西城秀樹さんの思い出

昨夜、西城秀樹さんが亡くなられたそうです。
十年以上前に脳梗塞で倒れられたと聴いていて、その後テレビでお見掛けする姿が少なかった気がしますが、自分自身が高校時代からテレビをあまり見なくなっているので、出演の機会自体はそれなりにあったのかも知れません。
最後に生放送でお見掛けしたのは某国営放送の「のど自慢」だった記憶です。これすら十年くらい前だったかもしれません。
このとき、素人が歌った「傷だらけのローラ」はかなり上手だったものの、審査員の西城さんは「もっとオーバーアクション」をとの指導をされていた記憶です。

西城さんのデビューというか存在を知ったのは自分が小学校に上がるくらいの頃だった記憶です。当時の西城さんの歌というか演技というかは派手過ぎて自分にはついていけなかった感です。
ただ、ドラマ「寺内貫太郎一家」は楽しみで、夕方の再放送を笑いながら見たものでした。

小学校の高学年の頃に流行ったYMCAは、体育の授業か何かでも踊らされた記憶があります。老若男女誰でも知っていた歌、誰でも謳えて一緒に踊れて。そんな時代はここまでだったかなぁと後から思い出したりしています。
この時代になるとニューミュージック系の方々が続々と登場し始めて、自分もそちらの方が気になっていました。世良公則さんや原田真二さん等です。あとは、担任の先生も好きだった「さだまさし」さん等のフォーク系も。

その頃くらいに観た映画がずっと気になっていました。日曜の夕方頃に放映されていた作品は途中から観たのですが、一文無しの身寄りの無いらしきお婆ちゃんが可哀そうで、冷たい対応の家族達と大喧嘩した青年(西城秀樹)が「こんなところ一緒に出て行こう!」とお婆ちゃんを連れて旅立つ結末でした。
しかし、痛快だったのは、大きな土地を処分したお婆ちゃんは数億円資産を持つ大金持ちだったというオチで。
どうやら、お婆ちゃんはお金目当てでは無い信頼できる人を探していた様子でした。隠し持っていた資産を最後の最後で打ち明けられた青年はビックリし、ニコニコのお婆ちゃんはそれさえも楽しんでいるようで。

かなりうろ覚えですが、ラストはこんな会話だったような。
 お婆ちゃん:あなたお金預けたいの(Vサインしながら)
 青年:二万円?
 お婆ちゃん:もっともっと
 青年:二十万?
 お婆ちゃん:もっともっと
 青年:え?

今日、西城さんの訃報でその謎の作品が何だったのか検索したところ、すぐに分かりました。「おれの行く道」という作品で、リンク先であらすじも判明しました。あの冷たかった家族も当初は財産目当てでお婆ちゃんの奪い合い的な展開だった様子です。
また、主演は田中絹代さんだったそうで、昭和の大スターではありましたが既に高齢でほぼ最後の主演作となったそうです。そんな大事な作品に出演した西城さんですが、西城さん自身が登場する映画というのは実はかなり少なかったらしく(それも手伝って探しやすかったです)。
また、この作品はVHSビデオでは販売されていた模様ですが、その後DVD化はされていないらしく。もう観れる機会は無いのかなぁとか、出来れば追悼で放映してほしいなぁとか。素敵なB級映画だと思っていて。
余談ですが、日曜の夕方に日本テレビで時々放映されていた映画は名も知らぬB級なのばかりでしたが、タイミング良く見れる機会があると、どれも心にジーンと響くのが多かった記憶です。「初めての旅」という作品も途中からだったので、もう一度観てみたい一作です。輸入スポーツカーを盗んで旅した二人の青年の顛末でした。

今夜のニュースで西城秀樹さんの訃報も扱われました。デビュー当時から全盛期の元気に踊って歌う姿。自信満々元気モリモリ。そして身体を壊してからのリハビリ場面やバラエティー番組でのトーク等。この身体を壊してからのトークというのが声を出すだけでやっとな状況で。何処かに無理な力を入れないと発声出来ないような頑張り方でした。
それでも一時よりは随分マシになったそうなんです。芸能人によっては衰えた姿を隠してしまう方も実際居ると思うのですが、西城さんは障がいが残っても頑張っている自分をさらけ出す覚悟があったそうです。

西城さんの本当のカッコ良さを、今日になって知ったようでもあります。
ご冥福お祈りします。

気違い部落と子育てごっこ

タブーなタイトルの記事となりますが、実存した映画のタイトルでもあります。短いタイトルに危険な文字が二つも
「気違い部落」は、かれこれ二十年以上気になっている作品で未だ観れていません。タイトルが危険すぎるのもあってか、上映の機会やソフトの再販も難しいのかと思っています。
ただ、この二十年の間にWeb上では詳しい情報が溢れるようになりました。

あらすじを読む限り映画の前半は風刺的な要素がありますが、中盤辺りからは考えさせられる展開となっているようです。
そもそも、森繁久彌さんや伴淳三郎が関係する作品なので酷い駄作では無いと予想してはいました。
ちなみに、作中には気違いなど登場せず、旧来日本文化の山村での葛藤を描いたようなストーリーの様子です。個人的には地方だからとか田舎だからとかに限らず、古くから続く地域には都会であっても似たような現象があるかと思っています。
外部サイトとなりますが「大正生まれのブログ」さんの記事が作品のストーリーについて詳しいです。作品比較についても自分が知る他の作品が登場しているので察しやすくもありました。
四十年近く前に出版された手塚治虫さんの作品も現代でいう差別用語が多く、そのままでの再販が難しい部類もあるそうですが、作品の中身は虐めや差別を助長するようなモノでは無いハズなので、その辺は時代背景も含めてあまり敏感になるべきでは無いと個人的に思っております。
当時は実際に普通に使われていた表現ばかりなのですし、その注釈さえ入っていれば何ら問題無いかと。こんなのが進めば、使える言葉が減る一方で日本も英語的な単純でストレートな表現に溢れてしまうかも知れず。
片言英語しか使えない自分は、海外でのストレートな表現に拍子抜けして笑ってした場面も多く、相手からは何が可笑しいのか逆に尋ねられてしまったり。また、妥当な単語が浮かばなかった自分が別の単語を用いたところ、相手が驚いたりもありました。

いまでもいつか観てみたい作品に変わりない「気違い部落」について、原作者「きだみのる」氏はどんな人物だったのか調べたところ、変わり者だったようです。
この作品については実存した地域や、実存した人物名をそのまま用いていたらしく、作品公開後は関係者から相当な非難を浴びた様です。多かれ少なかれ着色もあったでしょうし。
自分も過去の出来事を綴る際、実名や着色についてはこれでもかなり気を遣っています。時として相手に対する批判も含まれていますし、事実を綴るにしてもなるべく大袈裟にならないようにしています。なので、出版物のような迫力やドラマティックな展開や面白味は少ないとも思います。まぁ少なくとも創作作品ではないので、これは仕方ないです。
そして、書きたくてもそのままでは角が立つため未だ公開できない思い出も抱えたままです。途中まで書いたものの、そのままゴミ箱なのは未だにあります。

話が戻ります。
原作者は若かりし頃に慶應義塾経由でパリにも留学経験があったそうですが、本作はその後八王子の山村生活時の実体験が基らしく、高齢になった晩年は幼い娘を連れての放浪生活だったそうで。
いったい、幾つの時に授かった子なのか引き算も面倒ですが、放浪生活でまともな教育を幼少期に受けられなかった娘は有名な邦画の主人公にもなっています。「子育てごっこ」です。

「子育てごっこ」については自分も子供の頃に幾度かテレビ放映を観ています。岩手の山奥で教職に就く夫婦に預けられた野生児的なストーリーだった記憶です。原作者「三好京三」氏の実体験に基づく映画だそうで。
預けられた少女も連れてきた老人も作中では嘘つきで、老人は嘗て学があった様子ですが現在は単なる老いぼれ。客観的な教育をロクに受けていない娘を秀才だと自慢するのですが、娘もこんな状況の年老いた父親の悪いコピーというか。
娘の登場場面はなかなかインパクトあったものの、その後のストーリーはほとんど忘れてしまいました。山村の分校の純朴な生徒達がなかなか良い奴らで、主人公は少しずつ健全な少女に変化していったような。
当時、この作品は社会現象的な注目も浴びていたそうです。別の作者になりますが、その後の「積み木崩し」とかに近いモノがあったのかも知れません。

子育てごっこでは、無責任な子育てや出鱈目な教育をしてきた元父「きだみのる」氏への非難的要素も含まれていたと思います。気違い部落で実名の方々に非難されたのとは別次元で。
子育てごっこの主人公だった少女を養子縁組で育てた夫婦は、ある面模範的で常識的で道徳的な人物として自分達を描いていました。養父の方はスパルタンな面があったものの、土台は深い愛情にあり、単にその場の怒りだけで幼女を攻撃するようなことは無く。しかし、赤ん坊の頃から育て上げた実の子では無い為、手探りな状況はあったようです。
そして、またしてもこの作品だけで話は終わりませんでした。

思春期を迎えた娘は一浪後に東京の大学に進学したものの、大学では一単位も取得せず遊び惚け、遂には養父への反逆が始まりました。
少女、養女、娘と文中で呼び名が変わってしまいましたが、ここからは娘で。
娘「広瀬千尋」氏は養父の性的虐待な暴露本で出版界にデビュー。抑圧的な生活下で娘を抑えきれると思っていたのか。
田舎の分校で無欲な生活を送っていたと思われた養父も実は地位や名誉に貪欲な文学賞狙いの男だったとか。実際、子育てごっこで直木賞を受賞し、その後は文筆業や教育評論家で生計を立てていたそうで。
その辺を検索してみると、文豪には必ずしも人格が必要無いという意見があったり、立派な実績はゴシップ記事にも勝るという意見もあるようです。
分かる気もしますが、山籠もりな生活でもしない限り世間の非難に耐えるのは普通の人に辛いかと思います。作者にはそうなるかも知れない覚悟が執筆時にどれだけ備わっていたものなのか。謎
ただ、自分が検索結果で知った内容も何処までが真実なのか分かりません。三者とも偏った実体験を基にした代表作が共通点。偏ったとは良し悪し抜きにサラリーマンといった一般的な社会人経験が乏しい作者と思われて。
勿論、偏っているから面白味もあるワケですし、エゴを貫いた結果がどうなるのか?といった究極の空間を読者は仮想的に経験出来たり期待していたりで。

無宗教な自分でも「因果応報」は多かれ少なかれ世の中にあると思っていますが、今回の記事は因果応報の四文字が三世代に渡って続いているようでもあり。
“Me too”という言葉が最近の流行のようで、陰で悪い行いを続けていた人の素性がバレてしまった際は関係者も含めた総叩きにあったりします。逆に目に付かぬところで人助けを続けていた人が窮地に陥った場合助けてもらえるかというと、そうでも無いよなぁと思える現代でもあったりするワケですけれど。
それでも困っている人が裏表無い善人であれば助けてあげたいものです。少しでも。

上記でこの記事を〆ようかと思ったのですが、どうにもしっくりせず。
数十分、文章の入力画面を放置した後に思い出して以下を綴ります。
課長島耕作の作家である弘兼憲史さんの劇画が自分は好きです。特に「人間交差点」とか。あれは痛みを知っている人しか描けない作品で。
作者は大手家電メーカーで働いていた経験があったそうで、世間の荒波に揉まれた実績が作風にも現れている感です。エゴとか人の醜い部分も含めて。
作者が学校という閉ざされた社会しか知らぬまま漫画家になったのでは描き切れなかった場面が多かったかと思います。
自分はその作品の一部しか存じていないものの、作者の綴ったエッセー「覚悟の法則」は入手してから四半世紀たった現在も読み返す機会があります。自分も過去に大手企業の本社で揉まれた機会があり、迷える日々に高層ビル内の本屋さんで出逢った作品でした。
特に「許される嘘」についてのくだりが印象に残っています。

月とキャベツと

流行歌に疎い自分でも、山崎まさよしさんの”One more time, One more chance”は当時からお気に入りでCDも持っていたりします。
主題歌が使われた映画”月とキャベツ”も良作とのことで、ずっと気になっていて。
あれから二十年も経った昨夜、Web経由で観てみたのですが、これは切ない。

【ストーリーは】
売れっ子バンドを解散しソロになった主人公は創作意欲も湧かない中、田舎へ引っ込んでキャベツ作りに暮れる日々。
そこへ謎の白い女の子が転がり込んできた夏。
主人公は追い払おうとするのですが、新曲を望む女の子は離れようとせず居候に成功。

喜怒哀楽が抜けた日々、少しずつ色彩が戻ってきた主人公。荷物置き場と化したピアノの蓋も久し振りに開けることに。
ダンサー志望の女の子は主人公の新曲で踊るのが夢で、少しずつカタチになってゆく曲をバックに踊ってみせたり。
新曲がカタチになり始めた頃、女の子の正体が主人公の親友(カメラマン)に知られてしまいます。

北海道の田舎で暮らす高校生の女の子は東京で予定される創作ダンスのコンクールに向けて大きな台風の中旅立ちました。
しかし、川沿いのバス停で土砂崩れに巻き込まれ、女の子は帰らぬ人へ。発見された亡骸のウォークマンからは主人公の嘗ての曲が流れ続け。
前年のコンクールを偶然撮影していたカメラマン、舞台裏の一枚の写真がキッカケで既にこの夏に女の子が他界していることを知り。

やる気を取り戻した主人公を支えてくれた女の子に、カメラマンは「ずっと奴の傍にいてほしい」と伝えるのですが、女の子は「もうすぐ夏休みが終わってしまうから」と。
新曲の完成まであと一歩の頃、女の子は主人公にかけがえのない存在になっていました。しかし、お礼の言葉を残しフワッと消えてしまい。
もう会えないのか。曲も詞も完成したある日、主人公は空に向かってハーモニカの音色で女の子を呼び戻そうと。
その晩、完成した曲を演奏していると、女の子はフワッと現れピアノの前で踊りが始まり。

要約が下手な自分ですが、結末も含めてこんなストーリーでした。
映画としての作りの甘さは隠せない部分が幾つかあったものの、伝えたい部分はしっかり伝わった佳作でした。

【自分の場合】
作品に登場したあの細くて白い女の子、自分の思い出の中にも近い存在が居ました。
容姿が似ているというより、雰囲気がです。妖精でした。

高校三年の春のこと、街から離れたいつものバスには同じ高校の制服を着た新顔もちらほら。
詰襟の男子もセーラー服の女子も皆小綺麗で、まだ幼さが残っていて。擦れた雰囲気の新顔は今年も一人もおらず一安心。
同じバスに何年も乗る自分は、新学期だというのにいつ洗濯したか分からない小汚い詰襟に寝不足なボサボサ頭に無精ひげ。最初からこうでは無かった。
丸暗記が苦手な三年生、解き慣れが必須な数学の教科書をいつも忍ばすおかしな奴。

そんな日々、時々目が合う女の子が居ました。見るからに童顔の真っ白な新入生。
場慣れしてだらしなくなった上級生がさぞや珍しい動物園の珍獣なのか、目が合えば逸らされるばかり。
部活に属していなかった自分が下級生と接触するのは通学のバスか、昼休みの階段くらいしかありませんでした。
そんな中、この白い子はすれ違う機会が何故か多く。

その年の文化祭で自分は少し目立たせてもらいました。
自分は学級委員のような立場を三年間続けていて、クラスのまとめ役な場面が多く。
成績が良かったワケでも無く、煙草もお酒も単車もたしなむ全く相応しくない立場でしたが、その役を決める場面は誰かによる勝手な推薦と一同の拍手で事収まる流れ。嫌がる本人に拒否権など無く。
学級委員といっても、一週間の時間割を大きな紙に描いて教室に貼るといった裏方作業ばかりで、イベントの予定では面倒な纏め役であったり。
役職特権みたいなのは当時から嫌いだったので、イベントの役割分担ではいつも余り物を拾っていました。

体育祭は運動音痴な自分に活躍の場が無かったですが、文化祭は毎年楽しみでした。
前年の二つの出し物も上手く行き。街中をパレードする仮装行列とステージ発表はどちらも満足の出来でしたが、受験を控えた今回は余り手を掛けないで行く流れでした。
手を掛け過ぎると衣装代で足が出てしまった例もあって、ともかくあり合わせのモノと知恵を有効利用しようと。
実際、予算は余ってしまったのですが、理系のクラスで僅かな人数の女の子達の衣装作りは毎度大変だったと思います。
仮装行列はインディアンを題材にし、みすぼらしさと勢いとノリで大当たりか大外れのどちらかしか狙えない内容。
よし行くぞよ。なんじ馬鹿になれ。

第三位からの結果発表で二位までに入れず、これは駄目だったかと半分沈んだところで一位は我がクラス。これはかなり嬉しかったです。皆またしてもインディアンの雄叫びで大騒ぎ。
この本番、先頭で段ボール製のトーテムポールの中に潜んだ自分は見守る観衆の中に子供を見付けると襲い掛かって喜んでいました。後方の皆も負けじと馬鹿騒ぎに大笑い。
いつもお世話になっていた本屋の女将さんに、イーヅカはこの中です!お借りしたリヤカーは後ろの馬車です!

そして、文化祭のもう一つのイベントがステージ発表。
音楽室から借りてきた沢山のギター、弾けそうな奴らを寄せ集めし、フロントに靴墨を塗った数人でシャネルズ(ラッツ・アンド・スター)バンドでした。
自分はラッパが吹けるということで、フロントラインに。目立てる役はこれが最初で最後でした。三年間のご褒美的な意味合いもあったかも知れません。
この一曲だけでは時間が余り過ぎてしまうので、最後は皆で肩を組みつつ「若者達」の合唱で。如何にも田舎の高校生らしく。

その時の笑顔の皆の写真が残っています。ぜんぜんカッコつけていなくて、生き生きとしていて。
自分は直前のラッパをしくじらなくて、ちょっとした安堵も入っていました。目立ちたがり屋な部分もあるのに、本番では力んでしまう不器用な奴で。
そして、明日からは大学に向けた受験勉強に励まなくてはいけないという哀愁も。
(あの時のステージ衣装は上出来なタキシードで、自分は欲しかったのですが本番後の楽屋で紛失してしまい。必死に探したところ製作してくれたクラスの子に奪われてしまったそうで。二千円で買うと取引を持ち掛けても認められず。大体、あんな汗臭いの恥ずかしく)

文化祭のステージで目立ってしまうと、後日は後輩からファンレターのようなモノを頂いてしまったりです。
これは自分に限らずですが、自分も頂いたりしてしまいました。時として集団でやってくることも。
普段の自分はステージの上のヒーローではなく、年中馬鹿な事ばかり企てている駄目な奴で。白馬の王子ではなく、ロバを引っ張るドン・キホーテ。
自分は卒業したらこの北海道から離れる予定でしたし、恋愛はその先と決めていました。
だいたい、アルバイトばかりしていた自分の成績は既に下の領域で、如何に効率良くあと数ヵ月で巻き返すかが重要課題。他の幾つも捨てなければ。
これを乗り越えなければ先が無く。それ以外の選択肢は考えられなく。

北海道の夏は八月末の文化祭と共にサッと去ってしまいます。夏は昨日までだよと。本州出身の自分としては、残酷過ぎる夏の終わりです。
親しかった友人達とは、いつも昼休みを図書室で過ごしていました。それまでは「こんな変な本があったゼ!」とか好奇心旺盛な仲間でしたが、受験勉強が始まると、そこで過去問を解くばかりのつまらない集団になりかけ。
時折やってくる女の子達には気付かぬフリをしていました。しかし、中には積極的な女性も居ました。合格祈願のお守りを頂いてしまったことも。
そのずっと後ろに、例の白い女の子も。
積極的なのは一学年下で、二学年下の白い子は心配そうに見つめている様子。
どうしてここに?

あの秋から数ヵ月、誰しも不安の中で孤独と戦っていました。
新年からは自宅学習期間で学校に通う必要もなく。時々様子見に伺っても、僅かな生徒だけの教室は夏が終わるまでのあの頃とは別の空気で、寒い自宅で布団に包まりながら問題集を解く方がまだ居心地良く。

希望の大学から合格通知を頂いた自分は、サッサとこの寒い土地から離れたい一心でした。本州の中心で、沢山の刺激が待っているに違いなく。大体、北海道での自分は出来ることなどとっくにやり尽くしていました。
そして、北海道の春先というのは寒さは和らぐものの、雪解けの始まった道路はドロドロで純白の雪とは程遠く美しくなく。
親しかった友人の何人かは浪人となり、特に文化祭で頑張ってくれた友人には申し訳なくて。自分が馬鹿色に染めてしまった夏が落としてしまったかもと懺悔の念。
みんな受かってほしかった。

高校の卒業式は初めてのパーマヘアーが大失敗で、そそくさと去った記憶程度です。皆、もうこの環境に飽き飽きしていたとも思えます。
最後にひと暴れしようか?と仲間内で話し合いもありましたが、最後くらい穏やかに過ごそうとなり、お通夜のような卒業式でした。
「沢山の素敵な思い出をありがとう」だけでした。一緒に馬鹿をやってくれた同期にも、校則違反を知りながらも見守っていてくれた大人達にも。

最後の文化祭は相当な盛り上がりで、特に三年生のレベルはどのクラスも大したものでした。それに感激した新入生は地元の新聞に投稿が採用されたりしたそうで。
当時ギリギリで学区内トップの成績だった母校は、現在ライバル校に相当な差を付けられてしまったそうで、これはちと残念です。何よりもあの仮装行列も後夜祭のウイットに富んだ挑戦状も既に失われたらしく。それでケジメはつくのか。
自分のクラスは浪人を含めると過半数以上が国公立大に進み、歴代でも一番優秀だったそうです。

それと、卒業式の夜は地元の居酒屋が同期の各クラス単位で何処も貸し切り状況でした。
おおらかな時代です。羽目を外す範囲も皆さんわきまえていたと思えて、特に事故も無く大人達は見守ってくれていた様子でした。
今の時代は何もかも無駄に厳し過ぎとも思う自分です。ハタチに突然大人になれるワケなんて無くて。

東京に出た自分は九月の終わり頃に初めての彼女と出逢っていました。
時はバブルど真ん中な時代、お金も地位もコネも無い自分と付き合ってくれた女性に日々感謝しつつ。
昼間の仕事と夜の大学で平日が終わる日々でした。平日といっても当時は土曜も平日です。
彼女と会えるのは日曜日か祭日だけで、デートもお金の掛からない公園ばかり。
彼女は以前の彼氏にドライブに連れて行ってもらえたり、話題のスポットに連れて行ってもらえたりだったそう。
彼女のお姉さんは彼氏との週末でゴルフやビーチを楽しんでいたり。
自分はそんなの無理でしたし、ささやかなサプライズを用意するくらいで。

毎度申し訳ないなぁと思いつつの十月のデートは既に幾度目かの上野公園。この辺りは食事も安くて美味しくて。
美術館を巡った後、夕暮れ時の公園で見覚えのある制服達が。セーラー服の肩には鶴の刺繍。こんなの自分の母校しか観たことが無く。
「〇〇高校の生徒ですか?」と咄嗟に聴いてしまいました。
「はい」と。

修学旅行で東京に寄っているらしく、彼女の手を引っ張り集合場所の大きなレストランに走りました。二年前に自分も利用した場所です。
集合場所では懐かしい先生達も。自分は元気にやってますよと挨拶し。
隣の彼女は突拍子もない出来事に困惑していた様子でした。

集合場所を離れようとしたところ、二人組の女の子が駆け寄ってきました。
腕を引っ張られる女の子は、あの白い子。
「先輩。。」と頼りなさ気な声に涙ぐむ瞳。

何じゃそりゃ!こんな酷いドラマ許されるワケなく。

自分は気付くのが極端に遅い出来事が時々あるんです。
やっと理解しました。しかし、何故にこの最悪なシチュエーションで。
気付かぬフリして、彼女の手を引いてその場を去りました。
これは残酷過ぎる場面でした。さっきまで、今日はタイミング良い日だと思っていたのに。

その翌年の夏は、入手した250㏄の単車で北海道に帰省しました。
益々古ぼけた高校の校舎へ挨拶に。
三年間自分を担当した先生と再会し、痩せ過ぎた自分が心配だと返されてしまい。
でも、元気でなければ単車でこんな長距離走れませんし。実際、元気でしたし。いつも腹ペコだったけど。

数学の教員室でお別れし、階段を下りる途中で腕を引っ張られる女の子が。
「イーヅカ先輩!」

三年生になった白い子は、清純派アイドルのような綺麗な女性に変わっていました。
あんなに大きな声では、聴こえないフリも無理はありました。
しかし、無理なんだとも伝えられず、振り返りもせず。

昨年の彼女とはとっくに別れていて、独り身ではありました。
進学にしても就職にしても、自分の高校から東京に出てくるのは極僅かで。その極僅かなのも男子だけでした。
当時まだ若年者な自分でも、幸せは近くにあるに限るとも思っていて。
高校の同級生の中には東京で暮らす自分は派手な生活をしていると誤解もあったようです。しかし、実際は生活費と学費だけで精一杯だと気付き、大学時代に付き合った彼女は短い期間のその一人だけでした。

更にその翌年の夏、帰省した際に母から聞いたのですが、知らぬ名の女性から暫く前に電話があったそうです。
「〇〇さんっていう女性からケースケに電話があったのよ。この夏は帰省するのかって聴かれたの」と。
母はどうして直ぐに自分に連絡してくれなかったのか。そして、どうして自分の連絡先をあの子は聴かなかったのか。あと一歩だったかも知れないのに。
自分は毎度予告もせずに突然帰省して実家を驚かせていたので、母も答えようが無かったようです。これも確かに自分のせいですし、やはり誰も責められず。
あの白い子しか思い浮かばず、高校はもう卒業した年齢だったでしょうし、もう会うキッカケは残されず。
(その苗字についてはこうだったかな?と何となく覚えてはいるのですが、自信なく)

偶然な場面もありましたが、あんなに酷い素振りをしてしまった自分が未だ許せずです。
もう少し、気の利いた対応が出来なかったものなのかと。でも、思わせぶりを残しては一番美しかった時代に更に辛く長い時間を費やさせてしまったかも知れず、これで良かったとも。
互いにケジメの無かった中で時々、白い子のことを思い出しています。昨夜観た映画でも思い出してしまった次第で。
あんな引っ込み思案そうな子が、よく勇気を振り絞ってくれたなぁと。
「勇気」のほとんどは「言う気」だと何かで読んでいて。

北海道へ帰省する機会が社会人になってからの自分は減る一方でした。
ただ、帰省する機会があれば、何処かにあの子は隠れていないのかなぁと思い返したり。あの唄の歌詞に近く。
会えたところで自分も何を言えるのか分からないですが、お詫びの一言くらいは伝えたかった。
既に十年以上自分は北海道に戻る機会も無く。一度も。
封印未満の過去の土地。

漱石の三四郎でも終盤辺りに似たような場面がありました。
大昔の戦争の出陣式、隊列を見守る群衆の中に白い女性が居て。会えたのはその一度きりなのに。
ずっと歳を重ねてしまった先生、風邪をこじらせた夢枕にその女性が現れたそうで。
こんな感覚は誰しもあるものなのか?(未だ独り身というのも理由なのか)

大学時代に友人から紹介された本で当時流行り始めていた心理学の素人向けなのがありました。
お酒の席での話題作りとかには重宝するネタが満載で。その中で「人のイメージ色」みたいなのがありました。
うろ覚えですが、黄色いイメージの人は「面白い人」、白いイメージの人は「尊い人」。
これは案外、当たっていたのかも知れません。

名も知らぬあの白い女の子、きっと今頃は何処かで目の前の幸せと一緒に暮らしていることだと思います。勝手な想像ですが、子供さんは当時の自分達くらいの年齢で。
あの子の白い夏はいま、どんな思い出なんだろう。


何となくイントロだけ耳からコピーしてみました。

放送大学

例年、春と秋の季節になると気になる行事の一つが放送大学の入学です。
一応自分も大学を出てはいますが、卒業するまでの単位を効率的に取得することしか当時考えておらず。現役で入学したのもあって効率よく卒業出来て。右から情報を入れて、試験が終われば左から出すの繰り返しで。
働きながらの通学だったので、時間もお金も余裕が実際に無かったので仕方ないとも思えましたが、それにしても勿体ない過ごし方をしてしまったなぁと。
純粋な講義内容よりは、講師の脱線した話題の方が記憶に残っている実情です。
そんな引っ掛かりがあり、機会があればもう一度大学に通ってみたいなぁと時々思っていました。

大学に入るまで、自分は電気方面が合っていると何となく思っていました。当時趣味だった電子工作やアマチュア無線の延長でもあるなぁと。
物理の科目の中でも、電気については元々知識があったので点数を取りやすく。
しかし、大学に入ってから「いいなぁ」と興味を覚えたのは建築学方面でした。特に、仕事で建築学科の研究室を訪れると自由な設計の模型が沢山飾られていて。「こんなの他で観たことないなぁ」と毎度感心していて。
自分の受験生時代、理系の中では電気や電子方面の偏差値が高く、建築や土木の偏差値は低く、そんなつまらない点ばかり気にしていて。

放送大学で建築の資格まで取れたらなぁと時々思っていましたが、それは無理な様です。
しかし、たまにテレビでチャンネルを放送大学に合わすと、全く興味なかった分野であってもこれがナカナカ面白く。
講師によっては原稿を棒読みするだけの見栄えの悪い下手なアナウンサー的な方も居るのですが、それでも言っている内容自体はけっこう面白く。
どうせだったら入学してしまうか?と衝動に駆られることも。

そんな放送大学で、数年前にちょっとした話題がありました。
Twitterで「放送大学なんて本当の大学じゃない」と見下した記事を綴った何処かの大学の教授が居たのですが、「本当の大学の定義ってなんですか?」と質問してきた方が居て。
更に「そんなことも分からないの?」と見下す回答。質問した方の次の言葉は「私は学長です」。
噛みついた相手は放送大学の学長さんでした。その学長さんは東京大学の名誉教授でもありました。
最初に記事を綴った本人は、そのまま消えたようです。水戸黄門に通じる時代劇感というか。
当時、ネット上で話題にもなりましたが、今年の秋頃にその教授はまた何かやらかして、大学をクビになったそうで。

実際、社会人になってから「この人凄いなぁ」と思えた方は、大学を通信で卒業された方とか何人も観てきました。
子供の頃に観て感銘を受けた映画に「終身犯」というのがありました。残りの人生を独房で過ごすことが決まった男、ある日小さな窓に訪れた弱りきった小鳥の看病から、人生が変わってしまうストーリーでした(うろ覚え入っています)。
その後一度も観る機会が無く、チャンスを伺っている作品です。小鳥の看病から鳥の生態に興味を抱き、独房の中は途中から鳥だらけ。しかし、鳥の伝染病で困難が訪れたり。最終的にはその道の権威になるストーリーだった記憶です。
学ぶ場が何処であれ、探求心に勝るものは無さそうで。

朝からイルカの日

国内の何処かで飼われていたイルカが逃げ出したとのニュースが。

そういえば、昔観た「イルカの日」は泣けたなぁと検索。
小学校の低学年くらいの頃に観たのかな。「野生のミジー」と共に子供の頃に泣けた代表作でした。(野生のミジーは海外サイトからDVDを入手しました)
当時はチャップリンの「サーカス」でも泣けていたので、泣き虫だったのかもしれません。(サーカスのテント撤収後に一人ポツンと取り残されるチャップリンが可愛そうで)

イルカの日はamazonのプライムビデオに登録が無く、他のサイトで低画質ながら何とか観れました。
主人公はこんなに年寄りだったかとか、色々忘れていた部分がありました。
やはり、最後は潤みましたよ。純粋無垢なイルカ達。

忘れかけていた好きな映画、他にもまだありそうです。次は何をキッカケに思い出すかな。

Fire TV Stick

20161118a

一年前に入手したAmazonのFire TV Stickにお世話になるこの頃です。
Prime会員ですと、かなりの数の映画が無料で観れます。観たい映画の何割かは有料ですが、それでも無料の数が半端なく。
ただ、Stickモデルは熱暴走か何かの関係で時々妙なブザー音が出ます。出ないときは出ませんが、出だすと頻繁だったりです。
まぁ、自分は発売当初のセールで二千円での入手でしたし、無料のしか観ていないので、あまり気になりません。

ここのところ時間に余裕があるので、気になっていた作品を色々と物色していました。
欲しい作品はレンタルではなく、DVD等のメディアを購入する派でした。しかし、過去に観て良かったものばかりを選んでいました。(TV放映で途中から見て、気になっていた作品も多いです)
ともかく、ハズレを引くのが嫌だし、何度でも観たい作品であれば購入していました。
ただ、メディアの世代が変わったときが悲しいです。VHSやレーザーディスク等で揃えた方は、ソフトは残っていてもハードが壊れたらオシマイで。

自宅近くにレンタルビデオ店が無い環境が十数年続いていて、それも借りない理由の一つだったかも知れません。
数年前から月額性のネットサービスもありますが、映画を観ない期間が数ヶ月もあるので、自分には向かないかと。

そんな中、最近Fire TV Stickで観た作品を幾つか。

【仁義なき戦い】シリーズ。
Jazz系の雑誌のコラムで、昔の学生がハマった映画の話題等で時々登場した作品でした(網走番外地だったかも)。自分の学生時代から興味ある作品でしたが、観る機会が無く、どんなストーリーなのか謎のままでした。
実際観たところ、なかなか面白かったです。しかし、登場人物が多いわりに脇役クラスは短時間で消されてしまう展開で、一度観ただけでは消化しきれない内容でもありました。
元々の事象を存じている方にはすんなり入る作品なのでしょうか。

【松田優作】系
「暴力教室」「蘇える金狼」「野獣死すべし」の三作品を順番に観ました。
「暴力教室」はGパン刑事を彷彿させる流れでした。先の読める単純なストーリーかと思っていたら、それなりのドンデン返しも待っていていたり。
舘ひろしさんの若かりし頃がなかなか新鮮でもありました。最近TV放映された夏目漱石さんのドラマではお爺さん役にまでなっていて。
「蘇える金狼」「野獣死すべし」は立て続けに観てしまい、どちらもハードボイルドでアバンギャルドな路線だったので、各場面がどっちの作品だったかごちゃ混ぜ気味です。
ティーンの頃に観ても理解できない場面が多かったと思います。まぁ、ぶっ飛んだ作品でした。

【東京物語】
学生時代からずっと気になっていた小津作品の代表格でした。町歩きでも時々話題になった古い東京な作品。
戦後数年経った東京の風景、ここは何処だろう?と思わせる場面が多く。
一般家庭には固定電話も普及しきっていなかったり、急な要件は電報を利用したり。
東海道新幹線の開通前なので、広島東京間の移動は二日間必要だったり。
寝床は煎餅布団が基本だったり。集合住宅のお隣さんから一升瓶を借りたり。

そんな社会の変化とは裏腹に、普遍的な家族の在り方が淡々と。
広島の尾道から上京してきた年老いた両親を東京で暮らす子供達がたらい回しにする展開、なかなか考えさせられました。
一番親切に対応したのは今は亡き息子のお嫁さん。要は赤の他人。
この未亡人がとても綺麗な原節子さん。

伝説の女優として気になっていた原節子さんの演技、ちゃんと観たのは初めてでした。
作品自体、大袈裟な演技を誰にも要求していない様子で、原節子さんも控えめな存在でした。
観ようによっては大根役者なのかも知れませんが、作品の中ではバランス取れていると思えました。
上っ面の良い綺麗ごとばかり並べる女性ではなく、たまには冗談も言えたり、従妹の不満に適切な答えを出せたり、いつも明るいのに本音の弱さを最後に出せたり。素敵な女性でした。
お爺さん役の笠智衆さんは終始穏やかで、こんな年寄りに自分もなりたいなぁと。

原節子さんは昨年、95歳で亡くなられるまで公の場から半世紀遠ざかっていたようです。
四十代前半での引退、誰もの記憶は綺麗な姿のままだったんだろうなぁと。
作品中の「私は歳を取らないから」といった冗談や、「私も歳を重ねたら身勝手な人になるハズ」のような台詞は、そうなる前の引退を暗示していたのかなぁと勝手な深読みが入ってしまいました。
他の作品も観てみたいです。

AmazonのPrime会員でしたら入手しておくべきとも思えるFire TV Stick、セールでまた安くなると良いですネ。

一人暮らし

一人暮らしを始めたばかりの頃。
兄弟と一緒じゃ恥ずかしくて観れなかった深夜のB級映画、週末はそんな思い出が多く。

新聞のテレビ欄に誘われ、タイトルと中身が食い違った作品もあれば、偶然知った作品に釘付けになったり。
偶然知ったのは、たいてい途中から何となく見始めた作品ばかりでした。
最初から観ていなくて、ずっと気になっている作品が幾つか残っていて。

数年ぶりに検索したところ、やっと一本分かりました。
古尾谷雅人さんと渡辺徹さんが出演した劇画系ドラマというか。
自分が観たのは再放送だったようです。時はバブル真っ盛りだったものの、この感覚は忘れちゃいけないよなぁと。

タイトルは「シェイクハンド」でした。(あらすじはリンク先に載っています)
深夜のプラットホーム、妙に青白い蛍光灯の下、二人のベンチの前を通り過ぎる新幹線が何本も。
二人の会話は聞き取れないものの、印象的な結末でした。
もう一度観てみたいドラマの一本です。