調時

FT8の通信は15秒間隔で1分間に4回のタイミング。
制御しているPCの時間が僅かでもズレていると、デコードにも影響してしまうそうで。
自分のPCで調時は意識しているのですが、手動で掛けても何故か僅かな誤差が生まれてしまい。
PCの性能自体は悪くないのですが。

検索してみたところ、Windows標準の調時機能はかなりアバウトらしく、専用ソフトを使うべきだそうで。
そこで、古いフリーウエアをインストールし、試してみたところ一発で時間が合いました。

これまで「バンド状況」に表示されていた各局の時間のズレはどれも気になるレベルだったのが、ほとんどの局は僅かな範囲に収まり。
しかし、中には1.5秒もズレている局も。そういったのは赤字で自動マーキングされるのですが。遥か遠くの国であったとしても、ここまでズレないハズだよなぁと。

地球の外周は4万kmだそうです。地球の裏側との交信は半分になるので2万km。
電波の速度は秒速30万km。地球の裏側から電波が届いたとしても、タイムラグは約0.13秒の計算です。
中には地球をグルっと一周まわってくる例もあるそうですが。
遠くの局だから時間がズレる理屈はあるにしても、0.13秒がMaxなハズで。
厳密にいうと、電波は電離層と地表との反射を繰り返すので、到達距離は更に伸びるのでしょうけれど。

ちなみに、現在利用しているデスクトップPCも半日でコンマ数秒のズレが勝手に発生しています。
FT8で数時間連続運用をするのなら、上記のフリーソフトで自動の調時機能を使うべきなんだなぁと。
PCはもっと精密な時計を積んでいると思ったのですが、一般的にはそこまでの性能を求められないのでしょう。
機械式の腕時計(ロレックス等)ですと、調整を極めるとけっこう正確なるそうです。(それでもPCの標準的な時計よりは精度が低いとは思いますが)
PCの時計も、細かな調整が出来ればなぁと。せめて、調時が一日一回で済むレベルで。

宇宙通信

昨日のISSの受信がなかなかアカデミックで刺激的だったもので、その後も色々と検索してしまいました。
ISSに搭載されている無線機はGigazineさんの情報によると、ケンウッドの既製品の改造版だそうです。
無重力状態では無線機の排熱に工夫が必要で、色々とカスタマイズされているそうで。
(話が頭から飛びますが、宇宙船内でオナラをするとガスは密度をなかなか失わぬ球体になるそうで、それを嗅ぐと恐ろしい思いをするらしく)

ISSの無線機の出力は25Wと、案外低めでした。
まぁ障害物が無い見通し範囲での通信でしたら、400KM上空でも余裕で届いてしまう様子です。
ただ、144MHzのようなVHF帯は僅かでも電離層の影響が無いものなのか未知数でした。結果的には問題無かった様です。
BSやCS放送は12GHz辺りだそうで、それに比べると波長が長過ぎるかと。

当然のことですが、背の高い富士山が見渡せる範囲でれば、富士山頂との交信は理屈上可能なんだよなぁと。
そう考えると、アンテナの地上高というのは地上間通信の場合とても重要で。まぁ波長の短い周波数での話になりますが。
同軸ケーブルのロスよりも高さのメリットは勝るらしいですし、幾ら指向性の良い高性能なアンテナを用意しても、ロケーションが悪ければ結果が伴わないのでしょうし。

その辺を考えると、宇宙の衛星を介した通信というのは基本的にロケーションを選ばないので公平にも思えます。
ただ、ISSの乗組員がいつでも対応してくれるワケでは無いですし、衛星を使った中継にしてもレピーターと原理は同じハズで、一局が長時間運用するのはマナー違反なんだろうなぁと。
まぁそれでも、衛星経由でとんでもない距離との通信は面白そうですし、一度は経験してみたいなぁと。
FT8が使えるのであれば、同時に何局もアクセスが可能でしょうし。

衛星の技術的な部分は自分もよく分かっていないのですが、日本上空で静止している衛星であればアンテナは基本的に真上を向いていれば機能しそうです。
しかし、遠い国の方がその衛星を使おうとしたら、アンテナの向きはかなり傾ける必要があるんだろうなぁと。
BSやCSのパラボラアンテナもかなり地上側に傾いているのはその為でしょうし、パラボラアンテナは相当な指向性を持っています。
あと、BSやCSはかなり高い周波数だからパラボラアンテナもあのサイズで済みますが、144MHzでは相当な大きさになってしまいそうです。430MHzより上の周波数なら何とかなるのかな。

話がちょっと逸れます。
高校時代の理系クラスでは、天文学に興味を持つ友人が何人かいました。
その友人達に誘われて、丘の上から天体観測も。
何人かが望遠鏡を持ち込んでいたのですが、一番大きく高価な望遠鏡がやはり一番人気でした。実際に性能が全く異なりまして。
星を自動で追従するモータードライブみたいなのまで搭載していまして、フルセットでは凄い値段だったらしく。
高性能な望遠鏡の持ち主H君は親御さんの稼ぎも良い一人っ子で、学業も優秀だったので買ってもらえたのだと思います。
しかし、自分には手出しできない世界だなぁと。だいたい、寒い季節ほど夜空は良く観えるそうで、自分は寒いのが苦手ですし、よほどその分野に興味無ければ続けられないなぁと。
ただ、H君はその後に旧帝大経由で東大にて博士号を取り、その後も研究畑で現在は某国立大の教授に。親の投資は全く無駄にならず、地球物理学分野で活躍されています。

H君は南極観測隊にも若かりし頃に選ばれていて、宇宙飛行士の次くらいに貴重な体験をしていました。
H君は元々頭が良かった部分もありますが、努力を継続してきた結果なんだろうなぁと。自分とはえらい違いです。
ISSの受信だけでも久し振りにアカデミックな何かを味わえた自分、これだけでもけっこう幸せだったりです。

ISS

HamLifeさんの直近の情報で、数十分後に日本の真上をISSが通過するらしく。
うちのアンテナでは聴こえないだろうなぁと予定の時刻に待機。
やはり聴こえず。

しかし、そのまま数分待っていたところ、強力なシグナルで流暢な英語が届きました。
おぉ、こりゃ凄い。
久し振りにアカデミックな世界を味わった感です。

ここで、スタンバイピーの音でも最後に入っていたら、更にそれっぽく。
あれは既に過去の映画の世界なのかな。
ともかく、リアルに感動しました。

頼まれごと

寝室でデスクトップPCに触れていたところ、窓の向こうで近所の二人のお婆ちゃんが我が家の庭を覗き込んでいました。
換気で半分開けていた隅の小さな窓を全開にし「どうしましたか?」と尋ねたところ「ちょっと出てきて」と。

先日、子犬が脱走しかかっていた一軒家のお婆ちゃんは、大きな絵を壁から外したいから手伝ってほしいそうで。
身体が動くうちに片付けたかったそうですが、こればかりは難しかったそうで。
何時でも構わないからという話でしたが、思い立ったら吉日で直ぐにやっちゃいましょうと。

二枚の大きな絵を外して移動することに。そのうち一枚はもう一人のお婆ちゃんが譲り受ける流れが出来上がっていて、運んであげることに。
短時間で二軒の家に上がらせてもらいました。

全然面倒な作業では無かったですし、逆に信用して頂いていたのがちょっと嬉しく。
二人のお婆ちゃんとも自分の母親と同世代らしく、最近は物忘れが進んでいるとの話がその間続いていました。
まぁ自分からしたら十分しっかりしています。

PCの電源が入れっ放しだったのを思い出し、用が済んだ時点で帰宅することに。
歩道から我が庭を覗くと、お隣さんの白猫が土の上で構えていました。
猫も近所付き合いが好きな様子です。

緩い時代

現代では許されないでしょうが、案外悪くなかった思い出を。

小学生の頃の思い出です。
我が家は母子家庭で貧乏だったものの、母の夢で自宅にはカワイのアップライトピアノがあり、自分ら兄弟三人はクラシックピアノを習っていました。
カワイ音楽教室の場を提供する位置付で、狭い家ながらも少しは安く習わせてもらっていた様子です。
地域の同世代の女の子達も、その小さな教室に毎週水曜日に集っていました。
三人兄弟末っ子の自分は音楽的才能など無く、母と違って若くて優しい女性の先生に可愛がられたものでした。
兄達は演奏も上手く、歳以上の難しい曲もこなしていて。

通っていた小学校でも、二人の兄は学業優秀でピアノも弾けて、先生達からは一目置かれた存在でした。
二番目の兄は音楽の先生から才能も認められて、かなり難関だった地元の少年少女合唱団に入れたり。見た目も悪くなく真面目だった兄のお陰で、自分も注目されたりでしたが、自分はおふざけばかりに熱中していて、大いに期待を裏切ったと思います。
当時の小学校の女性教師というのは、皆の前では感情的でけっこう怖く、兄を認めた音楽の先生もヒステリックになる場面は少なくなく。
しかし、自分と二人だけの場面では何故か優しくて。周りに誰も居なければ抱き着かれてしまう始末で。
当時の自分は学業も駄目駄目で、損得勘定などこれっぽっちも無く、担任にとっては面倒な生徒だったと思います。
あの独身の音楽の先生だけは、そんな駄目な自分がよほど愛おしかったのか、幾度抱き着かれたことか。
自分の背丈は当時まだ僅かで、先生の大きな胸元に顔を埋められたり。恥ずかしかったのですが、いい匂いもして居心地は悪く無かったです。
この時代だったら許されないことだとは思いますが、恋愛とかではない母性愛だったんだろうなぁと。

大学に入ったばかりの頃の思い出も、印象的でした。
自分は夜間大学に何とか現役で入学したものの、学費と生活費の捻出は当初難しく。田舎から上京したので、家賃から何から全て自前の必要があり。
通っていた大学では夜間の学生向けの職業紹介があり、結果的にそれに救われました。
履歴書を始めて書いた時でもありました。当時の履歴書というのは家族構成も綴る欄があり。
ここでも二人の兄に救われていました。長男は北大の理Ⅰに在学中で、次男は早稲田の一文に在学中で。
某マンモス大学の職員の仕事を紹介して下さった工藤先生は、早く仕事に就きたい自分に毎度呑気な質問ばかりで。一週間ほど毎日通ったある日突然。
「分かった、いい紹介状かいてあげるよ」と。

某マンモス大学での面接は、各課の課長がズラリと並んでいました。
以前にも綴った話題なのですが、課長達は自分の親より少し若い世代だったのもあり、親切で優しい質問ばかりでした。勿論、工藤先生の紹介状も効いていたのだと思います。
「君はどうしてうちの大学を受けなかったの?」の最後の質問にも素直に堪えました。
「兄達も大学は一校しか受けていなく、自分も許されませんでした」。

兄達のお陰で結果的に就けたような仕事でした。
しかし、付属高校からの進学が当たり前なマンモス大学で、自分はかなり異例な存在だった様子です。
最初から職場の皆さんは親切でした。ドジを幾ら踏んでも優しい対応で。

月給は安かったものの、賞与は六ヶ月分。これで何とか学費と教科書代は稼げるのかな?な一年目でした。
自分の通っていた大学は昼間部ですとそれなりに優秀な偏差値でした。夜間部については学費が異常に安く、国公立並みで。なので、下手な昼間部よりは偏差値も悪くなく。
バブル期の大学の競争率は夜間部でも現在より数倍高かった記憶です。浪人の許されなかった自分は安全パイを狙った一面もありました。兄や親からの脅しで併願など許されなかったですし。
社会人入試の枠もあったのですが、学科を担当していた若いお姉さんが後から教えてくれた話では、一般入試で自分は断トツの成績で受かっていたらしく。昼間部でも他の学科に入れたらしく。
出口の見えない卒業「奨学金を借りた方が良いのかな?」とお姉さんに尋ねたところ「本当に困ったら何時でも来なさい」と。「卒業しても返済は大変なのよ」と。
確かにその通りで。

職場での初めての職員旅行は異次元でした。
普段あんなに真面目に働いている職員達が、無礼講状況で。
熱海の立派なホテルを貸し切った真夏、温泉以外にも立派な屋外プールがあり、久し振りの水泳を楽しんだり。
食費を削ってばかりの自分は余計な肉など落ちて、まるで松田優作。(体型だけ)
その晩の大宴会でも、皆好き放題な振舞い。
なんじゃこりゃ?でした。大の大人がまるで子供のようで。

全く慣れない宴会の後、職員達はホテルの温泉へ。
焼け過ぎた肌が痛い中、露天風呂に向かうと、いつものオッサンや先輩達が裸姿で竹の塀にへばりついていました。
「おい!女風呂が覗けるぞ!お前も今のうちに観とけ!」。
ほんまかいな?と横一列に加わると、竹の隙間から確かに観えました。いつも優しいお姉さん達らしき姿が伺えたものの、裸姿では誰が誰だかよく分からず。
しかし、大宴会で飲み過ぎた自分は熱い風呂で益々酔っ払い、それどころでは無く。惜しい事をしました。
(この件はその後にちょっと問題になったのですが、有耶無耶のまま終わりました)

その後は熱海の花火大会が。
浴衣のままホテルの廊下を一人歩いていたところ、いつものお姉さん達とすれ違い。
某芸能人に似た綺麗なお姉さんは一回り上の世代で既に既婚だったらしく「うちの旦那とはえらい違いね。ちょっと触らせて」と。
普段はあんなに真面目に会計の仕事をしているお姉さんで、プライベートな話などしたことも無く。
「ん?」と現実がわからない中、浴衣から露出した腕を触られ。
その後「私も私も」と触られ放題。
「ぎゃー!」
なんじゃこりゃ。

イチモツ以外は全て触られました。
後から考えると、ちょっとは触り返せば良かったなぁと。
女性も異性に興味津々だとやっと気付いたりでした。
まぁ自分も若かったですし、今思うと青春真っ盛りで何か光っていたんだろうなぁと。

自分の通っていた大学の夜間は五年制で同期の学生職員達は一年早く卒業していました。
留年すると即解雇な仕事、その件は皆さん気にされていて。
大手企業の内定を頂いていた自分は、その後に正職員で残らないかとのお誘いも課長から説得されたのですが、若気の至りで民間を選んでしまいました。
選択肢は「やっと周りと同じスタートラインに立てる」だけでした。
今思うと、勿体ない話でしかないのですが。

卒業式の当日は、入学式と同じ日比谷公会堂。自分の親などどちらも参加せず。
昼間部も夜間部も合同の卒業式、式の直前に学科を担当していたお姉さんから「学科毎に起立する場面が待ってるから、掛け声はお願いね」と。
そして、「もう会えなくなっちゃうんだから、愛してるって言って!」と。
勿論、ちゃんと答えました。
ちょっと飛んだお姉さんでしたが、自分も大好きでした。
ずっと見守っていてくれたんだなぁと。

昭和から平成に架けての出来事でした。大人達の心に余裕があったと思います。
いまでは許されない出来事と思いますが、いい時代だったと思うんです。
だって、みんな正直だったんだから。

冬装備で松戸二郎へ

松戸二郎の店主さん、脚の具合が悪いそうで当面は17:15からの夜営業のみとのTweetを最近観掛け。
更に、臨時休業も多いそうで、営業しているタイミングはさぞや混んでいるのかな?と思いきやそうでもないらしく。
そろそろ二郎欲も増してきまして、夕刻に伺ってみることに。
外は既に寒く、単車にはハンドルカバーを装着し、自分は上下の防寒着仕様で。

お店に到着したのは16:45頃。シャッターは当然閉まっていたのですが、並びはゼロ。
まさか臨時休業?かとシャッターの貼り紙を確認すると17:30からの営業とのこと。そんなTweet観てないよ。
とりあえず、非公式ながら告知が必要だと貼り紙を撮ってTweetすることに。
直ぐ後に二人目のお客さんがやって来たのですが、貼り紙を観て考え込まれていました。
話し掛けてみると、やはり17:15からの営業と思われていたそうで。この寒い中で45分の待ちはちょっと辛いと引き返されていました。
自分も防寒着で無かったら、そうしていたかも知れません。

シャッターが開いたのは17:30でした。
その間の行列は20人ほど。
1stロットは麺量を確認されるまえに茹でられる傾向があり、同一ロットに麺半分な注文が重なると他のお客さんの量が多くなりがちの様子。
そんな訳なのか、今日の小ニンニクはけっこうな量でした。
申し訳ないことに、豚半切れは残すことに。これ以上は限界でして、腹を壊しかねず。

帰宅ルートの国道六号下り線は渋滞でした。
帰宅の時間に重なったとしても、久し振りの渋滞です。いつもなら、食後の苦しい満腹感に心地良い風を感じさせてくれるのですが。
コロナが収束気味のタイミングで社会が動き出したとか、師走が始まり出したとか。
どっちなんだろうかと。

恐らく、今年の二郎納めな一杯となった松戸店、今宵もパンチのある味でした。
色々と頑張らねば。自分。

サービス停止

セブンイレブンの無料Wi-Fiな7SPOTがサービス終了予定だそうです。
自分はほとんどお世話になったことが無いのですが、コロナ禍では生活困窮者と思われる若者が周辺でスマホ片手に利用していた様子です。これが深夜でも少なくなく。
自宅に回線を引いたら月に五千円前後は費用が掛かるでしょうし、携帯キャリアを利用するにも多くは従量制でしょうし、ひょっとしたら携帯キャリアも加入していないのかも知れず。

このニュースは某ニュースサイトで見掛けて、気になったものでコメント欄も斜め読みしたのですが、コンビニの駐車場にはそれ目的で長時間駐車されてしまうパターンも多かったそうです。
自分は最寄り駅前の駐車場も無いセブンで見掛けた風景で、迷惑は一切無く、むしろ気の毒に思えていました。

2008年のリーマンショック以降、しばらくは世の中の景気も悪かったです。
当時の自分は都心で暮らしており、週末が近付くと深夜でもマクドナルドへ買い出しに出掛ける機会があり。
真冬の深夜には、ホームレスと思われる高齢者の集団がお店の隅でひっそりと寛いでいました。ホットコーヒー一杯で。
外は寒過ぎますし、ほとんど民間のシェルターと化していまして。

本来は、行政か国が対応すべきだよなぁと。無料Wi-Fiも真冬のシェルターも。
民間もこの様な利用者だらけでは商売にならないのでしょうが、良心や善意で続けている部分はあるんだろうなぁと。
コンビニやファストフード店の社会的な役割は、けっこう重い感です。