アイデアの盗用

横尾忠則さんが新作の「男はつらいよ」に対して怒っているとのニュース記事をしばらく前に観掛けました。真偽は謎ですが、呑み会で出したアイデアが監督に勝手に使われてしまったそうです。
横尾忠則さんについて、自分は詳しく無いのですが謎の多いアーティストでした。YMOのメンバーになりかけていたとか。楽器が出来る方なのか存じませんが、色々と斬新なアイデアは持っていそうでもあります。
また、最近BSで再放送されているドラマ「ムー」でも横尾忠則さんのイラストが採用されていて、これがまたドラマの異空間ぶりに合致していて。
ともかく、たぐい稀な発想力の持ち主なので、交友関係も凄いというか。

自分の学生時代はバンドブームの時代でもありました。アマチュアバンドのギタリストの中にはプロよりも上手いと思える方が居たりでしたが、全てはコピーの演奏で作曲は全く出来ない類も多かったです。
「だからプロにはなれない」と本人も理解していたり。プロであっても曲作りでスランプに陥ることは多いようで、生みの苦しみはさぞや辛いだろうなぁと。
コンスタントに良作を生める方は、やはり凄いと思います。元々、泉の様に湧き出るアイデアを小出しにでもしているのかなぁとも。Beatlesもメンバーによって作曲された数がかなり異なったり。
乾いた雑巾を絞っても、実際水一滴生まれずで。

過去の下町暮らしで自分は町の手伝いを色々と頑張っていました。地域や神社のHomepageを作ったりも。神社の縁起物を通販してみたり。
大体は地元の方と呑み屋で会話している時に生まれたアイデアでした。「こんなのあったら面白いよね」と。ほとんどは自分以外からの発案で、それを具体化するのが自分の役割で。
しかし、それを評価してもらえるようなタイミングはほとんど無かったです。Homepageのアクセス数を時々確認してニンマリする程度。たまに「いつも観ているわよ」と一声掛けて頂けることもあったのですが、社交辞令だろうなぁと。
ただ、一度だけ嬉しいこともありました。町の新年会にて町会長の挨拶でした。
神社の縁起物通販が軌道に乗った後、まとまった注文もあったりで年間の売り上げがけっこうな額になったそうです。町会長からのお褒めの言葉も気が利いていて、発案者の方とそのシステムを作った自分を褒めてくれて。
全て自分の手柄にするつもりは勿論無かったですし、凄い気配りだなぁと。東日本大震災で神社の屋根が崩落したりの年でもあり、修繕費の捻出とかも大変な時期でした。
どれもゼロから作ったモノで、生みの苦しみは勿論ありました。ただ、どうやったら実現できるかは経験済みでしたので、手間の問題でしか無く。
ともかく、アイデアが無ければ実現出来なかったことですし、追加の経費もほとんど掛かりませんでしたし、ゼロからであれば失敗しても失うものは無いだろうで。
自分はその町を離れてしまい他の方がシステムを担当しているのですが、通販は現在も機能しているそうです。

そんなことを思い出したりでしたので、横尾忠則が怒ってしまったのも仕方ないよなぁと思ったりです。
監督とは早く仲直りしてほしいです。

福祉施設の件で

知的障害者福祉施設で四年前にあった事件のニュースが連日報道されています。裁判が始まったらしく。
色々と考えさせられてしまった事件でした。過去に知的障害者の方と接して、その介護の大変さも自分なりに理解しています。

子供の頃の自分は庶民向けな新興住宅地で暮らしていました。当時は自分の生活圏でも知的障害者の方も身の回りで見掛ける機会がソコソコありました。
幼稚園まで普通に一緒に遊んでいた仲良しが小学校に進んで間もなく観掛けなくなったり。後から知ったのですが、学習障害か何かで勉強に全く着いて行けず特殊学級に転校したそうです。
当時の自分は成績表や通知表の意味も分かっておらず。なので、友人は人さらいにでも遭ったのかと思ったりでした。
勉強の出来などより、仲良く楽しく遊べるかが大切で。

二人目の知的障害者は養父の転勤で引越し先で知りました。
養父は怖いもの知らずで気の合わない相手であれば上司であっても平気で喧嘩してしまう性質でした。そんな中、いつも温和で面倒見の良いTさんという上司には公私共にお世話になっていたようです。
Tさんはみすぼらしい官舎住まいの我が家にもよく遊びに来ていました。Tさんは立派な持ち家で暮らしていたのに、自分の家族のことを羨ましがっていました。
「みんな勉強も出来るし、何よりみんな健康で羨ましい」と。
Tさんは自分達家族の引越し当初から色々と面倒を観てくれていました。北海道という慣れない気候や文化な土地で、とても頼りになる存在で。
引越しから一年程経ったある日、Tさんのご自宅に初めてお呼ばれした養父は酔っ払って帰宅したのですが、酒は入っていつつも冷静な表情で漏らしました。
「Tさんの家、立派だったんだよ。だけど、それまで話にも聴いていなかった娘さんが二人いて。上の子は居間を四つん這いで廻っていたんだよ。言葉も喋れないし時々うなったりするんだけど、意思の疎通が出来ないみたいなんだよ。もう成人を迎える歳だから、身体は女になっているんだけど、常に誰かが傍に居てあげないといけないから、看護師の奥さんと予定を組んでいるんだけど、時々時間を守れなくなると奥さんと喧嘩になってばかりで」。
養父は返答の言葉にも迷い、ただただ話を聴いたり目の前の現実を観るしか無かった様です。
「下の子は地元の高校に進学したんだけど、こんな家族が嫌いで何度も家出してて。だからお前の家が羨ましいんだよ」。
貧乏でも家族皆健康で、夕食も一緒に頂けて、ちゃんと学校に通えている我が家は案外幸せなのかなと思えたりでした。自力で生きていける幸せも感じたり。

三人目の知的障害者は高校一年のアルバイト先ででした。
総合結婚式場のボーイを自分はしていました。冬が近付くと忘年会の席も多いアルバイト先でした。
期末試験の期間中に、地元の福祉番組の取材がアルバイト先でありました。番組の進行は著名な芸能人で自分は一度でも会ってみたかったので、その日にアルバイトの予定を入れました。市内の知的障害者福祉施設のクリスマスパーティーでした。
当日は大会場が埋まる規模で、障害者の方々や施設のスタッフが集まっていました。しかし、アルバイト達は皆試験対策で自分しか参加しておらず、えらく忙しく。
いきなり暴れ出す方が何人も居たり、それを宥めるスタッフが囲んでいたり、ドリンクを届けたら「ありがとうありがとう」と袖をなかなか放してくれない方も居たり。
その日はクリスタルグラスが幾つも割れました。「お客さんに怪我させてはいけない」と、箒と塵取りを持って走り回ったり。
二時間ほどの宴会だったと思うのですが、丸一日働いた以上の何かがありました。施設のスタッフの方々は余程人間が出来ていないと務まらないだろうなぁと。人柄も体力も。
その時に著名人さんから頂いたサインは数学の教科書に残っています。今でも宝物です。

四人目は、都心の下町で暮らしていた頃です。
小さな古いマンションの大家さんは元芸者さんで切符が良い性格で、タナゴな自分のことを我が子の様に叱ったりする場面も。いつも愛情を感じる方でした。
しかし、かかりつけの町医者が大家さんの体調不良な原因を見抜けなかったらしく、ある時期から日々痩せ細っていました。
大家さんの外出はいつも旦那さんと一緒だったのですが、遂には外出も難しくなり、ある夜いつの間にか危篤状態に。
地元の救急病棟で一命はとりとめたものの、一時間以上の心肺停止で脳に大きなダメージが。その後奇跡的に意識は戻ったのですが、言語も記憶も全て失ってしまい。
幾度かの転院後もお見舞いには幾度も伺いました。しかし、意思の疎通は出来なく全く別人格になってしまった大家さんに、自分もどう接したら良いのか分からず。
噛み付いたり爪で引っ掻いたり、点滴を外そうとしたりで普段は腕が紐で縛られていて。
あの夜に救急車を呼んだのは自分で、それくらいしか恩返し出来ていなかったから、遠くてもせめて月に一度はお見舞いに行かねばと。
入院中にいつも献身的な介護をされていた旦那さんにも頭が上がりませんでした。亡くなるまでの一年間、良くやられたと思っています。
自分がその立場だったら、そこまで出来たのか何処まで出来たのか。
大家さんの葬儀の日、自分は受付を担当しました。大家さんと同世代のお婆ちゃん達も集まっていました。地元では見掛けたことの無い芸者仲間さん達だったそうです。
そして、「あの人にこんな立派な息子さんが居たんだねぇ」と口々に。誰がそう言いだしたのか分かりませんが、敢えて否定はしませんでした。
素敵な誤解だと思えたんです。

表題の事件について考えてしまうことはあっても、なんて綴ったら良いのか分かりません。

第三次世界大戦

昨夜のTwitterのトレンドに紛れ込んでいた一つが「第三次世界大戦」でした。
日本のニュース番組では登場しない言葉ですが、世界中で「WWIII」がトレンドだそうで。

遠くの中東でまた戦争なのかな?程度に思っていましたし、世界大戦と地域限定の戦争の違いを自分はよく分かっていません。
朝鮮戦争にしてもベトナム戦争にしても大国の土地では争わない代理戦争とも言われていましたが、それとは何か違うのかな?

ハッシュタグ経由で海外のTweetを観ると、既に日本は準備が整っているとの意見も。
今後どうなってしまうのか、日本がどう関わってしまうのか気になるところです。
太平洋戦争は遠く離れた日本とアメリカの戦争でもありましたが、大きな太平洋に挟まれた隣国ではあったのかなぁとも。しかし、アメリカからも日本からも遥か離れたイランと戦争をする意味と言ったら石油とかの利害関係なのでしょうか。
日本はアメリカともイランとも友好関係を築いてきましたし、上手いこと仲裁できないものなのかな。
世界大戦なんて言葉、高見見物な立場では済まされ無さそうで。

縁起物

ここ数年、大塚家具のニュースが時々登場しています。昨日もでした。
創業者の娘さんに対する批判記事が多いようです。その娘さんは自分とほぼ同い年で、見た目は綺麗だったので、気になるニュースでした。(見た目だけでなく教養もあり)
実際、綺麗だったという過去形です。加齢も手伝っていますが、表情がけわしくなっていて。何だか勿体ない歳の重ね方だなぁと。
経営が上手く行っていたら、容姿もこうならなかったのかもと思いつつです。

世の中、時代の流れで変わったのかも知れませんが、昔は「家具が縁起物」な一面があったと思います。
実家には手の込んだ家具が残っていて、幾度かの引越しでも手放さないでいました。年季が入ってしまった家具ですが、かなり拘った一品物のようでした。
それは母の嫁入り道具だったそうです。

子供の頃に新婚ホヤホヤのおじさんの家に遊びに行くと、家はかなり古い借家で年季が入っていたものの、家具だけはやたらと立派でした。
これも嫁入り道具だったと思うのですが、新しい畳とこの新しい家具は内装を引き立てていた記憶です。

自分の幼少期は母子家庭だったので、母方の親戚しか付き合いがありませんでした。
母方の家系は明治から昭和の初期まではけっこう裕福だった様で、地方の市史にもご先祖が登場していたりでした。しかし、母の時代にはごく一般的な生活だったそうです。
ただ、婚礼の際は奮発する仕来りが残っていたのかなぁと思われます。
一般人でも高級家具がもてはやされるのは、こういった目出度いタイミングなのかなぁと。

大塚家具については自分もラジオのCM等で昔から知っていましたし、高級家具のイメージそのものでした。富裕層以外にも「ここぞ」と奮発する庶民も居たんだろうなぁと。
現状は経営者の内紛と売り上げ減で、全く良いイメージが無く。とても縁起ものとは思えず、こんなのを頂いても家に災いを呼んでしまいそうで。
無宗教な自分でも、日本の文化面でそう思えてしまい。

ニュースでは経営面の度重なる失敗が報道されがちですが、先ずは仲直りと言ったイメージ回復が先決に思えて仕方ないです。
安いなりしもソコソコ使えて話題性も集客も衰えていないIKEAの家具の方が、よほど縁起が良さそうで。

山手線のちょっと外側

ニュース記事で「地震で大火災、避難難しい密集市街地」というタイトルがありました。
タイトルの通りの問題で、自分も以前から気になっていました。

ここ何年も地下鉄が移動のメインだったので、20年以上前の記憶が元なのですが、山手線から外に伸びた電車で高架から伺える街並みが独特だったり。
木造建築が隙間なく密集していて、歪に伸びる道路も道幅が狭く「火災が起きたら洒落にならないだろうなぁ」と。
現状は改善しているのかも知れませんが、総武線で新宿から外に向かう区間とか、京成線で日暮里から外へ向かう区間とか。ゴチャゴチャ感が相当でした。
上記の京成線については、再開発で随分マシになっていたかもです。しかし、成田空港から初めて日本に訪れた外国の方々は、都心に近付く京成線でこの光景を観てどう思うんだろう?と。
他にも、高校時代に北海道で暮らしていた自分は18切符で東京まで遊びに来ることが幾度かありましたが、東北本線が23区に近付く辺りの光景も独特でした。

上記は高架上だったから観えた景色なのですけれど、地上を車で走っていてもけっこう凄い場所が23区内にはありました。これは山手線の内側でもです。
地図を観ると道はマスクメロンの線の如く無秩序に伸びていて、それも狭い道。仕事上でなければ通りたくないし、通る機会も無い地域。
昔ながらの光景が懐かしく、貴重とされている地域も中にはあります。

進学で東京に出てからの自分はこれまで10回は引越しを経験しています。ただ、そういった地域で暮らしたことは一度もありませんでした。無意識に避けていたのかなぁとも。
秋葉原界隈で暮らしていた頃、町の歴史を紐解いてみると、震災や東京大空襲以前の道路は都心でもけっこう歪でした。焼野原になってやっと都市計画が機能した面があった様子です。幕末の頃の地図を観ると、真っ直ぐ伸びている道などほとんど無いくらい。

また、千代田区は木造の新築が許されていないとも聴いています。
一時期、住宅のリフォーム番組を観るのが楽しみでしたが、けっこうな割合で再建築不可物件の大掛かりなリフォームも含まれていて。嘘か本当か分かりませんが、柱一本だけ残していればそれ以外はいじり放題だとか。
再建築不可の物件というと、道路への接続が悪い上記のような地域が多そうな印象です。

現在暮らしている柴又については、参道以外元々は田畑しか無かったらしく、自宅周辺についてはこういった密集感が少ないです。景観保存の条例もあり、無暗に高い建物も建てられなくなったので、空も広いままかと。

都市計画とか整備といった類は、大きな災害が発生しない限り機能しないのかなぁと。
自分が暮らす地域については水害の危険度が高いです。ただ、水害の場合はまだ逃げる時間が稼げそうです。火災の場合はそうもいかないだろうなぁと。

朝から過激

今朝、何となくテレビをつけていたら某公共放送で地震の速報が。九州方面で地震があったそうで。
そのまま点けっぱなしにしておいたところ、過激な言葉がテレビから。
「オナニー」と聴こえ、こりゃまた朝から凄い空耳をしたなぁと画面を確認したところ「セックスレス」がテーマの奥様向け番組。改めて、チャンネルを確かめると確かに某公共放送。

凄い時代である。

ただ、日本はそれをタブー視し過ぎな感もありますし、それが無くなってしまったら人類滅亡です。
戦前はもっと大らかだったとも聴いていますし、令和の時代は少し見直されても良いのかなぁと。
しかし、出演者の皆さんも恥ずかしがりながらの進行でキワドイ台詞を発する辺り、内容そのものよりもそっちの方が面白くて。実際、内容をほとんど覚えておらず。
地震速報が途中で入っていたので、ちょっと急ぎ気味な進行だったのかも知れません。
こういった番組に登場するゲストは堂々としたもので、腹座っているなぁと。アラフォーの女性の産婦人科医さんでした。
ただのオッサンがその立場だったら、ヘンタイで片付けられてしまいそうなテーマでもありました。

Twitterでも、その話題がトレンドになっていました。自分もちとTweetしたり。
海外の仕事でも、その話題で盛り上がったものだったなぁと。古今東西、重要な事ですし笑いのネタでもありますし。
オランダへ出張中、コーヒータイムにこんな会話もあったなぁと。
「たまには大切」と答えたら「何時も大切だ」と皆から返されまして、「Everytime is not easy for me.」 と真面目に答えてしまったら、大笑いされまして。(自分でも何だか可笑しかったです)

その番組を観る前に庭先の植込みでメジロを見掛けました。この季節になる赤い実が目当ての様でした。
そういえば、この赤い実の植物が何なのか自分は知らず。春になると沢山のツツジが開花する植込みなのですが、ツツジ以外も何か植えられていて。
ギザギザの葉先で赤い実がこの季節になるのは何だろうか?で検索したところ「センリョウ」という名前でした。
千両箱のセンリョウはお正月の縁起物でもあるそうです。
先程、写真を撮ってみたのですが、メジロにほとんど食べ尽くされてしまった様子でした。

重たい事件

ちょっと重たいニュース記事についてです。
元農水次官が息子を殺めてしまった事件が今年あったのですが、その続報がなかなか重く。
精神障害を患っていた息子は被害妄想が激しく、かつ暴力的。放っておいたら地域住民に対しても大きな迷惑を掛けてしまう恐れが十分にあり。実際に家庭内暴力も酷かったらしく。
このままではいよいよ危ないと判断し、事件になった流れでした。

裁判の証言では、(兄が理由で)縁談話が次々に破談となった娘さんが自殺していた過去もあったそうで。
父親は至って真面目な性分で社会性もあり、立派な職業。しかし、家庭は悲惨としか云えない状況。悩みに悩んで出来る限りのことはやり尽くした父親、どんな判決が下されるのか。
記事はコチラになりますが、Yahoo!のニュース記事ですので短期間しか読めないと思います。タイトルは『「娘は絶望して自殺した」元農水次官はなぜ息子を殺害したのか?法廷で明かされた家族の苦悩』。

家族の一人が原因で崩壊した事件が過去にもあったよなぁと思い出しました。検索したところ見つかりました。事件の概要はこんな感じです。
貧困な家庭で育った息子は幼少期に家庭内暴力に遭っていたそうです。学力も足りなかった息子は特殊学級に進み、大人になって家族への復讐的な暴力が始まったそうです。
その後、特殊学級の同級生だった女性を監禁し、餓死させてしまい。
「みんなが御飯をくれない。叩かれて怖いよ、痛いよ。おうちに帰りたい」という証言が何とも悲しく。
事件の詳細は『伊勢崎市同居女性餓死事件』です。(読むだけで気分悪くなる内容ですので、無理にクリックしないように)

この事件は貧困と無知が原因だと思われます。しかし、最初に綴った事件は貧困でも無知でも無く、どうすりゃ良かったのかなぁと模範的解決方法に悩めたりです。「まさか、こんな大人に育つと思っていなかった」的な部分は一緒なのかなぁと。
もし、近所でそんな状況に陥っていると知ったところで「他人の家庭だから」と知らんフリが実際に多いんだろうなぁとも思えます。
ただ、知っていたならせめて警察くらいには通報してあげたいです。警察も事後じゃないと動き難いとは思いますが、知っていながら何もせずですと、きっと後悔してしまいそうです。

「昔に比べて現代は地域コミュニケーションがなっていない」とか言われがちですが、村八分的な現象は大昔からあったハズで。地域での仲間外れ以外でも、無関心もあったと思います。
実際、自宅最寄りの柴又駅には「おりつ地蔵尊」というのが残っています。昭和七年にあった幼女の虐待死が元でたてられた地蔵だそうです。(親が一方的に悪かった事件ですが)
そのお地蔵さん、現在はちょっとした猫屋敷になっていて、野良を観掛けては相手にしてもらっています。

〆の言葉が浮かばない記事になってしまいました。
自分、弘兼憲史さんの「人間交差点」等の社会問題系な作品が昔から好きというか興味あるんです。いわゆる劇画系なのですが、究極の場面で自分だったらどう振舞えるんだろう?と考えがちで。
小学校時代の道徳の教科書も好きでした。理と情のハザマ的な作品が多かったですよね。
前例を知っているだけでも、イザというときに判断に迷わなくて済めばなぁと。
しかし、現実は更に複雑な要素が絡み合っているよなぁと。もっとシンプルに考えたいよなぁとも。