同じ暖簾

自宅近辺でかなり美味しかったラーメン屋さんが変わってしまいました。
暖簾もメニューも同じなのですが、お店を賄っていたご夫婦が引退してしまったようです。
とても小さなお店、新しい二人が恐らく同じ食材を使っているものの、メニューも同じなものの別の味でした。

つけ麺が特に素晴らしかったんですよ。元々は。
つけ麺って、食べ始めと食べ終わりでスープが随分変わってしまうモノだと思っているのですが、ここのはそれがほとんど変化無くて。
どういう作り方だったのか分かりませんが、最初から最後まで全部美味しくて。
盛りも丁寧で、麺は見た目も触感も最後までツルツル。

多分、ご夫婦で営まれていたのだと思います。
辞めてしまうのなら、一声かけてほしかったなぁと。自分から世間話でもするべきだったのかなぁ。
営業時間はどんどん短くなっていましたが、お客さんは皆美味しく頂いていたと思うんです。

同じ暖簾なので、あと数回くらいは伺うつもりです。
ラーメンに愛情を込めてほしい新しい二人、頑張ってほしいです。

Azymuth:Brazilian soul

少し前から気になっていたアルバムをYoutube経由で視聴してみたところ、案外いい感じでした。
Azymuthのアルバムは廃盤なのが多く、これもその一枚でした。廃盤になるとWeb市場ではとんでもない値段になることも多く。

何故にまたYoutube経由で聴いているかというと、AmazonのFireTVでもアプリを入れればAppleTVのようにiPadやMacの画面や音声を飛ばせる機能(AirPlay)が実現出来るそうで、それを試したついででした。
FireTV上のAirReceiverという三百円の有料アプリを使用した感じは悪くないです。
これ、以前に使っていたオリジナルのAppleTVより値段含めて良いかもしれません。FireTVは発売当初のセールで二千円程度で入手した物でしたし。
AppleTVは一般的な日本人に無縁なスポーツなコンテンツとかばかりで、文化の違いを大いに感じたり。あれを使いこなしている日本人はどれだけいるのやら。

また、Youtube経由の音質は全く期待していなかったのですが、これも悪く無く。妙な偏見が自分にはあったようです。自宅のオーディオ環境で聴いてみたのは今回が初めてか。
しかし、これでは確かにCDが売れなくなるよなぁ。
大昔のエアチェックのようにFM番組で流れた楽曲をカセットテープに落としてノイズ混じりのを聴くのとは大違いで。
聴いてみて良かったら自腹で買う主義ですし、いつか買ってあげたい一枚です。

Android 8.0

一昨年の秋口から利用していたAndoroid端末で何の気なしにOSのアップデートをかけたところ、メジャーアップデートだったらしく。
8.0というバージョンになったのですが、一部のアプリが重くなったりバッテリーの減りが早まったり。

どんなOSにしても、メジャーバージョンアップをかけてしまうと古いバージョンの設定類が上手く引き継がれなかったりで不具合が多かった感です。WindowsもMacもLinuc(Debian)もそうでした。
色々な不具合の多くは、その後のクリーンインストールであっさり片付いたものでした。
そんなワケで、本日はスマホの初期化。

その後、最低限必要なアプリを幾つか入れて、大雑把に再設定。
動作はかなり軽くなりました。一部のアプリ(Facebook)はやはり重いままでしたので、これはアプリ側の問題かもしれません。
ほとんど使っていなかった余計なアプリも一気に消えたので、見た目もスッキリしました。

そのFacebookについては、しばらく前まで半年ほど休眠状況の自分でした。
再開してみたものの、やはり面白みに欠けるというか。新鮮味に欠けるというか。
SNS系はもう二十年以上経験しています。どのSNSも末期はそんな感じでした。結果的にアクセスする人も減り続けるパターンです。
そんな中でもFacebookは健闘している方だとは思います。Facebookが初めてのSNSという方も周りにはけっこう居そうですし。
しかし、仕事もプライベートも合体してしまう仕組みに自分は慣れ切れず。参加してからの数年間は実名で無くても構わなかったので、けっこう好き勝手なことが綴れたものでした。
次のメインストリームはどれになるんだろう?等と少し期待しつつ、新しいのはなかなか登場しないここ数年です。

登場当初に不思議だったTwitterは意外に使い勝手良かったりで。五七五じゃあるまいし、こんな文字数制限で誰が使うんだろう?と当初思っていました。
しかし、何処の誰だか分からないけれど貴重な情報を載せてくださる方はけっこう多く。ラーメン二郎のことしか綴らない方や、立ち食い蕎麦のことしか綴らない方とか、凄いポリシーを感じたりです。

話が逸れました。
久し振りにスマホの再設定をしてみて、設定も楽になったもんだなぁと思ったりでした。
最低限のアカウントを設定すれば、あとは数珠繋ぎで設定省略とか。それでいて、セキュリティも進化していて。
とりあえず、バッテリーの持ちが復活していることに期待します。

閉店情報

キッチン南海の閉店情報がしばらく前からTwitterで流れていました。
神田時代にお世話になった何人かは閉店を惜しみ、久し振りに来店していた様子でした。
自分も以前に伺ったことがありましたが、常連になるほどの何かは無かった感です。

今日になって某ニュース記事で閉店の噂はデマだったとの情報が。
ちゃんと店員さんに確認したらしい記事なので恐らくこの記事は本当なのかと思いますが、実際のところまだ分からんです。

自宅から近い金町の「そばっ子」さんも閉店情報が昨年から飛び交っていました。二月いっぱいで閉店ですが、現在の店舗近くで再開予定と店員さんから最近聞いています。
最終的にどうなるか謎ですが、変な噂流す人は店員さんにちゃんと聞いてからの方が良いかと思います。

Azymuth – Jazz Carnival

スマートスピーカーの導入後、Azymuthを聴く機会が増えています。
Azymuthを知ったきっかけは当時の80年代のFM番組のオープニングとエンディングで流れていた綺麗な曲からでした。
当時はインターネットなど無く、調べる手段は限られていて。
音楽の趣味が自分と合っていたイトコに何の気なしに聴いたところ「それはアジムスだよ」と。

あれ以来、気にしていたものの、所有しているアルバムは僅か三枚程度です。
もっと他の曲も聴いてみたいのですが、ジャケットが独特過ぎるデザインというか、大ハズレの危険が高そうで。
ブラジルのフュージョンバンド、見た目では計り知れない何かも潜んでいて。

amazonのechoを導入してからはプライム会員の特典で、そんな謎の曲を色々聴けています。
謎の曲の中で気になったのは、全盛期のBlue Noteレーベルより癖のあるジャケットだったりでした。

Azymuthの記事を綴るのは既に何回目かも知れません。十数年続けているBlogですと、いよいよワケ分からなくなってきました。
例えば、この曲とか映像とかにグッときたり。

そんな得体の知れぬバンドでもインターネットのお陰で少しは動向も判明して。
数年前にバンマスのキーボーディストが他界されたそうで。十分に高齢な三人組は解散と思いきや、新たなメンバーを入れて続行中らしく。
今夜ちょっと検索したところ、ここ数年のLive映像に触れられました。
代表曲の演奏はイマイチでしたが、使っている機材にニンマリでして。
キーボーディストの鍵盤が、どれも自分の所有していたモノとほぼ一緒でした。
コルグのKRONOSも小さな鍵盤のボコーダーも、嘗て所有していたRhodesピアノも。
小さな鍵盤は自分でも弾きにくいのですが、このライブでも実に弾きにくそうでリズムを外しているというか。
見た目に反して、音は存在感あるのですけれど。

IT化しなくてもやってゆける会社とか

最近考えていたことのメモな記事になります。
特定の団体を非難するワケではありません。

例えば、バブルが弾けた後の証券業界の営業の例です。
株価低迷が何時まで続くかなんて、当時は見えなかったでしょうし、それでも営業さんは株券を販売せねばなりませんでした。
特に危険な経営状況の上場企業の株券なんかを。
ともかく販売せねば上から叩かれるばかり。
会社ぐるみで大口さんには損失補填を強いられていたようですし。

古い世代の人は銀行で働いているといえば、かなりの信頼性を持ったようです。
しかし、現状はメガバンククラスでも金利による儲けが望めず、計算力の乏しくなったお年寄りに危ない商品を販売しているようです。
行員さんにはノルマがあったりで、危険な商品でも販売せねば上から叩かれるばかり。

そんな仕事は自分に不向きですし、それでも仕事を続けられている人はある面偉いと思います。
しかし、そんな仕事にしがみ付いていたところでリストラは続くでしょうし、続けること自体リスキーではないか?と思っています。
他でもやって行ける能力があるなら、早めに転職した方が良いのでは?と。
何よりも、関わった人を不幸にするばかりで。

自分は昭和の終わり頃から半社会人でして、当時の仕事の進め方も経験しています。
IT化という言葉もまだ無かった時代で、電算化とか言われていました。
職場にはようやく日本語ワープロ専用機が導入された時期でした。
当時はパソコンがようやく普及され始めた時代でしたが高根の花で、一太郎やロータスが入り始めたのはかなり後だった記憶です。
要はアナログな帳簿管理とか文章管理の時代でした。
五年毎に古い文章は倉庫に移動とか、それでも年功序列な組織は退職者も少なく、各担当者の記憶を頼りに古い案件の引っ張り出しは問題ありませんでした。
各部門で十年選手何て何人も居ましたし、一人が一時的に欠けてもリカバリー出来る体制は整っていました。
大体は課長や主任が嘗て経験した業務でしたし、上司が上手くリカバリー出来て普通で。
なので、現代の組織であっても業務フローや体制が整っているのであれば、電算化やIT化は必ずしも必要と思っていません。
電話とFAXと紙とボールペンだけで何とかなるのかも知れません。電卓くらいはあった方が良いかもしれませんが。

IT化のメリットは、上記の高速化とか担当者に寄っての品質差を無くすとか、紙を減らしてスペース効率を上げるとか辺りでしょうか。
他にも、過去の案件を紐付けしたり、台帳の並び順を一瞬に変えて別の視点から物事を判断したりとかのメリットはありそうです。
これは人間業では不可能な芸当で。

そんな前置きで、困った組織の例です。本題はここからです。
IT化は中途半端に進んでいるものの、運用が伴っておらず情報の紐がスパゲティ状況なパターンです。何となく出来上がってしまった例というか。
業務も総務も営業も技術も担当者の入れ替わりが激しく、各担当者の記憶頼りで進むハズの業務フローも機能せず。
見積もりから請求までの一連の流れも毎度途中でふん詰まり状況で、無駄に時間が掛かり。古くから取引のあるお客さんの指定伝票を誰も知らなかったり。
お客さんからの問い合わせに対しても、根拠になる古い資料が書庫の何処にあるのかファイルサーバーの何処にあるのかも見当付かず。

IT化が上手く行っている会社は、例えばグループウエアの導入時に現状の業務フローをしっかり残すものです。
グループウエアはカスタマイズも色々可能ですが、なるべくなら標準機能に合わせた方が導入時のコストも抑えられますし「曖昧だった点は今後グループウエアに合わせる」みたいな妥協も必要で。
そして、入力の二度手間を省くのも重要で。グループウエアを導入するからには「これまであったこの作業をグループウエアのこの機能に置き換える」とか「機能を一つ増やすならこれまでの何かを二つ減らす」くらいのスタンスで無いと、二度手間のリスクは避けられず。これが守られないと、無駄な業務が増えるだけともなりかねず。
何よりも、この時点で業務フローが「見える化」出来るメリットがあります。(まともな企業ならグループウエアの導入に関わらず業務フローが残っているものですが)
業務フローが残っていれば第三者にも新入社員にも説明しやすいメリットが生まれます。説明する側もされる側にもメリットで。
グループウエアを導入しても、当初は入力作業ばかりで恩恵はほとんどありません。しかし、一年も経つ頃には素晴らしい紐付けが花咲き始めたりです。過去に販売した製品の対応履歴や、各担当との対応履歴等々が一瞬で確認出来て。
自分はその辺のシステム設計に25年くらい前から関わっています。当時はイントラネットとかいう言葉を使っていて、稟議書や通達といった文書は全てペーパーレスにする社内改革でした。
導入後も困った点が色々あって、その都度考えたものでした。例えば、購入稟議に必要だった商品のカタログをどうやって添付するか?とか。その為に全国の事業所にスキャナーを置くべきか?とか。(結果的に添付書類は無くす大胆な決定になりました)

話が戻ります。
何となく出来上がってしまった困った組織の例ですと、運が悪いと部門間の責任の擦り付け合いが生まれます。「それはこっちの仕事じゃない」とか「そんなの聞いてない」とかオゾマシいやり取りです。
アナログなやり方にしても、IT化が上手く行った例にしても、まともだったら一時間で片付く作業が半日経っても片付かないとか。
そして、慣れる前に人が入れ替わり、負の連鎖が続く中で社員どころか顧客も離れ、売り上げも落ち、協力会社に責任を擦り付けはじめたりとか。
赤字になった案件はトップダウンで協力会社への支払いを拒否し、板挟みになった経理担当はトップの居ない夕刻に嘆き。どうにも不幸を生むばかり。
こんなの誰も関わりたくないですよネ?

昭和の経営者とか

自分の学生時代の大半は昭和時代で、ハタチの大学二年次に昭和が終わっています。
昭和時代と書くと何だか違和感覚えますが、もうしばらくして平成時代なんてのも現代ではなくなってしまうワケで。
その昭和時代の終わり頃から自分は働いていて、当時の職場にて定年退職して再雇用された世代は戦争経験者でした。
幼少期にB29を見たとかではなく、戦地で戦った世代です
何かと現代風ではない部分がありましたが、これは凄いと思える部分もありました。
同じ職場でジェネレーションギャップ何て安易な言葉で済まされない世代というか。

その後、三十路の頃にお世話になった会社の会長がやはり戦争経験者でした。
斜陽産業の中の会社ではありましたが、志の高い会長でした。
週に数度の出社では余計な言葉など漏らさず、少し考えさせられるトンチみたいなものも。

朝礼の報告をさっさと済ませたかった朝、原稿に残した言葉を早口でササっと読み上げている途中、会長に静止されたことも。

それでは伝わらないと。

その後、出張中の社長の部屋で待っていた会長に呼ばれ「間が大切だ」と言われました。
小唄を例にして、お伊勢参りを唄い出した会長でしたが一小節を過ぎるくらいで次の歌詞を忘れていて。
オチまで残してくれる素敵な人物というか。
自分が未だ独身なのも気にされていて「バスに乗り遅れるな」とも。

紙パルプ業界で分析装置を扱っていた会社は、売上げも減る一方。
自分の会社も危ない状況なのに、会長が気にされていたのは下請の町工場。
「うちが売れなきゃ○○さんはもっと困っているだろう。貸出機向けでも何台か注文してあげられないものか?」
この発想は現代と全く違い、斬新で、器の大きさや度量のデカさを感じました。
現代風な大手メーカーなら、コスト削減名目で下請に値下げを迫って当たり前で。

よほど苦労して会社を立ち上げたのだと思います。しかし、そんな話は一切せず。
あの会長とはもっと一緒に長く働いてみたかったです。
言い訳なんてする気もなれない人物って、凄いと思います。