現場

最近のニュースで思い出しました。
飛び降り自殺に巻き込まれて亡くなられた若い女性のニュースです。

大学に入学したばかりの頃だったと思うのですが。冷たい雨の夕刻、暗い歩道に横たわる若い男性と中年の男性。転がった傘と響くイビキ。
ちょっと非現実的な場面でした。二人してこんな場所で酔い潰れるなんてあるのかな?
校舎の隣の歩道、講義も始まる時間だったので気にせずに教室へ。ほとんどの通行人も気にせず通り過ぎ。

一時限目の講義が終わり、次の教室へ移動する途中で同級生の会話が。
「さっきそこで飛び降り自殺があったんだって」。
えっ?まさかあれがその現場?
どうやら飛び降り直後の現場を自分は通過していた様です。後日の噂では、二人とも亡くなられたそうで。
大学の校舎の窓から若者が飛び降り、歩道を歩いていたサラリーマンが巻き添いに遭ったそうですが、その若者は大学の学生でも関係者でも無かったらしく。
傘をさしていたのでは、頭上の異変にも気付かなかったんだろうなぁと。

こういった唐突の現場は、自分が何かヌケているのかどうにも実感がわかず。
直ぐに気付いて介抱してあげたら助かったのかなぁと少し罪悪感が残り。
しかし、どう介抱したら良いのか分からなかっただろうし。
あのイビキの理由も後から知りました。脳震盪や脳卒中で脳にダメージがあると、イビキを発することがあるそうで。二人のどちらかが頭部を強打したのかと。
校舎の四階だったかの窓越しの廊下には靴が揃っていたそうで、倒れていた若者の方は靴を履いていなかったんだろうなぁと。
そこまで機転が回りませんでした。

ちょっと不謹慎な話題となりましたが、タイミングが少しズレていたら自分が巻き添いに遭っていたんだろうなぁと。
まだ十八歳だった当時の自分、今思うとやりたいことの一割も達成出来ていない歳だったので、運が良かったのかもなぁと。

既得権

頭からうろ覚えの話になります。平成の途中くらいまでの記憶なので、現在がどうなのかは自分も知りません。
特定郵便局というのがありました。地域の小さな郵便局の多くがそれです。それに対して普通郵便局というのがあります。
普通郵便局はかなり大きな郵便局で、郵便物の配達向けにスーパーカブとかが沢山揃っていたり。そこで働く職員達は公務員に近い存在でした。

日本で郵便制度が始まったのは明治の初期で、この社会インフラが全国に一気に整ったのは各地域の庄屋が特定郵便局として参加したお陰もあり。当初はボランティア色が濃かったそう。
庄屋そのものは世襲制の地域の有力者が多く、特定郵便局の局長は結果的にその地域で大きな力を持っていた様です。
当初はそれで上手く行っていたと思われるのですが、所謂既得権の様な状況が続いてしまったらしく。

地域によっては大きな普通郵便局の局長よりも、小さな特定郵便局の局長の方が遥かに強い立場。場合によっては地元の議員さんよりも強い立場だそうで。
世襲制なので、次に引き継ぐ局長は特に努力も無く利権も引き継げることが可能だったそう。
過去の仕事でたまたま知ったこの制度、凄い世界があったもんだなぁと。

上記に限らず、煙草の販売も既得権があったなぁと。
半径数十メートル以内には新たに煙草の販売店を設けられないとか。現在がどうなのか存じませんが。

他にも、日本の商習慣で暗黙の了解的な既得権はありそうです。ライバル店の近くの出店はなるべく避けるといった。
実際、それでトラブった例を下町暮らしの頃に観ていました。
地元の小さな食料品店がお酒を扱いだしたところ、二軒隣りの小さな酒屋さんと揉めてしまったそうです。互いに地元で何世代も暮らしている方でした。江戸時代から続く商標もあったり。
お酒の販売の法律が変わったのかも知れませんが、気の毒だったので自分は酒屋さんをなるべく利用することに。
しかし、酒屋さんはしばらく後に廃業されてしまいました。更にしばらく経ち、近くに立派なスーパーが進出することに。
食料品店の店主さんはスーパーに文句を伝えたそうですが、意見は通らず、結果的に食料品店も廃業。
仮に、食料品店と酒屋さんの協定みたいなのが上手く機能していたとしても、結果的に二軒とも廃業の道だったのかなぁと。
残念なことに、残ったのは歪なご近所関係だけでした。

帝釈天の参道みたいに同業者が幾つ並んでも相乗効果的な景観に繋がれば理想に思えたりです。合羽橋に行けば調理器具が何でも揃うとか。昔の秋葉原の電気街も(最期は何屋だか分からない品揃えな店も多く)。
ただ、食料品に類するモノだと難しいのかも知れません。余程の特色でも無ければその地域だけの消費でしょうし、同業者が増えても潰し合いになりかねず。

元々、都心の下町は人口流出が激しく、スーパーが進出してもそれだけの需要を見込めなかったらしく。それが大型マンション等の建設ラッシュで需要が十分見込めるようになったそうで。
ただ、上記の立派なスーパーも苦戦していました。都心だからと高級路線の品揃えで、客足は伸びず。大昔は大きな青果市場が近くにあった下町エリアの客層に受け入れられなかった感で。客層を見誤った様子。
結局、適正価格な品揃えに路線変更して自分も利用するようになりました。
自分がその下町に引越してきた当初は、徒歩圏にスーパーが全く無く、炊事自体を諦めていました。それが、十年後くらいにはスーパーだけでも三軒ほどに。

地方の商店街が大型スーパーの進出でシャッター通りになってしまうパターンは、何処でもあった様ですし。
過去の商習慣な既得権みたいなのは、どんどん無くなっているんだなぁと。
ある面、公平なことだとは思えたり。

最近身近にあった出来事がキッカケで、ちょっと頭の整理をしてみた記事でした。
どうにも自分の頭は古いのか、暗黙の既得権みたいなのを支持していた感で。既得権そのものは好きでも無かったのに。
大企業であっても、ライバルの出現で倒れてしまうパターンは多いです。二番手三番手の方が何かに優れていることも。
他にも、技術革新で扱っていた製品自体が不要になったり。何らかのボランティア活動が広がり、本業の方が利益を出せなくなることも。当時の自分は地域のHomepageを幾つか任されていたものの、ネット難民な高齢者は閲覧する手段が無かったので、お古のPCを持ち寄ってサポート出来ないかと企画しかけたこともあって。
今後も需要が見込まれる何かを扱っていても、一工夫するとか、サービスを良くするとか、価格を見直すとか等の努力が無いと、競争には勝てないんだろうなぁと。
ネットで最安値を探す場面も増えました。実店舗でサイズ確認だけしてネットで購入といったことも。酷い客だと思うので、たまには実店舗での購入もしています。
ただ、お気に入りの実店舗だけは別格でした。何とか生き残ってほしいお店は幾つもあって。

偏食

居間で思い出したのでiPadで綴っています。
偏食される人って、癖が強かったなぁと。これが一人や二人でなく。
怖いお局様とか、気分の波が激しい人とか。それが何故か女性ばかりで。中にはアレルギー体質の方もいたので、ちょっと気の毒ではありましたが。
検索したところ、偏食する人は「自分の思い通りにならないと、すぐにイライラしてしまう」という説もあるそうです。偶然とは思えずその通りに思えてしまい。

今朝、学校給食の話題がテレビ番組で紹介されていて思い出した次第です。そういえば、自分も小学校の低学年の頃は苦手な献立が多かったなぁと。
だいたい、犬の餌を盛るようなアルミの食器からいって当初は苦手でした。
しかし、いざ食べてみたら案外美味しくて、いつの間にかどんな献立でも給食の時間が楽しみになり。
周りもそんな生徒が結構居たのかと思います。
逆に言うと、我が家の献立は偏っていたのかも知れず。給食でしか食べたことのない献立もあった記憶で。
ともかく、給食のお陰で偏食を克服出来た部分は大いにありそうで、勉強以上に大切な給食だったのかも知れず。
地域によっては給食の無い学校もあったハズなのですが、それだと偏食が起こりやすそうでもあり。

話が飛びますが、この六日間豚汁を毎日頂いています。大鍋で作ったそれは二日で平らげるペースで。
これが飽きずに毎日美味しく。食材は根菜が主なので健康に良さそうにも思えますし、身体も暖まり。
ただ、毎度味噌の量が多めなのか味は濃く。塩っぱいまでは行かないのですが、塩分の取り過ぎかも知れず。
出汁入りの安いお味噌を利用していますが、これもなかなか便利で。これまでお味噌汁を作る習慣が無かったので、大きな進歩です。そのお陰か、ここ暫く快便です。
具材についてはシチューやカレーを作るのとほとんど一緒なものの、鍋や食器を洗う際は豚汁の方が圧倒的に楽で。
食費も抑えられるし、良いことづくめです。

あと、腹筋運動も一ヶ月続けてきて少し変化が現れました。
横っ腹の贅肉が明らかに減ってきまして。骨盤の上のウエストサイズは数センチ減ったかと思います。
正面については相変わらずぽってり気味です。
いつまで続けられるかな。

危険運転

二日前のこと、Twitterにて妙な出来事が。
結果的に、自分のアカウントは現在非公開中です。
今回の反省点「よく分からないユーザーには最初から全く反応すべきではない」。Profileやこれまでの投稿等を確認してからリアクションすべきです。無反応の方が基本的に安全です。

事の発端は過去に自分が投稿した画像が知らない方からリツイートされ、どうして?から始まりました。
リツイートした相手は比較的しっかりした文章を綴られていました。
お礼のメッセージを送ったところ、何だか妙な流れに。会話がほとんど通じないのです。
相手からのメッセージはやたら長文で、何かに怒っているのか攻撃的。話が噛み合っていないというより支離滅裂。
最後には一方的に「返信不要」とのこと。
夜中だし、酔っ払っていたのかな?
ネット上の酔っ払い運転みたいなのは自分も経験ありますし、ハメを外すことはあるのですが、無駄に攻撃的になったことは無かったハズで。

あれは何だったのか、相手のProfileを改めて確認したところ、ちょっと変わった方でした。
元々は接客業でコロナ禍で仕事を失い、現在は宝飾品をネット販売しているそう。超能力みたいなのを信じているそうでUFOを幾度も目撃していると。
過去にも何か大きなトラブルでもあったのか、二ヵ月前にアカウントを取り直したばかりだそうで。
相手にすべきではなかったなぁと。迂闊でした。

更に、自分のメッセージが勝手にツイートされていました。
特に当たり障りない事を綴ったつもりですが、相手の説明は悪意に満ち溢れていて。
本人とは話にならないし、仕方ないので管理者に削除依頼を。
削除依頼なんて初めての経験でしたが、案外素早く対応して頂けてホッとしました。
しかし、それでもまた勝手にメッセージをツイートされ。

ブロックしてしまえば良いのかも知れませんが、根本的な解決になりませんし、相手はソコソコTwitter慣れしている様子。別アカウントなんて簡単に作れてしまうでしょうし。火に油を注ぐ行為になり兼ねず。
仕方ないので、自分のアカウントを非公開にすることに。
自分、Twitter上でトラブルに巻き込まれた経験がほとんど無く、自分の個人情報な写真も平気で載せていました。悪く言ってしまうと無防備な男です。
Twitterに限らず、トラブルがあっても話し合いで解決した場面はありました。しかし、今回の相手は既に話になっておらず、恐らくメンタルに何か問題を抱えていそうで。
メンタルの問題で攻撃的な方はご家族でも手に負えない例があり、自分も嘗て親しかった方の突然の発症で残念な終わり方をしています。親身な対応も全く逆効果でした。

半日後にはまた一方的に長いメッセージが幾度か届きました。何故か命令形。
当然無視なのですが、非公開にしていてもブロックしない限り一度パスが繋がってしまうと届いてしまう仕様なんだなぁと。
その後もまたメッセージが届き、そのまま削除。
何か誤解に気付いたのか前夜よりは丁寧な文章でしたが、特にお詫びの言葉も無く。
特に削除依頼も掛けていなかった問題のツイートもほとんど消えていました。本人が消したのか管理者が消したのかは謎です。

コロナ禍で特に接客業の方は仕事を失ったり収入が途絶えたり、大変だとは思います。
そのタイミングで別の不幸とか面倒が重なるもので。それが元で普段とは言動が変わってしまった方も観掛けたりしています。
それが過去にお世話になった方でしたら、少しでも支えになってあげたかったりですが、全く知らない方ですとそうも行きません。
土壇場で本性が出てしまうパターンも世の中にあったりです。仕事上でもそんな場面は幾度かありました。
まぁ人を観る良い機会だったと思うことにしていますが、全く知らない方から突然コレはたまったもんじゃないなぁと。

ネット上に限らず、公と個を分けて考えられない人は信用を失う感です。個人的なやり取りの勝手な公開はだいたいがトラブルの原因になり。
そして、路上の危険運転みたいなのは、ネット上でもあるんだなぁと。最近のニュースでも、危険運転の加害者は被害妄想があったりで、これもメンタルに問題を抱えていそうで。
自分の方も今回の対応にちょっと草臥れました。他にも知人関連のツイートにちょっと困っていて。

相手に悪気はなく冗談の範囲なのでしょうけれど、誤解を招く書込みも繰り返されるとそれを本気にしてしまう人は実際に居ました。
これが過去にもあったりで。自分も冗談路線は多いですが、相手を陥れるようなマネはしませんし、自分のドジ談がせいぜいで。
もう面倒くさいので、言葉遣いの悪い方も含めて一気に切ることに。
勝手に言ってなさい。

自分、Twitterでのフォロー数は50人にも満たないんですよ。その半分くらいはニュース系のアカウントですし。
その程度でもツイート数の多さで一部はミュートしていたりです。必要な情報が埋もれてしまうので。
100人以上フォローしている人とか、そこら辺どうやって対処しているのか不思議だったりです。仕事上のアカウントは別として、仕事でも無いのによく対応しているなぁと。
フォロワー数を自慢される方はTwitterに限らず存在するのですけれど、やはり仕事以外でしたら疲れるだけにも思えてしまい。ハマってしまうゲームみたいなものなのかな?後には何も残らないのに。

ツイートの反応が全く無いのも寂しかったりしますが、毎度多過ぎるとやはり対応が大変そうです。
古くからの知り合いとか、Twitter暦の長い人ほど案外フォロー数も少なかったりです。そんな人ほどツイート数は少な目で無駄な投稿は控えている傾向です。面白いとか興味深い投稿しかされていなくて。
人柄の良い人でも、毎日リツイートだらけの方も居たりして、迂闊にフォローするものでは無いなぁと。

非公開をいつまで続けるか分かりませんが、こんな状況でした。
しばらく前に短期間で辞めた仕事、その内容がかなりリスキーだったので、運が悪いとニュース沙汰になり兼ねない状況でした。それが表に出たら、相互フォローしている方にも迷惑が掛かりそうでしたので、ここ数年のフォロワーを一斉に切ったりしていました。
古くからの知り合いでしたら事情をちゃんと聴いてくれるだろうなぁと。そうでない方ですと、誤解が生じるだけにも思えて。

古くからの付き合いの方とも、面倒な場面が当然ありましたが、それを乗り越えています。何か問題が生じても、逃げずに良い方向に導けたんだろうなぁと。誤解があっても「話せば分かる」余裕もあったのかと。土壇場で聴く耳持たないとか口をつむぐとか一方的にキレるでは無理な話で。
結果的にちゃんと大人の対応が出来る方ばかりで、自分の無精でいまでは数年に一度程度しか実際に会えてはいなくても、ずっと気になる存在です。
やはり、古くからの付き合いは大切にしないとなぁと。

あと、非公開にして気付いた点が幾つかありました。
十年以上暮らしていた下町時代のご近所さんから「フォローリクエスト」が届いていました。非公開に設定変更した当日のことです。
それまで全く気付かなかったのですが、ずっと観ていてくれたんだなぁと。
普段からとても穏やかな方で単車仲間でもあり、立派な駐車場に自分の単車を何年も置かせてもらったり。ご家族全員が皆穏やかな人柄で、町でも頼りになる存在でした。
自分はもう忘れられた存在かと思っていました。有難い事です。
当時の地元の神田祭、来年は本祭りです。コロナでどうなってしまうのか気になっています。東日本大震災の年は自粛で突然の中止となってしまい、これが元で地域の調和が崩れてしまった部分もあったと思います。
あのお祭りは、地域のガス抜き的な要素もあったと思います。お祭りが無事に終われば、その二年間の些細な問題を全て洗い流してくれて。素敵なイベントでした。

方言とか

以前から僅かに興味のあった日本の少数民族。
久し振りに検索してみたところ、十年前に比べてWikiの情報も充実していました。
日本での現状欧米系島民小笠原方言の順に目が移りました。

この小笠原方言というのが、なかなか面白かったです。
江戸時代から戦後間もない頃まで、小笠原諸島には様々な国の人が暮らしていたそうで、米軍統治時代から本土復帰直後の現地の言葉がかなり斬新で。
「ミーのパパ、ラストサンディ、カヌーでフィッシング行ったど」とか、ちょっとしたカルチャーショックというか、ルー大柴さんもビックリ。

過去に町の交流で秋田県へ伺った際、宴席の場で現地の高齢者の方々と会話をしたのですが、方言やらなまりやらが激しく。ほとんど何を言っているのか分からず、何度も聴き返すのが失礼に思えてしまい、途中からただただ「んだんだ」と返したことがありました。
それに比べると、上記の英語交じりの日本語の方がまだ分かりやすいよなぁとも。

九州出身の同僚が借金問題で突然行方不明になった際、同僚の実家へ電話した時も母親の言葉がもろに現地の言葉で衝撃的でした。親御さんは過去にも借金の肩代わりをされていたそうで、一方的に怒りの文句を一時間ばかり聴く羽目に。
これが武田鉄矢さんの”母に捧げるバラード”のようなイントネーションで。

東京は地方出身者の比率が若い人ほど高いハズなのですが、出身地のイントネーションとかを隠してしまう方が多い気がします。
個人的には、出身地の言葉をそのまま使ってくれた方が面白いのですが。実家と電話する場面や、地元の誰かと会話する部分では期待通りの発音が聴けてちょっと嬉しかったり。
ハイ・ファイ・セットの”水色のワゴン”の歌詞がそのままでした。「古い仲間と電話の後はアクセントが変わるって笑うあの人」。

数年前にTwitterで「米をうるかす」という言葉を綴ったことがありました。自分はこれが標準語だと疑わなかったものの、知人の寿司職人さんから指摘されまして。
検索したところ、東北から北海道にかけての方言らしく。「潤かす」とも書くそうですが、標準語になっても悪くない表現だと思ったりです。

追記:
「ミーのパパ、ラストサンディ、カヌーでフィッシング行ったど」の何が面白かったかというと、恐らくこのまま英語の話者にも日本語の話者にも通じそうな言葉だったからです。考えようによってはかなり便利です。
あと、これが一世紀以上前とかではなく、僅か半世紀前に普通に使われていた点も興味深く。
それと、アメリカかぶれのカタカナ好きっぽい奴の言葉にも取れるのですが、最後に「行ったど」となまりっぽくフィニッシュしている点にちょっとニヤリで。

人の往来

タイトル自体間違った表現かもしれませんが、人の往来について。
コロナ禍で移動制限な時期があったりしたのですが、そういえば明治以前の日本はそもそも自由に移動が出来なかったイメージだなぁと。
関所越えには通行手形が必要で、赤穂浪士といった著名な時代劇でも箱根の関所越えは重要な場面だったり。まぁ、この作品についても創作された部分が多いようですが。
かといって、東海道中膝栗毛の様な庶民の自由な旅も許されていたっぽくもあり。

江戸時代の庶民の往来が実際どうだったのかWikiで軽く検索したところ、勝手な移動は駄目だったものの、お伊勢参りは無条件で許されたそうです。他にも有名寺社の参詣旅もおおむね許されていたそうで。
それにしても、通行手形の発行が必要だった様子ですが。

そんなことを検索している途中で気になる記述がありました。藩という名称は江戸時代に使われていなかったそうで。
幕末ものの時代劇では土佐藩だの長州藩だのといった言葉が飛び交うワケですが、当時はそんな呼び方をしなかったそうで。明治になってから定着した呼び名だそうです。
細かい人だと、時代劇上でそういったセリフがあったら「おかしい!」と騒いだりするのかな。まぁそう表現した方が現代人には分かりやすいと思います。

通行手形の書式も少し興味深かったです。
Wikiによると『通行手形の内容は、現代のパスポートに記載されている文面とよく似ているとも言える。通行手形持参人の身元、旅行の目的(諸国寺社参拝など)、関所通過の要請、関係諸官への便宜・保護要請、発行者の身分所在地などが記載されている』だそうで。
実際、当時の藩というのは一種の小国みたいなもので、通行手形には他の国でトラブった場合の保護も記載されていたんだなぁと。確かにパスポートに近く。
司馬遼太郎の「竜馬がゆく」でも、命からがらの竜馬が土佐藩邸に逃げ込む場面が幾度かあった記憶です。

〆の言葉をしばらく考えていたのですが思いつかず、綴っていたPCがWindows Updateの再起動を即しているのでここまでで。

ラプラス変換

昨夜のこと、ふと思い出した言葉「ラプラス変換」。
電気工学科の大学では必ず習いそうな関数です。

思い出したというよりは、Wikiでブラックホールの記事を読んでいた途中に「ピエール=シモン・ラプラス」なる人物を観掛け、この珍しい名前ってあのラプラス変換の人なのかな?と。リンクを辿ってみると確かに同じ人でした。
ラプラス変換自体、微分積分や代数の基礎が無いと理解し難い関数でした。幸い、自分は高校時代にその辺の分野をしっかり習得していたので、何とかなった様子です。やっつけ仕事でどうにか単位を取得しました。
ただ、夜間大学だったので社会人入試で入ってきた同級生達は相当苦労していました。高校時代に習っていたとしてもブランクが長かったり、高校によっては全く習っていない人も居て。
一般試験でも物理か化学を受験時に選択できたのですが、物理を習っておらず化学で入学してきた学生は一般教養の物理で相当苦しんでいた様子でした。
他にも、微分積分を知っていたら物理の問題をいとも簡単に解けたり。
昨夜は「ラプラス変換が何だったのか?」を軽く検索したものの、サッパリ解らずでした。綺麗サッパリ忘れてしまった様子。

社会人になってからも技術系で制御工学を仕事にしている人くらいしか、その後に使う機会は無かったと思われます。
自分の場合は技術系の仕事が長かったですが、必要とされる数学の知識はほとんど中学レベルで済んでいました。
だいたい、世の中数学に限らず何でも中学レベルの知識で足りてしまいそうです。英語にしても中学レベルの内容を完璧にこなせたら最低限のコミュニケーションは取れそうですし。
逆もしかりで、高校以降で習ったことを仕事で活かせている人は少なそうにも思えます。

大学を卒業しても、社会人になってから教わったことは多いですし、趣味の世界で知ったことも多く。
身の回りでも大学での専攻と全く異なるジャンルに進んだ知人が多いです。結局のところ、高校や大学で学んだことは何だったのか?と思えることもしばしば。
だいたい、時間もお金も相当掛かっているワケですし。大昔はそこで学んだことを活かせる仕事が多かったのかなぁと。
十年以上前から博士課程の卒業生の就職先が無いと騒がれていましたが、それが最も分かりやすい極端な例で。そもそも大卒の就職先も無いというより建前だけにも思えてしまい。
そいうったマイナーな専門知識、自分の場合は一部の人しか理解できないジョークで時々使うくらいだったりです。

ラプラス変換についてのWikiの記事でちょっと興味深かった記載が。
『1899年に電気技師であったオリヴァー・ヘヴィサイドが回路方程式を解くための実用的な演算子を経験則として考案して発表し、後に数学者がその演算子に対し厳密に理論的な裏付けを行った経緯がある。理論的な根拠が曖昧なままで発表されたため、この計算手法に対する懐疑的な声も多かった。この「ヘヴィサイドの演算子」の発表の後に、多くの数学者達により数学的な基盤は1780年の数学者ピエール=シモン・ラプラスの著作にある事が指摘された』
理論的な根拠が曖昧なまま経験則で発表というのが、なかなか素敵です。「根拠は不明だけど何故かこうなる」的な。
現代の物理学者でも予想までは立てられても証明までには至らず、苦労している人は多そうです。上記のブラックホールの歴史についても、仮説の域からなかなか抜けられない理論も多かった様子です。

漱石の三四郎の序盤に、東大で物理を専攻する研究者(寺田寅彦がモデル)が登場するのですが、当時としては最先端な学問の一つだったと思います。当時の東大に入れる人は現代よりも更に選ばれた人だったとも思います。
アインシュタインの特殊相対性理論の発表と漱石の三四郎の発表は似たような時期なので、当時の寺田寅彦さんがその辺の知見を持っていたのか謎です。
現代の理系の高校生は、僅か百年前の先端分野を覚えなくちゃならなず、なかなか大変だよなぁと。
更に百年後の学生とか千年後の学生とか、どれだけ詰め込まなくちゃいけないのだか。

更に話が飛んでしまいます。
以前の仕事で立派な研究機関に出入りする機会が多く。その中には原子力分野もありました。
兵器としてではなく、電力の源としての研究をしていた機関だったのですが、東日本大震災以降は相当な苦労があった様子でした。
担当者の方と久し振りにお会い出来たのは震災の半年後。現代の研究機関というのは非正規雇用の方も多く、そんな中で腰の低い丁寧な言葉遣いの正規の研究職。自分の様な出入の技術者のつまらない質問に丁寧に答えてくれたりで。
「あのあと、大丈夫でしたか?ずっと心配していたんですよ」との言葉に一言「大変でした」と。見た目も十年くらい歳を取ったというかやつれた姿でした。
担当者の方とお会いしたのはそれが最後でした。国の研究機関から母校の研究室に戻り、廃炉の技術的な研究に励んでいるそうです。

先週末の「ポツンと一軒家」では、過去の訪問先をもう一度訪ねる回。以前に気になった老人が再び登場していました。
昔は何世帯も暮らしていた集落、現在はその一軒だけ。
御主人も若かった頃は農作業以外に牛を飼ったりしていたそうです。牛の餌を貯蔵するサイロはコンクリート造り。
そういった納屋やコンクリートの建物を壊す日々だそうで。死ぬ前に片付けは自分の手でと考えているそうで。言葉少ない老人、一言一言に重みがあり。それがケジメだそうで。
ちと話が飛び過ぎました。世の中、いろんな人がおります。