのかな。最後の戦では両陣営とも多くの犠牲者でしたし。
スパルタカスは戦に負けたものの、純粋な思いだけでここまで勝ち進んできた価値は十分にあったと思います。
Wikiのあらすじを引用すると「クラッサスはスパルタカスを差し出せば他の奴隷の命は助けると約束したが、奴隷たちは異口同音に自分こそがスパルタカスであると名乗り出る」この場面は素敵でした。
学生時代に自分も似たような経験をしていました。つまらない出来事でしたが。

肝心の曲についてです。
互いに奴隷の身分であり、言葉も交わせなかった男と女が互いの存在を意識していて。
愛のテーマはそんな場面で幾度も流れていました。

あと、ずる賢いとも思えた太っちょの二人。最後は案外いい奴でした。
スパルタカスの妻と赤ん坊を、リスク承知で遠くに逃がしてあげて。
グレーゾーンな二人でしたが、情もちゃんとあったんだなと。

四日目のカレー

日曜日の夕刻にスーパーへ買い出しに出掛けたところ、小ぶりな玉ねぎが三つ入って百五十円。
これは買いだとバスケットに入れて。お肉のコーナーでも賞味期限の近付いたシチュー用の牛肉が元々安目なのに三割引きのシール。これも買い。
しかし、シチューにするにもカレーにするにも足りない肉量。安い豚肉も併せてバスケットへ。
シチューのルーもカレーのルーも安い時に入手したのが戸棚にあり、どちらにするかは家に帰ってから決めようと。

これが結構迷えました。
最後にどっちのルーを入れるか。
でも、何となくカレーにしまして。
自分は一般的なルーを一箱使ってしまう派なので、10人前とか一気に作ってしまい。
夏場にこんな作り方をすると、衛生面でも危険だそうです。
一部の危ない菌は何度加熱しても生き残るそうで。

カレーの肉は豚派でした。個人的にはこれが一番美味しく、そもそも実家がそうでしたし。
大好きだった叔父が振舞うカレーも何故か同じ味でしたし、叔父が実家で頂いたカレーも「同じ味だ」と不思議がっていました。
カレーにドラマや歴史は多いのかも知れません。

映画「居酒屋兆治」では、店内で弱い者虐めをする客にキレた店主が捕まってしまう場面が。
うろ覚えですが、冴えないタクシードライバーのオッサン(小松政夫)の家にはエアコンが無く真夏も扇風機で耐える日々、それが原因だったのか最愛の奥さんが旦那の目の前で突然死。
店で落ち込むオッサンを意地悪な常連が鼻で笑ったところ、もう我慢できぬ店主が一撃。
刑務所に向かう場面「煮込みだけは毎日火を通してくれ」と。(そうしないと傷んでしまうので)

自分が中学生時代に公開された作品だったそうです。自分がたまたま観たのは高校生くらいの頃だったか。
高倉健さんの作品は暴力で失敗した主人公を描くのが多く。まぁ持って生まれたキャラクターなのだと思います。
勿論本人も好んで暴力を振るう訳ではないのですが、やむに已まれずな場面でそうなってしまい。これは仕方ないと思うし、自分でもやりかねずです。
Wikiで改めて確認したところ、出演者もストーリーも気になる内容で。どれも人間臭い昭和の役者ばかりで、既に他界している役者ばかりで。

マドンナ役は実生活でも影のあった美女大原麗子さん、自分も大好きな大人な女優さんでした。その最期もあまりに残念で。
人は何故に最期の数年間、人との付き合いを止めてしまうのだか。誰も同居していなければ、何かあっても見つかるまで時間が掛かってしまうのに。
僅か数日で遺体も傷んでしまっていたらしく。

人間模様とか人の痛みを解っていなかった頃に観てしまった作品だったので、もう一度最初から観るべきだなぁと。
自分もこの先どうなってしまうか解らない月の始まり。駄目な世界の中でも一生懸命生きる必要性を感じていまして。
世間目のエリートなど一握りでしょうし、そこから外れた大多数の中にだって幸せはあるハズで。

話が脱線し過ぎました。
牛肉入りのカレーは、当初主人公の牛肉が硬いばかりで味も不思議。
それが煮込んだ四日後にはこれまでになくまろやかな美味さ。
今日には喰い尽くせねば。
カレーに牛肉も捨てたもんじゃ無く。

大原麗子さんのWiki上での記事も読んでしまいました。
特に孤独死に対する意見というか、愛していた詩が印象的でした。

一つ 孤独な鳥は高く高く飛ぶ
二つ 孤独な鳥は仲間を求めない、同類さえ求めない
三つ 孤独な鳥は嘴を天空に向ける
四つ 孤独な鳥は決まった色をもたない
五つ 孤独な鳥はしずかに歌う

下手な長編より、短い詩の方が解りやすい。

学校豚肉?

友人夫婦の娘さんが先月緊急入院し、昨日のこと退院出来たそう。
右半身がしばらく機能しなかったそうですが、現在は僅かながらも機能が回復したそうで。

そんな中、嫁さんの方からメッセージが。
「家の前が緩やかな坂でそれが好きなんだけど、今回は車椅子に全体重を乗せて玄関前まで押していく…ナカナカの試練でございます。
そんなわけで何もかも初めてだらけ…明日から学校豚肉スタートで緊張中?」。

とりあえず、良い方向に進んでいる様子。
新学期は九月からじゃないんだなぁとか。
ともかく、良かった良かったと。

しかし、謎の文言が含まれておりまして。
「学校豚肉」が何なのか検索してみました。最近流行りのゲームか何かな?
それとも「きつねダンス」みたいなのか。
おじさんは流行に疎く。

誤字や予測変換の失敗とも思うのですが「学校」の後に豚肉が入る経緯が不明です。

検索結果にそれらしきモノは見当たらず。
検索結果の中に「ブタがいた教室」が含まれていました。以前に気になったものの未だ観れていない作品です。

小学校のクラスで何故か子豚を飼うことに。「みんなで育てて最後に食べましょう」との提案。
面白そうだと生徒達も乗り気。みんなで餌をあげたり、糞尿の始末も。
しかし、時は流れ家畜では無く愛玩動物的なペットになってしまった豚さん。
果たして、最後に食べられてしまうのか?

結末が凄く気になるんですよネ。
恐らく食べられないとは思うのですが。
でも、週に一度は他の豚を誰もが食べていると思うんです。

話を戻しまして、嫁さんに返信をしました。
「親子でその坂に名前を付けてみたら面白そう。
しかし、学校豚肉ってなーに?」。

しばらくして、返信が。
「学校がなぜ豚肉なのか…誰にもわかりませんスミマセン」。

そりゃそうだろうなぁ。
案外律義な回答でした。

ダーティハリーに学ぶ

ここ二十年くらいの映画は、コンピューターグラフィックの進化もあるのか、自分の眼では追い付かない場面が多く。
画面からちょっとでも目を離した隙に、重要な場面があったり、ともかく展開が速すぎて瞬きさえ許されぬアクションシーンだったり。
そもそも自分がボーっとしているのが問題なのかも知れませんが。

それに比べて80年代以前の作品は良い意味でノロマで助かっています。
それぞれの場面で考えさせてくれる余裕があって。

どれもテレビ放映で観れた作品ばかりでしたが、当時観た映画は思い出深いのが多く。
自分が子供だったのもあり、そんな奴居るのかよ?と思えた場面も。
「ダーティハリー」もそうでした。

主人公の刑事はそれなりの能力があるものの、理不尽な上司の要求には一切従わず。
世間からは偏屈者扱いですが、僅かながらも信頼関係ある友人知人もいて。
結果的に、面倒臭い案件ばかり任されて。

知能犯の犯罪など捕まえたところで法の裁きさえかいくぐってしまうのは判っていて、その場で覚悟を決める辺りがカッコ良く。
結果的に謹慎処分とかしか待っていないのですが、そうでもしない限り同じ犯罪は繰り返されるだけで。

世の中を冷めた目で観ているからか、嫌な上司の圧力や脅しに対しても真に受けず。
印象的だった返しの言葉は「あんた口が臭いよ」とか「おっかねぇなぁ」とか。

新任の刑事とチームを組まされたりですが、これも何だかソリが合わず。
どれも優秀な人材なものの、理屈ばかりで何も解っちゃおらず。

四作目に登場した美女の新人も、面白い場面がありました。
新しい武器のお披露目会、バズーカ砲みたいなのの性能を何も知らないだろうハリーに得意げに解説する美女。
美女は話の途中でハリーに突き飛ばされます。
試射したバズーカの後ろには大きな反動が。さっきまで美女が立っていた場所でした。
経験の差が出たのでしょう。

近いうちに全作もう一度観ておきたいです。
あんなのが好きだから、こうなっちゃったんだろうなぁと。でも好き。

レインマン

学生の頃に観て気になった映画の一つに「レインマン」があります。
細かいストーリーは忘れてしまったのですが、資産家だった親が他界し、遺産の扱いを巡る二人の息子。
親の遺言ではメンタルに何かの問題を抱えている謎の兄に多くの遺産。実生活では要領の良いナイスガイな弟の取り分は何故かほとんど無く。
兄と再会した弟は車で一緒に旅に出るのですが、自閉症気味な兄の扱いに慣れない弟。
しかし、兄の超人的な能力を知った弟。
出先では分厚い電話帳をパラパラとめくるのが趣味な兄は、それを全て記憶していて。
悪知恵の働いた弟は、兄をカジノに連れ出し一儲け。兄の能力は賭けでも無敵でした。

意思の疎通が上手く行かない兄弟の葛藤な場面が印象的でした。
その場面のアメリカらしい広大な映像が幾つか目に焼き付いていて。

結末がどうしても思い出せませんし、もう一度近いうちに観ておこうかと。

それから

漱石の「それから」の映画版を観ました。
原作は高校時代に読んでいて、何のことを言っているのかよく解らなかったです。終盤にかけて、そういうことだったのかな?と。
映画版の方は大学時代だったかにテレビ放映で観たのですが、カットされた場面が多かったのか、やはり解り難い展開だった記憶です。

昨年、封印されていた「夜叉ヶ池」がCSで数十年ぶりに放映されると知り、一ヶ月だけ受信契約をして、ついでに撮っておいた「それから」をようやく観ました。
今回は結構響きました。

森田芳光監督と松田優作は映画「家族ゲーム」でも、どうでも良さそうな場面を敢えて手短に仕掛けたり。それが案外重要だったり。
映像じゃ無いと伝わらない部分を大いに活かしているなぁと。
そんな部分は文学だったオリジナルを超えているとも思えました。

ただ、細かな部分はちょっと気になり。
その後どうなったの?と思える場面が幾つかあり。あの花瓶の水を呑んでしまって大丈夫だったのか?とか、ヒロインなりの何らかの覚悟があったのか?とか。
漱石自身も後に繋がらぬ脇役を他の作品で印象深く登場させていたりだったので、ある面、漱石らしいよなぁとも。例えば「こころ」の序盤に登場した海水浴場での外国人とか。
「三四郎」に至っては、「いつ柔道部に入るのか?」と読み進めた読者も居るそうで。尤もコレは後世の全く別の作品が影響していたのですが。

松田優作の冷めた演技が印象的でした。それ以上に藤谷美和子さんの演技力が凄いなぁと。
実生活の藤谷美和子さんはその後にメンタルの問題を抱えてしまったのか、勿体無いと思えたりです。元々は100円のポテトチップスを宣伝する陽気な女性で。
笠智衆さんもありがたい演出でした。この方は存在そのものが古い日本人のお爺さんそのもので。「東京物語」でも「男はつらいよ」でも、基本的に同じ扱いだったかと。
この役にはこの人を置いておけば、全て説明がつくくらい。

ただ、事前に原作を読むなり、もう一度観るなりしないと、序盤からの演技が伝わらなかったのかもなぁと。

夏に文学を読む機会が自分は多かったです。
最近は老眼が進んでしまい、本そのものを読まなくなり。それでいてスマートホンは手放さず、何だか矛盾を感じていたり。
自分にとっての漱石は悟りを開いた老人に近い扱いでした。
しかし、僅か49歳で他界していて。晩年は消化器系の不良が続いていて、不健康な文化人そのもので。
過度のストレスに悩まされる大人というのは、メンタルか消化器系のどちらかに問題を抱えがちと思っていました。漱石に至ってはどちらも経験していて。
いつの間にか漱石の歳を追い抜いていた自分です。相変わらず大人になり切れていないなぁと。

悪魔の追跡

しばらく前に「あんな映画を観たなぁ」とふと思い出したのが「悪魔の追跡」という作品。
小学生の頃にテレビ放映で観たのですが、けっこう怖かった記憶です。その夜はトイレに行くのも怖く、布団の中では寝付けず系で。

そのストーリーは、キャンピングカーで仲間と訪れた何処かの荒野、その晩に謎の集団の儀式を見掛けてしまったが為に追跡されてしまうホラー作品でした。
謎の集団は若い女性を生贄にする儀式をしており、他人に観られたく無かった様です。
結末はうろ覚えなのですが、何とか逃げ切ったとホッとしていた主人公達だったものの、実は集団に囲まれていた様な終わり方だったような。

タイトルも忘れていた作品なのですが、キーワードで直ぐに探し当てられました。
主演はやはりピーター・フォンダでした。たまたまなのか「イージー・ライダー」もロードムービーだったよなぁと。

そこまでは普通の思い出話で、特にBlogに残すつもりは無かったのですが、今朝ふと思い出しました。
展開的には「あの作品に似ていたなぁ」と。

「死霊の盆踊り」というある面とても有名な作品です。十年以上前に自分のBlogでも綴った作品です。
この作品はあまりにも低評価が故に逆に有名になったそうで、自分も一度は観てみたかったのですが、遂にその機会が無いまま。
ストーリーの類似点は、ドライブに出掛けた先で謎の集団が裸踊りをしており、主人公達が捕まってしまうという内容らしく。
しかし、意外性の無いストーリーで、裸の女性達が踊っている場面ばかりだったそうで。

「死霊の盆踊り」は1965年製作らしいので「悪魔の追跡」より10年も早く。
しかし「悪魔の追跡」があの作品を手本にしたとは到底思えず。
もしかしたら参考にしたのかも知れませんが、結び付けたくない思いが自分の中にあります。

その自分が綴った13年前の記事を読み返して、また思い出したことが。

デートをしたことがない20代男性が4割」とのニュースを昨日見掛けてしまい。凄い時代だなぁと。
二十代の若者は思い返すと誰もが恋愛に憧れて、成人なんだから自由だし、人生で肉体的にも一番潤っている世代だというのに。
容姿が優れない人であっても思いは一緒だし、そんな知人ほど活発に行動していた記憶です。
自分も少しは努力をしていましたし、良い思い出もニガい経験も残っていたりです。
「当たって砕けろ」的なガッツが足りないのだか、そもそも異性に興味が無いのだか判りませんが、現代の若者はどんな思いなのだか。
「結婚前提で」は理想的で健全だとも思うのですが、まずは付き合ってみない事には分からない部分も多いと思いますし、結婚はその先の話かと。
とりあえずデートが無い事には、何も始まらないのになぁと。
しかし、後から考えて一番チャンスの多かった二十代。なのに四割の男性がデート未経験とは、どういうことなのか。その後はチャンスも減るばかりなのに。

そこでふと思ったのが「最近の学校ではフォークダンスが無いのかな?」と。
恥かしい行事の一つなのですが、多感期になるとドキドキするもので。女性の肌に直接触れる機会など、中学でも高校でもフォークダンスくらいしか無かったもので。
あれは健全で良い風習なのになぁと勝手な想像を昨日していまして。

盆踊りは無表情で踊る婦人たちがほとんどで「あれは楽しんでやっているのかな?」と不思議だったのですが、フォークダンスは照れながらも笑顔が多かった記憶です。

映画の紹介のつもりが、かなり妙な話題になってしまいました。