現場

最近のニュースで思い出しました。
飛び降り自殺に巻き込まれて亡くなられた若い女性のニュースです。

大学に入学したばかりの頃だったと思うのですが。冷たい雨の夕刻、暗い歩道に横たわる若い男性と中年の男性。転がった傘と響くイビキ。
ちょっと非現実的な場面でした。二人してこんな場所で酔い潰れるなんてあるのかな?
校舎の隣の歩道、講義も始まる時間だったので気にせずに教室へ。ほとんどの通行人も気にせず通り過ぎ。

一時限目の講義が終わり、次の教室へ移動する途中で同級生の会話が。
「さっきそこで飛び降り自殺があったんだって」。
えっ?まさかあれがその現場?
どうやら飛び降り直後の現場を自分は通過していた様です。後日の噂では、二人とも亡くなられたそうで。
大学の校舎の窓から若者が飛び降り、歩道を歩いていたサラリーマンが巻き添いに遭ったそうですが、その若者は大学の学生でも関係者でも無かったらしく。
傘をさしていたのでは、頭上の異変にも気付かなかったんだろうなぁと。

こういった唐突の現場は、自分が何かヌケているのかどうにも実感がわかず。
直ぐに気付いて介抱してあげたら助かったのかなぁと少し罪悪感が残り。
しかし、どう介抱したら良いのか分からなかっただろうし。
あのイビキの理由も後から知りました。脳震盪や脳卒中で脳にダメージがあると、イビキを発することがあるそうで。二人のどちらかが頭部を強打したのかと。
校舎の四階だったかの窓越しの廊下には靴が揃っていたそうで、倒れていた若者の方は靴を履いていなかったんだろうなぁと。
そこまで機転が回りませんでした。

ちょっと不謹慎な話題となりましたが、タイミングが少しズレていたら自分が巻き添いに遭っていたんだろうなぁと。
まだ十八歳だった当時の自分、今思うとやりたいことの一割も達成出来ていない歳だったので、運が良かったのかもなぁと。

安いコシヒカリ

イオン系列の「まいばすけっと」さんにて数日前から山積みされているコシヒカリ。5kgで1480円。
これが気になっているのですが、以前に同様のオーストラリア米で痛い目に遭っておりまして。

2kgなら試し買いしても良いかと思っています。不味くても何とか消費できそうですから。
前回のオーストラリア米は全く食べられない程酷いワケでも無かったのですが、普通に炊いたらかなりしんどく。
基本パサパサで、お米をうるかす時間を長めにしたり、水を少し多めにしたりでたまに美味しく炊けるものの、保温していたらあっという間にパサパサ。
美味しく炊けるスイートスポットというか調整の範囲が非常に狭く。圧力鍋で炊いても同様でした。

「もう安いお米は買うまい」と思っていたのですが、一応コシヒカリらしく、どうにも気になり。
裏の生産者ラベルまでは一応確認。これがよく分からないブレンド米っぽく。
Twitter等で検索してみても、購入したまでの報告は幾つかありました。しかし、その後のレビューは見当たらず。

人柱でまた失敗したら残念過ぎますし、何方かのレビューを期待する本日です。
ただ、美味しい不味いの感覚は人それぞれで必ずしも自分に当てはまるかは別だったりで。
こういった特売系のお米は、山積みでの販売が多かった記憶です。しかし、短期間で無くなってしまうので、もし美味しくてもリピート買いは無理そうでもあります。
そこまで考えると、パスするのがやはり良いのかな。

古い大衆車の現存率

昨日観掛けたニュース記事で思い返したりでした。
30年前とか40年前の四輪をたまに見掛けるのですけれど、当時から高級車だったのばかりだなぁと。
一世を風靡した大衆車は、当時あれだけ溢れていたのにほとんど残っておらず。例えば80年代初頭のファミリアやシビックです。
当時としては性能も良かったそうで、デザインも優れていて安価だったので、カローラよりも一時的に売れたくらいで。
カローラが指標だった時代はとても長く。

現代の車に比べて使っていた金属の質も劣っていたらしく、錆でボロボロになって廃車になったり、高性能だった故に中古車が若者に酷使されて廃車になったりだそうで。
現在の中古車市場にも極僅かに出回っているそうですが、これがけっこう立派な値段。
それなりのレストアがされていたら当然の値段だとは思いますが、よほど好きじゃないと貰い手は居ないだろうなぁと。
80年代を再現した映画やドラマの道具を入手する事情でもなければ、余程の思い入れが必要そうです。

数日前のこと、自宅近くのコンビニ駐車場で古いVespaを見掛けました。
エンジンがなかなか掛からず、何度もキックしていて。
自分も嘗て兄弟車種を所有していたので、気になって話し掛けてみることに。

既に十五年乗り続けているとのオーナーさんでした。
でしたら、癖は十分に判っているだろうし、余計なアドバイスはしないことに。
ともかく小さな故障が多かったそうで、それは自分も同じでした。レストア代や修理代で既に百万円以上の維持費が掛かっていたそうです。
自分の場合は自分で直していたので、そこまでお金は掛からなかったものの、十五年も所有していたらそれくらい掛かっていたのかなぁ?とも。
見た目はテールランプが標準で無かったり、マフラーというかチャンバーがスポーツタイプに変更されていたりの車体でした。
しかし、ナンバーも車体も50ccのまま。

50ccの車体は30km/hの規制とか二段階右折とか面倒でしかない存在です。
あいにく原付の免許しか所有されていないらしく。小型自動二輪の免許を取得したら、かなり楽になるのにといった会話になりました。
車体はそのままでも、奥の手はあるのになぁと。
チャンバーは既に交換済みですし、メインジェットの交換も既にされているかと。それだけで、全くパワーが異なる嘗ての2サイクル。
一般道の四輪の流れに迷惑掛けない走りは既にあったと思います。

当時の古いVespaは、動く芸術品くらいの何かを持っていて。
路上駐車の規制が突然厳しくならなければ、都心暮らしだった自分も手放さなかっただろうなぁと。
当時の自分は古いマンションな自宅前にVespaを停めていました。それで突然のルール変更で切符を切られ。
まぁ、無くても生きて行けるサラリーマンで、半分は趣味の乗り物でした。山手線の内側を移動する分には縦横無尽な小道具でもあって。
自分よりも気の毒だったのは、歴史ある老舗のスーパーカブとかも切符を切られてしまった点でした。自分と違って、商売道具の一つだったのに。
路地裏系の下町だったので、ほとんど迷惑掛けていなかったハズでした。一種の懐かしい風景だったのかもなぁと。
そんな方々まで一律のルールで単車を手放してしまうことに。ちょっとした死活問題であったと思います。
自分もこれでは維持できぬで手放してしまい。

現在自分が所有している単車は250ccのスクーター。国内ブランドの新車なので、最低限のメンテナンスさえしていればこの通り故障も無く。故障したのは自分の整備の失敗程度でした。
この優秀さと安心感は捨てがたいモノがあるのですが、あの手間の掛かり続けた古いVespaが未だ恋しくもあり。
それでも乗り続けているオーナーさんに、敬意です。

既得権

頭からうろ覚えの話になります。平成の途中くらいまでの記憶なので、現在がどうなのかは自分も知りません。
特定郵便局というのがありました。地域の小さな郵便局の多くがそれです。それに対して普通郵便局というのがあります。
普通郵便局はかなり大きな郵便局で、郵便物の配達向けにスーパーカブとかが沢山揃っていたり。そこで働く職員達は公務員に近い存在でした。

日本で郵便制度が始まったのは明治の初期で、この社会インフラが全国に一気に整ったのは各地域の庄屋が特定郵便局として参加したお陰もあり。当初はボランティア色が濃かったそう。
庄屋そのものは世襲制の地域の有力者が多く、特定郵便局の局長は結果的にその地域で大きな力を持っていた様です。
当初はそれで上手く行っていたと思われるのですが、所謂既得権の様な状況が続いてしまったらしく。

地域によっては大きな普通郵便局の局長よりも、小さな特定郵便局の局長の方が遥かに強い立場。場合によっては地元の議員さんよりも強い立場だそうで。
世襲制なので、次に引き継ぐ局長は特に努力も無く利権も引き継げることが可能だったそう。
過去の仕事でたまたま知ったこの制度、凄い世界があったもんだなぁと。

上記に限らず、煙草の販売も既得権があったなぁと。
半径数十メートル以内には新たに煙草の販売店を設けられないとか。現在がどうなのか存じませんが。

他にも、日本の商習慣で暗黙の了解的な既得権はありそうです。ライバル店の近くの出店はなるべく避けるといった。
実際、それでトラブった例を下町暮らしの頃に観ていました。
地元の小さな食料品店がお酒を扱いだしたところ、二軒隣りの小さな酒屋さんと揉めてしまったそうです。互いに地元で何世代も暮らしている方でした。江戸時代から続く商標もあったり。
お酒の販売の法律が変わったのかも知れませんが、気の毒だったので自分は酒屋さんをなるべく利用することに。
しかし、酒屋さんはしばらく後に廃業されてしまいました。更にしばらく経ち、近くに立派なスーパーが進出することに。
食料品店の店主さんはスーパーに文句を伝えたそうですが、意見は通らず、結果的に食料品店も廃業。
仮に、食料品店と酒屋さんの協定みたいなのが上手く機能していたとしても、結果的に二軒とも廃業の道だったのかなぁと。
残念なことに、残ったのは歪なご近所関係だけでした。

帝釈天の参道みたいに同業者が幾つ並んでも相乗効果的な景観に繋がれば理想に思えたりです。合羽橋に行けば調理器具が何でも揃うとか。昔の秋葉原の電気街も(最期は何屋だか分からない品揃えな店も多く)。
ただ、食料品に類するモノだと難しいのかも知れません。余程の特色でも無ければその地域だけの消費でしょうし、同業者が増えても潰し合いになりかねず。

元々、都心の下町は人口流出が激しく、スーパーが進出してもそれだけの需要を見込めなかったらしく。それが大型マンション等の建設ラッシュで需要が十分見込めるようになったそうで。
ただ、上記の立派なスーパーも苦戦していました。都心だからと高級路線の品揃えで、客足は伸びず。大昔は大きな青果市場が近くにあった下町エリアの客層に受け入れられなかった感で。客層を見誤った様子。
結局、適正価格な品揃えに路線変更して自分も利用するようになりました。
自分がその下町に引越してきた当初は、徒歩圏にスーパーが全く無く、炊事自体を諦めていました。それが、十年後くらいにはスーパーだけでも三軒ほどに。

地方の商店街が大型スーパーの進出でシャッター通りになってしまうパターンは、何処でもあった様ですし。
過去の商習慣な既得権みたいなのは、どんどん無くなっているんだなぁと。
ある面、公平なことだとは思えたり。

最近身近にあった出来事がキッカケで、ちょっと頭の整理をしてみた記事でした。
どうにも自分の頭は古いのか、暗黙の既得権みたいなのを支持していた感で。既得権そのものは好きでも無かったのに。
大企業であっても、ライバルの出現で倒れてしまうパターンは多いです。二番手三番手の方が何かに優れていることも。
他にも、技術革新で扱っていた製品自体が不要になったり。何らかのボランティア活動が広がり、本業の方が利益を出せなくなることも。当時の自分は地域のHomepageを幾つか任されていたものの、ネット難民な高齢者は閲覧する手段が無かったので、お古のPCを持ち寄ってサポート出来ないかと企画しかけたこともあって。
今後も需要が見込まれる何かを扱っていても、一工夫するとか、サービスを良くするとか、価格を見直すとか等の努力が無いと、競争には勝てないんだろうなぁと。
ネットで最安値を探す場面も増えました。実店舗でサイズ確認だけしてネットで購入といったことも。酷い客だと思うので、たまには実店舗での購入もしています。
ただ、お気に入りの実店舗だけは別格でした。何とか生き残ってほしいお店は幾つもあって。

偏食

居間で思い出したのでiPadで綴っています。
偏食される人って、癖が強かったなぁと。これが一人や二人でなく。
怖いお局様とか、気分の波が激しい人とか。それが何故か女性ばかりで。中にはアレルギー体質の方もいたので、ちょっと気の毒ではありましたが。
検索したところ、偏食する人は「自分の思い通りにならないと、すぐにイライラしてしまう」という説もあるそうです。偶然とは思えずその通りに思えてしまい。

今朝、学校給食の話題がテレビ番組で紹介されていて思い出した次第です。そういえば、自分も小学校の低学年の頃は苦手な献立が多かったなぁと。
だいたい、犬の餌を盛るようなアルミの食器からいって当初は苦手でした。
しかし、いざ食べてみたら案外美味しくて、いつの間にかどんな献立でも給食の時間が楽しみになり。
周りもそんな生徒が結構居たのかと思います。
逆に言うと、我が家の献立は偏っていたのかも知れず。給食でしか食べたことのない献立もあった記憶で。
ともかく、給食のお陰で偏食を克服出来た部分は大いにありそうで、勉強以上に大切な給食だったのかも知れず。
地域によっては給食の無い学校もあったハズなのですが、それだと偏食が起こりやすそうでもあり。

話が飛びますが、この六日間豚汁を毎日頂いています。大鍋で作ったそれは二日で平らげるペースで。
これが飽きずに毎日美味しく。食材は根菜が主なので健康に良さそうにも思えますし、身体も暖まり。
ただ、毎度味噌の量が多めなのか味は濃く。塩っぱいまでは行かないのですが、塩分の取り過ぎかも知れず。
出汁入りの安いお味噌を利用していますが、これもなかなか便利で。これまでお味噌汁を作る習慣が無かったので、大きな進歩です。そのお陰か、ここ暫く快便です。
具材についてはシチューやカレーを作るのとほとんど一緒なものの、鍋や食器を洗う際は豚汁の方が圧倒的に楽で。
食費も抑えられるし、良いことづくめです。

あと、腹筋運動も一ヶ月続けてきて少し変化が現れました。
横っ腹の贅肉が明らかに減ってきまして。骨盤の上のウエストサイズは数センチ減ったかと思います。
正面については相変わらずぽってり気味です。
いつまで続けられるかな。

危険運転

二日前のこと、Twitterにて妙な出来事が。
結果的に、自分のアカウントは現在非公開中です。
今回の反省点「よく分からないユーザーには最初から全く反応すべきではない」。Profileやこれまでの投稿等を確認してからリアクションすべきです。無反応の方が基本的に安全です。

事の発端は過去に自分が投稿した画像が知らない方からリツイートされ、どうして?から始まりました。
リツイートした相手は比較的しっかりした文章を綴られていました。
お礼のメッセージを送ったところ、何だか妙な流れに。会話がほとんど通じないのです。
相手からのメッセージはやたら長文で、何かに怒っているのか攻撃的。話が噛み合っていないというより支離滅裂。
最後には一方的に「返信不要」とのこと。
夜中だし、酔っ払っていたのかな?
ネット上の酔っ払い運転みたいなのは自分も経験ありますし、ハメを外すことはあるのですが、無駄に攻撃的になったことは無かったハズで。

あれは何だったのか、相手のProfileを改めて確認したところ、ちょっと変わった方でした。
元々は接客業でコロナ禍で仕事を失い、現在は宝飾品をネット販売しているそう。超能力みたいなのを信じているそうでUFOを幾度も目撃していると。
過去にも何か大きなトラブルでもあったのか、二ヵ月前にアカウントを取り直したばかりだそうで。
相手にすべきではなかったなぁと。迂闊でした。

更に、自分のメッセージが勝手にツイートされていました。
特に当たり障りない事を綴ったつもりですが、相手の説明は悪意に満ち溢れていて。
本人とは話にならないし、仕方ないので管理者に削除依頼を。
削除依頼なんて初めての経験でしたが、案外素早く対応して頂けてホッとしました。
しかし、それでもまた勝手にメッセージをツイートされ。

ブロックしてしまえば良いのかも知れませんが、根本的な解決になりませんし、相手はソコソコTwitter慣れしている様子。別アカウントなんて簡単に作れてしまうでしょうし。火に油を注ぐ行為になり兼ねず。
仕方ないので、自分のアカウントを非公開にすることに。
自分、Twitter上でトラブルに巻き込まれた経験がほとんど無く、自分の個人情報な写真も平気で載せていました。悪く言ってしまうと無防備な男です。
Twitterに限らず、トラブルがあっても話し合いで解決した場面はありました。しかし、今回の相手は既に話になっておらず、恐らくメンタルに何か問題を抱えていそうで。
メンタルの問題で攻撃的な方はご家族でも手に負えない例があり、自分も嘗て親しかった方の突然の発症で残念な終わり方をしています。親身な対応も全く逆効果でした。

半日後にはまた一方的に長いメッセージが幾度か届きました。何故か命令形。
当然無視なのですが、非公開にしていてもブロックしない限り一度パスが繋がってしまうと届いてしまう仕様なんだなぁと。
その後もまたメッセージが届き、そのまま削除。
何か誤解に気付いたのか前夜よりは丁寧な文章でしたが、特にお詫びの言葉も無く。
特に削除依頼も掛けていなかった問題のツイートもほとんど消えていました。本人が消したのか管理者が消したのかは謎です。

コロナ禍で特に接客業の方は仕事を失ったり収入が途絶えたり、大変だとは思います。
そのタイミングで別の不幸とか面倒が重なるもので。それが元で普段とは言動が変わってしまった方も観掛けたりしています。
それが過去にお世話になった方でしたら、少しでも支えになってあげたかったりですが、全く知らない方ですとそうも行きません。
土壇場で本性が出てしまうパターンも世の中にあったりです。仕事上でもそんな場面は幾度かありました。
まぁ人を観る良い機会だったと思うことにしていますが、全く知らない方から突然コレはたまったもんじゃないなぁと。

ネット上に限らず、公と個を分けて考えられない人は信用を失う感です。個人的なやり取りの勝手な公開はだいたいがトラブルの原因になり。
そして、路上の危険運転みたいなのは、ネット上でもあるんだなぁと。最近のニュースでも、危険運転の加害者は被害妄想があったりで、これもメンタルに問題を抱えていそうで。
自分の方も今回の対応にちょっと草臥れました。他にも知人関連のツイートにちょっと困っていて。

相手に悪気はなく冗談の範囲なのでしょうけれど、誤解を招く書込みも繰り返されるとそれを本気にしてしまう人は実際に居ました。
これが過去にもあったりで。自分も冗談路線は多いですが、相手を陥れるようなマネはしませんし、自分のドジ談がせいぜいで。
もう面倒くさいので、言葉遣いの悪い方も含めて一気に切ることに。
勝手に言ってなさい。

自分、Twitterでのフォロー数は50人にも満たないんですよ。その半分くらいはニュース系のアカウントですし。
その程度でもツイート数の多さで一部はミュートしていたりです。必要な情報が埋もれてしまうので。
100人以上フォローしている人とか、そこら辺どうやって対処しているのか不思議だったりです。仕事上のアカウントは別として、仕事でも無いのによく対応しているなぁと。
フォロワー数を自慢される方はTwitterに限らず存在するのですけれど、やはり仕事以外でしたら疲れるだけにも思えてしまい。ハマってしまうゲームみたいなものなのかな?後には何も残らないのに。

ツイートの反応が全く無いのも寂しかったりしますが、毎度多過ぎるとやはり対応が大変そうです。
古くからの知り合いとか、Twitter暦の長い人ほど案外フォロー数も少なかったりです。そんな人ほどツイート数は少な目で無駄な投稿は控えている傾向です。面白いとか興味深い投稿しかされていなくて。
人柄の良い人でも、毎日リツイートだらけの方も居たりして、迂闊にフォローするものでは無いなぁと。

非公開をいつまで続けるか分かりませんが、こんな状況でした。
しばらく前に短期間で辞めた仕事、その内容がかなりリスキーだったので、運が悪いとニュース沙汰になり兼ねない状況でした。それが表に出たら、相互フォローしている方にも迷惑が掛かりそうでしたので、ここ数年のフォロワーを一斉に切ったりしていました。
古くからの知り合いでしたら事情をちゃんと聴いてくれるだろうなぁと。そうでない方ですと、誤解が生じるだけにも思えて。

古くからの付き合いの方とも、面倒な場面が当然ありましたが、それを乗り越えています。何か問題が生じても、逃げずに良い方向に導けたんだろうなぁと。誤解があっても「話せば分かる」余裕もあったのかと。土壇場で聴く耳持たないとか口をつむぐとか一方的にキレるでは無理な話で。
結果的にちゃんと大人の対応が出来る方ばかりで、自分の無精でいまでは数年に一度程度しか実際に会えてはいなくても、ずっと気になる存在です。
やはり、古くからの付き合いは大切にしないとなぁと。

あと、非公開にして気付いた点が幾つかありました。
十年以上暮らしていた下町時代のご近所さんから「フォローリクエスト」が届いていました。非公開に設定変更した当日のことです。
それまで全く気付かなかったのですが、ずっと観ていてくれたんだなぁと。
普段からとても穏やかな方で単車仲間でもあり、立派な駐車場に自分の単車を何年も置かせてもらったり。ご家族全員が皆穏やかな人柄で、町でも頼りになる存在でした。
自分はもう忘れられた存在かと思っていました。有難い事です。
当時の地元の神田祭、来年は本祭りです。コロナでどうなってしまうのか気になっています。東日本大震災の年は自粛で突然の中止となってしまい、これが元で地域の調和が崩れてしまった部分もあったと思います。
あのお祭りは、地域のガス抜き的な要素もあったと思います。お祭りが無事に終われば、その二年間の些細な問題を全て洗い流してくれて。素敵なイベントでした。

コロナな話題

三月頃はコロナの話題ばかり綴っていました。
身の回りでは感染者もおらず、そのまま半年経ちました。
確率的にはその程度だったまま秋が深まってきたこの頃です。

一時期はマスクがほとんど手に入らなかった状況もかなり改善されて、七枚入りの袋マスクなら何処でも売っていますし、以前と大差無い価格です。
箱マスクもちゃんとした製品が出回ってきていて、コンビニ等でもほぼ常時販売されています。値段については1.5倍くらいに上がってしまったものの、元々が安過ぎたとも思えます。

コロナの出所や対処法についてはハッキリしない部分が未だに多い様ですし、新薬の開発も目途が立っていない状況だそうです。
そんな中で最近目に付いたニュース記事で「ネアンデルタール人の遺伝子を持つ人はコロナで重症化しやすい」というのがありました。
真偽は不明ですが、この遺伝子を受け継ぐ人はその傾向があるそうです。ヨーロッパ系で16%の人が該当するそうで、日本人と韓国人にはほとんどいないそうです。
感染そのものに違いがあるのかは分かりませんが、感染後の違いは大きい様子で。
テレビ番組でもこの説が紹介されていました。出演者の言葉によると「ネアンデルタール人が滅びたのは他の人種との争いで負けたワケでは無く、当時の何かのウイルスに負けたのでは?」とも。

日本人に限っていえば、コロナで亡くなる人の割合よりも肺炎で亡くなる人の割合の方が未だ多い様子です。
であれば、経済再開にもっと力を入れても良いのではないか?と思えたりです。ただ、それで大問題になった時を考えると、誰も責任を取りたがらないだろうし、言い出し難いのかなぁとも。
ヨーロッパ方面では再流行が始まっているそうですが、相変わらずマスクをしない文化な面を引きずっていますし、仮に重症化が人種特有の弱さだったとしたら、一層の防御が必要と知るべきにも思えたりです。

海外の往来については、緩和が始まっているそうです。
しかし、上記の様な事情を考えてしまうと、やはりまだ怖いものがあります。地域によっては収束どころか第一波より勢いあるそうですし。ヨーロッパの場合はこれが余震じゃなくて本震なのかもしれず。
最近のニュースで紹介されていましたが、スーパーコンピューターで湿度と飛沫の到達度について解析したところ、乾燥している方が相当飛びやすいそうです。となると、秋からがやはり本番なのかな。夏にある程度落ち着いたのは人の努力よりも季節に恵まれただけだったのかも知れずで。

オリンピックについては、コロナの状況に関わらず来年開催とのIOCのスタンスだそうですけれど、お金とか利権とか既に投じた設備とかのしがらみが無かったら、こんな発言にはならなかったのかなぁとも。
南米だったか中米だったかの古い文化で、優秀な人を神に捧げる儀式があった記憶です。所謂生贄なのですが、これに近いイベントが現代でも開催されるというのは、何だかなぁとも思えます。