自作の毒入りカレー

何だか危ないタイトルですが、犯罪の話ではありません。ジャガイモの毒についての話題です。
ジャガイモの芽の部分に毒が含まれているというのは子供の頃から何故か存じていたのですが、緑色に染まった部分に毒が含まれているというのを大学二年まで自分は知らなくて。

大学時代の前半は特に貧乏学生だったもので、週末に時間が許されれば自炊する機会が多かったです。キッチンが小さなワンルームの部屋だったので、鍋一つで出来るような料理が主でした。
ある日、スーパーの安売りでジャガイモを入手したのですが、皮を向いたところ新鮮な緑色でした。これは余程鮮度が高いのかな?と思いつつそのままカレーが出来上がりました。
これが、食べたところ妙に苦く、口に入れた瞬間から違和感があり、呑み込んでもやはり違和感。苦い不味い。
しかし、大食いが基本の自分にとって残すのは恥ですし、盛ったものは責任持って食べるべきで。
ともかく平らげたのですが、体調がジワジワ悪くなるはお腹は痛いは気持ち悪いは。幾度もトイレを往復し、週末は蒼い顔して寝込むことに。

いつもと違ったのはあのジャガイモ。調べたところ、ジャガイモの緑の部分は毒だそうで、上記で経験したような症状が起こるそうです。酷い場合は亡くなってしまうことも。
自作の毒入りカレーはそのまま処分することに。身をもって勉強になりました。
あれ以来、自炊する際にはジャガイモの緑色に特に気を付けています。自炊の機会が減ったものの、二十回くらいの購入で一度は緑色のジャガイモを見掛ける確率です。
正直、店頭では見分けのつかない場合がほとんどでした。台所でピーラーを使って皮を剥き始めて初めて発覚する場面が多く。

数日前のこと、友人夫婦の奥さんの方が小さな娘さんとジャガイモ堀に行った写真を送ってきました。
自分もジャガイモは数年前に屋上で栽培した経験があり、その写真をお送り返してあげたり。
そんなやり取りの中で、ジャガイモ栽培でジャガイモは土から顔を出さないように育てないと緑の毒が発生しちゃうから気を付けるように伝えました。
しかし、友人の奥さんの方はそれを知らなかったようで、冗談かと思ったものの本気で知らないようで、リンク先も含めて参考サイトを紹介しました。

本日のこと、その件の続きのメッセージが届いたのですが、奥さんの職場の人達も知らなかったそうで。(気の毒だから話合わせてくれてるだけなのかなぁ)
先方では「自分が北海道出身だからそんなレアな情報知っているのでは?」という流れの話になったそうで。(なんじゃそりゃ)
更に「緑色のジャガイモなんか観たこと無い」とまで言われてしまい。(ほんまかいな?)
気付かなかったか、ジャガイモを好まないからほとんど買ったことがないかくらいしか原因が浮かびません。恐らく、何処かで食べているとは思いますし、耐性が付くものとも思えず。

知らなかった人がどれだけ居るものなのか検索してみたところ、それなりに居るようです。
知らなかった方のTweetが面白かったです。「親にどうして教えてくれなかったの?」と尋ねたところ、親も知らなかったとか。本人は恐らく食べさせられていただろうと。
自分は一人暮らしの若いうちに痛い経験をしておいて良かったです。集団で頂いてしまったらトイレの奪い合いになってしまったでしょうから。

地面に吸い込まれたヒマワリ

ちと説明のつかない現象を一昨日経験しました。地面の中で何かがあったようで。
双葉が開いたヒマワリは茎の長さは10㎝くらいだったのですが、不思議な症状で消えてしまいました。地面に吸い込まれるように。
1)12時頃、普通でした。
2)18時頃、枯れてしまった様に倒れていました。
3)23時頃、幹が吸い込まれました。双葉だけ地上に。(双葉を引っ張っても抜けない)
4)06時頃、跡形も無く消えていました。

七ケ所に種を撒き、六ケ所から発芽はしていたものの、これでは五ケ所しか育ちません。
直ぐに種を植えたものの、それから半日後に気になって双葉が消えた場所をほじくり返したところ、出てきたのは僅かに残った根っこだけでした。

ともかく、「土の中から双葉が何か引き摺り込まれ、食べられてしまった」ような流れです。モグラは生息していない庭ですし、そんな力を持った昆虫とかって居るのでしょうか?
この記事を読んで経験ある方とか答えを知っている方がいらっしゃいましたら、教えてほしいです。
検索しても出てこない症状でした。

外環の千葉方面が開通

外環の千葉方面が本日開通しました。
往路は国道298で東京湾へ。
復路は外環で市川南から乗ったものの大渋滞で次の市川中央で脱出。
これまでの市川方面の渋滞が少しでも解消されれば幸いです。




走ってみた感想は当然ですが、道が新しい。道が新しいというのは凸凹や歪の無い真っ平感。
東日本大震災の際、歪んでしまった道はけっこうあった感です。首都圏であれだけの揺れがあった中ではまだマシだったのでしょうけれど。地域によってはマンホールがとんでもない高さまで隆起したとかあったようで。
で、道がフラットですと高速走行時の安定感が全く違って。地面にへばりつく感に近く。しかし、開通当日はそこまで飛ばせない流れでした。三郷南方面から乗った往路の下道はソコソコ流れたものの、市川南から乗った復路は平均時速が20km/hの渋滞で。
自分は加齢もあって、高速道の単車で長距離は苦痛になっているのですが、たまに一時間未満であれば風圧との戦いも嫌いでは無くて。エンジンが無ければ出せないスピード、風圧を直に身体で感じて何かの限界を感じられて。良くも悪しくも刺激になり。
次回はほとぼりの冷めた頃にしっかり走ってみたいです。

2018/6/5
上記から二日後の平日に単車で走ってみました。往復共に国道298でしたが、流れは非常にスムーズで単車ではやはり気持ち良かったです。
298の埼玉区間は高速の下だったりトンネルだったりで解放感が足りないのですが、千葉区間はほぼお空の下で。防音壁はあるものの、逆に横風を喰らいにくいので好印象でした。
風圧との戦い未満で心地良い風、素敵なルートです。

九段会館

春夏秋冬、過去に幾度も撮っていたハズなのに、自分のBlogで何故か一枚も公開しておらず。
2013年の12月に撮った九段会館です
この季節のお昼過ぎは逆光が激しくて、正面からの撮影はちと無理がありました。
建て替えによる解体が愈々始まったらしく。
でも、一部だけでもそれらしきが残るらしく、良しとしておきます。

竹中敏洋さんの思い出

高校を卒業するまでの四年間暮らした北海道の千歳には支笏湖という観光地があり、冬場にはそこで氷凍祭りというイベントが開催されていました。
氷点下の中、氷で作られた像が並ぶ神秘的なイベントでした。自分がこの像を観れたのはずっと後のことで。
というのも、真冬の移動手段は車しか無く、中高生だった自分はバスを使って遠く寒い場所に行くまでも無いかと。夏であれば自転車か単車で行けたのですけれど。
それに、その氷の像というのが著作権関連で揉めていたという噂も面倒臭く。像は雪から作るのでなく、氷点下の中で水を撒いて凍った産物らしく。その製法と表現方法を確立した芸術家の断りも無く実施していたそうで。
当時、アート系に興味ある地元の知人に聴いても、氷凍祭りは興味の対象外だったようです。

社会人になって数年経った頃、夏の終わりくらいに北海道へ帰省した機会がありました。
流れ者な町であった千歳に残っている友人は少なく、親の車を借りて近場の観光を楽しむ程度でした。
当時、自分の母は油絵に凝っていて、地域の文化活動にも関わっていたそうです。自分の出身校の先生とも繋がりがあったらしく、その中には自分の尊敬していた国語の平田先生も含まれていて。

この平田先生というのがナカナカの変わり者で。国語の試験で記述式の回答があると、滅多に×を付けられない性格で。
文章に対する解釈は一通りでなく、模範的回答以外の解釈にも理解を示してしまうというか否定は出来ない方でした。その度に考え込んでしまうそうで。
こういった先生は高校よりも大学の方が似合うのかと思いつつ、頭ごなしに否定しない姿勢に見習うべき点は多かったです。立場や権力で生徒を押し込める教師が普通で。
あと、先生の趣味がまた面白かったんです。オーディオマニアで、高価な機材を入手しては奥さんに怒られてしまうこともしばしばだったそうで。当時はまだCDが市場に出回り出したばかりの時代でした。
そんな中、録音の良いCDを自分は先生から沢山お借りしていて。アルバイトで稼いだお金をJazzのCDに注ぎ込んでいた自分もお返しにCDを貸したりで。教師と生徒の関係としては不適切だったかも知れませんが、自分の全く興味なかったジャンルやアーティストに触れられる機会を頂けて。こんな曲や表現方法もあるんだなぁと。
国語という限られた科目に置くには勿体ない先生でした。「表現と解釈」といった、もっと漠然としたテーマの方が似合っていたかと。これは文化や人種や言語を越えたコミュニケーション方法でもあって。

話を戻さねば。
その平田先生と繋がりのある芸術家が市民ホール(千歳市民文化センター)で個展を開くらしく、暇を持て余していた自分は母の勧めで個展に行くことに。母の造った大作も市民ホールの階段に飾られているそうで。
何の期待もしていなかった個展ですが、これが面白かったんです。印画紙を応用した作品は他に観たことが無く、独特な世界観。イマジネーション膨らむ作品群。
作者の方はその場には居なく、作者の奥さんがギャラリーを受け持っていて。
その奥さんと少しお話をさせてもらったところ、作者とのトークベントが後日あると。
あの作品の雰囲気は冨田勲の月の光に近いなぁと、地元のレコード屋さんでCDを入手し後日の夜も同じ場所へ。
(この記事を綴っている理由も、昨夜観た夜叉ヶ池で冨田勲さんの作品が使われていた故です)

作者のトークイベントも楽しかったです。参加者がとても少なかった中、プロのパーカッションプレイヤーの方と物の叩き合い的なセッションもあったりで。
作者は竹中敏洋さんという方で、元々は千歳で中学校の教師をしていたものの、作品制作の世界に没頭したかったらしく、周りの反対を押し切って芸術家の道に進んだらしく。
しかし、その世界で認められるチャンスは何年も訪れず、極貧生活が続いたそうで。教師時代に「先生先生」と持ち上げてきた方々からも冷たい視線を受けるばかり。
ご自身が嘗て製作した作品の一つだけを頼りにしばらく生きていたそうです。イベントではその作品を持参されていました。例えの難しい作品は表面のゴツゴツした少し伸びたタケノコのようなモニュメントというか。
全てを失った中、その作品を腕に抱えて真冬の夜汽車に揺られたこともあったと。
その中に自慢話は含まれておらず、いまは人里離れた場所で作品造りと。

頂いたパンフレットを観たところ、例の氷凍祭りで争っていたらしい芸術家でした。
個展の中で目に付いた作品の中に「偽善者」(記憶が曖昧なのですが、そんなタイトル)というのがあって、それが特に印象的でした。真っ黒の背景の中に細い白い線で描かれた弧。垂れ下がった真ん中には首が吊るされた細い人のシルエット。
静かなる抗議な作品だったようです。あの盗作に対する抗議だったのかなぁと。
どうにも気になる竹中さん、東京に戻る前日にご自宅へ車で伺ってみました。何のアポも無く向かった夕方、会えなくても仕方なく。
大きな地図を観ながら走ったルートは、高校時代に幾度かバスで経験した風景でした。盤尻というエリアはその先に市民スキー場があり、学生はナイター券を安く入手出来たので友人達と伺っていて。
しかし、冬の雪景色とは一味違っていました。夏の終わり頃の枯れはじめた土地というか。枯れてはいないものの、夏の始まりの勢いある緑とは別の衰える緑。

民家が少ないエリアだったので、竹中さんのご自宅はすぐに見つかりました。通り過ぎた道を引き返し、手作りっぽい木製のご自宅へ。(木造というより木製でした)
玄関をノックしてみると、先日の奥さんが。居間に案内されて竹中さんと世間話。そのままアトリエへ。アトリエといっても屋外でした。ご自宅の裏には川が流れていて。
冬になると、ポンプで川から引いた水を撒き、作品作りに没頭すると。
ポンプや照明に必要な電源周りの工作や電線の引き回しもご自身でやられたそうです。この時代にこんな人が生きているのが斬新でした。元々は何も無かったらしき場所なハズ。
真冬の北海道でこんな人里離れた場所、一歩間違えたら簡単に死ねてしまいます。ゼロからここまで続けてこれたことに見習うべき何かが大きく。幾度の冬をここで越してきたのだか。
どんな話をしたのかほとんど覚えていないのですが、この会話だけは覚えています。

 SUKIYAKI:時々変な夢を想てしまうんですよ。空を飛んでいる夢なんですけれど、地上に戻りたいと必死に泳いだり電線を捕まえようとかするんですけれど、酷い時なんて宇宙の彼方で一人っきりで、
 竹中さん:そのままそこに居ればいいじゃないか。

自分は人付き合いが下手な面を自覚していて、一人で居たい時はもちろんあります。それでも人里が恋しくなる部分もある勝手な奴で。
何でそんな会話になったのか自分でも不思議でありましたが、ここで二人いることも不思議でしたし、竹中さんの生きざまへの質問だったのかなぁと。

その次のお正月だったか、ご丁寧な年賀状が竹中さんから届きました。
自分のこと、覚えていてくれたのが嬉しく。謎の妙な東京の若造でしかなかったハズなのに。
大切に残していた年賀状だったものの、自分の引越しの機会でしか目に掛かる場面が無く。いまはこの部屋の何処にあるのか。

竹中さんとお会いした数年後に自分は一時的に北海道へ戻っていました。
当時は養父が単身赴任で、冬に向かう季節の北海道で一人暮らしだった母をドライブに幾度か連れまわしたり。
共通の話題が乏しい母に「そいえば、竹中さんどうしてる?」と。「アメリカで個展開催に向かう飛行機に乗るところで吐血したそうよ」と。
そういえば、竹中さんはお酒好きだったなぁと思い出しました。
そのうちまた挨拶に伺いたいなぁと思いつつ、その機会も無く北海道をまた離れた自分。

時々、竹中さんのことは検索していたんです。
2002年に亡くなられたことも後から知りました。
そして、専業主婦向けの昼のドラマでもあった「ダンプかあちゃん」の題材になったご夫婦が、あの竹中夫妻だったこともずっと後に知りました。
乞食のような妙な男が気になった若い女性、その男は全く売れない実直な芸術家。勝手に転がり込んできた女は作品の裸体になる覚悟も、ダンプカーの運転で男の生活を支える覚悟もあり。幾度もドラマの題材になった二人。
そんな話、ご本人達からは一切聞いておらず。
普通の老人なら、自慢の一つくらいするだろうに。
だから、ますます忘れられず。(五十年近く前のドラマも丁寧な作り)

三年前の引越し後、所有していたCDを久し振りに整理しました。とりあえず、アーティスト別に並び替えて。引越し前までは部屋の至る所に散乱していたCD達だったので、大きな進歩です。
整理中、同じアルバムが幾つも見付かったり。冨田勲の「月の光」も二枚同じのがありました。多分、過去に三枚購入していたのだと思います。そのうちの一枚は竹中さんへ。
いつ購入したのだか思い出せない一枚と、冨田勲さんが亡くなられた頃に「そういえばあのアルバムは手元に残っていなかった」と勘違いして購入した一枚。そんな手元の二枚らしく。
久し振りに自宅のステレオで聴いてみたところ、やはり素晴らしいアルバムでした。
幻想的に響きつつ、何処かに刻まれる残音。

夜叉ヶ池

夜叉ヶ池(ヤシャガイケ)という映画を観たのは三十年ほど前、自分が大学に入ったくらいの時期でした。
テレビ放映でたまたま途中から観掛けて。これがナカナカインパクトのある作品でした。そのうち最初から観てみたいなぁと。
しかし、残念なことにテレビ放映はその一度キリでした。歌舞伎役者の坂東玉三郎が女役とはいっても男優さんと接吻する場面があり、現在大物になり過ぎてしまった玉三郎さんのお許しが得られないといった噂もあるようです。(真偽不明な噂ですけれど)

その途中から観た感想としては、特撮の古臭さとか薄気味悪さとか気持ち悪さみたいなアングラ劇に近いものを感じまして。ただ、冨田勲さんの音楽は特にラストシーンの浮遊感を際立たせていました。
翌日の大学で「昨日のヤシャガイケ観たかよ?ありゃ凄かったなぁ」と友人に尋ねられ。変な映画は観たもののあれが「ヤシャガイケ」という作品名なのは知らず、どんなラストシーンだったか尋ね返したらどうやら同じ作品で。
そして、上記のような感想を伝えていました。友人はバンドでドラムを叩いていましたが、クラシックにも強く、芸術的な感性は持っていました。
当時の自分は包容力が色々な面で足りなかったのか、特に特撮にぎこちなさが残る作品が苦手で、ストーリーとか作品が伝えたかったこととか本質的な部分は二の次になりがちでした。
いずれにしても途中から観てしまったので、語れるレベルではなかったです。ただ、ラストシーンの壮大さと孤独感は呑み込まれる感覚が確かにありました。

そのうちまた観れるだろうとテキトーに意識していたものの、十年経っても二十年経っても観れず、Webで検索したところ、上記の理由でソフトの再販は限りなく難しいし、テレビ放映は更に難しいとの噂で。
そうなると益々観てみたくなるのですが、半分諦めていて五年以上は「夜叉ヶ池」をキーワードに検索するは無かったです。

昨夜、何の気なしに「夜叉ヶ池」を検索したところ、数年前からYoutubeにアップロードされていて。半分眠りかけていたものの、一気に最後までスマホで観ることに。
これが、なかなか良かったんです。良いとか悪いとかいう判断は良くないと以前に忠告されたこともありましたが、決して悪くは無くて。

スケールが大き過ぎて、舞台に収まりきれない作品な面もあったとは思います。前途の通り、特撮も当時の技術レベルで。ただ、これを演劇として観た場合は強力な破壊力がありました。
かなり大雑把なストーリーはWikiにも載っています。映画上では姫が我が儘を押し通そうとする場面前後が如何にも演劇っぽい演出なのですが、人の動物的本能が穢れの無い美しさで理性を取り戻させる展開は誰にでも当て嵌まりそうで。
山崎努さんも自分は昔から気になっていた俳優です。「スローなブギにしてくれ」や「早春スケッチブック」といった作品が好きでした。「どの作品でも同じ印象」も上手く働いているというか。ちとインテリでありつつも野性味を残していて、人生の修羅場も経験していて。
坂東玉三郎については名前しか存じないような方でした。ここで演じる女性は女性以上に女性でした。自己主張の無さの中に自己主張が隠れていたり、男からすると誰かが傍に居なければ誰かが守ってあげなければいけない可憐な女性というか。
自立して生きていく為の教養とか経験とかが現代の女性には必要なのでしょうけれど、これを観てしまうと男が守らなければな旧来の社会も否定出来なくなる感で。

そしてクライマックス。
民衆の邪念が大量の水で押し流され、冨田サウンドが持ち上げて。
これをハッピーエンドと言って良いものなのか分かりませんが、愚かな民衆心理の結末。
暫く前に綴った記事で「浦島太郎」のクライマックスが理不尽過ぎると思ったものの、掟を破った結末はこの作に近く。

順番が全く逆になるのですが、映画の序盤も面白かったです。
日照り続きで水の乏しい村を彷徨う主人公が強風で舞った土埃で目を傷めてしまう場面です。目を洗いたいものの水は何処にもなく、人が集まる場所で状況や症状を伝えたところ「これで洗いなさい」とばかりに乳房から母乳を出そうとする女性。
大正時代が背景なのですが、都会で現代的な経験を持つ主人公は村の女性の対応に驚きます。勿論親切心や母性本能があったのでしょうけれど、そこに何の恥じらいも無く、明治はおろか江戸時代の風土に迷い込んだ感覚で。

現代の若者がこの作品を観たら、どんな感想になるのだろう?と。
おとぎ話や演劇だと事前に耳打ちしたら、細かな突っ込み無く素直に観れるかなぁと思ったりです。

マンションで水漏れ

数日前から向かいの部屋の玄関前にバケツが置かれていました。
向かいの部屋は現在売り出し中で、清掃途中なのかな?と思っていたところ数日置きっぱなし。
今朝気付いたのですが、天井から水が滴り落ちていました。水漏れでした。
この玄関前からすぐ隣のエレベーターホールに渡って、天井からじんわりと水が滴り落ちていて。

雨が降ったのは二日ほど前だった記憶ですし、雨漏りよりは配管からの水漏れが疑わしいかと思われます。
屋上の排水口が詰まってプールになっていると、長期に渡り水漏れということも過去の仕事で経験していますが、屋上の防水工事は昨年実施されたばかりなので排水口も含めて恐らく問題無いだろうと。
まぁ、素人考えなので実際のところ原因はまだ分かりませんけれど。

漏れの原因と被害範囲が共用部内であれば良いのですけれど。
というのも、原因箇所や被害箇所が専有部の場合ですと、その区分の所有者に高額な修繕費が回ってくる危険があるそうで。
また、現在売り出し中の向かいの部屋は前の家主さんが引っ越された後に大掛かりなリフォームをしたばかりでした。床も壁紙もキッチンもバスルームも総入れ替えしたようなリフォームで。
その室内まで水漏れの被害があったら、また大変そうです。

うちのマンションはそろそろ築三十年にはなるかと思われます。大規模修繕は五年ほど前に実施されたとも聴いています。
ただ、その際には外壁周りが主だったとも聴いており、廊下で本日お会いしたマンション理事会役員の方の話では配管周りの修繕は数年以内に予定とか。
築三十年は、色々とボロが出てくるタイミングな様です。
ただ、修繕積立金の運用はまともに行っているらしいので、その点は安心しています。
管理費や修繕積立金が高いなぁとは思っているものの、こういったときは強みになるのかも知れません。戸建ての場合ですと、計画的に修繕費を積み立てている方など少なそうですし。

マンションの水漏れについて検索してみたところ、色々な例があるようです。
特に、上階での水漏れに気付くのは下階の方が多い様子で。その時点で下階には被害が発生しているワケで壁紙の張り替え等の費用は上階の方が持つパターンも多いらしく。
うちは一階なので、そういった問題は少ないのかな?と思われますが、水漏れに気付かないままというのも有り得そうです。
ちなみに新しめのマンションですと、そういった対策も含めて配管は床下でなく天井上なのが多いとか。(上水だけかと思われますが)

ともかく、今回の水漏れの件、早く安く片付いてほしいです。
そうでないと、向かいの部屋の買い手も見つからないでしょうし。この状況で見学に来る方は諦めるか大きな値切りに入るかと思われます。