エイリアン

BSで二日続けてエイリアンの一作目と二作目が放映されていました。
どちらも十年以上前に幾度も観ていました。ストーリーもそれなりに覚えていました。
しかし、やはり見応えありました。

一作目を初めて観たのは中学生くらいの時だったか。当時のテレビは映りが悪く、あの真っ暗な場面で浮かび上がる異星人とかの映像がほとんど認識出来なかった感です。現在のテレビでも、カーテンを閉めて部屋の照明を消さないと分かり難い場面はありました。
当時のリドリー・スコット監督は暗い場面が好きだったのかなぁと。
あと、未来を描いたSF映画なワケですが、作品に登場するモニター類がほとんどブラウン管でした。それでも頑張ってSONYのトリニトロンを採用しているのですけれど。
宇宙船とかの内装や外装もイマイチな感じでした。ちょっとクールでは無くて。まぁあの当時としては頑張っていたと思いますが、もっと昔に作られた2001年の方が洗練されていたよなぁと。

二作目については、アクション色が濃くなった感じです。更に未来を描いた作品ですが、登場する道具類に使用感がしっかりあってリアルというか。
作風も一作目とは異なっていました。その日知ったのですが、監督は別だったらしく。
しかし、ここでもモニター類はブラウン管でした。まぁ仕方ないです。
そんなことより、どちらの作品も見応えがありました。

リドリー・スコット監督については、やはりその数年後に制作されたブレード・ランナーが好きです。
ストーリーや展開は単純なのですけれど、描かれる世界観が凄まじく。
登場する小道具類も開き直ったのか当時の何かを流用しただけとも思われます。ただ、逆にそれがスチームパンクっぽく。
そういえば、上記三作ともスマートホンに類するモノは登場していませんでした。これは予想外の進化だったんだろうなぁと。

昨日のこと、フェリーニの作品「道」がBSで放映されていました。
念のため、録画も。
民放の映画放映ですとCMがやたらと多く、これは小便に行くのに好都合だったりするのですが、某国営放送の場合はそうも行かず。
なので、自分は映画館で作品を観るよりも、自宅でビデオのリモコン片手の方が好きだったりです。
昔に比べればテレビの画面サイズも十分に大きいですし、古い白黒映画など小さい画面で観る方が雰囲気あったりで。

この作品についても、高校時代に観ていました。
実家の家族と一緒に観た気がするのですが、自分は途中参加だったような。
どうにもテーマ曲のフレーズが単純過ぎて、大衆向けな作品なのかと見下しつつ。
漫画か何かを読みながら場面々々をつまみ食いする様な観方だったのかも知れません。

あのふざけた旅芸人が嫌いでした。こういった人をコケにする様な奴は実存するワケで。
何が楽しくて、人を馬鹿にするのか分かりません。一生懸命やっている人を馬鹿にするなんて。
そして、この野蛮な主人公も人間に生まれてきたのが間違いな奴というか。自分の感情や考えや欲望を優先して、力でねじ伏せる生き方は当時の養父に似ていて。
否、主人公はこのオツムの弱い表情豊かな女性だったのかな。白痴美という言葉があるのですが、まぁ白痴の時点で放送禁止用語なのでここに綴っている文章でも日本語変換が出来ませんでした。
本来の白痴美は無表情がルーツらしいのですが、表情豊かなのもあるじゃないかと思っていたりです。
紳士淑女を気取るなら、そこで表情さえも出すべきじゃ無いのにというか。正直なリアクションというか。

今回改めて最初から観た感想は、色々と考えさせられたというか、観方が変わったというか。
あのふざけた奴はやり過ぎというか、おちょくり過ぎというか。しかし、弱い者には徹底的に優しく。だから威張り散らす野獣の様な奴を許せなかったのかな?とも。
立場が弱くなったザンパノが捕らえられた警察へ彼の愛車を届けたり、道に迷うジェルソミーナに生き残る道や存在価値を伝えたり。
ザンパノについては、恵まれた肉体を売りにするしかない人生。欲望の赴くがままで最後まで孤独な奴。
ジェルソミーナについては、見た目もけしてブスでは無いと思えてしまい。勉強とかが出来なくとも、天性の素質があるかと。
現代の教育社会で無ければ、十分にやっていけたかと思えて。
思い出してしまったのは過去の記事にも綴ってしまった「伊勢崎市同居女性餓死事件」です。

小学生の頃にテキトーに教わった道徳の授業は性善説が主体でした。理系の大学の教養で選択した社会学は「こんな学問でどうやって稼ぐの?」と思える変態分野でもあり。
実利に乏しいというよりも、そこに辿り着くまで何段階もの変換が必要というか。風が吹けば桶屋が儲かるに近く。
どんな組織に立つにしても、何か欠けている人とか純粋なままの人とかが世の中多い印象です。ずば抜けた才能もあったりで。
ジェルソミーナについては誰しも優しい手を差し伸べる何かがあって。敗戦国時代だったイタリアの貧しい庶民達も、放っておけない存在で。
街のおばさんからはスープを頂けたり、子供達からも、サーカス団員からも、修道士からも慕われて。僅かな時間の共有でしかなかったのに。
これは、現代の日本の方が余程貧しい精神性かもと思えたりです。親からは「関わるな」と教えられるでしょうし。
幸いにも自分の幼少期は、見捨てない風潮が世の中にまだ僅かに残っていました。有史以前から続いていた大切な。
庶民の多くは助け合いとか優しさを忘れておらず。

世の中、定価から何割引きみたいな世界が続いています。
当時のイタリアの最下層は芸や仕事に対しての対価が全てだった様子です。ある面、この方が公平で客観的かも知れないなぁと。
日本ではチップの概念が無いですが、無名の旅芸人はサーカスに参加する報酬が無く、観客からのチップだけが頼りという場面も。
資本主義からも社会主義とか共産主義からも取り残された人。そんな概念の無かった時代に生まれていたら、案外上手くやっていけたのかなぁとも。

山田洋次監督も、この作品に影響を受けたんだろうなぁと思えたりです。
ある面で旅芸人な「男はつらいよ」一作目のエンディングも、海辺で茣蓙を抱えた「道」のオープニングに似ていて。
そして、モノクロの作品に登場する海とか衣装とか、カラーだったらどんな彩りだったのかな?と。
あのふざけた奴の「僕は無学だけど、少しは本を読んだ」って台詞も素敵でした。
そんなザンパノも、終盤では崩れたジェルソミーナに帰郷を勧めたり。置き去りにしたジェルソミーナの枕元に愛用のラッパを残したり。

マッドマックスの残り二本

マッドマックスの三作目、深夜の録画を観た直後に四作目を観たところ、途中から作品の序盤がごちゃ混ぜになってしまいました。
主人公があの城砦に入った理由は何だったっけ?と。
その後もお酒を頂きつつ観た後半で、映像の流れが早過ぎて敵なのか味方なのかごちゃ混ぜになってしまい。

アカデミーも受賞したのかな。四作目は。
とても評判の良い作品だったそうなのですが、CGは控えめな撮影だったものの、最近のテンポが速すぎるアクションものの一つという感想に終わってしまいました。
特にカーチェイスな場面が長過ぎてメリハリが無いというか。これでは、こっそり場面を入れ替えてもバレないんじゃないのかなぁと。

メル・ギブソンさんが本作に登場しなかったのも、ちょっと不満でした。
その理由を検索したところ、個人的なトラブルとか加齢とかが重なったそうです。
初老なりのアクションのストーリーや撮影方法もあったと思うんです。
無名だった彼の出世作以上に、彼が看板な作品で。一番重要な整合性というか。

と文句ばかり綴ってしまいました。
三作目もちょっと不満がありました。
二作目で序盤は信頼に値しない小型機のパイロット、主人公から酷い扱いを受けていたのに窮地の主人公は助けられてしまい。
意外な展開だったものの、結構イイ奴だったなぁと。社会的なバランス感覚は優れていたのか、作品の最後の紹介では村の長になれたそうで。
それが三作目では「あれっ?」と思える役でした。整合性が取れていないよなぁと。

まぁそんなことを気にしていたら、続編系は観れないのかも知れません。
しかし、外しちゃいけない部分ってあると思うんです。細かくない部分かと。

MAD MAX

一昨夜のこと、またしても深夜に気になる映画が放映されていました。
何十年ぶりかに観るマッドマックスでした。
テレビ放映で初めて観たのは80年代初頭だった記憶で、その後にも幾度か観ていた記憶です。

当初はあまり好きではない映画でした。スターウォーズの様な未来感がもっと欲しいとか、それに類するカッコ良さが欲しいとか。
ただ、この機械油臭さは独特で。
二作目以降はかなり独特な世界観。北斗の拳もかなりこの作品を意識したんだろうなぁと。
一作目が半分壊れた社会だとすると、二作目は社会が社会が吹っ飛んだ後の弱肉強食。

この一作目はかなりの低予算で作られたそうです。
お金が掛けられないから、撮影方法等もかなり工夫があったそうです。
実際、色々と破壊する場面があるのですが、その辺もお金を掛けられず独特の表現方法が逆に上手い効果を生んだらしく。

ちょっと気になった場面がありました。
最後に個人の判断で処刑されてしまう場面で悪人が訴えたセリフでした。
「俺は人格障害なんだから許してくれ!」のようなセリフ。
これ、現代社会でも問題の一つだと思っています。とんでもない事件を起こした容疑者が精神疾病を理由に無罪とかになってしまうパターン。
遺族からすると相手の事情が何であれ、許したくは無いでしょうし。
江戸時代は仇討が無罪だった記憶です。うろ覚えですが、逆に褒められた様子で。
法律とかも含めて、下手に西洋化してしまうと、結果的に何か不公平になってしまう感で。

九月の今月はシリーズが深夜に一挙公開らしく、全て録画体制です。
一昨夜に観た一作目も色々と再発見があったので、なかなか楽しみです。

I, Daniel Blake

深夜のB級映画で、久しぶりに見応えありました。
邦題は「わたしは、ダニエル・ブレイク」。あらすじについてはこちらのサイトが妥当かと。

どうして二人の子供の肌の色が違うのか、ドクターストップ中の老人ダニエルは何故貯金も無いのか等の理由が作品の途中で解き明かされるのですが、あり得ない話ではなく。
ダニエルの隣人な若い黒人、作品の序盤ではグレーゾーンで生きる得体の知れない奴でしかなかったものの、パソコンの使い方を知らず給付金の申請が出来ないダニエルを助けたり、ダニエルの異変に気付き誰よりも先に心配したり。
杓子定規な役所でダニエルを何とか助けようとする職員は上司から叱られてしまったり。
子供の靴も買えない中、万引きを見逃してもらったシングルマザーのケイティは仕事も見付からず娼婦の道へ。

美男美女がほとんど登場しない作品でした。皆、何処にでも居そうな特に目立たぬ人。作品中に音楽もほとんど流れていなかった様子。
何処かのサイトで「作品中には冗談さえもない」という紹介もあったのですが、隣人と僅かな知人の間ではちょっとした冗談の挨拶もあったり、貧しいながらもユーモアを忘れていない感で。
昨夜たまたま放映を知ったばかりの作品で、結末は知らなかったのですが、救いようのないエンディングでした。

9/1の深夜1:59~3:59に放映された重い内容、視聴者はけっこう居た様子でTwitterでも感想な投稿が目立ちました。
特に社会制度関連のお役所仕事はイギリスも日本も大差無いんだなぁとか、同じ島国だから日本もこんなに似てしまったのかなぁとか。嘗て工業立国だったイギリスは70年代頃には落ちぶれていて、現在の日本に通じるものもありそうです。
「わたしは、ダニエル・ブレイク」については2016年の作品だそうです。「万引き家族」も似たような路線だなぁと製作年を確認したところ、2018年だったらしく。是枝監督もこの作品を意識したんだろうなぁと。

深夜のB級映画、自分は昔から好きです。全然知らなかった佳作が静かに流れていたりで。
テレビ局でどの映画を流すべきかを決める立場の方々とか、映画の知識量も半端ないだろうなぁと。映画愛溢れる中で「これを観てもらいたい」って思いが駆け巡っていそうで。予算の都合もあるでしょうし。
日本テレビの「映画天国」というのが、佳作を毎週流しているらしく、とりあえず自動録画の設定を入れておきました。80年代くらいまであったと思うのですが、日本テレビは日曜の夕方に映画を時々流していて。これがどれも思い出深いのが多く。「太陽を盗んだ男」もそれで知った作品でしたし、序盤を観れなかった「初めての旅」は未だに気になっていたり。

あと、ちょっと面白い現象を発見してしまいました。
Amazonのプライムビデオでいつでも観れる作品なのに、こんな時間にわざわざ起きて最後まで観てしまう自分って何?みたいな。
Twitterで明け方に見掛けた書込みだったのですが、これは自分もあるよなぁと。
作品の感想をTwitterで語り合えるような共有部分、同じ時間帯の方が濃いかもで。自分も、映画に限らず文学でも音楽でも感想を語り合うのが好きです。
人によって引っ掛かった場面はけっこう異なりますし、解釈も異なったりで。似たような経験をこれまでにしたか否かの違いも大きいんだろうなぁと。

戦場のピアニスト

昨日のお昼時、BSで「戦場のピアニスト」が放映されていました。直前に気付いて滑り込みセーフの録画。
この作品は過去にも一度観ていたのですが、毎度の途中からで。その際は隠れ蓑にしていた病院が火炎放射に遭い、危うくのところで脱出した辺りでした。乗り越えた塀の先は破壊され尽くした街。
作品のタイトルも知らずにそのまま見続けたところ、弱弱しく逃げる男の正体はピアニスト。ドイツ将校に見つかってしまった場面が印象的でした。
過去に途中から観て釘付けになった作品に「生きてこそ」というのがあったのですが、あれに匹敵するインパクトがありました。途中からですと、益々「どうしてこうなっちゃったの?」で。
今回はようやく最初から観れました。

やはり、ドイツ将校に見つかった場面での演奏が素敵でした。たどたどしいとも思えるピアノタッチから入るのですが、久し振りのピアノでちゃんと指が覚えてくれているのかな?なんて心配も入ったり。
演奏だけで色々と考えさせる音と映像、これは見事としか言いようが無く。

高校時代に自分はジャンルを問わず気になる音楽を聴き漁っていました。まぁ、当時流行っていたアイドルは全く興味なく。
高校二年くらいの時だったか、ショパンのノクターンをラジオの番組表で見つけてカセットテープに落としました。
演奏者は全く知らなかったアジア人。それもベトナムの若手らしく。
何の期待もせずに聴いた演奏が、なかなか衝撃的でした。美し過ぎまして。
この世代のベトナム人というと、ベトナム戦争を直に体験していそうですし、どうやってここに辿り着いたのか不思議だったり。何でも、ショパンコンクールで優勝もしていたそうで。

後から知ったのですが、このダン・タイ・ソンさんという演奏家は実際に相当な苦労をしていたそうです。(防空壕の中のダン・タイ・ソン)
若かりし頃の水谷豊さん主演のドラマで、獄中にて紙の鍵盤で練習するような場面があったのですが、防空壕の中で同じような経験をしていた人が実際に居たとは。

自分もピアノを過去にやっていたお陰で助かった場面や交友範囲が広がった場面があったりでした。
特にヨーロッパ出張時にお世話になった宿で、YAMAHAのグランドピアノが置かれていて。これをキッカケに宿のオーナーさんと交流が深まったり。
日本からやってきた搾乳ロボットのエンジニア、こんなのがショパンを弾くとは思わなかっただろうなぁと。

昨日のテレビ放映後、作品の感想をTwitterで検索したのですが、感動した系の意見がやはり多かったです。
しかし、中には「(奴は)運が良かっただけ」とのTweetも。なんじゃそりゃ。
ストーリー中には主人公をかくまってくれたり、瀬戸際で引きずり上げてくれた方が何人も登場しました。助けるのも相当なリスクで。
単に音楽家として優秀だっただけでなく、それまでの普段の人柄も救いようがあったのだと思います。
あの作品中で、主人公が何者かも知らずに助けたのはドイツ将校くらいだったかも知れません。あの場にピアノとあの演奏が無かったら、どうなっていたんだろう。

あゝひめゆりの塔

昨日のこと、たまたま観た映画「あゝひめゆりの塔」。
邦画のBig Nameな作品ですが、ちゃんと観たのはこれが初めてで。
結末がどうなるのかは存じていたものの、なかなか観応えのある作品でした。

ただただ悲惨な結末に近付くだけでは無かったのが救いというか。
戦火の中を逃げまどい、防空壕では自分達より傷付いた兵士の看護に励み。
そんな渦に呑み込まれる前までは真っ白なシャツに負けないくらい麗しき乙女達。
しかし、汚れた顔に気付く間もなく。

結末の少し前辺りに、川で水浴びをする乙女達の場面がありました。
皆、何とも幸せそうで。
完全な無防備、そこへ敵機襲来。

作品の撮影は現代の大女優がまだうら若き世代。自分の生まれた年に公開されたらしく。
この時からずば抜けて美しかったんだなぁと。
そんな場面も含めて、色々と考えさせられる作品でした。